2013年11月15日
第20回 南部杜氏
先日来、ニュースでも伝えられたとおり、由比の地酒『正雪』の杜氏・山影純悦(やまかげじゅんえつ)さんが、2013年度の「現代の名工」に選ばれました。

麹のチェックをする山影純悦さん
「卓越した技能者=現代の名工」は1967年から始まった制度で、厚生労働省が工業技術、伝統工芸、料理など各分野で優れた業績を上げた技能者を、毎年全国で150人選んで表彰します。今回は、私が時々通う静岡市の中華料理店『桂花』の千葉良男シェフも選ばれました。自分のお気に入りのおいしいものを作ってくれる身近な職人さんが選ばれたって、なんだか晴れがましいですよね!
山影さんは昭和7年、岩手県花巻市生まれで、19歳から酒造りの世界に入り、29歳で南部杜氏資格試験に当時、最年少で合格しました。昭和57年から『正雪』の蔵元・神沢川酒造場(静岡市清水区由比)の杜氏を務め、81歳の今も現場監督と後進指導にあたっています。神沢川酒造場を訪ねた方はお分かりかと思いますが、事務所の天井から壁へ、所狭しと掲げられた数々の表彰状が、山影さんの技能の高さを物語っています。

神沢川酒造場の事務所
それだけではありません。単年雇用の杜氏が一つの蔵元に長く勤め、持ち前の技能を存分に発揮できるというのは、ほかならぬ、経営者と技術者のベストマッチングが成せる業。数々の賞は神沢川酒造場のオーナー望月家と山影さんの確かな信頼関係の証しでもあります。

「正雪」の蔵元・神沢川酒造場(清水区由比)の望月正隆社長
そして今回の「現代の名工」。実は以前、技能者の表彰制度について調べたことがあり、現代の名工に選ばれるには、当然ながら、同業界内での実績と推薦が不可欠だと知りました。杜氏さんでいえば、単に酒造りの名人というだけでなく、同業者組織(日本醸造協会、南部杜氏協会、静岡県杜氏研究会など)で世話役を厭わず、業界の発展のために力を尽くした方に、ということでしょうか。
職人さんにとって現場の外でのさまざまな人付き合いや交渉ごとというのは煩雑なもののように思えますが、長年『正雪』に勤め、静岡の事情をよく知る山影さんは、県内の他の蔵元が南部杜氏を雇用する際に人選や待遇面でのアドバイスを行うなど、面倒見の良さでも知られています。一方、私が20年余り通い続ける全国新酒鑑評会や県清酒鑑評会のきき酒会場では必ず姿をお見かけします。若い杜氏や蔵人に混じって真剣にきき酒する横顔には、いくつになっても酒質向上への探究心を持ち続ける熱い職人魂を感じたものでした。
今も懐かしく思い出されるのは、しずおか地酒研究会発足の2年目、1997年7月に企画した南部杜氏のふるさとツアー。山影さんが花巻温泉に静岡県の蔵に勤める南部杜氏さんを10人集めて歓迎の宴を開いてくれました。まだ研究会が出来たばかりで私の力不足もあって、こちらからは私の酒友7人しか参加できなかったのですが、杜氏さんたちは温かく歓迎してくれ、夜通し飲んで食べて歌い明かしました。

1997年7月、しずおか地酒研究会の南部杜氏ふるさとツアー
お恥ずかしい姿で写っていますが、この記念写真は、板垣馬太郎さん(若竹)、浅沼清輝さん(出世城)など鬼籍に入られた杜氏さんの顔も揃う大事なお宝ショット。翌日は山影さんと富山初雄さん(喜久醉)が石鳥谷の南部杜氏伝承館や宮沢賢治ゆかりの地を案内してくれました。浅沼さんがご自宅に招いて手作り漬物でもてなしてくださったことは忘れられません。
南部杜氏伝承館では、岩波映画製作の記録映画『南部杜氏』がリプレイ上映されていました。昭和62年(1987)に制作された作品で、大正~昭和頃の酒造りを、昭和62年当時の南部杜氏が再現しています。1987年といえば、静岡県では全国新酒鑑評会で入賞率日本一になり、静岡酵母や静岡流の吟醸造りが一躍注目を集めた年。10年後の1997年にこれを観た私も、どちらかといえば新しい酒造工学やバイオテクノロジーの技術に関心があり、このとき観た『南部杜氏』は、単に古い記録映画、という印象しか持てませんでした。
そんな自分が不思議なことに、さらに10年後の2007年、映画制作の仕事に携わり、その経験を活かして、静岡吟醸を醸す杜氏さんたちの姿を映像に残そうと酒の映画製作を始めたのです。今思うとずいぶん大胆ですが、『南部杜氏』のDVDを日本酒造組合中央会からお借りし、県内の蔵元さんや杜氏さんを集めて「岩波映画のような格調高い作品は作れないが、少しでも近づきたい」と熱弁をふるいました。
このとき、一緒に『南部杜氏』を観てもらったメンバーの中に、大村屋酒造場(島田市)の日比野哲さんがいました。彼は静岡大学大学院を卒業して新卒で入社し、南部杜氏講習会に通い、杜氏資格試験を受けて合格した社員杜氏さんです。『南部杜氏』を観たのはこのときが初めてだそうで、「ふるえるほど感動した、今夜は眠れそうにない」と興奮していました。自分が南部杜氏伝承館で初めて観たときとは違いすぎるリアクションに、職人=技能者だけが共有できる感性があるんだなあと、半ば、羨ましく思いました。
岩波映画『南部杜氏』は、この後、さらに思いもよらない縁を生みました。HPに紹介したところ、早稲田大学グリークラブOBから、「大阪シンフォニーホールで、南部杜氏の酒造り唄を合唱披露することになったので酒造りの映像を観てイメージをつかみたい」と相談の連絡が来たのです。2011年8月に行われた演奏会には私も駆けつけ、男声合唱の迫力と美声に圧倒されました。酒造りは地域産業であると同時に、芸術や文化の源泉として時代を超え、地域を越え、感動の輪を広げてくれるものだとしみじみ・・・。こちらに紹介していますので、ご覧ください。
http://mayumi-s-jizake.blogzine.jp/blog/2011/08/post_2cf0.html
南部杜氏伝承館では郷土史家がまとめた『南部杜氏ものがたり』という本を入手しました。
同書によると、岩手県旧南部藩で酒造技術が勃興したきっかけは、全国にフットワークを持つ近江商人が盛岡城下で造り酒屋を始めたこと。中でも近江商人の村井・小野一族が、上方大阪から酒造技術者を招聘し、南部地酒の酒質向上に貢献したようです。
彼らは優秀な若手職人を京都や大阪に見習い研修に派遣し、一定期間の年季を終えて帰国した者には「酒造頭司」という称号を与えて優遇しました。これが時代を経て「南部頭司」となり、隣国の仙台領からも技術を乞われ、南部・仙台両藩の許可を得て出稼ぎ出国するようになりました。凶作の年には脱藩して仙台に逃れる農民が相次ぎ、南部藩ではこれを厳しく取り締まったそうですから、酒造り職人がいかに特別待遇だったかが想像できます。出稼ぎで身をたて、故郷で尊敬を集めた職人たちを、やがて「南部杜氏」と総称するようになった、というわけです。
同書では功績のあった名杜氏が何人か紹介されていますが、とりわけ心に残ったのは、明治末~大正~昭和に活躍した谷村久太郎さんです。谷村さんは26歳の若さで横沢酒造店の杜氏になり、配下に25人もの若い職人を抱えながら人心の掌握に努め、岩手県下の清酒鑑評会でも数々の賞に輝きました。
36歳で南部杜氏組合理事になり、37歳で周囲から乞われて新堀村の村会議員にトップ当選。大正14年には南部杜氏組合創立10周年を記念し、機関誌『トロリ会報』を発行しました。評判がよく、毎月発行となったのですが、5号目で廃刊の憂き目に。理由は、5号の巻頭に掲載した「わたしたちが機関誌を通して技量の練磨、知識の向上、会員の親睦を図ろうとすることを、快く思わない偏狭古陋な酒造家がいる。そうした一部の酒造家は、杜氏が袴姿で品評会などに出入りするのは気に食わぬ、第一、蔵働きが読書をするのは生意気だと仰る。まるで封建的な考えだ。わたしたちは酒造家各位と共存共栄の立場にあるが故に研鑚を怠ってはならない」の一文。これが岩手県下の酒造家から反感を買い、発行停止の圧力がかかったというのです。
谷村さんは理事職を辞して謹慎しますが、南部杜氏組合の蔵人たちからは彼を支持する声が根強く、3年後に理事に復帰し、その後、南部杜氏組合理事長を10年間務めました。昭和のはじめ、農村不況が深刻な時期には、地元の産業組合専務理事として地域を支え、戦後は新堀村長を務めるまでに。酒造家が町長や村長を務める例は数多く聞きますが、杜氏が農政や村政で手腕をふるったというのはあまり聞きません。
こういう人のことを、「職人らしくない」「政治が好きなんだろう」と揶揄する人もいるかもしれませんが、雑音を承知で酒造業や地域のために矢面に立つというのは、心根に利他の精神を持たねば務まらないと思います。杜氏さんが皆、自分の酒造りや雇用のことだけを考えていたら、南部杜氏が今のように日本の酒造業を支える杜氏集団として生き残ったんだろうか、と想像すると、山影さんの「現代の名工」受賞の価値も一層重く感じられるのです。
私が取り組むドキュメンタリー映画『吟醸王国しずおか』は作品の方向性や資金面で壁にあたっており、制作中断状態ですが、酒造りの世界に関心を持つ人々に「眠れそうもない」「飲まずにいられない」刺激やクオリティを目指し、山影さんのように情熱を枯らすことなく頑張ろうと思っています。
山影純悦さん、本当におめでとうございました。
<参考文献>
「南部杜氏ものがたり~辛苦を超えた蔵人たち」 藤原正造著/博光出版(平成7年)

麹のチェックをする山影純悦さん
「卓越した技能者=現代の名工」は1967年から始まった制度で、厚生労働省が工業技術、伝統工芸、料理など各分野で優れた業績を上げた技能者を、毎年全国で150人選んで表彰します。今回は、私が時々通う静岡市の中華料理店『桂花』の千葉良男シェフも選ばれました。自分のお気に入りのおいしいものを作ってくれる身近な職人さんが選ばれたって、なんだか晴れがましいですよね!
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
山影さんは昭和7年、岩手県花巻市生まれで、19歳から酒造りの世界に入り、29歳で南部杜氏資格試験に当時、最年少で合格しました。昭和57年から『正雪』の蔵元・神沢川酒造場(静岡市清水区由比)の杜氏を務め、81歳の今も現場監督と後進指導にあたっています。神沢川酒造場を訪ねた方はお分かりかと思いますが、事務所の天井から壁へ、所狭しと掲げられた数々の表彰状が、山影さんの技能の高さを物語っています。
神沢川酒造場の事務所
それだけではありません。単年雇用の杜氏が一つの蔵元に長く勤め、持ち前の技能を存分に発揮できるというのは、ほかならぬ、経営者と技術者のベストマッチングが成せる業。数々の賞は神沢川酒造場のオーナー望月家と山影さんの確かな信頼関係の証しでもあります。
「正雪」の蔵元・神沢川酒造場(清水区由比)の望月正隆社長
そして今回の「現代の名工」。実は以前、技能者の表彰制度について調べたことがあり、現代の名工に選ばれるには、当然ながら、同業界内での実績と推薦が不可欠だと知りました。杜氏さんでいえば、単に酒造りの名人というだけでなく、同業者組織(日本醸造協会、南部杜氏協会、静岡県杜氏研究会など)で世話役を厭わず、業界の発展のために力を尽くした方に、ということでしょうか。
職人さんにとって現場の外でのさまざまな人付き合いや交渉ごとというのは煩雑なもののように思えますが、長年『正雪』に勤め、静岡の事情をよく知る山影さんは、県内の他の蔵元が南部杜氏を雇用する際に人選や待遇面でのアドバイスを行うなど、面倒見の良さでも知られています。一方、私が20年余り通い続ける全国新酒鑑評会や県清酒鑑評会のきき酒会場では必ず姿をお見かけします。若い杜氏や蔵人に混じって真剣にきき酒する横顔には、いくつになっても酒質向上への探究心を持ち続ける熱い職人魂を感じたものでした。
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今も懐かしく思い出されるのは、しずおか地酒研究会発足の2年目、1997年7月に企画した南部杜氏のふるさとツアー。山影さんが花巻温泉に静岡県の蔵に勤める南部杜氏さんを10人集めて歓迎の宴を開いてくれました。まだ研究会が出来たばかりで私の力不足もあって、こちらからは私の酒友7人しか参加できなかったのですが、杜氏さんたちは温かく歓迎してくれ、夜通し飲んで食べて歌い明かしました。

1997年7月、しずおか地酒研究会の南部杜氏ふるさとツアー
お恥ずかしい姿で写っていますが、この記念写真は、板垣馬太郎さん(若竹)、浅沼清輝さん(出世城)など鬼籍に入られた杜氏さんの顔も揃う大事なお宝ショット。翌日は山影さんと富山初雄さん(喜久醉)が石鳥谷の南部杜氏伝承館や宮沢賢治ゆかりの地を案内してくれました。浅沼さんがご自宅に招いて手作り漬物でもてなしてくださったことは忘れられません。
南部杜氏伝承館では、岩波映画製作の記録映画『南部杜氏』がリプレイ上映されていました。昭和62年(1987)に制作された作品で、大正~昭和頃の酒造りを、昭和62年当時の南部杜氏が再現しています。1987年といえば、静岡県では全国新酒鑑評会で入賞率日本一になり、静岡酵母や静岡流の吟醸造りが一躍注目を集めた年。10年後の1997年にこれを観た私も、どちらかといえば新しい酒造工学やバイオテクノロジーの技術に関心があり、このとき観た『南部杜氏』は、単に古い記録映画、という印象しか持てませんでした。
そんな自分が不思議なことに、さらに10年後の2007年、映画制作の仕事に携わり、その経験を活かして、静岡吟醸を醸す杜氏さんたちの姿を映像に残そうと酒の映画製作を始めたのです。今思うとずいぶん大胆ですが、『南部杜氏』のDVDを日本酒造組合中央会からお借りし、県内の蔵元さんや杜氏さんを集めて「岩波映画のような格調高い作品は作れないが、少しでも近づきたい」と熱弁をふるいました。
このとき、一緒に『南部杜氏』を観てもらったメンバーの中に、大村屋酒造場(島田市)の日比野哲さんがいました。彼は静岡大学大学院を卒業して新卒で入社し、南部杜氏講習会に通い、杜氏資格試験を受けて合格した社員杜氏さんです。『南部杜氏』を観たのはこのときが初めてだそうで、「ふるえるほど感動した、今夜は眠れそうにない」と興奮していました。自分が南部杜氏伝承館で初めて観たときとは違いすぎるリアクションに、職人=技能者だけが共有できる感性があるんだなあと、半ば、羨ましく思いました。
岩波映画『南部杜氏』は、この後、さらに思いもよらない縁を生みました。HPに紹介したところ、早稲田大学グリークラブOBから、「大阪シンフォニーホールで、南部杜氏の酒造り唄を合唱披露することになったので酒造りの映像を観てイメージをつかみたい」と相談の連絡が来たのです。2011年8月に行われた演奏会には私も駆けつけ、男声合唱の迫力と美声に圧倒されました。酒造りは地域産業であると同時に、芸術や文化の源泉として時代を超え、地域を越え、感動の輪を広げてくれるものだとしみじみ・・・。こちらに紹介していますので、ご覧ください。
http://mayumi-s-jizake.blogzine.jp/blog/2011/08/post_2cf0.html
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南部杜氏伝承館では郷土史家がまとめた『南部杜氏ものがたり』という本を入手しました。
同書によると、岩手県旧南部藩で酒造技術が勃興したきっかけは、全国にフットワークを持つ近江商人が盛岡城下で造り酒屋を始めたこと。中でも近江商人の村井・小野一族が、上方大阪から酒造技術者を招聘し、南部地酒の酒質向上に貢献したようです。
彼らは優秀な若手職人を京都や大阪に見習い研修に派遣し、一定期間の年季を終えて帰国した者には「酒造頭司」という称号を与えて優遇しました。これが時代を経て「南部頭司」となり、隣国の仙台領からも技術を乞われ、南部・仙台両藩の許可を得て出稼ぎ出国するようになりました。凶作の年には脱藩して仙台に逃れる農民が相次ぎ、南部藩ではこれを厳しく取り締まったそうですから、酒造り職人がいかに特別待遇だったかが想像できます。出稼ぎで身をたて、故郷で尊敬を集めた職人たちを、やがて「南部杜氏」と総称するようになった、というわけです。
同書では功績のあった名杜氏が何人か紹介されていますが、とりわけ心に残ったのは、明治末~大正~昭和に活躍した谷村久太郎さんです。谷村さんは26歳の若さで横沢酒造店の杜氏になり、配下に25人もの若い職人を抱えながら人心の掌握に努め、岩手県下の清酒鑑評会でも数々の賞に輝きました。
36歳で南部杜氏組合理事になり、37歳で周囲から乞われて新堀村の村会議員にトップ当選。大正14年には南部杜氏組合創立10周年を記念し、機関誌『トロリ会報』を発行しました。評判がよく、毎月発行となったのですが、5号目で廃刊の憂き目に。理由は、5号の巻頭に掲載した「わたしたちが機関誌を通して技量の練磨、知識の向上、会員の親睦を図ろうとすることを、快く思わない偏狭古陋な酒造家がいる。そうした一部の酒造家は、杜氏が袴姿で品評会などに出入りするのは気に食わぬ、第一、蔵働きが読書をするのは生意気だと仰る。まるで封建的な考えだ。わたしたちは酒造家各位と共存共栄の立場にあるが故に研鑚を怠ってはならない」の一文。これが岩手県下の酒造家から反感を買い、発行停止の圧力がかかったというのです。
谷村さんは理事職を辞して謹慎しますが、南部杜氏組合の蔵人たちからは彼を支持する声が根強く、3年後に理事に復帰し、その後、南部杜氏組合理事長を10年間務めました。昭和のはじめ、農村不況が深刻な時期には、地元の産業組合専務理事として地域を支え、戦後は新堀村長を務めるまでに。酒造家が町長や村長を務める例は数多く聞きますが、杜氏が農政や村政で手腕をふるったというのはあまり聞きません。
こういう人のことを、「職人らしくない」「政治が好きなんだろう」と揶揄する人もいるかもしれませんが、雑音を承知で酒造業や地域のために矢面に立つというのは、心根に利他の精神を持たねば務まらないと思います。杜氏さんが皆、自分の酒造りや雇用のことだけを考えていたら、南部杜氏が今のように日本の酒造業を支える杜氏集団として生き残ったんだろうか、と想像すると、山影さんの「現代の名工」受賞の価値も一層重く感じられるのです。
私が取り組むドキュメンタリー映画『吟醸王国しずおか』は作品の方向性や資金面で壁にあたっており、制作中断状態ですが、酒造りの世界に関心を持つ人々に「眠れそうもない」「飲まずにいられない」刺激やクオリティを目指し、山影さんのように情熱を枯らすことなく頑張ろうと思っています。
山影純悦さん、本当におめでとうございました。
<参考文献>
「南部杜氏ものがたり~辛苦を超えた蔵人たち」 藤原正造著/博光出版(平成7年)
Posted by 日刊いーしず at 12:00
2013年11月01日
第19回 仏教と酒
私は歴史が好きで、趣味は神社仏閣巡りや仏像鑑賞。京都の禅寺へ坐禅に行くこともあります。
禅寺の山門の前には【不許葷酒入山門】という文字が掲げられています。葷酒(くんしゅ)、山門に入ることを許さず。つまり酒や香りの強い食べ物は寺に厳禁、ということ。修行中の禅僧に、酒・肉・香辛料はご法度で、代わりに生み出されたのが精進料理というわけです。
いつも通う京都の臨済宗の寺は、一般拝観お断りの厳格な修行寺。最初に身の上話をしたとき、恐る恐る、「酒の取材をしています」と言って、恐る恐る手土産の酒を渡したところ、和尚さんは「わしは飲まんが、若い衆が喜ぶなあ」とニコニコ顔で受け取ってくれました。しかも、持参したのが、臨済宗の中興の祖として名高い白隠禅師にちなんだ地酒『白隠正宗』だったので、「静岡にそんなええ酒があったんかいな」と大喜び。【不許葷酒入山門】と言っても時代が変わったんだなあと不思議な気分になりました。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
仏教で、酒のことを俗に【般若湯】と言いますね。般若とは、単なる知識を超えた深い悟りを意味する“智慧”のこと。仏教徒が守るべき5つの戒律―『不殺生戒(殺さず)』『不偸盗戒(盗まず)』『不邪淫戒(淫らな行為をせず)』『不妄語戒(嘘をつかず)』『不飲酒戒(酒を飲まず)』で、 不飲酒戒が5番目に来るのは、酒を飲んだら前の4戒を犯しやすくなるという理由。日本の寺院では「五戒は飲酒そのものを厳禁しているわけではなく、他に悪いことをしなければ飲んでも差し支えない」「酔うために飲むのではない、修行に役立つ智慧を生む【般若湯】として飲む」と緩~く解釈したようです。厳しい刑罰を科したモーゼの十戒やイスラム教の戒律とは違って、人間の自主性に委ねたんですね。
なんとも都合の良い解釈に思えますが、よくよく考えれば、酒を飲んで前後不覚になるまで酔うというのは、犯罪を招く恐ろしい戒律違反行為であり、飲むんだったら適正な飲み方を自己責任でせよと言っている。適正な飲み方を極めるのも、修行といえば修行なのかもしれません。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
さて、日本の仏教寺院では、実は、古くから酒を造っていました。10~11世紀、仏教と神道がゴチャ混ぜになっていた頃は、奈良の東大寺や京都洛南の醍醐寺にも〈酒殿〉があって、お神酒を造っていたのです。
中世になると、寺院は荘園からの貢納米を有効活用すべく、自家消費のみならず、市場への販売に踏み出します。寺には働き手となる修行僧がいるし、清浄な水にも恵まれている。京都、奈良、大阪、堺など消費都市に近い大寺院では、酒造りをビジネスに展開できる素地が十分にあったわけです。
有名なのが大阪・河内長野市の天野山金剛寺で造られた「天野酒」で、豊臣秀吉がとくに愛飲し、〈良酒造りに励め〉という朱印状まで下付したそうです。また奈良菩提山正暦寺は今の清酒製造の原点ともいえる製法を確立し、天下第一の名声を得ました。

奈良正暦寺に立つ『日本清酒発祥の碑』
寺院の酒造りの技術書、というものも、ちゃんと存在するんです。14~15世紀頃に記されたとされる『御酒之日記』には、天野酒、菩提泉の醸造法が紹介されており、天野酒は冬季限定の二段仕込み、菩提泉は乳酸菌によって雑菌の増殖を抑え酵母のアルコール発酵を促す今と同じ原理の酒母づくりを確立し、温暖な時期の醸造を可能にしたと記されています。
奈良興福寺の塔頭・多聞院の僧が記した『多聞院日記』は、文明10年(1478)から元和4年(1618)まで約140年に亘る寺の活動記録で、天正4年(1576)の記述に、菩提山正暦寺の“諸白(もろはく)づくり”が初めて登場します。麹米・掛米とも精米した白米を使い、酒母は菩提泉がさらに発展した菩提酛、もろみは酘(とう)方式=今の三段仕込み、搾りは今の上槽(じょうそう)と同じ酒と粕を分ける槽掛け(ふながけ)、そして煮酒=今の火入れ殺菌と、日本酒造りの原点がここで確立したことが解ります。正暦寺に行くと、〈日本清酒発祥之地〉という碑が堂々と建っています。
詳しくは正暦寺の公式サイトをご覧ください。http://shoryakuji.jp/sake-birthplace.html

菩提酛仕込みの酒

菩提酛酒の裏ラベル
天正10年(1582)、織田信長は安土城に徳川家康を招いて大宴会を催しますが、この宴席のために「山樽三荷諸白上々」「一荷ニ酒三斗ツヽ入」が献上されました。奈良正暦寺の諸白酒が大量に振舞われ、信長や家康ほか多くの武将たちから絶賛されたと『多聞院日記』に残っています。当時は上槽しない濁酒=どぶろくが一般的でしたから、諸白酒の澄み切った美味しさには、さすがの信長・家康も舌を巻いたことでしょう。
最近、あまり磨き過ぎない昔ながらの精米、菩提酛、濁酒風の酒など伝統酒を造る蔵元さんが増えています。現代の酒造技術の集大成ともいえる吟醸酒が定着した今、その反動なのか、スローフードブームの影響なのか、伝統に回帰しようという思いが酒造家にも芽生えてきています。歴史ファンの酒徒としては、そういう酒を造る人・売る人・飲む人は、寺院酒造の歴史や仏教についても関心を広げてほしいなあと思います。
自分も飲むとき、こういうウンチク話を紐解いて多少なりとも左脳を使うことで、適正な飲酒をしようと心がけてはいるんですが、美味い酒にありつくと、何も考えずパーッと飲んじゃいたくなる煩悩の塊なんだよなあ(苦笑)。
酒の歴史についてはこちらもぜひご参照を。 http://ginjyo-shizuoka.jp/suzuki_11.html
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
それにしても、微生物学的にも極めて合理的な日本酒の製法を確立させたのが、【不許葷酒入山門】の仏教寺院だったというのは、なんとも皮肉な話。寺というのは修行の場であり、人々を救済する生涯福祉施設であると同時に、学問を究める大学的な機能を持ち、ついには醸造研究所のような役割まで果たしていたんですね。
ちなみに、五戒に『不飲酒戒』に加わったのは、お釈迦様自身、酒が苦手だったからという説もあります。釈迦が生きていた時代、インドでは仏教によく似たジャイナ教も台頭しており、「四戒」の教えは共通していたんだとか。で、ジャイナ教では『不飲酒戒』の代わりに『無所有戒(不要の財物は持たない)』を加えていました。
仏教だって、もともとの精神からいえば、『無所有戒』のほうが合っていると思われますが、『不飲酒戒』にしたのは、釈迦自身が下戸で酒嫌いだったのでは?という解釈。だとしたら、後世の日本の仏教徒たちが【般若湯】と称して飲酒し、諸白づくりを生み出し、酒造ビジネスに励んだ姿を、お釈迦様自身、どんな思いで見守っているのでしょうか(苦笑)。
<参考文献>
日本の酒5000年/加藤百一著、下戸の逸話事典~歴史を動かした非酒徒たち/鈴木眞哉
禅寺の山門の前には【不許葷酒入山門】という文字が掲げられています。葷酒(くんしゅ)、山門に入ることを許さず。つまり酒や香りの強い食べ物は寺に厳禁、ということ。修行中の禅僧に、酒・肉・香辛料はご法度で、代わりに生み出されたのが精進料理というわけです。
いつも通う京都の臨済宗の寺は、一般拝観お断りの厳格な修行寺。最初に身の上話をしたとき、恐る恐る、「酒の取材をしています」と言って、恐る恐る手土産の酒を渡したところ、和尚さんは「わしは飲まんが、若い衆が喜ぶなあ」とニコニコ顔で受け取ってくれました。しかも、持参したのが、臨済宗の中興の祖として名高い白隠禅師にちなんだ地酒『白隠正宗』だったので、「静岡にそんなええ酒があったんかいな」と大喜び。【不許葷酒入山門】と言っても時代が変わったんだなあと不思議な気分になりました。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
仏教で、酒のことを俗に【般若湯】と言いますね。般若とは、単なる知識を超えた深い悟りを意味する“智慧”のこと。仏教徒が守るべき5つの戒律―『不殺生戒(殺さず)』『不偸盗戒(盗まず)』『不邪淫戒(淫らな行為をせず)』『不妄語戒(嘘をつかず)』『不飲酒戒(酒を飲まず)』で、 不飲酒戒が5番目に来るのは、酒を飲んだら前の4戒を犯しやすくなるという理由。日本の寺院では「五戒は飲酒そのものを厳禁しているわけではなく、他に悪いことをしなければ飲んでも差し支えない」「酔うために飲むのではない、修行に役立つ智慧を生む【般若湯】として飲む」と緩~く解釈したようです。厳しい刑罰を科したモーゼの十戒やイスラム教の戒律とは違って、人間の自主性に委ねたんですね。
なんとも都合の良い解釈に思えますが、よくよく考えれば、酒を飲んで前後不覚になるまで酔うというのは、犯罪を招く恐ろしい戒律違反行為であり、飲むんだったら適正な飲み方を自己責任でせよと言っている。適正な飲み方を極めるのも、修行といえば修行なのかもしれません。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
さて、日本の仏教寺院では、実は、古くから酒を造っていました。10~11世紀、仏教と神道がゴチャ混ぜになっていた頃は、奈良の東大寺や京都洛南の醍醐寺にも〈酒殿〉があって、お神酒を造っていたのです。
中世になると、寺院は荘園からの貢納米を有効活用すべく、自家消費のみならず、市場への販売に踏み出します。寺には働き手となる修行僧がいるし、清浄な水にも恵まれている。京都、奈良、大阪、堺など消費都市に近い大寺院では、酒造りをビジネスに展開できる素地が十分にあったわけです。
有名なのが大阪・河内長野市の天野山金剛寺で造られた「天野酒」で、豊臣秀吉がとくに愛飲し、〈良酒造りに励め〉という朱印状まで下付したそうです。また奈良菩提山正暦寺は今の清酒製造の原点ともいえる製法を確立し、天下第一の名声を得ました。
奈良正暦寺に立つ『日本清酒発祥の碑』
寺院の酒造りの技術書、というものも、ちゃんと存在するんです。14~15世紀頃に記されたとされる『御酒之日記』には、天野酒、菩提泉の醸造法が紹介されており、天野酒は冬季限定の二段仕込み、菩提泉は乳酸菌によって雑菌の増殖を抑え酵母のアルコール発酵を促す今と同じ原理の酒母づくりを確立し、温暖な時期の醸造を可能にしたと記されています。
奈良興福寺の塔頭・多聞院の僧が記した『多聞院日記』は、文明10年(1478)から元和4年(1618)まで約140年に亘る寺の活動記録で、天正4年(1576)の記述に、菩提山正暦寺の“諸白(もろはく)づくり”が初めて登場します。麹米・掛米とも精米した白米を使い、酒母は菩提泉がさらに発展した菩提酛、もろみは酘(とう)方式=今の三段仕込み、搾りは今の上槽(じょうそう)と同じ酒と粕を分ける槽掛け(ふながけ)、そして煮酒=今の火入れ殺菌と、日本酒造りの原点がここで確立したことが解ります。正暦寺に行くと、〈日本清酒発祥之地〉という碑が堂々と建っています。
詳しくは正暦寺の公式サイトをご覧ください。http://shoryakuji.jp/sake-birthplace.html
菩提酛仕込みの酒
菩提酛酒の裏ラベル
天正10年(1582)、織田信長は安土城に徳川家康を招いて大宴会を催しますが、この宴席のために「山樽三荷諸白上々」「一荷ニ酒三斗ツヽ入」が献上されました。奈良正暦寺の諸白酒が大量に振舞われ、信長や家康ほか多くの武将たちから絶賛されたと『多聞院日記』に残っています。当時は上槽しない濁酒=どぶろくが一般的でしたから、諸白酒の澄み切った美味しさには、さすがの信長・家康も舌を巻いたことでしょう。
最近、あまり磨き過ぎない昔ながらの精米、菩提酛、濁酒風の酒など伝統酒を造る蔵元さんが増えています。現代の酒造技術の集大成ともいえる吟醸酒が定着した今、その反動なのか、スローフードブームの影響なのか、伝統に回帰しようという思いが酒造家にも芽生えてきています。歴史ファンの酒徒としては、そういう酒を造る人・売る人・飲む人は、寺院酒造の歴史や仏教についても関心を広げてほしいなあと思います。
自分も飲むとき、こういうウンチク話を紐解いて多少なりとも左脳を使うことで、適正な飲酒をしようと心がけてはいるんですが、美味い酒にありつくと、何も考えずパーッと飲んじゃいたくなる煩悩の塊なんだよなあ(苦笑)。
酒の歴史についてはこちらもぜひご参照を。 http://ginjyo-shizuoka.jp/suzuki_11.html
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
それにしても、微生物学的にも極めて合理的な日本酒の製法を確立させたのが、【不許葷酒入山門】の仏教寺院だったというのは、なんとも皮肉な話。寺というのは修行の場であり、人々を救済する生涯福祉施設であると同時に、学問を究める大学的な機能を持ち、ついには醸造研究所のような役割まで果たしていたんですね。
ちなみに、五戒に『不飲酒戒』に加わったのは、お釈迦様自身、酒が苦手だったからという説もあります。釈迦が生きていた時代、インドでは仏教によく似たジャイナ教も台頭しており、「四戒」の教えは共通していたんだとか。で、ジャイナ教では『不飲酒戒』の代わりに『無所有戒(不要の財物は持たない)』を加えていました。
仏教だって、もともとの精神からいえば、『無所有戒』のほうが合っていると思われますが、『不飲酒戒』にしたのは、釈迦自身が下戸で酒嫌いだったのでは?という解釈。だとしたら、後世の日本の仏教徒たちが【般若湯】と称して飲酒し、諸白づくりを生み出し、酒造ビジネスに励んだ姿を、お釈迦様自身、どんな思いで見守っているのでしょうか(苦笑)。
<参考文献>
日本の酒5000年/加藤百一著、下戸の逸話事典~歴史を動かした非酒徒たち/鈴木眞哉
Posted by 日刊いーしず at 12:00
2013年10月18日
第18回 試飲会ノススメ
10月も半ばを過ぎ、米の収穫がひと段落すると、日本酒の蔵元ではそろそろ新酒の仕込みが始まります。その直前の10月初旬ぐらいまで、蔵元や杜氏たちは各地の地酒イベントに顔を出し、精一杯自社商品のPRに努めます。静岡県の場合、イベントは営業社員やキャンペーンガールにお任せ、なんて大手メーカーと違い、蔵元や杜氏が積極的に参加して自身の酒造りを熱く語る、という人が多く、参加者にとっても“顔の見える酒”をじっくり呑み比べることができるんですね。第15回【秋上がりの季節】(記事はこちら)で紹介したイベントの数々もそうでした。
今回は、顔が見える酒を真摯に提供する、蔵元の信頼篤い酒販店の主催イベントについてご紹介しましょう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
9月15日に清水マリンタワーで開かれた篠田酒店主催『第39回蔵元を囲むしのだ日本酒の会』は、静岡県だけでも磯自慢、英君、開運、臥龍梅、喜久醉、國香、小夜衣、志太泉、正雪、杉錦、萩錦、白隠正宗、初亀、金明、若竹というラインナップがそろい、これに他県から6蔵が加わり、ぜいたくな呑み比べが楽しめました。

2013年9月15日開催の第39回蔵元を囲むしのだ日本酒の会(清水マリンビル)
この会のスゴイところは、酒はすべて篠田酒店秘蔵酒という点。リストを見たら98番まであって、すべての酒に店主篠田和雄さんのコメントが添えられています。たとえば、
英君・特別純米袋吊りしずく取り生酒2012BY/香りも心地よいが、とろりとした旨みの広がりが見事な絶品!
開運・伝波瀬正吉・純米大吟醸斗瓶取り3番の口の取口生酒2009BY/当店の冷蔵庫から3年半ぶりに目覚めた無濾過生酒!丸みとやさしい旨みを味わってみてください。
森本(小夜衣)・純米熟成大古酒H・森本昔風2001年/らおちゅう???いえいえ、れっきとした日本酒です。10年以上も眠っていた熟成酒。旨みと丸みの琥珀。
白隠正宗・大吟醸斗瓶取り2004BY/しのだ酒の会で毎年出品している、今はなき幻の大吟醸。その味わいはまさに極上のバナナジュースなのだ!今回で最後か!
初亀・滝上秀三・純米大吟醸2003年/当店の低温冷蔵庫にてなんと10年冬眠していた秘蔵の大吟醸!その味わいは・・・超マニアックな世界に突入!
という調子。「銘柄」の後ろに「袋吊り」やら「斗瓶取り」やら人名やら製造年度だの、ずいぶん長いサブタイトルが付いているなと思われるでしょう? こういうタイトル(意味は購入先で聞いてみてください)が長ければ長いほど、こだわった限定酒というわけです。

蔵元を囲むしのだ日本酒の会 出品リスト
すぐにも売れる希少限定酒を、売らずに何年もストックしておくというのは、商売からみたらリスクが高いのに、篠田さんの会では、造った蔵元本人もビックリするような秘蔵酒や長期熟成酒がお目見えします。こんな会を40回近く続けているのですから、毎年つねに、すぐに売らずに保存しておく分まで仕入れるのでしょう。よほどの地酒愛がなければ出来ないこと。時々、お店のスタッフさんから「うちの社長は“オタク”が過ぎて困る」と愚痴を聞きます(笑)。
文字ギッシリの出品リストを目にして、「どれを呑んでいいのか選ぶのに難しそう・・・」「酒マニアしか解らないんじゃない?」なんて敬遠する人もいたかもしれませんが、長いサブタイトルの意味を蔵元さんに直接聞けば、酒造りの奥の深さがよく解るし、その蔵元さんの酒造りに対する姿勢や思いも伝わってきます。何より、こだわった造りや熟成によって、日本酒の味というものが、原料が米と水だけとは思えないほど多様性に富んでいることを実感できるでしょう。静岡のような小規模の蔵と個人商店が頑張っている地域だからこそ、体験の機会も多いんです。こういう体験を出来るだけ多くの人に、可能な限り積み重ねて欲しいですね。
ふだんは篠田酒店エスパルスドリームプラザ店の試飲コーナーで、スペシャルな銘柄が有料試飲できますから、気軽に利用してみてください。
◆篠田酒店エスパルスドリームプラザ店
http://www.dream-plaza.co.jp/shop/food/
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
9月29日(日)、御殿場の森の腰ショッピングセンター・エピの2階ホールで開かれた『酒のいわせ日本酒有料試飲会』は、静岡県から金明、白隠正宗、初亀、喜久醉の4社、県外から4社が参加しました。御殿場市内でこの手の試飲会は初めて。主催した酒のいわせが、御殿場で地酒文化を育てようと手弁当で企画準備されたんです。これまで、岩瀬さんが酒を納入する飲食店さんで、蔵元をゲストに招いて酒と料理の会を開くというケースはあったのですが、蔵元主役の試飲イベントとしては、記念すべき第1回の開催でした。

2013年9月29日開催の酒のいわせ日本酒試飲会(御殿場森の腰ショッピングセンター・エピ)
地酒の試飲イベントでは、場慣れしていないと、酒ではなく、料理のコーナーに真っ先に行ってしまうお客さんがいます。静岡県酒造組合が主催する県下最大の試飲イベント・静岡県地酒まつりが始まったばかりの頃(今から25~26年前)もそうでした。飲食店が会場の試飲会ならまだしも、蔵元衆が主催する試飲パーティーで、まず料理コーナーに人だかりが出来る現象にビックリ。酒の取材を始めたばかりの身で、貴重な試飲修業になるぞ!と呑む気満々で参加した私は、「この人たち何の目的で来たんだろう?」と首をかしげたものでした。
御殿場市で初めて開かれたこの試飲会も、最初のうちは、料理コーナーに人が集まって、蔵元さんはブースで手持ち無沙汰。私は私で、酒ブースをのんびりはしごし、自在に試飲を楽しむ時間が持てましたが、しばらくすると、酒の各ブースに二重三重と人の波。蔵元と話をしたくても順番待ち状態になりました。先に試飲したお客さんが他のお客さんを「あれ呑んでみなよ」「こっちも美味しいよ」と誘導し、みんなが酒の美味しさをシェアし始めたんですね。
思い返すと、25年前の静岡県地酒まつりで蔵元ブースに直接足を向ける人は、ごく一部の酒通と、個人的な知り合いか仕事上の付き合い、という感じでした。一方、この会では、岩瀬さんは知っていても蔵元には初めて会うという人が多かったでしょう。酒ブースに自然に人が集まったのは、純粋に試飲を楽しんだ証拠だと思います。
東京のように飲酒人口の多い都市部で開く蔵元参加の試飲イベントでは、料理が全然減らない、なんてケースも珍しくありません。静岡でも試飲慣れ?した人がずいぶん増え、今月1日にホテルセンチュリー静岡で開かれた静岡県地酒まつりも、料理ブースは閑散とし、蔵元ブースは黒山の人だかりでした。
こういう変化に出遭えたというのは、造り手と売り手、25年の努力の結晶に相違ありません。御殿場で初めて開かれたこの会も、プログラムにきき酒や二日酔いケアのノウハウを紹介したり、仕込み水をたっぷり用意するなど、岩瀬さんのおもてなし精神が奏功し、試飲会初参加のお客さんも十分に楽しんでいるようでした。

酒のいわせ 日本酒試飲会プログラムの一部
最初に呑んだ酒、最初に参加した試飲会に好印象を持つと、かなりの確率でリピーターになってくれます。個人酒販店の試飲会開催では草分け的存在の篠田さん、今年初めて開催の岩瀬さん・・・ともに、最初にやるというリスクや責任を受け止め、試飲の場づくりに挑んだ―こういう売り手が存在する限り、清水も御殿場も、地酒の優良消費地になるだろうなあと嬉しくなります。
岩瀬さんの初試飲会には、地元精肉店『渡辺ハム工房』が特別出店しました。同店では毎月29日(にくの日)に、岩瀬さんとコラボして地酒の店頭試飲会「29BAR(にくバル)」を開催しています。渡辺さんの絶品生ハム「ふじやまプロシュート」は、静岡県主催の平成23年度ふじのくに新商品セレクションで最高金賞を受賞した逸品。ほどよい塩味が純米系の地酒によく合います。ぜひお試しを!
◆酒のいわせ http://www.sakenoiwase.com/
◆渡辺ハム工房 http://nikuaji.com/
今回は、顔が見える酒を真摯に提供する、蔵元の信頼篤い酒販店の主催イベントについてご紹介しましょう。
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9月15日に清水マリンタワーで開かれた篠田酒店主催『第39回蔵元を囲むしのだ日本酒の会』は、静岡県だけでも磯自慢、英君、開運、臥龍梅、喜久醉、國香、小夜衣、志太泉、正雪、杉錦、萩錦、白隠正宗、初亀、金明、若竹というラインナップがそろい、これに他県から6蔵が加わり、ぜいたくな呑み比べが楽しめました。

2013年9月15日開催の第39回蔵元を囲むしのだ日本酒の会(清水マリンビル)
この会のスゴイところは、酒はすべて篠田酒店秘蔵酒という点。リストを見たら98番まであって、すべての酒に店主篠田和雄さんのコメントが添えられています。たとえば、
英君・特別純米袋吊りしずく取り生酒2012BY/香りも心地よいが、とろりとした旨みの広がりが見事な絶品!
開運・伝波瀬正吉・純米大吟醸斗瓶取り3番の口の取口生酒2009BY/当店の冷蔵庫から3年半ぶりに目覚めた無濾過生酒!丸みとやさしい旨みを味わってみてください。
森本(小夜衣)・純米熟成大古酒H・森本昔風2001年/らおちゅう???いえいえ、れっきとした日本酒です。10年以上も眠っていた熟成酒。旨みと丸みの琥珀。
白隠正宗・大吟醸斗瓶取り2004BY/しのだ酒の会で毎年出品している、今はなき幻の大吟醸。その味わいはまさに極上のバナナジュースなのだ!今回で最後か!
初亀・滝上秀三・純米大吟醸2003年/当店の低温冷蔵庫にてなんと10年冬眠していた秘蔵の大吟醸!その味わいは・・・超マニアックな世界に突入!
という調子。「銘柄」の後ろに「袋吊り」やら「斗瓶取り」やら人名やら製造年度だの、ずいぶん長いサブタイトルが付いているなと思われるでしょう? こういうタイトル(意味は購入先で聞いてみてください)が長ければ長いほど、こだわった限定酒というわけです。

蔵元を囲むしのだ日本酒の会 出品リスト
すぐにも売れる希少限定酒を、売らずに何年もストックしておくというのは、商売からみたらリスクが高いのに、篠田さんの会では、造った蔵元本人もビックリするような秘蔵酒や長期熟成酒がお目見えします。こんな会を40回近く続けているのですから、毎年つねに、すぐに売らずに保存しておく分まで仕入れるのでしょう。よほどの地酒愛がなければ出来ないこと。時々、お店のスタッフさんから「うちの社長は“オタク”が過ぎて困る」と愚痴を聞きます(笑)。
文字ギッシリの出品リストを目にして、「どれを呑んでいいのか選ぶのに難しそう・・・」「酒マニアしか解らないんじゃない?」なんて敬遠する人もいたかもしれませんが、長いサブタイトルの意味を蔵元さんに直接聞けば、酒造りの奥の深さがよく解るし、その蔵元さんの酒造りに対する姿勢や思いも伝わってきます。何より、こだわった造りや熟成によって、日本酒の味というものが、原料が米と水だけとは思えないほど多様性に富んでいることを実感できるでしょう。静岡のような小規模の蔵と個人商店が頑張っている地域だからこそ、体験の機会も多いんです。こういう体験を出来るだけ多くの人に、可能な限り積み重ねて欲しいですね。
ふだんは篠田酒店エスパルスドリームプラザ店の試飲コーナーで、スペシャルな銘柄が有料試飲できますから、気軽に利用してみてください。
◆篠田酒店エスパルスドリームプラザ店
http://www.dream-plaza.co.jp/shop/food/
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
9月29日(日)、御殿場の森の腰ショッピングセンター・エピの2階ホールで開かれた『酒のいわせ日本酒有料試飲会』は、静岡県から金明、白隠正宗、初亀、喜久醉の4社、県外から4社が参加しました。御殿場市内でこの手の試飲会は初めて。主催した酒のいわせが、御殿場で地酒文化を育てようと手弁当で企画準備されたんです。これまで、岩瀬さんが酒を納入する飲食店さんで、蔵元をゲストに招いて酒と料理の会を開くというケースはあったのですが、蔵元主役の試飲イベントとしては、記念すべき第1回の開催でした。

2013年9月29日開催の酒のいわせ日本酒試飲会(御殿場森の腰ショッピングセンター・エピ)
地酒の試飲イベントでは、場慣れしていないと、酒ではなく、料理のコーナーに真っ先に行ってしまうお客さんがいます。静岡県酒造組合が主催する県下最大の試飲イベント・静岡県地酒まつりが始まったばかりの頃(今から25~26年前)もそうでした。飲食店が会場の試飲会ならまだしも、蔵元衆が主催する試飲パーティーで、まず料理コーナーに人だかりが出来る現象にビックリ。酒の取材を始めたばかりの身で、貴重な試飲修業になるぞ!と呑む気満々で参加した私は、「この人たち何の目的で来たんだろう?」と首をかしげたものでした。
御殿場市で初めて開かれたこの試飲会も、最初のうちは、料理コーナーに人が集まって、蔵元さんはブースで手持ち無沙汰。私は私で、酒ブースをのんびりはしごし、自在に試飲を楽しむ時間が持てましたが、しばらくすると、酒の各ブースに二重三重と人の波。蔵元と話をしたくても順番待ち状態になりました。先に試飲したお客さんが他のお客さんを「あれ呑んでみなよ」「こっちも美味しいよ」と誘導し、みんなが酒の美味しさをシェアし始めたんですね。
思い返すと、25年前の静岡県地酒まつりで蔵元ブースに直接足を向ける人は、ごく一部の酒通と、個人的な知り合いか仕事上の付き合い、という感じでした。一方、この会では、岩瀬さんは知っていても蔵元には初めて会うという人が多かったでしょう。酒ブースに自然に人が集まったのは、純粋に試飲を楽しんだ証拠だと思います。
東京のように飲酒人口の多い都市部で開く蔵元参加の試飲イベントでは、料理が全然減らない、なんてケースも珍しくありません。静岡でも試飲慣れ?した人がずいぶん増え、今月1日にホテルセンチュリー静岡で開かれた静岡県地酒まつりも、料理ブースは閑散とし、蔵元ブースは黒山の人だかりでした。
こういう変化に出遭えたというのは、造り手と売り手、25年の努力の結晶に相違ありません。御殿場で初めて開かれたこの会も、プログラムにきき酒や二日酔いケアのノウハウを紹介したり、仕込み水をたっぷり用意するなど、岩瀬さんのおもてなし精神が奏功し、試飲会初参加のお客さんも十分に楽しんでいるようでした。

酒のいわせ 日本酒試飲会プログラムの一部
最初に呑んだ酒、最初に参加した試飲会に好印象を持つと、かなりの確率でリピーターになってくれます。個人酒販店の試飲会開催では草分け的存在の篠田さん、今年初めて開催の岩瀬さん・・・ともに、最初にやるというリスクや責任を受け止め、試飲の場づくりに挑んだ―こういう売り手が存在する限り、清水も御殿場も、地酒の優良消費地になるだろうなあと嬉しくなります。
岩瀬さんの初試飲会には、地元精肉店『渡辺ハム工房』が特別出店しました。同店では毎月29日(にくの日)に、岩瀬さんとコラボして地酒の店頭試飲会「29BAR(にくバル)」を開催しています。渡辺さんの絶品生ハム「ふじやまプロシュート」は、静岡県主催の平成23年度ふじのくに新商品セレクションで最高金賞を受賞した逸品。ほどよい塩味が純米系の地酒によく合います。ぜひお試しを!
◆酒のいわせ http://www.sakenoiwase.com/
◆渡辺ハム工房 http://nikuaji.com/
Posted by 日刊いーしず at 12:00
2013年09月27日
第17回 誉富士の未来(その2)
≪前回の記事 第16回 誉富士の未来(その1)はこちら
静岡県が開発した酒米・誉富士のお話を続けます。誉富士は2003年にデビューし、2012酒造年度は22社から誉富士使用酒が発売され、今期(2013)酒造年度はさらに増える見込みです。ちなみに酒造年度(Brewery Year)というのは、米の収穫時期を基準にしたもので、7月から翌6月までを一年度とします。
今年6月の志太美酒イベントの会場で、誉富士の開発者・宮田祐二さんから「個人的に買い置きしていた2005年酒造年度(以下05BY)、06BY、07BY、08BYの誉富士使用酒、保管場所に困っているので開けちゃいたいんだけど・・・」と言われ、そういうお困り事なら喜んで解決しましょうと、さっそく酒友に声を掛け、宮田秘蔵酒を試飲する会を8月に催しました。

宮田祐二さんの誉富士秘蔵コレクションの一部
宮田さんが持ち込んだ酒は30本。一番古い05BY酒は、仕込んでから8年経っています。一番若い08BYにしても5年近く経っています。どんな熟成具合になっていてもきちんと受け止め、咀嚼できるプロに呑んでいただこうと、当日は、誉富士を使用中の蔵元、長年、酒米育種に尽力された県農業技術研究所の元スタッフ、きき酒に慣れたマスコミ&酒の会主宰者の方々に集まってもらいました。以下は蔵元さんたちから後日いただいた感想メールの一部です。
「初年度(05BY)の酒があんなに良い状態とは思いませんでした。ホッとしたのと、うれしかったので、何とも言えない良い気分でした。それ以外のお酒も非常にバラエティに富んでいて楽しく呑むことができました。
誉富士は最初から熟成が面白い米だなと思っていたので、今回はいろいろ確認できました。これからも“駄目だと思うからやらない”ではなく、“やってみて良いか駄目か判断する”を考えながら、誉富士と接して可能性を広げて行きたいと思います。」
「誉富士の熟成でおどろいたのは、自分が初めて杜氏として醸造した07BYの酒が、まったく老香がなかったことです。炭(注)も使用していない酒です。
これ以前の05BY、06BYは、若干、炭を使用していました。悪くはないのですが、全く使っていない07BYと比べると違和感があります。
間違いなくこの米は、ピュアな醸造や搾り後の処理をした酒で、熟成に適していると思います。」
(注)搾った酒を濾過する際、活性炭を投与し、品質上好ましくない色や雑味を除去すること。
前回記事でもふれたように、日本酒研究家の松崎晴雄さんが「新しい酒米に挑戦するとき、造り手は慎重になり、硬く締まった造りをしがちになる」と解説され、私自身も、初期の誉富士の酒を新酒で呑んだときは、すっきりしすぎて素っ気のない味だと感じていました。
日本酒というのは不思議なもので、醗酵が活発だと美味しい酒になるとは、一概には言えないんですね。また日本人は初物を重宝がりますが、日本酒に限っては“搾りたてが最高”とは言えない。仕込み現場では、まどろっこしく感じるような低調な醗酵経過で、搾った直後は味も素っ気もない・・・そんな酒が、1年、2年と熟成させると、なんとも絶妙な味になるのです。
思い起こせば1997年春、山田錦を初めて不耕起・有機無農薬栽培で育てた松下明弘さんの米で、最初に仕込まれた純米大吟醸(精米歩合40%)を、搾り口からすくったばかりの搾りたてを呑んだとき、「何?この水みたいな味も素っ気もない酒・・・」と言葉を失いました。ところが同じ酒が、3ヶ月、6ヶ月、1年と熟成していくうちに、米の実力がじわじわ発揮され、山田錦研究の第一人者永谷正治先生(元国税庁酒類鑑定官室長)から「山田錦で醸した酒では最高レベル」と称賛されるまでになりました。
春の新酒鑑評会では搾った直後の酒が出品されるので、中には、「味も素っ気もない」酒があります。そういう酒の“将来性”を吟味して評価する審査員がいなければ、精魂込めて仕込み、手間隙かけて搾った酒を出品してもムダになってしまうわけですが、鑑評会のきき酒会場にやってくるプロの中にはちゃんと解る人もいます。私はいつも、そういう人たちの反応を、「アイドルの卵をスカウトするプロデューサーみたいだ」と面白く見物するのです(笑)。

誉富士熟成酒を呑み比べ
話がそれましたが、誉富士の酒に関しても、上記の蔵元さんコメントにあるように、熟成によって“大バケ”する、という手応えを、この試飲会でつかむことができました。松崎さんが「山田錦が酒米の王者になったのは、栽培方法や醸造方法に関する膨大なデータが蓄積されてきたから」とおっしゃったように、新しい酒米、新しい酵母、新しい仕込み方法が真価を発揮できるまでは時間がかかるもの。地域独自に創出されたものならば、地域ぐるみで長い目で育て、下支えしなければなりません。誉富士には、体力のある生産者や蔵元が実験場となり、データを集め、共有するしくみが確立されています。後は、酒としての評価です。
今回の試飲会では15名の参加者全員が「熟成させると良くなる」との評価でした。搾った酒を売らずに貯蔵させておくのは、蔵元にとって経営リスクになるため、現段階では、売り手(酒販店や飲食店)がある程度買い置きをし、熟成管理する、といったサポートも必要かと思われます。もちろん、われわれ地域の呑み手も、しっかりと買い支えをしなければいけませんね。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
今、誉富士の酒は、富士山の世界文化遺産登録の追い風もあって、どの蔵元でも売り切れ続出。しかし、生産量を増やしたくても肝心の米が思うように入手できないそうです。確実に売れる米なのに、作る生産者が増えていかない理由・・・これは、酒造業の範疇では語りきれないものがありそうです。

収穫まであと20日時点の誉富士
以下は、私の個人的な見解ですので、誤解があったらご指摘ください。
一般的な考えとして、生産者を増やすには、誉富士を「高く売れる米」にすることが肝要です。私が漏れ聞いた価格は1俵(60kg)あたり20,000円未満。酒米では五百万石と同レベルと考えてよいでしょう。
酒米の王者・山田錦は、一時期30,000円を超えるバブリーな時代もありましたが、山田錦を主原料とする大吟醸クラスの高級酒が市場で低迷し、山田錦の価格も頭打ちとなり、今では平均24,000円程度に落ち着いているようです。生産量自体は減るどころか増える一方で、最近では精米歩合60~70%程度のクラスでも山田錦使用を堂々と謳う酒が登場しています。産地が広がり、販路が多様化し、蔵元にとっては“高嶺の花”だった時代に比べるとずいぶん買いやすくなったようですね。全量山田錦で純米大吟醸を仕込む『獺祭(山口県)』の蔵元は「クールジャパンで海外に日本酒の売り込み攻勢をかけたくても、原料の山田錦が足りない。減反政策が足枷となって栽培地を増やせないからだ。なんとかしてくれ」と安倍首相に直談判した、なんてニュースも聞かれました。
山田錦は静岡県でも栽培されていますが、前回記したように、栽培が難しく、栽培適地も限られます。松下明弘さんの山田錦「松下米」も、かならずしも適地とはいえない場所で栽培されていますが、逆境を糧にし、常識破りの稲作ができる彼だからこそ成功したと言えるでしょう。彼が、最高の適地で作ったら、どんな酒米になるんだろうと想像せずにはいられないときもありますが・・・。
誉富士は当初、静岡県では作り難い山田錦に代わる、山田錦レベルの高品質・高価格米という触れ込みでした。実際に試験醸造が始まり、山田錦のように高精白できないと判ると、蔵元では精米歩合を落とし、純米・純米吟醸クラスで使うようになります。
米価に影響を与える米の等級検査では、誉富士の栽培に慣れないうちは、なかなか特等や一等をとることができません。結果、蔵元が生産者に支払う米の仕入れ価格は、当初の目論見よりも下がり、「高く売れるなら作ってみようか」という意識の生産者は、一人二人と脱落していきました。
現在、誉富士の主産地である静岡県中部の志太地域(焼津、藤枝、島田)には、蔵元が集積していることから、もともと山田錦や五百万石を作る意欲的な生産者がいました。松下さんは誉富士を作っていませんが、彼のように冬場は酒蔵にパートで入り、酒造りにとって必要な米とは何かを真摯に考える生産者もいます。
稲作ひと筋でやってきた人ばかりではありません。野菜や温室メロンの生産者も誉富士作りに挑戦しています。宮田さん曰く「彼らは稲作初心者だから、砂漠で水をゴク飲みするかのように、こちらの指導を貪欲に聞いてくれる。果菜作りの繊細さが活かされ、丁寧に育ててくれる」とのこと。こういう人たちは「高く売れる米だから作る」というよりも、新品種と聞けば挑戦せずにはいられないアグレッシブな農家で、なおかつ「自分の米で地元の酒を支えたい」な~んてロマンの持ち主なのかもしれませんね。

誉富士初挑戦の藤枝市助宗地区の農家と語りあう宮田さん(中央)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
地域独自で創出されたものを、地域ぐるみで支え、育てる―こういう取り組みを評価する〈しくみ〉や〈仕掛け〉が欲しいなあと心から願います。
いきなり誉富士の米価が上がり、生産者が増えるような効果的なしくみは、私の頭では思いつきませんが、たとえば静岡県新酒鑑評会のうち、純米酒部門は、出品条件を誉富士もしくは県産米使用に限定し、秋の今頃、開催して、県地酒まつりの席上で盛大に表彰するなど、地域全体で盛り上げる―。作り手のロマンを刺激し、買い手が付加価値を感じて買い支えしたくなる仕掛けづくり、やろうと思えばできると思います。
いずれにせよ、酒米の価格を決めるモノサシが、従来の米の等級審査しかないというのは、実状とかけ離れしている気がするし、酒の等級が実状と乖離し、やがて撤廃されたように、いずれは変わるのかもしれません。
誉富士という米が静岡県で生まれたことは、地域に波紋を投げかけ、農業や製造業、働き方や暮らし方、そして地域ブランディングを考える上で大きな指標になっている・・・そう、実感します。
最後に、試飲会の後、宮田さんからいただいたメールの一部をご紹介します。宮田さん、どうもご馳走さまでした&ありがとうございました!
「思い入れが強すぎて、どの銘柄にも“生きていてくれたな、ありがとう”という状態で、正確には判断できてなかったと思います。
誉富士の醸造が始まった際、高いレベルで造ってくれた蔵が多く、その後、追随した蔵も競争意識が良い意味で働き、丁寧な酒造りがなされたことが、誉富士にとって幸せなことだったと思います。これが 貯蔵に耐えうる(熟成できる)酒になった要因の一つかもしれません。
もちろん、静岡の蔵の技術の確かさと静岡酵母の優れていることがあってのこと。森本さん(小夜衣)や高嶋さん(白隠正宗)が以前から、誉富士が熟成に適応している可能性を指摘してくれていました。
今回開封したのは、余りいい保存条件ではなく、6~8年経過したものでしたが、そこまで置かなくても 3~4年程度でも面白いものが出来るんじゃないかと感じています。
純米酒で貯蔵したものが、コストや販売価格を考えた時、商品として、蔵元と消費者の両方にメリットがあるかどうか・・・。ただワインなどのように新たな分野としての価値観が出てくる可能性は大事にしたいですね。その際、品種や米の栽培地などで熟成の味わいが違うと興味深いですね。その場面で誉富士が生きれば・・・。
作った品種に対する責任は、これからも続きます。どうしたら良いのか、はっきりした答えはつかんでいませんが、まだまだ、まだまだ、頑張らなきゃいけません」
静岡県が開発した酒米・誉富士のお話を続けます。誉富士は2003年にデビューし、2012酒造年度は22社から誉富士使用酒が発売され、今期(2013)酒造年度はさらに増える見込みです。ちなみに酒造年度(Brewery Year)というのは、米の収穫時期を基準にしたもので、7月から翌6月までを一年度とします。
今年6月の志太美酒イベントの会場で、誉富士の開発者・宮田祐二さんから「個人的に買い置きしていた2005年酒造年度(以下05BY)、06BY、07BY、08BYの誉富士使用酒、保管場所に困っているので開けちゃいたいんだけど・・・」と言われ、そういうお困り事なら喜んで解決しましょうと、さっそく酒友に声を掛け、宮田秘蔵酒を試飲する会を8月に催しました。

宮田祐二さんの誉富士秘蔵コレクションの一部
宮田さんが持ち込んだ酒は30本。一番古い05BY酒は、仕込んでから8年経っています。一番若い08BYにしても5年近く経っています。どんな熟成具合になっていてもきちんと受け止め、咀嚼できるプロに呑んでいただこうと、当日は、誉富士を使用中の蔵元、長年、酒米育種に尽力された県農業技術研究所の元スタッフ、きき酒に慣れたマスコミ&酒の会主宰者の方々に集まってもらいました。以下は蔵元さんたちから後日いただいた感想メールの一部です。
「初年度(05BY)の酒があんなに良い状態とは思いませんでした。ホッとしたのと、うれしかったので、何とも言えない良い気分でした。それ以外のお酒も非常にバラエティに富んでいて楽しく呑むことができました。
誉富士は最初から熟成が面白い米だなと思っていたので、今回はいろいろ確認できました。これからも“駄目だと思うからやらない”ではなく、“やってみて良いか駄目か判断する”を考えながら、誉富士と接して可能性を広げて行きたいと思います。」
「誉富士の熟成でおどろいたのは、自分が初めて杜氏として醸造した07BYの酒が、まったく老香がなかったことです。炭(注)も使用していない酒です。
これ以前の05BY、06BYは、若干、炭を使用していました。悪くはないのですが、全く使っていない07BYと比べると違和感があります。
間違いなくこの米は、ピュアな醸造や搾り後の処理をした酒で、熟成に適していると思います。」
(注)搾った酒を濾過する際、活性炭を投与し、品質上好ましくない色や雑味を除去すること。
前回記事でもふれたように、日本酒研究家の松崎晴雄さんが「新しい酒米に挑戦するとき、造り手は慎重になり、硬く締まった造りをしがちになる」と解説され、私自身も、初期の誉富士の酒を新酒で呑んだときは、すっきりしすぎて素っ気のない味だと感じていました。
日本酒というのは不思議なもので、醗酵が活発だと美味しい酒になるとは、一概には言えないんですね。また日本人は初物を重宝がりますが、日本酒に限っては“搾りたてが最高”とは言えない。仕込み現場では、まどろっこしく感じるような低調な醗酵経過で、搾った直後は味も素っ気もない・・・そんな酒が、1年、2年と熟成させると、なんとも絶妙な味になるのです。
思い起こせば1997年春、山田錦を初めて不耕起・有機無農薬栽培で育てた松下明弘さんの米で、最初に仕込まれた純米大吟醸(精米歩合40%)を、搾り口からすくったばかりの搾りたてを呑んだとき、「何?この水みたいな味も素っ気もない酒・・・」と言葉を失いました。ところが同じ酒が、3ヶ月、6ヶ月、1年と熟成していくうちに、米の実力がじわじわ発揮され、山田錦研究の第一人者永谷正治先生(元国税庁酒類鑑定官室長)から「山田錦で醸した酒では最高レベル」と称賛されるまでになりました。
春の新酒鑑評会では搾った直後の酒が出品されるので、中には、「味も素っ気もない」酒があります。そういう酒の“将来性”を吟味して評価する審査員がいなければ、精魂込めて仕込み、手間隙かけて搾った酒を出品してもムダになってしまうわけですが、鑑評会のきき酒会場にやってくるプロの中にはちゃんと解る人もいます。私はいつも、そういう人たちの反応を、「アイドルの卵をスカウトするプロデューサーみたいだ」と面白く見物するのです(笑)。
誉富士熟成酒を呑み比べ
話がそれましたが、誉富士の酒に関しても、上記の蔵元さんコメントにあるように、熟成によって“大バケ”する、という手応えを、この試飲会でつかむことができました。松崎さんが「山田錦が酒米の王者になったのは、栽培方法や醸造方法に関する膨大なデータが蓄積されてきたから」とおっしゃったように、新しい酒米、新しい酵母、新しい仕込み方法が真価を発揮できるまでは時間がかかるもの。地域独自に創出されたものならば、地域ぐるみで長い目で育て、下支えしなければなりません。誉富士には、体力のある生産者や蔵元が実験場となり、データを集め、共有するしくみが確立されています。後は、酒としての評価です。
今回の試飲会では15名の参加者全員が「熟成させると良くなる」との評価でした。搾った酒を売らずに貯蔵させておくのは、蔵元にとって経営リスクになるため、現段階では、売り手(酒販店や飲食店)がある程度買い置きをし、熟成管理する、といったサポートも必要かと思われます。もちろん、われわれ地域の呑み手も、しっかりと買い支えをしなければいけませんね。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
今、誉富士の酒は、富士山の世界文化遺産登録の追い風もあって、どの蔵元でも売り切れ続出。しかし、生産量を増やしたくても肝心の米が思うように入手できないそうです。確実に売れる米なのに、作る生産者が増えていかない理由・・・これは、酒造業の範疇では語りきれないものがありそうです。
収穫まであと20日時点の誉富士
以下は、私の個人的な見解ですので、誤解があったらご指摘ください。
一般的な考えとして、生産者を増やすには、誉富士を「高く売れる米」にすることが肝要です。私が漏れ聞いた価格は1俵(60kg)あたり20,000円未満。酒米では五百万石と同レベルと考えてよいでしょう。
酒米の王者・山田錦は、一時期30,000円を超えるバブリーな時代もありましたが、山田錦を主原料とする大吟醸クラスの高級酒が市場で低迷し、山田錦の価格も頭打ちとなり、今では平均24,000円程度に落ち着いているようです。生産量自体は減るどころか増える一方で、最近では精米歩合60~70%程度のクラスでも山田錦使用を堂々と謳う酒が登場しています。産地が広がり、販路が多様化し、蔵元にとっては“高嶺の花”だった時代に比べるとずいぶん買いやすくなったようですね。全量山田錦で純米大吟醸を仕込む『獺祭(山口県)』の蔵元は「クールジャパンで海外に日本酒の売り込み攻勢をかけたくても、原料の山田錦が足りない。減反政策が足枷となって栽培地を増やせないからだ。なんとかしてくれ」と安倍首相に直談判した、なんてニュースも聞かれました。
山田錦は静岡県でも栽培されていますが、前回記したように、栽培が難しく、栽培適地も限られます。松下明弘さんの山田錦「松下米」も、かならずしも適地とはいえない場所で栽培されていますが、逆境を糧にし、常識破りの稲作ができる彼だからこそ成功したと言えるでしょう。彼が、最高の適地で作ったら、どんな酒米になるんだろうと想像せずにはいられないときもありますが・・・。
誉富士は当初、静岡県では作り難い山田錦に代わる、山田錦レベルの高品質・高価格米という触れ込みでした。実際に試験醸造が始まり、山田錦のように高精白できないと判ると、蔵元では精米歩合を落とし、純米・純米吟醸クラスで使うようになります。
米価に影響を与える米の等級検査では、誉富士の栽培に慣れないうちは、なかなか特等や一等をとることができません。結果、蔵元が生産者に支払う米の仕入れ価格は、当初の目論見よりも下がり、「高く売れるなら作ってみようか」という意識の生産者は、一人二人と脱落していきました。
現在、誉富士の主産地である静岡県中部の志太地域(焼津、藤枝、島田)には、蔵元が集積していることから、もともと山田錦や五百万石を作る意欲的な生産者がいました。松下さんは誉富士を作っていませんが、彼のように冬場は酒蔵にパートで入り、酒造りにとって必要な米とは何かを真摯に考える生産者もいます。
稲作ひと筋でやってきた人ばかりではありません。野菜や温室メロンの生産者も誉富士作りに挑戦しています。宮田さん曰く「彼らは稲作初心者だから、砂漠で水をゴク飲みするかのように、こちらの指導を貪欲に聞いてくれる。果菜作りの繊細さが活かされ、丁寧に育ててくれる」とのこと。こういう人たちは「高く売れる米だから作る」というよりも、新品種と聞けば挑戦せずにはいられないアグレッシブな農家で、なおかつ「自分の米で地元の酒を支えたい」な~んてロマンの持ち主なのかもしれませんね。
誉富士初挑戦の藤枝市助宗地区の農家と語りあう宮田さん(中央)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
地域独自で創出されたものを、地域ぐるみで支え、育てる―こういう取り組みを評価する〈しくみ〉や〈仕掛け〉が欲しいなあと心から願います。
いきなり誉富士の米価が上がり、生産者が増えるような効果的なしくみは、私の頭では思いつきませんが、たとえば静岡県新酒鑑評会のうち、純米酒部門は、出品条件を誉富士もしくは県産米使用に限定し、秋の今頃、開催して、県地酒まつりの席上で盛大に表彰するなど、地域全体で盛り上げる―。作り手のロマンを刺激し、買い手が付加価値を感じて買い支えしたくなる仕掛けづくり、やろうと思えばできると思います。
いずれにせよ、酒米の価格を決めるモノサシが、従来の米の等級審査しかないというのは、実状とかけ離れしている気がするし、酒の等級が実状と乖離し、やがて撤廃されたように、いずれは変わるのかもしれません。
誉富士という米が静岡県で生まれたことは、地域に波紋を投げかけ、農業や製造業、働き方や暮らし方、そして地域ブランディングを考える上で大きな指標になっている・・・そう、実感します。
最後に、試飲会の後、宮田さんからいただいたメールの一部をご紹介します。宮田さん、どうもご馳走さまでした&ありがとうございました!
「思い入れが強すぎて、どの銘柄にも“生きていてくれたな、ありがとう”という状態で、正確には判断できてなかったと思います。
誉富士の醸造が始まった際、高いレベルで造ってくれた蔵が多く、その後、追随した蔵も競争意識が良い意味で働き、丁寧な酒造りがなされたことが、誉富士にとって幸せなことだったと思います。これが 貯蔵に耐えうる(熟成できる)酒になった要因の一つかもしれません。
もちろん、静岡の蔵の技術の確かさと静岡酵母の優れていることがあってのこと。森本さん(小夜衣)や高嶋さん(白隠正宗)が以前から、誉富士が熟成に適応している可能性を指摘してくれていました。
今回開封したのは、余りいい保存条件ではなく、6~8年経過したものでしたが、そこまで置かなくても 3~4年程度でも面白いものが出来るんじゃないかと感じています。
純米酒で貯蔵したものが、コストや販売価格を考えた時、商品として、蔵元と消費者の両方にメリットがあるかどうか・・・。ただワインなどのように新たな分野としての価値観が出てくる可能性は大事にしたいですね。その際、品種や米の栽培地などで熟成の味わいが違うと興味深いですね。その場面で誉富士が生きれば・・・。
作った品種に対する責任は、これからも続きます。どうしたら良いのか、はっきりした答えはつかんでいませんが、まだまだ、まだまだ、頑張らなきゃいけません」
Posted by 日刊いーしず at 12:00
2013年09月13日
第16回 誉富士の未来(その1)
今から3年前の2010年8月8日、日本酒研究家の松崎晴雄さんが東京で主宰する日本酒市民講座の第88回講座『飲み比べ!88種の酒米品種』に参加しました。八ならびの日にちなみ、88種の酒米で醸造された全国の地酒を呑み比べようという画期的な試飲会。日本酒の原料になる米が88品種もあるなんてビックリでしたが、後に読んだ熊本大学大学院の副島顕子教授の『酒米ハンドブック』には148種の酒米が紹介されていて、日本はやっぱり米の国、日本の国酒は日本酒だなぁと再認識しました。

2010年8月8日、松崎晴雄さん主宰の講座「飲み比べ!88種の酒米品種」
酒米の代表格といえば山田錦(兵庫県原産)と五百万石(新潟県原産)。この2品種で、全国の酒米作付面積の6割以上を占めています。これを筆頭に、現在、約90品種の酒米が栽培されているそうで、中でも2000年以降、新品種に登録された米が36もあるとか。ご当地米の開発ブームなんですね。
ご存知、わが静岡県の『誉富士』も2003年にデビューした酒米新品種です。まもなく(9月末~)稲刈のシーズン。これから2回に亘って誉富士について書いてみようと思います。

9月上旬の焼津市平島の圃場。
五百万石(右)は稲刈直前。誉富士(左)の稲刈は約20日後の予定
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
3年前、松崎さんの講座で試飲した88種のうち、近年開発されたものは、北から、吟風・彗星(北海道)、吟ぎんが(岩手)、吟の精・美郷錦・秋田酒こまち(秋田)、出羽燦々・山酒4号・出羽の里(山形)、蔵の華・星あかり(宮城)、夢の香(福島)、ひたちにしき(茨城)、とちぎ酒14(栃木)、さけ武蔵(埼玉)、ひとごこち(長野)、雄山錦・富の香(富山)、越の雫(福井)、誉富士(静岡)、夢山水(愛知)、神の穂(三重)、白鶴錦(兵庫)、神の舞・佐香錦(島根)、千本錦(広島)、西都の雫(山口)、さぬきよいまい(香川)、しずく媛(愛媛)、吟の夢・風鳴子(高知)、夢一献(福岡)、さがの華(佐賀)、吟のさと(熊本)。
これに、一般米で酒にも使われる、きらら397・ゆきひかり(北海道)、むつほまれ(青森)、トヨニシキ(岩手)、あきたこまち(秋田)、ササニシキ・ひとめぼれ(宮城)、しらかば錦(長野)、コシヒカリ(新潟)、右近錦(滋賀)、朝日・アケボノ(岡山)、中生新千本(広島)、松山三井・あいのゆめ(愛媛)。
さらに復活した古い品種で、陸羽132(秋田)、改良信交・京の華・亀の尾(山形)、渡船(茨城)、山田穂(兵庫)、強力(鳥取)、造酒錦(岡山)、八反草(広島)、穀良都(山口)、鍋島(佐賀)、神力(熊本)。
そして現在のポピュラー品種である山田錦、五百万石、美山錦、雄町、八反錦などが加わりました。みなさんはいくつご存知ですか?
松崎さんは講座で、
「酒米の世界は下剋上が激しい。新しい品種が次々に生まれても、栽培上や醸造上の欠陥があって、未だに昭和初期に生まれた『山田錦』を超える米が出て来ない」
「山田錦は全国で1000軒を超える酒蔵で使われ、膨大な仕込みデータが蓄積されている。長く使われているメリットがそこにある。山田錦を超える米が出るか出ないかは、21世紀の酒造業界の大きなテーマ」
「新品種の米を醸造するとき、杜氏や蔵人はどうしても慎重にならざるを得ない。吟醸型の、硬く締めた造りになるので、初期の酒はすっきりしすぎて素っ気ない味になりがち。米の潜在的な力が未開拓の状態の酒も少なくない」
と解説されました。
確かに、私自身、当初は誉富士の酒を飲んでもきれいすぎるというか素っ気なさを感じ、新品種の酒米らしさがどこにあるのかわからずにいました。それは米の品質上の欠陥というよりも、造り手がまだおっかなびっくり使っているせいかもしれないんですね。
新しい酵母を使うときも、最初はそうだったのかもしれません。たった1回の仕込みの失敗が、その1年を台無しにし、蔵の名に傷がつくかもしれない・・・新技術に挑むとき、雇われ杜氏や社員蔵人ではどうしたって慎重にならざるを得ない。それを考えると、静岡酵母の黎明期に試験醸造で貢献した『開運』や『満寿一』、誉富士の試験醸造に最初に手を挙げた『高砂』・・・各蔵元経営者と杜氏・蔵人衆のチャレンジスピリットには、文句なく称賛を送りたいと思います。
蔵元経営者が杜氏を兼任する蔵が増えた今は、リスクがあっても新しい米や酵母に挑戦しやすい環境になってきた、とも思います。松崎さんのこの講座には、全国から13社の蔵元が参加し、造り手の立場で解説をしてくれました。当時の取材メモを紐解くと、
「山田錦の山廃仕込みでは櫂入れを一切せず、麹や酵母の力だけでどれだけのもろみが出来るか試してみた」(雪の茅舎・秋田)
「陸羽132号は亀の尾と愛国をルーツとする伝統品種で、冷害に強く、戦時中は朝鮮半島でも造られていた」(刈穂・秋田)
「五百万石の田んぼで、通常より40㎝も穂の長い突然変異種を発見し、蔵の単独品種“人気しずく”として品種登録もできた」(人気一・福島)
「渡船は山田錦の男親にあたる伝統品種で、脱粒性が高く育てにくい野生種。吸水がものすごく速く、柔らかくて融けやすい」(府中誉・茨城)
「ひとごこちという美山錦系の新品種を自社酵母で醸し、ワイン風に飲めるとお客さんには好評だったが、専門家の先生には高い酸度(1.9)が評価されない(苦笑)」(七賢・山梨)
「広島の伝統品種八反草は、他の伝統品種とは違い、硬くて融けにくい。引き際のきれいな酒に仕上がるので精米歩合を40・50・60%と変えて仕込んでみた」(富久長・広島)
「新品種吟のさとを地元で菜の花農法(3月に菜の花を植えて6月に刈り、その後に田植えする=除草剤が要らない)に取り組む栽培者グループとともに育てて純米酒菜々という酒にした」(瑞鷹・熊本)
等など、酒造りにも米作りにも直接携わる醸造家ならではの興味深いお話をしてくれました。国産米のみ使用という条件下で、米の栽培方法や醸造方法に創意工夫を加え、味の個性を模索する造り手の神経の細やかさ・・・実に日本人らしい酒だと実感します。
試飲タイムでは、米の個性というよりも、その銘柄の固有の持ち味や、使用する酵母の特性のほうが前面に出てる?って酒もありましたが、1本の酒を介し、造り手との会話がポンポンと弾み、米の情報とともに、その米に挑戦する蔵元自身の人となり、地域ぐるみの熱の入れようも伝わってくる。銘柄と地域に対する印象度が以前よりも強まった思いがしました。
ご当地米で醸すということは、地酒のブランド力を、専門家が品質面にあれこれ講釈を付けるよりもストレートに、より具体的にわかりやすく浸透させるような気がします。この席に、静岡県の『誉富士』関係者が居なかったのがつくづく残念でした・・・。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『誉富士』は、酒米の王者・山田錦の変異系の品種です。
まず山田錦の特性について触れておきましょう。山田錦は大正末期に兵庫県で生まれた品種で、雄町の系統『短桿渡船』を父に、在来種の『山田穂』を母に持ち、昭和11年に命名登録されました。
酒米は食用米に比べ、大粒で、米の中心の心白(細胞内のデンプン粒密度が粗く、光が乱反射して不透明に見える部分)がクッキリ発現するという特徴があります。心白があると麹米を造るとき、麹の菌糸が中心部まで食い込みやすく、糖化力の強い麹米になる。この糖を栄養にしてアルコールにするのが酵母。酵母の働きを左右する醸造の要を、麹米の糖化力が担っているわけです。この糖化力を左右するのが米の心白であり、菌糸の食い込みをコントロールするのが杜氏の手腕。酒造りってそれぞれの工程の前段階がホント、大事だなあと思います。そのオオモトが原料の酒米なんですね。
山田錦の重さは千粒重にして27g(コシヒカリは22g前後)とビッグサイズながら、心白は線状の一文字型でやや小ぶり。副島教授によると「線状心白は精白したときに心白の位置が片寄って、部分的に露出することもあるが、この表面から心白までの距離の不均一さが酵母の作用する速度をうまくコントロールすることになる」とのこと。ちなみに心白の形状には他に「眼状」「菊花状」等があり、楕円や球形に近いほど高精白すると胴割れしてしまうそうです。
山田錦の線状心白は、親の山田穂、雄町、渡船から受け継いだ遺伝的特徴ですが、「どういうわけか山田錦を親として交配しても、線状心白はなかなか子孫にあらわれない」そう。これが、山田錦を超える米がなかなか出てこない理由の一つと言われてきました。

大粒で穂先が垂れる山田錦
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
山田錦は稲穂の背が高い。つまり背が高く穂先の重量が重いため、倒れやすいという栽培上のネックがあります。酒にするには最高だけど、農家にとっては作りにくい米。そこで静岡県では、静岡酵母の成功に続き、「山田錦と同等レベルで、山田錦よりも作りやすい(=背が低い)酒米を作ろう」と考え、1998年、静岡県農業試験場(現・静岡県農業技術研究所)の宮田祐二さんが中心となって育種がスタートしました。


写真左/山田錦(右)よりも丈が短い誉富士(左)
写真右/誉富士の穂丈を測る宮田さん
まず山田錦の種子籾に放射線(γ線)を照射させ、翌年、約98,000固体を栽培し、その中から短稈化や早生化など、有益な突然変異と思われる約500個体を選抜。2000年以降は、特性が優れた系統を徐々にしぼり込み、穂丈が山田錦よりも低い“短足胴長タイプ”で栽培がしやすく、収穫量も安定し、米粒の形状や外観が山田錦とよく似た『静系(酒)88号』という新品種を選抜しました。
そして2003年より精米試験や小仕込み醸造試験を実施し、一般公募で『誉富士』と命名。2005年度から、県下5地域(焼津市、菊川市、掛川市、袋井市、磐田市)16名の農家が試験栽培を行い、酒蔵7社によって試験醸造されました。
試験醸造の結果は良好で、誉富士を使ってみたいという蔵元は年々増え、平成24年酒造年度は22社から発注がありました。県内の蔵元で最も多く誉富士を仕入れた『白隠正宗』(沼津市)の蔵元杜氏・高嶋一孝さんに昨年の春頃、取材したときの話を要訳すると、
「沼津では五百万石という新潟県原産の酒米を造っていたが、新潟生まれのせいか線が細くて熟成に向かないという欠点がある。山田錦の系統である誉富士の酒は、熟成にも耐えるふっくら感があり、仕入価格は五百万石クラスということで、当社では五百万石使用分をすべて誉富士に切り替えた」
「誉富士は大吟醸酒並みの高精白よりも、精米歩合は60%程度に抑え、ある程度たんぱく質を残し、旨味を出す造りが適していると思う。そんなに削らなくても雑味の少ない、すっきりとした味わいに仕上がるのが、誉富士の利点だというのが造り手の実感。実際のところ、他の蔵でも精米歩合60%程度(40%削る)の純米酒~純米吟醸酒に充てているようだ」

県内で最も多く誉富士を使う白隠正宗の高嶋一孝さん
誉富士の開発者である宮田さんによると、誉富士は収穫した米の9割に心白が発現(山田錦は平均6割)し、なおかつカタチも線状心白。ただし山田錦の線状心白よりも長大で、並みの精米機で高精白すると胴割れしやすいリスクがあるそうです。
一方、高精白をウリにした高価格の大吟醸や純米大吟醸がボンボン売れていたバブルの時代とは違い、マーケットでは低価格酒が主流。静岡県では精米60%クラスの純米・純米吟醸酒でも大吟醸並みの丁寧な仕込みをモットーにしており、コストパフォーマンスの高い良酒であることは飲めば分かる。事実、このクラスが最も売れており、まだまだ伸びる余地はあります。蔵元では必然的に誉富士をこのクラスに使うようになり、ご当地米の話題性が追い風となって大人気を集めています。
「誉富士の酒は、春に仕込んでも9~10月には欠品してしまうので、もっと量を増やしたいが、栽培農家が増えてくれないことにはどうにもならない」と高嶋さん。誉富士の今年の県内作付面積は40ヘクタール(昨年は32ヘクタール)で、このうち静岡県中部の志太地域で約30ヘクタール栽培されています。品種の誕生から普及まで10年足らずで実現したのは、県、JA静岡経済連、酒造組合等が共同で『誉富士普及推進協議会』を結成し、各組織の強みと横の連携を活かした成果といわれていますが、富士山の世界文化遺産登録を受け、「富士」の名がついた酒に対する人気はうなぎのぼり。蔵元のニーズに対し、栽培が追いついていないのが実状のようです。確実に売れる米だと分かっているのに栽培農家が増えない理由・・・いろいろ複雑なものがあるんでしょうね。
次回はその辺の事情と、蔵元が誉富士を使いこなすようになって、味わいが増した誉富士酒の酒質について考察してみようと思います。
◆参考文献/
「酒米~山田錦の作り方と買い方」永谷正治著(醸界タイムス社 1996年)
「酒米ハンドブック」副島顕子著(文一総合出版 2011年)

2010年8月8日、松崎晴雄さん主宰の講座「飲み比べ!88種の酒米品種」
酒米の代表格といえば山田錦(兵庫県原産)と五百万石(新潟県原産)。この2品種で、全国の酒米作付面積の6割以上を占めています。これを筆頭に、現在、約90品種の酒米が栽培されているそうで、中でも2000年以降、新品種に登録された米が36もあるとか。ご当地米の開発ブームなんですね。
ご存知、わが静岡県の『誉富士』も2003年にデビューした酒米新品種です。まもなく(9月末~)稲刈のシーズン。これから2回に亘って誉富士について書いてみようと思います。

9月上旬の焼津市平島の圃場。
五百万石(右)は稲刈直前。誉富士(左)の稲刈は約20日後の予定
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3年前、松崎さんの講座で試飲した88種のうち、近年開発されたものは、北から、吟風・彗星(北海道)、吟ぎんが(岩手)、吟の精・美郷錦・秋田酒こまち(秋田)、出羽燦々・山酒4号・出羽の里(山形)、蔵の華・星あかり(宮城)、夢の香(福島)、ひたちにしき(茨城)、とちぎ酒14(栃木)、さけ武蔵(埼玉)、ひとごこち(長野)、雄山錦・富の香(富山)、越の雫(福井)、誉富士(静岡)、夢山水(愛知)、神の穂(三重)、白鶴錦(兵庫)、神の舞・佐香錦(島根)、千本錦(広島)、西都の雫(山口)、さぬきよいまい(香川)、しずく媛(愛媛)、吟の夢・風鳴子(高知)、夢一献(福岡)、さがの華(佐賀)、吟のさと(熊本)。
これに、一般米で酒にも使われる、きらら397・ゆきひかり(北海道)、むつほまれ(青森)、トヨニシキ(岩手)、あきたこまち(秋田)、ササニシキ・ひとめぼれ(宮城)、しらかば錦(長野)、コシヒカリ(新潟)、右近錦(滋賀)、朝日・アケボノ(岡山)、中生新千本(広島)、松山三井・あいのゆめ(愛媛)。
さらに復活した古い品種で、陸羽132(秋田)、改良信交・京の華・亀の尾(山形)、渡船(茨城)、山田穂(兵庫)、強力(鳥取)、造酒錦(岡山)、八反草(広島)、穀良都(山口)、鍋島(佐賀)、神力(熊本)。
そして現在のポピュラー品種である山田錦、五百万石、美山錦、雄町、八反錦などが加わりました。みなさんはいくつご存知ですか?
松崎さんは講座で、
「酒米の世界は下剋上が激しい。新しい品種が次々に生まれても、栽培上や醸造上の欠陥があって、未だに昭和初期に生まれた『山田錦』を超える米が出て来ない」
「山田錦は全国で1000軒を超える酒蔵で使われ、膨大な仕込みデータが蓄積されている。長く使われているメリットがそこにある。山田錦を超える米が出るか出ないかは、21世紀の酒造業界の大きなテーマ」
「新品種の米を醸造するとき、杜氏や蔵人はどうしても慎重にならざるを得ない。吟醸型の、硬く締めた造りになるので、初期の酒はすっきりしすぎて素っ気ない味になりがち。米の潜在的な力が未開拓の状態の酒も少なくない」
と解説されました。
確かに、私自身、当初は誉富士の酒を飲んでもきれいすぎるというか素っ気なさを感じ、新品種の酒米らしさがどこにあるのかわからずにいました。それは米の品質上の欠陥というよりも、造り手がまだおっかなびっくり使っているせいかもしれないんですね。
新しい酵母を使うときも、最初はそうだったのかもしれません。たった1回の仕込みの失敗が、その1年を台無しにし、蔵の名に傷がつくかもしれない・・・新技術に挑むとき、雇われ杜氏や社員蔵人ではどうしたって慎重にならざるを得ない。それを考えると、静岡酵母の黎明期に試験醸造で貢献した『開運』や『満寿一』、誉富士の試験醸造に最初に手を挙げた『高砂』・・・各蔵元経営者と杜氏・蔵人衆のチャレンジスピリットには、文句なく称賛を送りたいと思います。
蔵元経営者が杜氏を兼任する蔵が増えた今は、リスクがあっても新しい米や酵母に挑戦しやすい環境になってきた、とも思います。松崎さんのこの講座には、全国から13社の蔵元が参加し、造り手の立場で解説をしてくれました。当時の取材メモを紐解くと、
「山田錦の山廃仕込みでは櫂入れを一切せず、麹や酵母の力だけでどれだけのもろみが出来るか試してみた」(雪の茅舎・秋田)
「陸羽132号は亀の尾と愛国をルーツとする伝統品種で、冷害に強く、戦時中は朝鮮半島でも造られていた」(刈穂・秋田)
「五百万石の田んぼで、通常より40㎝も穂の長い突然変異種を発見し、蔵の単独品種“人気しずく”として品種登録もできた」(人気一・福島)
「渡船は山田錦の男親にあたる伝統品種で、脱粒性が高く育てにくい野生種。吸水がものすごく速く、柔らかくて融けやすい」(府中誉・茨城)
「ひとごこちという美山錦系の新品種を自社酵母で醸し、ワイン風に飲めるとお客さんには好評だったが、専門家の先生には高い酸度(1.9)が評価されない(苦笑)」(七賢・山梨)
「広島の伝統品種八反草は、他の伝統品種とは違い、硬くて融けにくい。引き際のきれいな酒に仕上がるので精米歩合を40・50・60%と変えて仕込んでみた」(富久長・広島)
「新品種吟のさとを地元で菜の花農法(3月に菜の花を植えて6月に刈り、その後に田植えする=除草剤が要らない)に取り組む栽培者グループとともに育てて純米酒菜々という酒にした」(瑞鷹・熊本)
等など、酒造りにも米作りにも直接携わる醸造家ならではの興味深いお話をしてくれました。国産米のみ使用という条件下で、米の栽培方法や醸造方法に創意工夫を加え、味の個性を模索する造り手の神経の細やかさ・・・実に日本人らしい酒だと実感します。
試飲タイムでは、米の個性というよりも、その銘柄の固有の持ち味や、使用する酵母の特性のほうが前面に出てる?って酒もありましたが、1本の酒を介し、造り手との会話がポンポンと弾み、米の情報とともに、その米に挑戦する蔵元自身の人となり、地域ぐるみの熱の入れようも伝わってくる。銘柄と地域に対する印象度が以前よりも強まった思いがしました。
ご当地米で醸すということは、地酒のブランド力を、専門家が品質面にあれこれ講釈を付けるよりもストレートに、より具体的にわかりやすく浸透させるような気がします。この席に、静岡県の『誉富士』関係者が居なかったのがつくづく残念でした・・・。
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『誉富士』は、酒米の王者・山田錦の変異系の品種です。
まず山田錦の特性について触れておきましょう。山田錦は大正末期に兵庫県で生まれた品種で、雄町の系統『短桿渡船』を父に、在来種の『山田穂』を母に持ち、昭和11年に命名登録されました。
酒米は食用米に比べ、大粒で、米の中心の心白(細胞内のデンプン粒密度が粗く、光が乱反射して不透明に見える部分)がクッキリ発現するという特徴があります。心白があると麹米を造るとき、麹の菌糸が中心部まで食い込みやすく、糖化力の強い麹米になる。この糖を栄養にしてアルコールにするのが酵母。酵母の働きを左右する醸造の要を、麹米の糖化力が担っているわけです。この糖化力を左右するのが米の心白であり、菌糸の食い込みをコントロールするのが杜氏の手腕。酒造りってそれぞれの工程の前段階がホント、大事だなあと思います。そのオオモトが原料の酒米なんですね。
山田錦の重さは千粒重にして27g(コシヒカリは22g前後)とビッグサイズながら、心白は線状の一文字型でやや小ぶり。副島教授によると「線状心白は精白したときに心白の位置が片寄って、部分的に露出することもあるが、この表面から心白までの距離の不均一さが酵母の作用する速度をうまくコントロールすることになる」とのこと。ちなみに心白の形状には他に「眼状」「菊花状」等があり、楕円や球形に近いほど高精白すると胴割れしてしまうそうです。
山田錦の線状心白は、親の山田穂、雄町、渡船から受け継いだ遺伝的特徴ですが、「どういうわけか山田錦を親として交配しても、線状心白はなかなか子孫にあらわれない」そう。これが、山田錦を超える米がなかなか出てこない理由の一つと言われてきました。

大粒で穂先が垂れる山田錦
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
山田錦は稲穂の背が高い。つまり背が高く穂先の重量が重いため、倒れやすいという栽培上のネックがあります。酒にするには最高だけど、農家にとっては作りにくい米。そこで静岡県では、静岡酵母の成功に続き、「山田錦と同等レベルで、山田錦よりも作りやすい(=背が低い)酒米を作ろう」と考え、1998年、静岡県農業試験場(現・静岡県農業技術研究所)の宮田祐二さんが中心となって育種がスタートしました。


写真左/山田錦(右)よりも丈が短い誉富士(左)
写真右/誉富士の穂丈を測る宮田さん
まず山田錦の種子籾に放射線(γ線)を照射させ、翌年、約98,000固体を栽培し、その中から短稈化や早生化など、有益な突然変異と思われる約500個体を選抜。2000年以降は、特性が優れた系統を徐々にしぼり込み、穂丈が山田錦よりも低い“短足胴長タイプ”で栽培がしやすく、収穫量も安定し、米粒の形状や外観が山田錦とよく似た『静系(酒)88号』という新品種を選抜しました。
そして2003年より精米試験や小仕込み醸造試験を実施し、一般公募で『誉富士』と命名。2005年度から、県下5地域(焼津市、菊川市、掛川市、袋井市、磐田市)16名の農家が試験栽培を行い、酒蔵7社によって試験醸造されました。
試験醸造の結果は良好で、誉富士を使ってみたいという蔵元は年々増え、平成24年酒造年度は22社から発注がありました。県内の蔵元で最も多く誉富士を仕入れた『白隠正宗』(沼津市)の蔵元杜氏・高嶋一孝さんに昨年の春頃、取材したときの話を要訳すると、
「沼津では五百万石という新潟県原産の酒米を造っていたが、新潟生まれのせいか線が細くて熟成に向かないという欠点がある。山田錦の系統である誉富士の酒は、熟成にも耐えるふっくら感があり、仕入価格は五百万石クラスということで、当社では五百万石使用分をすべて誉富士に切り替えた」
「誉富士は大吟醸酒並みの高精白よりも、精米歩合は60%程度に抑え、ある程度たんぱく質を残し、旨味を出す造りが適していると思う。そんなに削らなくても雑味の少ない、すっきりとした味わいに仕上がるのが、誉富士の利点だというのが造り手の実感。実際のところ、他の蔵でも精米歩合60%程度(40%削る)の純米酒~純米吟醸酒に充てているようだ」

県内で最も多く誉富士を使う白隠正宗の高嶋一孝さん
誉富士の開発者である宮田さんによると、誉富士は収穫した米の9割に心白が発現(山田錦は平均6割)し、なおかつカタチも線状心白。ただし山田錦の線状心白よりも長大で、並みの精米機で高精白すると胴割れしやすいリスクがあるそうです。
一方、高精白をウリにした高価格の大吟醸や純米大吟醸がボンボン売れていたバブルの時代とは違い、マーケットでは低価格酒が主流。静岡県では精米60%クラスの純米・純米吟醸酒でも大吟醸並みの丁寧な仕込みをモットーにしており、コストパフォーマンスの高い良酒であることは飲めば分かる。事実、このクラスが最も売れており、まだまだ伸びる余地はあります。蔵元では必然的に誉富士をこのクラスに使うようになり、ご当地米の話題性が追い風となって大人気を集めています。
「誉富士の酒は、春に仕込んでも9~10月には欠品してしまうので、もっと量を増やしたいが、栽培農家が増えてくれないことにはどうにもならない」と高嶋さん。誉富士の今年の県内作付面積は40ヘクタール(昨年は32ヘクタール)で、このうち静岡県中部の志太地域で約30ヘクタール栽培されています。品種の誕生から普及まで10年足らずで実現したのは、県、JA静岡経済連、酒造組合等が共同で『誉富士普及推進協議会』を結成し、各組織の強みと横の連携を活かした成果といわれていますが、富士山の世界文化遺産登録を受け、「富士」の名がついた酒に対する人気はうなぎのぼり。蔵元のニーズに対し、栽培が追いついていないのが実状のようです。確実に売れる米だと分かっているのに栽培農家が増えない理由・・・いろいろ複雑なものがあるんでしょうね。
次回はその辺の事情と、蔵元が誉富士を使いこなすようになって、味わいが増した誉富士酒の酒質について考察してみようと思います。
◆参考文献/
「酒米~山田錦の作り方と買い方」永谷正治著(醸界タイムス社 1996年)
「酒米ハンドブック」副島顕子著(文一総合出版 2011年)
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2013年08月30日
第15回 秋上がりの季節
白玉の 歯にしみとおる秋の夜の
酒は静かに飲むべかりける (若山牧水)

この夏の厳しい暑さもようやくひと段落つきそうですね。若山牧水のような粋人も、私のように一年を酒の呑み頃でカウントしているような卑しい酒徒も、9月、秋の声を聞くと、「秋上がり」という言葉に心ときめきます。ご存知でしょうか、日本酒の専門用語で、冬から春にかけて仕込んだ酒を、しばらく蔵で熟成させ、ひと夏を越し、涼しくなる秋口になると、美味しさが増してくる、という意味です。この「秋上がり」の酒を、涼しくなったら蔵から出荷することを「冷やおろし」と言います。美しい言葉でしょう。
吉田元氏の『江戸の酒~その技術・経済・文化』(朝日選書)によると、日本酒は16世紀半ばの室町後期~戦国時代の頃、玄米→精白米を使うという劇的な技術革新が行われ、江戸初期の記録では、旧暦八月に前年の古米で造る酒を「新酒」とし、「間酒」「寒前酒」「寒酒」「春酒」と真夏を除くオールシーズン、酒を造っていたようです。
アルコール発酵をつかさどる麹菌や酵母菌は、一般の雑菌同様、高温の状態で活動が活発になるので、夏場のほうが酒は短期間で出来るのですが、当然ながら有害な雑菌も多く、腐造のリスクも高い。気温の低い寒中の酒造りは、微生物の働きがにぶくなるため、時間はかかるが雑菌侵入の心配が少なく、良質の酒に仕上がる。酒造業を統制する幕府側も、年がら年中、勝手に自家醸造されるより、秋口に収穫した新米で良質な寒造りをさせることで課税管理しやすくなる、というわけで、次第に寒期に集中醸造するようになりました。
精白米と寒造りによって酒質は大きく向上したものの、今のように原料米を機械で6割も5割も磨けるわけではありません。臼や杵に頼っていた江戸初期の精米は今の吟醸酒とは比較にならないレベル。酒屋で販売する等級は、全量精白米で造った酒を「諸白」、麹米だけ精白した酒を「片白」、従来の濁り酒を「並酒」と区分けされていました。
これらの酒は、現代人からすれば、さぞかし荒っぽく雑な味だったろうと想像しちゃいますが、昔の米は今で言う有機自然農法で、土の養分をたっぷり含み、軟らかく、もろみに融けやすく、米の味がしっかり酒に反映されていたことでしょう。ちゃんと火入れをし、涼しい土蔵の中でひと夏貯蔵しておくと、搾りたての頃とはまた違う、アルコール熟成の妙が加味されたんだと思います。これは、日本の酒、日本の食の美味しさの、まさに本質ではないでしょうか。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
高精白米を使用し、冷蔵貯蔵完備できるようになり、昔の酒ほど熟成の変化が顕在化しづらくなったとはいえ、実りの季節の酒は、「秋上がり」の名にふさわしく、秋晴れの爽快な空と豊穣な地をイメージさせてくれます。
この時期、各地では地酒の試飲イベントが目白押しとなります。私が現時点で把握しているイベントを紹介しましょう。
【 藤枝DE はしご酒 】
参加店で蔵元が直接接待&地酒指南をする地酒ファン垂涎のはしご酒イベント。参加費は1店につき1000円(地酒一杯&特選酒肴付き)。
◇ 日 時 9月1日(日)15時~20時(入店)
◇ 参加店(4店) かわかつ(藤枝市駅前1-8-5)/ダイドコバル(藤枝市田沼1-3-26)/八っすんば(藤枝市駅前1-6-20)/藤枝市場(藤枝市駅前2-8-2)
◇ 参加蔵元 英君(静岡市清水区由比)/若竹(島田市)/喜久醉(藤枝市上青島)/杉錦(藤枝市小石川)
*どの蔵元がどの店に居るかは当日のお楽しみ。4店制覇すれば記念品贈呈。
▽イベントのパンフレットはこちら

【 静岡DE はしご酒 】
◇ 日 時 9月21日(土)17時30分~21時(入店)
◇ 参加店(8店) うず(静岡市葵区音羽町3-18)/おい川(静岡市葵区鷹匠1-4-1)/小だるま亭(静岡市葵区横田町2-6-7)/たがた(静岡市葵区常磐町2-6-7)/狸の穴(静岡市葵区両替町2-2-5)/のっち(静岡市葵区七間町8-25)/華音(静岡市葵区両替町2-5-8)/湧登(静岡市駿河区南町7-9)
◇ 参加蔵元 開運(掛川市)/金明(御殿場市)/君盃(静岡市駿河区手越)/國香(袋井市)/小夜衣(菊川市)/志太泉(藤枝市宮原)/初亀(藤枝市岡部)/富士錦(富士宮市芝川)
*どの蔵元がどの店に居るかは当日のお楽しみ。8店中4店制覇すれば記念品贈呈
【 蔵元を囲むしのだ日本酒の会 】
清水の地酒専門店・篠田酒店が取引先の蔵元を招いて最高レベルのラインナップを紹介。今年で39回を数える老舗イベントです。今年は清水の割烹・梅芳園の特選料理、盲目のギタリスト服部こうじ氏の生演奏が楽しめます。着席スタイル。
◇ 日 時 9月15日(日) 16時~18時20分
◇ 会 場 清水マリンビル7階ホール
◇ 料 金 8000円(前売り制)
◇ 問合せ 篠田酒店 TEL 054-352-5047
【 沼津日本酒フェス2013 】
沼津の地酒専門店・芹澤酒店が取引先の蔵元を招いて気軽に試飲を楽しんでもらう立ち飲みスタイルの地酒イベント。各蔵持参のつまみとREFS(無農薬野菜のセレクトショップ)厳選素材のつまみを用意。伊豆稲取の大久保農園さんの採れたて新鮮野菜の試食もあります。
◇ 日 時 9月22日(日) 14時~16時
◇ 会 場 キラメッセ沼津
◇ 料 金 2100円(前売り制・イープラスにて発売中)
◇ 問合せ 芹澤酒店 TEL 055-931-1514
◇ 参加蔵 28蔵
(県内) 白隠正宗(沼津市)/金明(御殿場市)/高砂(富士宮市)/英君(静岡市清水区由比)/正雪(出品のみ)/臥龍梅(静岡市清水区西久保)/杉錦(藤枝市小石川)/志太泉(藤枝市宮原)/若竹(島田市)/小夜衣(菊川市)/開運(掛川市)
(県外)陸奥八仙・天の戸(出品のみ)・阿部勘・奈良萬・若駒・麒麟山・神亀・羽根屋
加賀鳶/黒帯・十六代九郎右衛門・黒松仙醸・北光正宗・昇龍蓬莱・澤屋まつもと・睡龍・
梅乃宿・車坂・ヤマサン正宗・旭菊
【 酒のいわせ 日本酒試飲会 】
御殿場の地酒専門店・酒のいわせが取引先の蔵元を招いて気軽に試飲を楽しんでもらう立ち飲みスタイルの地酒イベント。「ふじやまプロシュート」で知られる渡辺ハム工房のおつまみブースもあります。
◇ 日 時 9月29日(日) 13時30分~15時30分
◇ 会 場 森の腰ショッピングセンター・エピ 2階大ホール
◇ 料 金 2500円(前売り制)
◇ 問合せ 酒のいわせ TEL 0550-82-2009
◇ 参加蔵 金明(御殿場市)/白隠正宗(沼津市)/初亀(藤枝市岡部)/喜久醉(藤枝市上青島)/相模灘(神奈川)/巖(群馬)/醴泉(岐阜)/黒龍(福井)/澤の花(長野)/紀土(和歌山)/美丈夫(高知)
【 第26回 静岡県地酒まつり in 静岡2013 】
毎年、静岡県の東・中・西部で巡回開催する静岡県酒造組合主催の地酒まつり。県下全蔵元が集結する県内最大の地酒イベントで、今年で26回目。立食形式でプレゼント抽選会もあります。
◇ 日 時 10月1日(火) 18時~20時
◇ 会 場 ホテルセンチュリー静岡
◇ 料 金 2000円(イープラスにて発売中)
◇ 問合せ 静岡県酒造組合 TEL 054-255-3082
*当日、全国利き酒選手権大会静岡県予選会を同時開催。誰でも挑戦できます。16時00分受付開始、17時20分受付終了。
上記のうち、『○○DEはしご酒』は、主宰する居酒屋「湧登」のご主人が、今、流行のおまちバルよりもずっと前に、地酒の造り手と飲み手を、売り手の店で引き合わせる仕掛けを考えて、お店のお客さんたちが有志で運営組織を作って始めた手作りイベントです。年々参加店や参加蔵が増え、静岡、清水、藤枝、沼津と開催地も広がっています。事前予約が要らず、時間内ならば、誰でも気軽に参加できるので、地酒が呑めるお店を開拓するには最適のイベントですね!
私が酒の修業をしていた25年ぐらい前は、静岡県地酒まつりや篠田酒店さんのイベントぐらいしかありませんでしたが、ここ数年、イベントの数はグッと増えました。地域の酒販店さんや飲食店さんが販促活動の枠を超え、手弁当で本当に頑張っているんです。今では店主よりもお客さんのほうが「今度はいつやる?」とせっつくような状況とか。
お店の常連さんばかりでは地酒ファンの底辺拡大は進みませんし、私がここで、いくら活字を駆使してあれこれ熱弁したところで、やっぱり造っている蔵元の顔を直接見て、直接呑んでもらわないことには、お酒の価値を実感していただくことはできません。
美酒との出会いの機会がグッと増える秋上がりの季節、この種のイベントに縁のなかったみなさまや、当ブログを訪問してくださったみなさまにも、どうか素敵な一杯との出会いがありますように!
酒は静かに飲むべかりける (若山牧水)

この夏の厳しい暑さもようやくひと段落つきそうですね。若山牧水のような粋人も、私のように一年を酒の呑み頃でカウントしているような卑しい酒徒も、9月、秋の声を聞くと、「秋上がり」という言葉に心ときめきます。ご存知でしょうか、日本酒の専門用語で、冬から春にかけて仕込んだ酒を、しばらく蔵で熟成させ、ひと夏を越し、涼しくなる秋口になると、美味しさが増してくる、という意味です。この「秋上がり」の酒を、涼しくなったら蔵から出荷することを「冷やおろし」と言います。美しい言葉でしょう。
吉田元氏の『江戸の酒~その技術・経済・文化』(朝日選書)によると、日本酒は16世紀半ばの室町後期~戦国時代の頃、玄米→精白米を使うという劇的な技術革新が行われ、江戸初期の記録では、旧暦八月に前年の古米で造る酒を「新酒」とし、「間酒」「寒前酒」「寒酒」「春酒」と真夏を除くオールシーズン、酒を造っていたようです。
アルコール発酵をつかさどる麹菌や酵母菌は、一般の雑菌同様、高温の状態で活動が活発になるので、夏場のほうが酒は短期間で出来るのですが、当然ながら有害な雑菌も多く、腐造のリスクも高い。気温の低い寒中の酒造りは、微生物の働きがにぶくなるため、時間はかかるが雑菌侵入の心配が少なく、良質の酒に仕上がる。酒造業を統制する幕府側も、年がら年中、勝手に自家醸造されるより、秋口に収穫した新米で良質な寒造りをさせることで課税管理しやすくなる、というわけで、次第に寒期に集中醸造するようになりました。
精白米と寒造りによって酒質は大きく向上したものの、今のように原料米を機械で6割も5割も磨けるわけではありません。臼や杵に頼っていた江戸初期の精米は今の吟醸酒とは比較にならないレベル。酒屋で販売する等級は、全量精白米で造った酒を「諸白」、麹米だけ精白した酒を「片白」、従来の濁り酒を「並酒」と区分けされていました。
これらの酒は、現代人からすれば、さぞかし荒っぽく雑な味だったろうと想像しちゃいますが、昔の米は今で言う有機自然農法で、土の養分をたっぷり含み、軟らかく、もろみに融けやすく、米の味がしっかり酒に反映されていたことでしょう。ちゃんと火入れをし、涼しい土蔵の中でひと夏貯蔵しておくと、搾りたての頃とはまた違う、アルコール熟成の妙が加味されたんだと思います。これは、日本の酒、日本の食の美味しさの、まさに本質ではないでしょうか。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
高精白米を使用し、冷蔵貯蔵完備できるようになり、昔の酒ほど熟成の変化が顕在化しづらくなったとはいえ、実りの季節の酒は、「秋上がり」の名にふさわしく、秋晴れの爽快な空と豊穣な地をイメージさせてくれます。
この時期、各地では地酒の試飲イベントが目白押しとなります。私が現時点で把握しているイベントを紹介しましょう。
【 藤枝DE はしご酒 】
参加店で蔵元が直接接待&地酒指南をする地酒ファン垂涎のはしご酒イベント。参加費は1店につき1000円(地酒一杯&特選酒肴付き)。
◇ 日 時 9月1日(日)15時~20時(入店)
◇ 参加店(4店) かわかつ(藤枝市駅前1-8-5)/ダイドコバル(藤枝市田沼1-3-26)/八っすんば(藤枝市駅前1-6-20)/藤枝市場(藤枝市駅前2-8-2)
◇ 参加蔵元 英君(静岡市清水区由比)/若竹(島田市)/喜久醉(藤枝市上青島)/杉錦(藤枝市小石川)
*どの蔵元がどの店に居るかは当日のお楽しみ。4店制覇すれば記念品贈呈。
▽イベントのパンフレットはこちら

【 静岡DE はしご酒 】
◇ 日 時 9月21日(土)17時30分~21時(入店)
◇ 参加店(8店) うず(静岡市葵区音羽町3-18)/おい川(静岡市葵区鷹匠1-4-1)/小だるま亭(静岡市葵区横田町2-6-7)/たがた(静岡市葵区常磐町2-6-7)/狸の穴(静岡市葵区両替町2-2-5)/のっち(静岡市葵区七間町8-25)/華音(静岡市葵区両替町2-5-8)/湧登(静岡市駿河区南町7-9)
◇ 参加蔵元 開運(掛川市)/金明(御殿場市)/君盃(静岡市駿河区手越)/國香(袋井市)/小夜衣(菊川市)/志太泉(藤枝市宮原)/初亀(藤枝市岡部)/富士錦(富士宮市芝川)
*どの蔵元がどの店に居るかは当日のお楽しみ。8店中4店制覇すれば記念品贈呈
【 蔵元を囲むしのだ日本酒の会 】
清水の地酒専門店・篠田酒店が取引先の蔵元を招いて最高レベルのラインナップを紹介。今年で39回を数える老舗イベントです。今年は清水の割烹・梅芳園の特選料理、盲目のギタリスト服部こうじ氏の生演奏が楽しめます。着席スタイル。
◇ 日 時 9月15日(日) 16時~18時20分
◇ 会 場 清水マリンビル7階ホール
◇ 料 金 8000円(前売り制)
◇ 問合せ 篠田酒店 TEL 054-352-5047
【 沼津日本酒フェス2013 】
沼津の地酒専門店・芹澤酒店が取引先の蔵元を招いて気軽に試飲を楽しんでもらう立ち飲みスタイルの地酒イベント。各蔵持参のつまみとREFS(無農薬野菜のセレクトショップ)厳選素材のつまみを用意。伊豆稲取の大久保農園さんの採れたて新鮮野菜の試食もあります。
◇ 日 時 9月22日(日) 14時~16時
◇ 会 場 キラメッセ沼津
◇ 料 金 2100円(前売り制・イープラスにて発売中)
◇ 問合せ 芹澤酒店 TEL 055-931-1514
◇ 参加蔵 28蔵
(県内) 白隠正宗(沼津市)/金明(御殿場市)/高砂(富士宮市)/英君(静岡市清水区由比)/正雪(出品のみ)/臥龍梅(静岡市清水区西久保)/杉錦(藤枝市小石川)/志太泉(藤枝市宮原)/若竹(島田市)/小夜衣(菊川市)/開運(掛川市)
(県外)陸奥八仙・天の戸(出品のみ)・阿部勘・奈良萬・若駒・麒麟山・神亀・羽根屋
加賀鳶/黒帯・十六代九郎右衛門・黒松仙醸・北光正宗・昇龍蓬莱・澤屋まつもと・睡龍・
梅乃宿・車坂・ヤマサン正宗・旭菊
【 酒のいわせ 日本酒試飲会 】
御殿場の地酒専門店・酒のいわせが取引先の蔵元を招いて気軽に試飲を楽しんでもらう立ち飲みスタイルの地酒イベント。「ふじやまプロシュート」で知られる渡辺ハム工房のおつまみブースもあります。
◇ 日 時 9月29日(日) 13時30分~15時30分
◇ 会 場 森の腰ショッピングセンター・エピ 2階大ホール
◇ 料 金 2500円(前売り制)
◇ 問合せ 酒のいわせ TEL 0550-82-2009
◇ 参加蔵 金明(御殿場市)/白隠正宗(沼津市)/初亀(藤枝市岡部)/喜久醉(藤枝市上青島)/相模灘(神奈川)/巖(群馬)/醴泉(岐阜)/黒龍(福井)/澤の花(長野)/紀土(和歌山)/美丈夫(高知)
【 第26回 静岡県地酒まつり in 静岡2013 】
毎年、静岡県の東・中・西部で巡回開催する静岡県酒造組合主催の地酒まつり。県下全蔵元が集結する県内最大の地酒イベントで、今年で26回目。立食形式でプレゼント抽選会もあります。
◇ 日 時 10月1日(火) 18時~20時
◇ 会 場 ホテルセンチュリー静岡
◇ 料 金 2000円(イープラスにて発売中)
◇ 問合せ 静岡県酒造組合 TEL 054-255-3082
*当日、全国利き酒選手権大会静岡県予選会を同時開催。誰でも挑戦できます。16時00分受付開始、17時20分受付終了。
上記のうち、『○○DEはしご酒』は、主宰する居酒屋「湧登」のご主人が、今、流行のおまちバルよりもずっと前に、地酒の造り手と飲み手を、売り手の店で引き合わせる仕掛けを考えて、お店のお客さんたちが有志で運営組織を作って始めた手作りイベントです。年々参加店や参加蔵が増え、静岡、清水、藤枝、沼津と開催地も広がっています。事前予約が要らず、時間内ならば、誰でも気軽に参加できるので、地酒が呑めるお店を開拓するには最適のイベントですね!
私が酒の修業をしていた25年ぐらい前は、静岡県地酒まつりや篠田酒店さんのイベントぐらいしかありませんでしたが、ここ数年、イベントの数はグッと増えました。地域の酒販店さんや飲食店さんが販促活動の枠を超え、手弁当で本当に頑張っているんです。今では店主よりもお客さんのほうが「今度はいつやる?」とせっつくような状況とか。
お店の常連さんばかりでは地酒ファンの底辺拡大は進みませんし、私がここで、いくら活字を駆使してあれこれ熱弁したところで、やっぱり造っている蔵元の顔を直接見て、直接呑んでもらわないことには、お酒の価値を実感していただくことはできません。
美酒との出会いの機会がグッと増える秋上がりの季節、この種のイベントに縁のなかったみなさまや、当ブログを訪問してくださったみなさまにも、どうか素敵な一杯との出会いがありますように!
Posted by 日刊いーしず at 12:00
2013年08月16日
第14回 柳陰と日本酒カクテル
静岡弁で“やっきり”するほど暑い夏。人前では日本酒しか呑みません宣言をしている私も、外出先から帰ってくると冷蔵庫からまず取り出すのが冷え冷えの缶ビールになっちゃって、これじゃぁ日頃お世話になっている蔵元さんや酒屋さんに顔向けできないと忸怩たる思い・・・。できるだけこの時期、日本酒を消費する対策をあれこれ試している最中です。
先日、フェイスブックに「暑いから日本酒をソーダ水で割って飲んでいる」と書いたら、「そんな飲み方があるの!?」という驚きのコメントをもらいました。「自由にアレンジしていいんですよ♪」と返信しながら、自分もちょっと前まで、“蔵元さんが丹精込めて造った酒を、勝手に加工しちゃいけない”と思い込んでいたよなぁ・・・とセルフ突っ込みしてました(苦笑)。
実は、しずおか地酒研究会で2012年7月、藤枝市文化センターで【酒と匠の文化祭~夏版】というイベントを開いたとき、酒販店会員の後藤英和さんに、日本酒を使ったサマーカクテルをあれこれ考案してもらい、お客さんと一緒にテイスティングを楽しんだのです。
こちらがそのレシピ。合わせる量はお好みです。
●SAKE・ライム/ロックアイス+日本酒+ライムジュース
●SAKE・ロック/ロックアイス+どぶろく
●ドブ・ハイ/どぶろく+ソーダ
●SAKE・リッキー/日本酒+ライムジュース+ソーダ
●SAKE・トニック/日本酒+トニックウォーター
●SAKE・フィズ/日本酒+レモンジュース+サイダー
●SAKE・バック/日本酒+レモンジュース+ジンジャーエール
●SAKE・カルピス/日本酒+カルピス+ソーダ
●SAKE・オレンジ/日本酒+オレンジジュース
●SAKE・アップル/日本酒+アップルジュース
●SAKE・ピーチ/日本酒+モモの果肉(みじんぎり)
●SAKE・梅ハイ/日本酒+梅酒+ソーダまたはサイダー
●酒茶漬け/水洗いした冷や飯に好みの具(鮭・梅・塩から等)をのせ、キンキンに冷やした酒を注ぐ。
●酒しゃぶ/出汁のかわりに酒で肉・魚・野菜をしゃぶしゃぶする。沸騰させてアルコールを飛ばす。
冒頭の「SAKEライム」は、日本酒をライムで割ったカクテル「サムライ・ロック」でおなじみですね。外国人受けを狙ったネーミングなのかな。
いずれにしても、この後藤レシピのおかげで、気分や体調に合わせて氷やミネラルウォーターで割って飲むスタイルを自然に楽しめるようになりました。レシピの中では日本酒をレモンジュースとジンジャーエールで割った「SAKEバック」がお気に入り。爽快で飲みやすくて、これなら日本酒が苦手という女子たちにも薦められます。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
【酒と匠の文化祭】では、後藤さんのカクテル片手に、フリーアナウンサー國本良博さんに、酒の名文を朗読してもらうスペシャルステージを行いました。國本さんに読んでいただく文章をあれこれ探していたとき、目に留まったのが、篠田次郎氏の『日本酒ことば入門』(無明舎出版)。その中に、こんな一節があります。
8月の酒 柳陰
猛暑のシーズン、だれもが疲労回復の妙薬が欲しいと思うだろう。現代人なら健康ドリンクの小鬢の蓋を開けて、グイーっとやって、しばしスタミナが回復したと思うのであろうが・・・。それと同じ効果を、江戸の人たちもやっていた。
ビタミン剤とか疲労回復剤なんどが発明・発見される、はるか以前のことである。
私たちの体を活性させる一番の妙薬は、体を動かすエネルギーを補給することである。それは、枯渇した糖分を補給すればいいのだ。糖分でなく、デンプン質でもいいし、アルコール分なら、より効き目は早く来る。ウソと思うなら、お手元のドリンク剤の成分をよく読んでみてほしい。
ごはんのデンプンを、麹の力で糖化した『甘酒』は、江戸の人の夏の飲み物だった。甘酒売りから甘酒を買って飲む。そうすれば疲労感はすっ飛ぶのだ。
それに、少量のアルコールが入っていれば、効果は倍増する。「甘酒なんて女・子どもの飲み物だ」とおっしゃる飲んベイ、江戸っ子はそれなりの智恵を働かせた。
彼らは夏の真っ盛りの飲物に「柳」に「陰」と書いて「柳陰」というのを愛用した。それは、酒屋で売っているのではなく、自分で作ったのである。
作り方はいたって簡単。酒にみりんを加えるだけだ。みりんは主に調理に使われる甘さとうまみ材である。甘さがたっぷりはいったアルコール系飲料だから、エネルギー欠乏時の活性剤としてはまさにずばりの飲物である。
ウソだと思う人は、ドリンク剤の成分をもう一度お読みください。
文中に出てくる「柳陰(やなぎかげ)」という酒、気になりますよね。古典落語の『青菜』に登場する酒です。
「植木屋さん、こっち来て一杯やらんかいな。」
「へえ。旦那さん。おおきにありがとさんでございます。」
「一人で飲んでてもおもろあらへん。植木屋さん相手に一杯飲もうと用意してましたのじゃ。どや、あんた柳蔭飲まんか。」
「へっ! 旦那さん、もうし、柳蔭ちゅうたら上等の酒やおまへんか。いただいてよろしいんで?」
「遠慮せんでよろし。こうして冷やしてました。さあ、注いだげよ。」「こら、えらいありがたいことでおます。」
ってな感じの軽妙なやりとり。最初に聴いたとき、「柳陰」ってどこの蔵元のどんな高級酒かと思いましたが、調べてみたら、焼酎をみりんで割った“酒カクテル”だったんです。
確かに丁寧に醸造された本みりんは、ストレートでも飲める美味しさ。度数の高いアルコールとブレンドすれば、アルコール由来のつんつんとした辛さを甘くまろやかにコーティングしてくれるでしょう。オンザロックやソーダ水で割れば、度数が低くなり、グイグイ爽快に飲めます。
そこでさっそく、自宅で愛用している杉井酒造(藤枝市)が醸造する『飛鳥山』と、広島県福山市の『保命酒』を、(焼酎は買い置きしていないので)それぞれ日本酒に半量混ぜてロックにして飲んでみたら、篠田氏ご指摘のとおり、時々飲む栄養ドリンク剤からクスリ臭さや香料臭さを除去したような、自然の甘みがふんわり口中に広がり、ビックリするほど美味しかった。この時期の滋養強壮にピッタリだと実感しました。

杉井酒造の純米みりん「飛鳥山」、「杉錦」夏の純米吟醸、杉錦米焼酎「才助」
ちなみに、保命酒というのは、広島県福山市鞆の浦で江戸時代から造られている薬草酒。2007年静岡市製作の映画『朝鮮通信使~駿府発二十一世紀の使行録』の脚本を担当したとき、鞆の浦で見つけた通信使ゆかりの地酒です。幕末には、老中阿部正弘(福山藩主)が下田でペリー一行にこの酒を振舞ったという逸話も残っています。興味のある方はこちらのブログを参照してください。
http://mayumi-s-jizake.blogzine.jp/blog/2010/05/post_9428.html

保命酒は16種類の薬草を使った本みりん
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
体力が落ちているとき、人は甘いものを欲するといいます。以前、このコラムで鑑評会出品酒が甘い酒になっているのは、甘い=オイシイの代名詞になっているのでは?と指摘し、何でもかんでも甘味を第一評価するというのは、現代日本人が疲れている、あるいは味覚が原始化?しているのでは、と考えさせられました。自分も、日本酒に甘味や酸味を加えてアレンジしたくなるのは、やっぱりいつもの調子じゃないときだって自覚します。
日本酒は、夏を越し、涼しくなる秋口からグーンと旨味が増してくるといわれます。それは、熟成の妙だけでなく、受け止める人間の味覚も“本調子”に戻ってくるからじゃないでしょうか。
自分も、この暑さがひと段落したら、日本酒本来の香味バランスと繊細な渋味や辛さを美味しく感じられる状態に戻れるんじゃないか、と期待しつつ、それまでは江戸っ子の知恵や流儀を上手に取り入れ、汗をかきかき、今夜も冷蔵庫や調味料棚を物色しています。杉井酒造では、日本酒「杉錦」、焼酎「才助」、みりん「飛鳥山」が揃っているので、杉錦トリプルブレンドに挑戦してみようかな。
◆杉井酒造公式サイト
http://suginishiki.com/
◆「保命酒」醸造元 岡本亀太郎本店公式サイト
http://www.honke-houmeishu.com/
先日、フェイスブックに「暑いから日本酒をソーダ水で割って飲んでいる」と書いたら、「そんな飲み方があるの!?」という驚きのコメントをもらいました。「自由にアレンジしていいんですよ♪」と返信しながら、自分もちょっと前まで、“蔵元さんが丹精込めて造った酒を、勝手に加工しちゃいけない”と思い込んでいたよなぁ・・・とセルフ突っ込みしてました(苦笑)。
実は、しずおか地酒研究会で2012年7月、藤枝市文化センターで【酒と匠の文化祭~夏版】というイベントを開いたとき、酒販店会員の後藤英和さんに、日本酒を使ったサマーカクテルをあれこれ考案してもらい、お客さんと一緒にテイスティングを楽しんだのです。
こちらがそのレシピ。合わせる量はお好みです。
●SAKE・ライム/ロックアイス+日本酒+ライムジュース
●SAKE・ロック/ロックアイス+どぶろく
●ドブ・ハイ/どぶろく+ソーダ
●SAKE・リッキー/日本酒+ライムジュース+ソーダ
●SAKE・トニック/日本酒+トニックウォーター
●SAKE・フィズ/日本酒+レモンジュース+サイダー
●SAKE・バック/日本酒+レモンジュース+ジンジャーエール
●SAKE・カルピス/日本酒+カルピス+ソーダ
●SAKE・オレンジ/日本酒+オレンジジュース
●SAKE・アップル/日本酒+アップルジュース
●SAKE・ピーチ/日本酒+モモの果肉(みじんぎり)
●SAKE・梅ハイ/日本酒+梅酒+ソーダまたはサイダー
●酒茶漬け/水洗いした冷や飯に好みの具(鮭・梅・塩から等)をのせ、キンキンに冷やした酒を注ぐ。
●酒しゃぶ/出汁のかわりに酒で肉・魚・野菜をしゃぶしゃぶする。沸騰させてアルコールを飛ばす。
冒頭の「SAKEライム」は、日本酒をライムで割ったカクテル「サムライ・ロック」でおなじみですね。外国人受けを狙ったネーミングなのかな。
いずれにしても、この後藤レシピのおかげで、気分や体調に合わせて氷やミネラルウォーターで割って飲むスタイルを自然に楽しめるようになりました。レシピの中では日本酒をレモンジュースとジンジャーエールで割った「SAKEバック」がお気に入り。爽快で飲みやすくて、これなら日本酒が苦手という女子たちにも薦められます。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
【酒と匠の文化祭】では、後藤さんのカクテル片手に、フリーアナウンサー國本良博さんに、酒の名文を朗読してもらうスペシャルステージを行いました。國本さんに読んでいただく文章をあれこれ探していたとき、目に留まったのが、篠田次郎氏の『日本酒ことば入門』(無明舎出版)。その中に、こんな一節があります。
8月の酒 柳陰
猛暑のシーズン、だれもが疲労回復の妙薬が欲しいと思うだろう。現代人なら健康ドリンクの小鬢の蓋を開けて、グイーっとやって、しばしスタミナが回復したと思うのであろうが・・・。それと同じ効果を、江戸の人たちもやっていた。
ビタミン剤とか疲労回復剤なんどが発明・発見される、はるか以前のことである。
私たちの体を活性させる一番の妙薬は、体を動かすエネルギーを補給することである。それは、枯渇した糖分を補給すればいいのだ。糖分でなく、デンプン質でもいいし、アルコール分なら、より効き目は早く来る。ウソと思うなら、お手元のドリンク剤の成分をよく読んでみてほしい。
ごはんのデンプンを、麹の力で糖化した『甘酒』は、江戸の人の夏の飲み物だった。甘酒売りから甘酒を買って飲む。そうすれば疲労感はすっ飛ぶのだ。
それに、少量のアルコールが入っていれば、効果は倍増する。「甘酒なんて女・子どもの飲み物だ」とおっしゃる飲んベイ、江戸っ子はそれなりの智恵を働かせた。
彼らは夏の真っ盛りの飲物に「柳」に「陰」と書いて「柳陰」というのを愛用した。それは、酒屋で売っているのではなく、自分で作ったのである。
作り方はいたって簡単。酒にみりんを加えるだけだ。みりんは主に調理に使われる甘さとうまみ材である。甘さがたっぷりはいったアルコール系飲料だから、エネルギー欠乏時の活性剤としてはまさにずばりの飲物である。
ウソだと思う人は、ドリンク剤の成分をもう一度お読みください。
文中に出てくる「柳陰(やなぎかげ)」という酒、気になりますよね。古典落語の『青菜』に登場する酒です。
「植木屋さん、こっち来て一杯やらんかいな。」
「へえ。旦那さん。おおきにありがとさんでございます。」
「一人で飲んでてもおもろあらへん。植木屋さん相手に一杯飲もうと用意してましたのじゃ。どや、あんた柳蔭飲まんか。」
「へっ! 旦那さん、もうし、柳蔭ちゅうたら上等の酒やおまへんか。いただいてよろしいんで?」
「遠慮せんでよろし。こうして冷やしてました。さあ、注いだげよ。」「こら、えらいありがたいことでおます。」
ってな感じの軽妙なやりとり。最初に聴いたとき、「柳陰」ってどこの蔵元のどんな高級酒かと思いましたが、調べてみたら、焼酎をみりんで割った“酒カクテル”だったんです。
確かに丁寧に醸造された本みりんは、ストレートでも飲める美味しさ。度数の高いアルコールとブレンドすれば、アルコール由来のつんつんとした辛さを甘くまろやかにコーティングしてくれるでしょう。オンザロックやソーダ水で割れば、度数が低くなり、グイグイ爽快に飲めます。
そこでさっそく、自宅で愛用している杉井酒造(藤枝市)が醸造する『飛鳥山』と、広島県福山市の『保命酒』を、(焼酎は買い置きしていないので)それぞれ日本酒に半量混ぜてロックにして飲んでみたら、篠田氏ご指摘のとおり、時々飲む栄養ドリンク剤からクスリ臭さや香料臭さを除去したような、自然の甘みがふんわり口中に広がり、ビックリするほど美味しかった。この時期の滋養強壮にピッタリだと実感しました。

杉井酒造の純米みりん「飛鳥山」、「杉錦」夏の純米吟醸、杉錦米焼酎「才助」
ちなみに、保命酒というのは、広島県福山市鞆の浦で江戸時代から造られている薬草酒。2007年静岡市製作の映画『朝鮮通信使~駿府発二十一世紀の使行録』の脚本を担当したとき、鞆の浦で見つけた通信使ゆかりの地酒です。幕末には、老中阿部正弘(福山藩主)が下田でペリー一行にこの酒を振舞ったという逸話も残っています。興味のある方はこちらのブログを参照してください。
http://mayumi-s-jizake.blogzine.jp/blog/2010/05/post_9428.html

保命酒は16種類の薬草を使った本みりん
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
体力が落ちているとき、人は甘いものを欲するといいます。以前、このコラムで鑑評会出品酒が甘い酒になっているのは、甘い=オイシイの代名詞になっているのでは?と指摘し、何でもかんでも甘味を第一評価するというのは、現代日本人が疲れている、あるいは味覚が原始化?しているのでは、と考えさせられました。自分も、日本酒に甘味や酸味を加えてアレンジしたくなるのは、やっぱりいつもの調子じゃないときだって自覚します。
日本酒は、夏を越し、涼しくなる秋口からグーンと旨味が増してくるといわれます。それは、熟成の妙だけでなく、受け止める人間の味覚も“本調子”に戻ってくるからじゃないでしょうか。
自分も、この暑さがひと段落したら、日本酒本来の香味バランスと繊細な渋味や辛さを美味しく感じられる状態に戻れるんじゃないか、と期待しつつ、それまでは江戸っ子の知恵や流儀を上手に取り入れ、汗をかきかき、今夜も冷蔵庫や調味料棚を物色しています。杉井酒造では、日本酒「杉錦」、焼酎「才助」、みりん「飛鳥山」が揃っているので、杉錦トリプルブレンドに挑戦してみようかな。
◆杉井酒造公式サイト
http://suginishiki.com/
◆「保命酒」醸造元 岡本亀太郎本店公式サイト
http://www.honke-houmeishu.com/
Posted by 日刊いーしず at 12:00
2013年07月26日
第13回 和醸良酒
今回も、“開かれた酒蔵”を紹介しましょう。
日本酒の造り酒屋は創業100年以上の歴史を持つ老舗が多く、地域の暮らしの移り変わりとともに発展・継続してきました。島田市の大井神社東側にある大村屋酒造場は「若竹鬼ころし」「おんな泣かせ」で知られる銘醸。天保3年(1832)に創業し、東海道島田宿の蔵として発展し、島田市唯一の地酒の灯を守っています。それは、地域の人々に支えられ、灯された文化の光でもありました。

大村屋酒造場 外観
2011年3月に静岡県から発行された『文化支援活動レポート3・文化を支えるProject』で、私は大村屋酒造場が守ってきた“文化の光”について紹介しました。
レポートの発行時、東日本大震災が発生し、県内14団体、32ページに亘って取材した渾身のレポートを多くの人に紹介する機会を逸してしまいました。もとより、県内で文化支援政策にかかわる行政担当者や事業団体向けに作られたレポートで、一般の方の眼に留まる機会はほとんどありませんが、この場をお借りし、大村屋酒造場の記事の一部だけでも再掲させていただこうと思います。
「地域と共存共栄する酒蔵」を実践する。
地元の人々に“地酒の灯を消すな”と背を押され・・・
大村屋酒造場6代目当主・松永今朝二さんは昭和42年に入社し、義父で5代目当主松永始郎氏(故人)とともに伝統蔵の継承発展に努めてきた。
松永さんが入社した当時は、島田市に7軒の酒蔵があったが、地方の酒蔵経営が厳しくなり、島田市内でも廃業が相次ぐ。“最後の砦”となった松永さんを「最後の地酒の灯を消してくれるな」と激励したのは、島田市内の名士の集り「若竹会」だった。
この会で「慶長9年(1604)の大井川の氾濫で消滅した地酒・鬼ころしを復活させよう」と呼びかけ、今では蔵の看板銘柄である「若竹鬼ころし」が誕生。その5年後には、辛口の鬼ころしとは対照的にソフトでまろやかな「おんな泣かせ」が誕生した。粋な酒銘は、若竹会の宴席で島田の芸者さんのひと言だったという。これも静岡県を代表する人気銘柄に成長した。
音楽のまち島田をほうふつとさせる酒蔵コンサート
そんな経緯もあって、松永さんには地元島田への思いがひときわ強く、「地域の皆さんとともに共存共栄するのが地酒の使命」と明言する。
音楽好きの松永さんは10数年前、妻が師事するオルガンの先生に「蔵には独特の音響効果がある。何か演奏してみたら?」と勧められ、貯蔵タンクが並ぶ蔵で室内楽コンサートを企画した。100人が集まり、音楽ホールとはひと味違う、酒蔵に響くクラシックの音色を堪能した。
さらに「島田の七夕に賑わいを復活させたい」という町の声に応え、七夕の日に静岡大学のジャズバンドを招いて酒蔵コンサートを開催。蔵を開放し、生ライブを楽しんでもらった後は、樽詰めの生酒を無料でふるまった。

ステージ設営も七夕飾りもすべて社員の手作り。最近ではテノール歌手の加藤信行さん、中鉢聡さん、ザルツブルクのモーツァルテウム管弦楽団首席ホルン奏者シュヴァイガー氏といった ビッグネームもやってくる。松永さんの「出演料は出せないけど酒はたっぷり飲ませるよ」が口説き文句だといい、アーティスト自身も酒蔵の空間に魅力を感じ、手弁当で参加するという。
聴衆は年々増えて今では400人を超え、蔵の中に入りきれない人が路上で演奏に耳を傾けるということも。「島田市はもともと音楽好きの市民が多く、静岡市に市民会館が出来る前は、県下で唯一NHK交響楽団の演奏会が島田市民会館で開かれていた。音楽が身近にあった街なんです」と松永さん。今年(2011年)で14回目を数える七夕酒蔵コンサートは、島田市の夏の風物詩になった。

蔵に入りきれない聴衆
NY三ツ星フレンチレストランの地酒パーティーをきっかけに
松永さんは日本酒の蔵元として島田の食文化振興にも努めている。1999年、ニューヨークの三ツ星フレンチレストランで開かれた日本酒パーティーに招待されたとき、「若竹鬼ころし」がフレンチ料理と見事にマッチし、NYの食通たちに喜ばれる姿に感激する。NYナンバーワンの呼び声高いワインソムリエとシェフが事前に島田までやってきて蔵できき酒するなど準備も万全だった。「海外で島田の地酒がこれだけのもてなしを受けているのに、自分たちは地元では何もしていない」と実感した松永さんは、帰国後、蔵に隣接する大井神社宮美殿の調理長と協働で【島田の食と地酒を楽しむ会】を企画した。
翌年からは酒米作りで縁のある島田市初倉地区の農家、大井川奥のヤマメ養殖業者にも声を掛け、食事の合間に生産者の苦労話や地域の自然の価値などを解説してもらうなど、地産地消をテーマにした食文化の会に発展した。5000円のチケットは受付直後に定員満員となり、今では抽選制にせざるをえないほどの人気ぶりだ。
親子で体験学習、「お米とお酒の学校」開催
2005年からは親子対象の食育活動【お米とお酒の学校】を始めた。初倉の農家の協力で、5月に酒米の田植えをし、9月に稲刈り、3月に酒蔵工場見学を行う。子どもたちは田植えや稲刈り時に農家から米作りや田んぼの生態系などを聞き、バケツにひと株ずつ稲を持ち帰る。田んぼには自分の名前の立て札が立っているので、下校途中に様子を見に行くことも。田植えの日は午後、かかしづくりの体験。稲刈りの日は島田市金谷の伝統の志戸呂焼き工房で茶碗やぐい飲みづくりの体験。お酒が完成する3月にはオリジナルラベルをデザインして酒瓶に貼る。そんな稲作体験が、親子のコミュニケーションづくり、地域農業や酒造り・陶芸等のモノづくり文化を学ぶ好機にもつながっている。
酒蔵2階の文化発信基地「若竹サロン」
本社2階フロアは、貸しギャラリーとして市民に開放している。ここで2カ月に1度のペースで文化交流会「若竹サロン」を開催し、地元で活躍する学識経験者、経済人、文化人等を講師に招いてさまざまなトークときき酒を楽しんでもらう。蔵を支えてくれた「若竹会」の伝統がそこに息づいている。ギャラリーは、若い陶芸家や書家たちの作品発表の場にも活用している。
これら事業は参加者から費用をとらないか、必要最小限の実費しかとらず、企画や運営はすべて松永さんと社員でまかなっている。「スポンサーをつけたり補助金をもらったりすると、いろいろ制約が出てくるから」と苦笑いする松永さんだが、会社の“持ち出し分”は広報活動の範疇をゆうに超えている。その原動力は、数々の催しを通して、地域住民から寄せられる「自分たちが住む町に誇りが持てる、ぜひ続けてほしい」という声。「酒蔵が地域に存在する意義もそこにあります」と力を込める。
私は亡き5代目・松永始郎翁がお達者な頃から蔵へちょくちょくお邪魔しており、1997年の毎日新聞『しずおか酒と人』では、始郎さんと6代目今朝二さんの父子エピソードを紹介しました。自分でも特に気に入っている記事なので、ぜひご一読ください。
◆http://ginjyo-shizuoka.jp/suzuki_15.html

大村屋酒造場6代目・松永今朝二会長
現在、大村屋酒造場は今朝二さんの娘婿・孝廣さんが7代目をしっかり継承しています。県内の蔵元で3代に亘っておつきあいさせていただいているのは、今のところこの蔵だけでしょうか。今年7月7日の七夕酒蔵コンサートは、孝廣さんの企画でスイングジャズの演奏を楽しみました。クラシックが続いた今朝二さんの時代とはひと味違う、陽気でワクワクのノリが新鮮でした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
杜氏も世代交代しています。長年蔵を支えた歴代南部杜氏の薫陶を受けた社員の日比野哲さんが杜氏を継承しました。日比野さんは県内の蔵元では初めて、大学院の新卒入社で酒造り職人になった逸材です。日比野さんが醸した若竹純米大吟醸誉富士は、本コラム第9回「あまい金賞」(こちら)でも紹介したとおり、全国の舞台で、静岡県の酒の存在感を見事に示してくれました。
◆「あまい金賞」 http://sakazuki.eshizuoka.jp/e1070245.html
七夕酒蔵コンサートに集まった400人の市民に無料で振舞われた酒は、縁起のよい樽酒と、若い後継者を象徴するように新発売された誉富士60%精米の特別純米「鬼乙女」。ピンクボトルは春に発売された火入れバージョン、ブルーボトルは夏に発売する生酒バージョンです。この先、秋には冷やおろし、冬には新酒しぼりたてと、四季に合わせたバージョンで楽しませてくれます。

こんなふうに、松永孝廣さん、日比野哲さんと、外から入ってきた“新しい血”が、伝統蔵の活かし方をブレることなく前進させています。それは、ホテルマン出身の今朝二さんの“人間力”が、保守的な蔵の風土や、地域との関わり方・付き合い方に柔軟性を持たせた成果に相違ありません。酒造りの現場でも、職人同士のチームワークが大事であるように、一軒の酒蔵の暖簾を守っていくにも、血脈を超えた人と人の相互理解と結束力が必要なんですね。
七夕酒蔵コンサートを、社員総出で手作り準備し、継続させている大村屋酒造場には、理想の酒造りを示す「和醸良酒」という言葉がしっくりくるようです。地元に酒蔵があるっていいなあって、つくづく思います。
◆大村屋酒造場 公式サイト http://www.oomuraya.jp/
日本酒の造り酒屋は創業100年以上の歴史を持つ老舗が多く、地域の暮らしの移り変わりとともに発展・継続してきました。島田市の大井神社東側にある大村屋酒造場は「若竹鬼ころし」「おんな泣かせ」で知られる銘醸。天保3年(1832)に創業し、東海道島田宿の蔵として発展し、島田市唯一の地酒の灯を守っています。それは、地域の人々に支えられ、灯された文化の光でもありました。
大村屋酒造場 外観
2011年3月に静岡県から発行された『文化支援活動レポート3・文化を支えるProject』で、私は大村屋酒造場が守ってきた“文化の光”について紹介しました。
レポートの発行時、東日本大震災が発生し、県内14団体、32ページに亘って取材した渾身のレポートを多くの人に紹介する機会を逸してしまいました。もとより、県内で文化支援政策にかかわる行政担当者や事業団体向けに作られたレポートで、一般の方の眼に留まる機会はほとんどありませんが、この場をお借りし、大村屋酒造場の記事の一部だけでも再掲させていただこうと思います。
「地域と共存共栄する酒蔵」を実践する。
地元の人々に“地酒の灯を消すな”と背を押され・・・
大村屋酒造場6代目当主・松永今朝二さんは昭和42年に入社し、義父で5代目当主松永始郎氏(故人)とともに伝統蔵の継承発展に努めてきた。
松永さんが入社した当時は、島田市に7軒の酒蔵があったが、地方の酒蔵経営が厳しくなり、島田市内でも廃業が相次ぐ。“最後の砦”となった松永さんを「最後の地酒の灯を消してくれるな」と激励したのは、島田市内の名士の集り「若竹会」だった。
この会で「慶長9年(1604)の大井川の氾濫で消滅した地酒・鬼ころしを復活させよう」と呼びかけ、今では蔵の看板銘柄である「若竹鬼ころし」が誕生。その5年後には、辛口の鬼ころしとは対照的にソフトでまろやかな「おんな泣かせ」が誕生した。粋な酒銘は、若竹会の宴席で島田の芸者さんのひと言だったという。これも静岡県を代表する人気銘柄に成長した。
音楽のまち島田をほうふつとさせる酒蔵コンサート
そんな経緯もあって、松永さんには地元島田への思いがひときわ強く、「地域の皆さんとともに共存共栄するのが地酒の使命」と明言する。
音楽好きの松永さんは10数年前、妻が師事するオルガンの先生に「蔵には独特の音響効果がある。何か演奏してみたら?」と勧められ、貯蔵タンクが並ぶ蔵で室内楽コンサートを企画した。100人が集まり、音楽ホールとはひと味違う、酒蔵に響くクラシックの音色を堪能した。
さらに「島田の七夕に賑わいを復活させたい」という町の声に応え、七夕の日に静岡大学のジャズバンドを招いて酒蔵コンサートを開催。蔵を開放し、生ライブを楽しんでもらった後は、樽詰めの生酒を無料でふるまった。
ステージ設営も七夕飾りもすべて社員の手作り。最近ではテノール歌手の加藤信行さん、中鉢聡さん、ザルツブルクのモーツァルテウム管弦楽団首席ホルン奏者シュヴァイガー氏といった ビッグネームもやってくる。松永さんの「出演料は出せないけど酒はたっぷり飲ませるよ」が口説き文句だといい、アーティスト自身も酒蔵の空間に魅力を感じ、手弁当で参加するという。
聴衆は年々増えて今では400人を超え、蔵の中に入りきれない人が路上で演奏に耳を傾けるということも。「島田市はもともと音楽好きの市民が多く、静岡市に市民会館が出来る前は、県下で唯一NHK交響楽団の演奏会が島田市民会館で開かれていた。音楽が身近にあった街なんです」と松永さん。今年(2011年)で14回目を数える七夕酒蔵コンサートは、島田市の夏の風物詩になった。
蔵に入りきれない聴衆
NY三ツ星フレンチレストランの地酒パーティーをきっかけに
松永さんは日本酒の蔵元として島田の食文化振興にも努めている。1999年、ニューヨークの三ツ星フレンチレストランで開かれた日本酒パーティーに招待されたとき、「若竹鬼ころし」がフレンチ料理と見事にマッチし、NYの食通たちに喜ばれる姿に感激する。NYナンバーワンの呼び声高いワインソムリエとシェフが事前に島田までやってきて蔵できき酒するなど準備も万全だった。「海外で島田の地酒がこれだけのもてなしを受けているのに、自分たちは地元では何もしていない」と実感した松永さんは、帰国後、蔵に隣接する大井神社宮美殿の調理長と協働で【島田の食と地酒を楽しむ会】を企画した。
翌年からは酒米作りで縁のある島田市初倉地区の農家、大井川奥のヤマメ養殖業者にも声を掛け、食事の合間に生産者の苦労話や地域の自然の価値などを解説してもらうなど、地産地消をテーマにした食文化の会に発展した。5000円のチケットは受付直後に定員満員となり、今では抽選制にせざるをえないほどの人気ぶりだ。
親子で体験学習、「お米とお酒の学校」開催
2005年からは親子対象の食育活動【お米とお酒の学校】を始めた。初倉の農家の協力で、5月に酒米の田植えをし、9月に稲刈り、3月に酒蔵工場見学を行う。子どもたちは田植えや稲刈り時に農家から米作りや田んぼの生態系などを聞き、バケツにひと株ずつ稲を持ち帰る。田んぼには自分の名前の立て札が立っているので、下校途中に様子を見に行くことも。田植えの日は午後、かかしづくりの体験。稲刈りの日は島田市金谷の伝統の志戸呂焼き工房で茶碗やぐい飲みづくりの体験。お酒が完成する3月にはオリジナルラベルをデザインして酒瓶に貼る。そんな稲作体験が、親子のコミュニケーションづくり、地域農業や酒造り・陶芸等のモノづくり文化を学ぶ好機にもつながっている。
酒蔵2階の文化発信基地「若竹サロン」
本社2階フロアは、貸しギャラリーとして市民に開放している。ここで2カ月に1度のペースで文化交流会「若竹サロン」を開催し、地元で活躍する学識経験者、経済人、文化人等を講師に招いてさまざまなトークときき酒を楽しんでもらう。蔵を支えてくれた「若竹会」の伝統がそこに息づいている。ギャラリーは、若い陶芸家や書家たちの作品発表の場にも活用している。
これら事業は参加者から費用をとらないか、必要最小限の実費しかとらず、企画や運営はすべて松永さんと社員でまかなっている。「スポンサーをつけたり補助金をもらったりすると、いろいろ制約が出てくるから」と苦笑いする松永さんだが、会社の“持ち出し分”は広報活動の範疇をゆうに超えている。その原動力は、数々の催しを通して、地域住民から寄せられる「自分たちが住む町に誇りが持てる、ぜひ続けてほしい」という声。「酒蔵が地域に存在する意義もそこにあります」と力を込める。
私は亡き5代目・松永始郎翁がお達者な頃から蔵へちょくちょくお邪魔しており、1997年の毎日新聞『しずおか酒と人』では、始郎さんと6代目今朝二さんの父子エピソードを紹介しました。自分でも特に気に入っている記事なので、ぜひご一読ください。
◆http://ginjyo-shizuoka.jp/suzuki_15.html
大村屋酒造場6代目・松永今朝二会長
現在、大村屋酒造場は今朝二さんの娘婿・孝廣さんが7代目をしっかり継承しています。県内の蔵元で3代に亘っておつきあいさせていただいているのは、今のところこの蔵だけでしょうか。今年7月7日の七夕酒蔵コンサートは、孝廣さんの企画でスイングジャズの演奏を楽しみました。クラシックが続いた今朝二さんの時代とはひと味違う、陽気でワクワクのノリが新鮮でした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
杜氏も世代交代しています。長年蔵を支えた歴代南部杜氏の薫陶を受けた社員の日比野哲さんが杜氏を継承しました。日比野さんは県内の蔵元では初めて、大学院の新卒入社で酒造り職人になった逸材です。日比野さんが醸した若竹純米大吟醸誉富士は、本コラム第9回「あまい金賞」(こちら)でも紹介したとおり、全国の舞台で、静岡県の酒の存在感を見事に示してくれました。
◆「あまい金賞」 http://sakazuki.eshizuoka.jp/e1070245.html
七夕酒蔵コンサートに集まった400人の市民に無料で振舞われた酒は、縁起のよい樽酒と、若い後継者を象徴するように新発売された誉富士60%精米の特別純米「鬼乙女」。ピンクボトルは春に発売された火入れバージョン、ブルーボトルは夏に発売する生酒バージョンです。この先、秋には冷やおろし、冬には新酒しぼりたてと、四季に合わせたバージョンで楽しませてくれます。
こんなふうに、松永孝廣さん、日比野哲さんと、外から入ってきた“新しい血”が、伝統蔵の活かし方をブレることなく前進させています。それは、ホテルマン出身の今朝二さんの“人間力”が、保守的な蔵の風土や、地域との関わり方・付き合い方に柔軟性を持たせた成果に相違ありません。酒造りの現場でも、職人同士のチームワークが大事であるように、一軒の酒蔵の暖簾を守っていくにも、血脈を超えた人と人の相互理解と結束力が必要なんですね。
七夕酒蔵コンサートを、社員総出で手作り準備し、継続させている大村屋酒造場には、理想の酒造りを示す「和醸良酒」という言葉がしっくりくるようです。地元に酒蔵があるっていいなあって、つくづく思います。
◆大村屋酒造場 公式サイト http://www.oomuraya.jp/
Posted by 日刊いーしず at 12:00
2013年07月12日
第12回 開かれた酒蔵
今回も世界文化遺産に登録された富士山お膝元の酒蔵を紹介しましょう。
富士山本宮富士宮浅間大社の西側、県道414号線沿いにたたずむ風格ある酒蔵。『高砂』の醸造元・富士高砂酒造です。

創業は江戸文政年間(1820年代)というから、かれこれ200年近い老舗ですが、2006年に経営者が交代し、2011年10月には母屋をリニューアル。観光客や団体客を受け入れる街中の“開かれた蔵”に生まれ変わりました。
私は16年前、創業者一族の山中滋雄さんが社長に就任し、創業当時の社名『山中正吉商店』から現社名『富士高砂酒造』に変わった1997年に、静岡アウトドアガイドの連載で紹介しています。
高砂-酒造りの原点としてこだわる山廃仕込み
山中正吉商店という旧社名は、創業者の名で、初代正吉は滋賀県蒲生郡日野町出身の近江商人。近江日野商人は江戸時代、漆器、売薬、呉服などを行商し、街道沿いに店舗を設けて酒、味噌、醤油の製造も手掛けていた。日野町にある山中本家は、近江商人の生き様を描いた映画『天秤のうた』のモデルとなり、撮影にも使われた旧家である。
5代目山中宣三氏がまとめた『醸造家銘々伝』(醸協1993掲載)によると、初代正吉が酒造業を始めたのは文政年間(1820年代)。正吉が東海道を行商する途中、吉原宿の旅籠で同宿の旅人が急病になり、献身的に介護した。この旅人が能登松波出身の杜氏だったことから縁が生じ、天間村(現富士宮市)で酒造りを始めたという。酒造場は天保2年(1831)に富士山本宮浅間大社の門前に移ったが、蔵へは創業以来、能登から杜氏が招かれ、一貫して伝統を守り伝えている。
創業からして能登杜氏なくしては成り立たない蔵ではあるが、当主山中家の能登流儀に対する信頼は170年以上経た現在も変わらない。現杜氏の吹上弘芳さんも18歳のときから半世紀近くこの蔵に勤めている。
酒は人間にとって融通の利かない自然醗酵物であり、厳しい寒期、故郷を遠く離れ、寝食いとわず従事する。当主と蔵人がいい関係でなければ、けっしていい仕事はできない。同じ流派や一人の杜氏が長く勤める蔵の酒は、それだけで、確かな味の証しになっていると、まず思う。
『高砂』という酒銘は、天保年間に相次いだ飢饉で世情不安の折、天下泰平、夫婦和合、健康長寿を願って命名されたという。縁起のよさから婚礼の席でよく飲まれる。披露宴に招かれ、知らず知らずにこの酒のまろやかな酔いに浸った人も少なくないだろう。幸せな宴席で飲まれる酒も、また幸せである。
代々、山中正吉は滋賀県日野町に籍を置き、富士宮の蔵は番頭と能登杜氏に任せてあったが、宣三氏が昭和30年、株式法人に改組し、自ら陣頭指揮をとるようになった。そして今年(1997年)5月、本家から分離し、社名を『富士高砂酒造』とし、息子の滋雄さんが6代目を継いだ。近江商人の蔵から卒業し、富士山おひざもとの酒蔵として独り立ちしたわけである。
昭和33年生まれの山中滋雄さんは10年間、醗酵メーカーの営業職を務め、全国3000社のバイオ・食品関連会社を訪ね歩いた経験から、「我が蔵の伝統は何か」がつねに念頭にあった。高砂の代表銘柄のひとつ『山廃(やまはい)仕込み』は、これを体現したものである。
山廃仕込みを簡単に説明しておこう。
“一麹(こうじ)、二酛(もと)、三造り”といわれる酒造りの極意で、二番目に重要な酛(酒母)とは、優良な酵母を純粋培養させる培地の役割を持ち、邪魔な雑菌を殺すため多量の乳酸を含んでいる。
戦後は市販の乳酸を添加させて造る「速醸酛(そくじょうもと)」が主流となったが、それ以前は、蒸米・麹・水に、ツメと呼ばれる木片を混ぜ、櫂ですり潰し、タンクに移して温度をゆっくり上げ、乳酸を自然に醗酵させていた。これが「生酛(きもと)造り」である。
櫂ですり潰す作業は“山卸(やまおろし)”と呼ばれ、真冬の深夜、3~4時間おきに行う重労働だったが、明治末期、麹を水に浸しておき、そこに蒸米を加えるだけで糖化が進む水麹が開発され、山卸の代用になることも解明された。これを「山卸廃止酛=山廃酛」といい、低温で時間をかけて乳酸醗酵させるため、微生物の複雑な動きにより、多様な香りが生成され、濃厚な酒に仕上がる。これが本当に米と米麹と水だけで造られた飲み物かと思うほど深い味わいで、素材(米)の持つ旨味が存分に活かされた酒といえる。高砂ではこれを酒造りの原点とした。
「山廃酒は、一般に酸の強い重い酒になりますが、うちでは静岡酵母NEW-5という酸生成の低い酵母を使い、口当たりよく仕上げています。一般の山廃酒とも、他の静岡酒とも差別化がとれ、存分に個性が打ち出せていると思います」と山中社長。濃厚で辛い酒は、過醗酵させて米のデンプンの旨味をほとんどアルコールにしてしまうが、高砂の山廃は、米の旨味、アルコールとのバランス、舌触りなどを総合的に判断し、醗酵温度や時間を設定した緻密な造りが施されている。このような手間のかかる酒を安定供給するため、高砂では一貫して杜氏が弟子を育て、後継者にしてきた。「やはり最後は人です。伝統とは人づくりだと思います」と社長も明言する。
(静岡アウトドアガイドVol.17 『静岡の地酒を楽しむ(11)』1997年9月発行 より抜粋)
山中滋雄さんは、静岡酵母で低酸の山廃酒を造ったり、静岡県が開発した新しい酵母、新しい酒米、新しい仕込み方法にもいち早く取り組む“挑戦する蔵元”でした。これも、信頼する能登杜氏の吹上さんがいて、自分の高校の後輩で、吹上さんに弟子入りさせた副杜氏・小野浩二さんが製造部門をしっかり支えていたからこそ。
そんな山中さんが、諸事情によって経営から退いた2006年、吹上さんが急死するという悲運が重なりました。「人生にはこういうこともあるんだよ、真弓さん・・・」と呟いた山中滋雄さんの表情は、今も忘れられませんが、一方で、急遽杜氏に昇格した小野さんの肩に掛かったプレッシャーは、いかばかりだったでしょう。
山中-吹上時代、蔵へ頻繁に出入りしていた私は、小野さんのことを気に掛けながらもしばらく足が遠のいていたのですが、先月、富士山の世界文化遺産登録の取材で富士宮市役所文化財担当課を訪ねたとき、「高砂さんの蔵には、富士山下山仏があるんですよ」と聞いて、ハタと思い出しました。帰宅して久しぶりに『静岡アウトドアガイド』を引っ張り出してみたら、ちゃんと写真に撮って紹介しているんですね。
「壱号蔵の中二階に、薬師如来5体と鉄鋳地蔵菩薩3体が祀られている。もともと富士山頂の薬師堂に祀られていたが、明治の廃仏毀釈で破却されるところ、山中家2代目当主正吉が引き取って蔵に安置した」。

富士山頂の薬師堂から下山したみほとけたち
そこで、あらためて小野さんに連絡をとり、リニューアルした蔵を初めて訪ねました。
現杜氏の小野浩二さんは、私が『静岡アウトドアガイド』の記事を書いた1997年、36歳で中途入社し、吹上さんのもと、杜氏見習いとして修業を積んできました。前職は大手スーパーのインテリア部門バイヤー。職人の工房に出入りするうちに、モノを横から横へ流して買い叩くだけより、モノを造る醍醐味、思いを込めたモノが売れる喜びを天職にしたいと思い始め、知人が勤めていた高砂の門を叩き、偶然、社長が高校の先輩だと判って入社。最初に山中さんから飲ませてもらった山廃の酒に感動し、吹上さんに弟子入りしてからは、「日本酒は世界一うまい醸造酒だ!」と手応えを持つまでになりました。
吹上さん急死直後の山廃仕込みでは、「それまで麹づくりと酛づくりは杜氏の補佐役だったので、独りで全責任を負うことに正直、青くなった」そうですが、自然に乳酸を取り込む難しさと格闘しながら、少しずつ自己コントロールできるようになったそうです。
一方で、師匠の吹上さんからは、つねづね「杜氏は表に出るな、蔵元を陰で支えよ」と言われてきた小野さん。経営方針が変わり、蔵を一般に開放して見学者を内部に入れ、自分も表に出て説明や接客サービスをすることには、当然、複雑な思いもあったと思われます。

富士高砂酒造の見学コース
半世紀以上も蔵を支えた名杜氏の跡を継ぐプレッシャー、自分の酒造りを確立する時間との闘い、製造に100%没頭できない環境への不安感・・・経営者が杜氏になった蔵元杜氏よりも、その重圧はるかに大きいと想像しますが、久しぶりにお会いした小野さんの表情には、切り立つ険しいピークをひとつ超えたような穏やかさが垣間見えました。

杜氏の小野浩二さん。師匠吹上さんと労苦を共にした事務所で
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
高砂では長年、業者向けの内覧会を開催し、経営が変わってからは仕込み繁忙期の冬に蔵開きを行っています。次第にご近所や地域住民から“おたくは何をやっている会社なの?”“私らも入れるの?”と聞かれるようになり、「隣人の方々から、“何をやっているのかわからない”と思われるぐらいなら、きちんとした体制で開放するほうがベター」と考え始め、今では「造り手として、エンドユーザーから正直な声を聞くのは貴重な勉強になる」と前向きに取り組めるようになりました。
若い営業社員も、店頭に並べた山廃酒に「“杜氏お勧めセット”ってキャッチコピーを入れていいですか?」と提案するようになったとか。女性や観光客や外国人ツアー客を意識したデザインの瓶やラベルが並び、近寄りづらかったご近所の皆さんも、蔵との距離はグッと縮まったことでしょう。

若手社員が「杜氏お勧め」とPRする山廃純米・純米吟醸セット
なにより、世界遺産・富士山の仕込み水で醸した地酒を、その場で飲んだり買ったり見学できる蔵が、世界遺産の街のど真ん中にあるというのは話題性大。それだけに、新たな経営陣が背負った看板は、より大きく重くなったと思うし、小野さんには、いつ飲んでも安定した酒質をキープしてもらいたい。「観光地に名酒なし」と揶揄する酒通にも、ガツンと存在感を示して欲しいのです。
私がそんな、口幅ったいことを言うまでもなく、小野さんは、「こういう環境の蔵でも、静岡県清酒鑑評会でつねに上位入賞できるレベルでありたい」と真摯に答えてくれました。『薬師蔵』と改名された壱号蔵の中二階に安置された富士山下山仏を、仕込みに入る前に必ず拝むという小野さん。「仏さまになった吹上さんが、蔵のどこかに居る気がします」と背筋を整える姿に、私も思わず、あたりを見回してから仏像に合掌しました。

富士山下山仏を拝む小野さん
富士山から下りてきたお薬師さまは、江戸中期頃の作とのことですが、状態はすこぶる良好で、実に美しいお姿。まさか酒蔵の守り神になるとは思われなかったでしょうが、富士山頂も、酒の仕込み蔵も、穢れなき“聖域”であることは間違いありません。
開かれた山、開かれた蔵にも、人智のおよばない何かが御座すことを、忘れてはいけませんね。
* 富士高砂酒造 公式サイト http://www.fuji-takasago.com/
* 『高砂・夏祭り』 2013年7月27日(土) 14時~20時
2011年から開催する夏の蔵開き。よさこい踊りや富士宮グルメの屋台で盛り上がります。入場無料。
富士山本宮富士宮浅間大社の西側、県道414号線沿いにたたずむ風格ある酒蔵。『高砂』の醸造元・富士高砂酒造です。
創業は江戸文政年間(1820年代)というから、かれこれ200年近い老舗ですが、2006年に経営者が交代し、2011年10月には母屋をリニューアル。観光客や団体客を受け入れる街中の“開かれた蔵”に生まれ変わりました。
私は16年前、創業者一族の山中滋雄さんが社長に就任し、創業当時の社名『山中正吉商店』から現社名『富士高砂酒造』に変わった1997年に、静岡アウトドアガイドの連載で紹介しています。
高砂-酒造りの原点としてこだわる山廃仕込み
山中正吉商店という旧社名は、創業者の名で、初代正吉は滋賀県蒲生郡日野町出身の近江商人。近江日野商人は江戸時代、漆器、売薬、呉服などを行商し、街道沿いに店舗を設けて酒、味噌、醤油の製造も手掛けていた。日野町にある山中本家は、近江商人の生き様を描いた映画『天秤のうた』のモデルとなり、撮影にも使われた旧家である。
5代目山中宣三氏がまとめた『醸造家銘々伝』(醸協1993掲載)によると、初代正吉が酒造業を始めたのは文政年間(1820年代)。正吉が東海道を行商する途中、吉原宿の旅籠で同宿の旅人が急病になり、献身的に介護した。この旅人が能登松波出身の杜氏だったことから縁が生じ、天間村(現富士宮市)で酒造りを始めたという。酒造場は天保2年(1831)に富士山本宮浅間大社の門前に移ったが、蔵へは創業以来、能登から杜氏が招かれ、一貫して伝統を守り伝えている。
創業からして能登杜氏なくしては成り立たない蔵ではあるが、当主山中家の能登流儀に対する信頼は170年以上経た現在も変わらない。現杜氏の吹上弘芳さんも18歳のときから半世紀近くこの蔵に勤めている。
酒は人間にとって融通の利かない自然醗酵物であり、厳しい寒期、故郷を遠く離れ、寝食いとわず従事する。当主と蔵人がいい関係でなければ、けっしていい仕事はできない。同じ流派や一人の杜氏が長く勤める蔵の酒は、それだけで、確かな味の証しになっていると、まず思う。
『高砂』という酒銘は、天保年間に相次いだ飢饉で世情不安の折、天下泰平、夫婦和合、健康長寿を願って命名されたという。縁起のよさから婚礼の席でよく飲まれる。披露宴に招かれ、知らず知らずにこの酒のまろやかな酔いに浸った人も少なくないだろう。幸せな宴席で飲まれる酒も、また幸せである。
代々、山中正吉は滋賀県日野町に籍を置き、富士宮の蔵は番頭と能登杜氏に任せてあったが、宣三氏が昭和30年、株式法人に改組し、自ら陣頭指揮をとるようになった。そして今年(1997年)5月、本家から分離し、社名を『富士高砂酒造』とし、息子の滋雄さんが6代目を継いだ。近江商人の蔵から卒業し、富士山おひざもとの酒蔵として独り立ちしたわけである。
昭和33年生まれの山中滋雄さんは10年間、醗酵メーカーの営業職を務め、全国3000社のバイオ・食品関連会社を訪ね歩いた経験から、「我が蔵の伝統は何か」がつねに念頭にあった。高砂の代表銘柄のひとつ『山廃(やまはい)仕込み』は、これを体現したものである。
山廃仕込みを簡単に説明しておこう。
“一麹(こうじ)、二酛(もと)、三造り”といわれる酒造りの極意で、二番目に重要な酛(酒母)とは、優良な酵母を純粋培養させる培地の役割を持ち、邪魔な雑菌を殺すため多量の乳酸を含んでいる。
戦後は市販の乳酸を添加させて造る「速醸酛(そくじょうもと)」が主流となったが、それ以前は、蒸米・麹・水に、ツメと呼ばれる木片を混ぜ、櫂ですり潰し、タンクに移して温度をゆっくり上げ、乳酸を自然に醗酵させていた。これが「生酛(きもと)造り」である。
櫂ですり潰す作業は“山卸(やまおろし)”と呼ばれ、真冬の深夜、3~4時間おきに行う重労働だったが、明治末期、麹を水に浸しておき、そこに蒸米を加えるだけで糖化が進む水麹が開発され、山卸の代用になることも解明された。これを「山卸廃止酛=山廃酛」といい、低温で時間をかけて乳酸醗酵させるため、微生物の複雑な動きにより、多様な香りが生成され、濃厚な酒に仕上がる。これが本当に米と米麹と水だけで造られた飲み物かと思うほど深い味わいで、素材(米)の持つ旨味が存分に活かされた酒といえる。高砂ではこれを酒造りの原点とした。
「山廃酒は、一般に酸の強い重い酒になりますが、うちでは静岡酵母NEW-5という酸生成の低い酵母を使い、口当たりよく仕上げています。一般の山廃酒とも、他の静岡酒とも差別化がとれ、存分に個性が打ち出せていると思います」と山中社長。濃厚で辛い酒は、過醗酵させて米のデンプンの旨味をほとんどアルコールにしてしまうが、高砂の山廃は、米の旨味、アルコールとのバランス、舌触りなどを総合的に判断し、醗酵温度や時間を設定した緻密な造りが施されている。このような手間のかかる酒を安定供給するため、高砂では一貫して杜氏が弟子を育て、後継者にしてきた。「やはり最後は人です。伝統とは人づくりだと思います」と社長も明言する。
(静岡アウトドアガイドVol.17 『静岡の地酒を楽しむ(11)』1997年9月発行 より抜粋)
山中滋雄さんは、静岡酵母で低酸の山廃酒を造ったり、静岡県が開発した新しい酵母、新しい酒米、新しい仕込み方法にもいち早く取り組む“挑戦する蔵元”でした。これも、信頼する能登杜氏の吹上さんがいて、自分の高校の後輩で、吹上さんに弟子入りさせた副杜氏・小野浩二さんが製造部門をしっかり支えていたからこそ。
そんな山中さんが、諸事情によって経営から退いた2006年、吹上さんが急死するという悲運が重なりました。「人生にはこういうこともあるんだよ、真弓さん・・・」と呟いた山中滋雄さんの表情は、今も忘れられませんが、一方で、急遽杜氏に昇格した小野さんの肩に掛かったプレッシャーは、いかばかりだったでしょう。
山中-吹上時代、蔵へ頻繁に出入りしていた私は、小野さんのことを気に掛けながらもしばらく足が遠のいていたのですが、先月、富士山の世界文化遺産登録の取材で富士宮市役所文化財担当課を訪ねたとき、「高砂さんの蔵には、富士山下山仏があるんですよ」と聞いて、ハタと思い出しました。帰宅して久しぶりに『静岡アウトドアガイド』を引っ張り出してみたら、ちゃんと写真に撮って紹介しているんですね。
「壱号蔵の中二階に、薬師如来5体と鉄鋳地蔵菩薩3体が祀られている。もともと富士山頂の薬師堂に祀られていたが、明治の廃仏毀釈で破却されるところ、山中家2代目当主正吉が引き取って蔵に安置した」。
富士山頂の薬師堂から下山したみほとけたち
そこで、あらためて小野さんに連絡をとり、リニューアルした蔵を初めて訪ねました。
現杜氏の小野浩二さんは、私が『静岡アウトドアガイド』の記事を書いた1997年、36歳で中途入社し、吹上さんのもと、杜氏見習いとして修業を積んできました。前職は大手スーパーのインテリア部門バイヤー。職人の工房に出入りするうちに、モノを横から横へ流して買い叩くだけより、モノを造る醍醐味、思いを込めたモノが売れる喜びを天職にしたいと思い始め、知人が勤めていた高砂の門を叩き、偶然、社長が高校の先輩だと判って入社。最初に山中さんから飲ませてもらった山廃の酒に感動し、吹上さんに弟子入りしてからは、「日本酒は世界一うまい醸造酒だ!」と手応えを持つまでになりました。
吹上さん急死直後の山廃仕込みでは、「それまで麹づくりと酛づくりは杜氏の補佐役だったので、独りで全責任を負うことに正直、青くなった」そうですが、自然に乳酸を取り込む難しさと格闘しながら、少しずつ自己コントロールできるようになったそうです。
一方で、師匠の吹上さんからは、つねづね「杜氏は表に出るな、蔵元を陰で支えよ」と言われてきた小野さん。経営方針が変わり、蔵を一般に開放して見学者を内部に入れ、自分も表に出て説明や接客サービスをすることには、当然、複雑な思いもあったと思われます。
富士高砂酒造の見学コース
半世紀以上も蔵を支えた名杜氏の跡を継ぐプレッシャー、自分の酒造りを確立する時間との闘い、製造に100%没頭できない環境への不安感・・・経営者が杜氏になった蔵元杜氏よりも、その重圧はるかに大きいと想像しますが、久しぶりにお会いした小野さんの表情には、切り立つ険しいピークをひとつ超えたような穏やかさが垣間見えました。
杜氏の小野浩二さん。師匠吹上さんと労苦を共にした事務所で
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
高砂では長年、業者向けの内覧会を開催し、経営が変わってからは仕込み繁忙期の冬に蔵開きを行っています。次第にご近所や地域住民から“おたくは何をやっている会社なの?”“私らも入れるの?”と聞かれるようになり、「隣人の方々から、“何をやっているのかわからない”と思われるぐらいなら、きちんとした体制で開放するほうがベター」と考え始め、今では「造り手として、エンドユーザーから正直な声を聞くのは貴重な勉強になる」と前向きに取り組めるようになりました。
若い営業社員も、店頭に並べた山廃酒に「“杜氏お勧めセット”ってキャッチコピーを入れていいですか?」と提案するようになったとか。女性や観光客や外国人ツアー客を意識したデザインの瓶やラベルが並び、近寄りづらかったご近所の皆さんも、蔵との距離はグッと縮まったことでしょう。
若手社員が「杜氏お勧め」とPRする山廃純米・純米吟醸セット
なにより、世界遺産・富士山の仕込み水で醸した地酒を、その場で飲んだり買ったり見学できる蔵が、世界遺産の街のど真ん中にあるというのは話題性大。それだけに、新たな経営陣が背負った看板は、より大きく重くなったと思うし、小野さんには、いつ飲んでも安定した酒質をキープしてもらいたい。「観光地に名酒なし」と揶揄する酒通にも、ガツンと存在感を示して欲しいのです。
私がそんな、口幅ったいことを言うまでもなく、小野さんは、「こういう環境の蔵でも、静岡県清酒鑑評会でつねに上位入賞できるレベルでありたい」と真摯に答えてくれました。『薬師蔵』と改名された壱号蔵の中二階に安置された富士山下山仏を、仕込みに入る前に必ず拝むという小野さん。「仏さまになった吹上さんが、蔵のどこかに居る気がします」と背筋を整える姿に、私も思わず、あたりを見回してから仏像に合掌しました。

富士山下山仏を拝む小野さん
富士山から下りてきたお薬師さまは、江戸中期頃の作とのことですが、状態はすこぶる良好で、実に美しいお姿。まさか酒蔵の守り神になるとは思われなかったでしょうが、富士山頂も、酒の仕込み蔵も、穢れなき“聖域”であることは間違いありません。
開かれた山、開かれた蔵にも、人智のおよばない何かが御座すことを、忘れてはいけませんね。
* 富士高砂酒造 公式サイト http://www.fuji-takasago.com/
* 『高砂・夏祭り』 2013年7月27日(土) 14時~20時
2011年から開催する夏の蔵開き。よさこい踊りや富士宮グルメの屋台で盛り上がります。入場無料。
Posted by 日刊いーしず at 12:00
2013年06月28日
第11回 世界遺産の仕込み水
富士山が世界文化遺産に登録されましたね。世界遺産登録運動については、かれこれ10年ぐらい取材し続け、主に県の広報誌や中日新聞の広告企画特集等で記事を書いてきました。この間、「えっ、富士山って世界遺産じゃなかったの?」と驚く人や、「あれだけ麓が都市開発されちゃって、ゴミの不法投棄や山小屋のし尿が問題になっているんだから、世界遺産なんて無理無理」な~んて冷めた人の声もよく聞きました。
5月末にユネスコの諮問機関(イコモス)の評価が出てからは、「最初から自然遺産ではなく、文化遺産登録を目指せば、もっと登録は早かった」という関係者の声が印象に残っています。やっぱり文化の力って偉大なんですね。

2013年1月1日、家族で初詣した三保松原
文化遺産に登録されたとしても、富士山の場合、文化を育んだ自然を保護していくことも重要です。以前、富士山の水の恵みをテーマに、こんな記事を書きました。
湧水に育まれるニジマス養殖
『白糸の滝』の北、芝川の上流に広がる『猪之頭湧水群』はニジマス養殖で知られる。昭和11年に静岡県水産試験場富士養鱒場が設立したのを機に、猪之頭一帯で養殖池が作られ、一大養鱒地に。戦後は冷凍ニジマスが北米に輸出され、国内需要も右肩上がりに伸びた。
産業は成長・発展とともにリスクも伴う。台風や水害等の影響でしばしば変化する湧水量。加えて高度成長期には周辺に工場や事業所が進出し、水量は相対的に減少し始めた。リスクを避けた養鱒業者は市外・県外へ移転し、川魚消費の伸び悩みも手伝って、現在、猪之頭の養鱒業者は30軒足らずとなった。
柿島養鱒の岩本いづみ社長は、ニジマス本来の美味しさを見直してもらおうと、飼料添加物や人工色素に頼らない天然素材の餌を毎日作って与える。3児の母でもある岩本社長の考えは「色素を添加した、脂肪が不自然に多い魚は育てたくない」と明快。餌の自家製造は養鱒業では極めて珍しいという。
「魚が川の中で長い時間をかけ、自然に育つ環境を再現したい。それには豊富な流水量が不可欠」と案内してくれたのは、養殖池のすぐそばにある湧水ポイント。猪之頭はかつて「井之頭」と表記されていたそうだが、その名を象徴するような滝が水のカーテンのように岩肌を厚く覆い、川の各所で水がボコボコと湧き上がっている。今では国内外の名のある料理人や流通業者が視察にくる。
養鱒業の未来は、この豊かな水の恵みを、食文化として発信できるか、或いは文化として語れる内容が伴っているかに懸っているようだ。

柿島養鱒の敷地にある猪之頭湧水
酒蔵の伝統を支える源泉
名水が必要不可欠である酒造業。猪之頭の南西、芝川町柚野地区にある富士錦酒造は創業300年超という県内屈指の老舗酒蔵だ。
18代目当主の清信一社長は神奈川県出身。妻朋子さんの実家である富士錦酒造に婿入りしたとき、井戸水を当たり前のように飲料にしていることに驚いた。一方、朋子さんは東京の大学に通っていた頃、水道水をそのまま飲もうとして注意されたことがあるという。「水を扱う事業者として、毎年2回欠かさず水質検査を行っていますが、まったく変化がない。富士山のろ過機能というのは凄いと日々実感します」と清社長。酒造家から見た富士山の湧水は「あたり(角)がない、やわらかで馴染みやすい」という。
近年、酒質の高さが評価されている静岡県の吟醸酒は、洗米から始まる仕込み工程で大量の水を使う。仕込み水を道具洗いにもふんだんに使えることに、県外出身の杜氏や蔵人が感心する。「原料米や職人は外から調達することもできるが、水だけは持って来られない。この地で酒造業を続けられるのは、この水があってこそ」と清社長は噛み締める。国際食品コンテストでも高く評価される『富士錦』には、「富士山湧水仕込」の文字が勲章のように輝いていた。

富士山湧水仕込をアピールした地酒
「世界文化遺産」と共生するために
富士常葉大学水環境デザイン室では、「いのちを育む水の旅」と称して定期的に富士山周辺の水量・水質を調査し、人の暮らしと水環境のかかわりについて研究している。
調査対象となった富士山南麓の富士市今泉湧水群・田宿川地区は、明治初期に富士の製糸業の発祥地となった湧水地帯。今も工場稼働期には深層の地下水が過剰に揚水され、水位が低下し、駿河湾の海水が入り込んで塩水化に傾いたり、湧水が枯渇するなど水環境にしばしば変化が見られる。
田宿川本流は1秒間に1トンもの流量があり、毎年7月にはたらい流し祭りも行われる。高度成長期にヘドロで汚染された苦い経験があり、地域住民が一丸となって浄化に努めた成果だ。その田宿川には絶滅危惧種の『ナガエミクリ』という貴重な水藻が群生している。これがしばしば異常発生して水位を上げる。富士山麓の茶畑で使用される化学肥料が原因で藻が育ち過ぎるからではないかとみられ、住民が川の清掃時にナガエミクリを伐採すると、水位はもとに戻る。
湧水や川の保全を考えるということは、その流域全体の暮らしと産業の在り方に向き合うこと。世界文化遺産と共生することになる富士山麓の人々にとって、避けて通れないテーマになりそうだ。(中日新聞富士山特集 2011年10月15日掲載より抜粋)
記事でもふれたように、酒造業は地域の水環境に大きく影響されます。水質によって酒の味が左右されるのは無論のこと、安定した仕込みのためには、水量や水温がつねに一定であることが必須条件だからです。
7月1日の中日新聞に掲載予定の富士山特集で、あらためて水資源について書こうと、先日、御殿場の根上酒造店を訪問しました。『金明』『富嶽泉』『富士自慢』というブランドで知られる蔵元で、社長の根上陽一さんが杜氏を兼務しています。

2013年1月1日。根上酒造店付近の富士山
古い記事ですが、1998年8月の毎日新聞『しずおか酒と人』で、根上さんのことをこんなふうに紹介しました。
蔵元自醸酒を応援しよう
先日、はせがわ酒店(東京都江東区)の新酒の会が開かれた新高輪プリンスホテルで、『十四代』(山形)の高木顕統さんにお会いしました。27歳で実家の高木酒造で酒造りを始め、初めて造った酒が通の間で評判になり、酒造界のイチローと異名をとるほどの人。パーティー会場でも彼の周囲にはつねに人垣ができ、オーラに照らされているようでした。
高木酒造では杜氏を置かず、高木さんがリーダーとなって地元の人と一緒に酒を造っています。杜氏や蔵人の減少により人材が確保できず、廃業してしまう蔵が多い中、高木さんのように蔵元自身が造る〈自醸酒〉が増えてきました。
酒造家の血を引くとはいえ、杜氏に比べたら素人同然の彼らが造る酒を、売り手も飲み手も最初は不安に思ったことでしょう。しかし酒質の点でプロの杜氏にひけをとらないということが、十四代の成果で見事に証明されました。
『金明』の根上酒造店(御殿場市)でも1990年から社長の根上陽一さんが酒を造っています。東京農大醸造科を卒業した根上さんは、家業を手伝うかたわら、蔵で働く越後杜氏のもとで酒造りを覚えました。杜氏が高齢を理由に引退を申し出たとき、意を決して自分で造ることに。「最初はちょろいもんだと思っていましたが、とんでもない。水質から何から教科書で学ぶ環境とは全く違い、失敗の連続。12月に搾りたてが間に合わず、お客様に迷惑をかけたこともありました」。

毎日新聞「しずおか酒と人」の挿絵
半自動化していた麹造りをすべて手作りに戻し、特定名称酒の比率も増やしたため、社長業との兼業は並大抵の忙しさではなく、4年後に病気で倒れてしまいます。やむをえず岩手の南部杜氏を手配したものの、やはり根上の伝統は自分で守ろうと奮起。現在は地元で3人、繁忙期にはさらに2人を雇い、経営と製造両面で奔走しています。
小売店への配達までは手が回らず、問屋主体にしていましたが、ヴィノスやまざき(静岡市)が吟醸酒を扱い、静岡の酒通に浸透し始めました。情報発信能力のある実力店のバックアップは、根上さんにさらなる奮起と酒質向上への課題を与えたようです。
「身を削る努力をするからには、混ざりけのない本当に純な酒、日本酒の伝統に立ち返った酒を造りたい」と根上さん。高木顕統さんのようなスターに・・・とは言いませんが、蔵元の姿勢をきちんと伝え、その意思が投影されるような酒を期待してやみません。(毎日新聞朝刊「しずおか酒と人」 1998年8月6日掲載)
自醸蔵となった根上酒造店の生産量は、根上さん一人で目の行き届く範囲の規模。必然的に仕込み期間が長くなり、「去年は夏のお盆前に1本仕込んで、ヘトヘトになった」と苦笑いします。
夏でも酒を仕込んでいると聞くと、大規模工場でオートメーション管理できる大手メーカーを想像しますが、根上さんのように、冬場に年間流通分を集中仕込みできず、長期で少量ずつ仕込む自醸蔵もあるのです。
夏場、仕込み蔵や貯蔵庫は冷蔵管理できるものの、蒸米を冷やしたり麹を造るとき、どうしても直接手で米にタッチする。この季節の最大の敵は、人間の手や指先に付着する雑菌なんですね。根上さんがヘトヘトになった理由は、自分の手や酒造道具の抗菌対策のせいだったそうです。
6月末は酒造年度が終わって各蔵元ともひと段落、という時期ですが、根上酒造店ではこれから大吟醸の仕込みに入るとのこと。いくら平地より2~3℃外気温が低いとはいえ、本来は冬の寒さの最も厳しい時期に仕込む特別仕様の酒にこれから挑むというのは、文字通り、身を削る作業ではないかと想像します。
気を抜けない手洗いや道具の手入れに欠かせないのがきれいな水。蔵の敷地にある自噴井戸からは、四六時中、富士山の雪解け水が噴出しています。「一時期、夏場にチョロチョロっとしか出なくなって焦りましたが、今はこのとおり」と根上さん。巨大な水亀ともいえる富士山の、年間を通して12~13℃という安定した水温と豊富な水量が、年間休みなく酒を造り続ける蔵の生命線なのだ・・・とあらためて実感しました。

自噴井戸をチェックする根上陽一社長
現在は全量、純米仕込みとし、自分でラベルデザインまで手掛ける根上さん。「軟水なんだけど、ちょっぴり発酵が進みやすい。この水に合った酒米を地元で育てるのがこれからの目標」。御殿場は県内屈指のコシヒカリ産地として知られていますが、山田錦や誉富士は、富士山の土との相性がイマイチだそう。酒造りを通して、富士山の土のこと、水のことが根上さんの中に得難い知識や経験として蓄積されていくんだと思います。
世界文化遺産のお膝元にこういう酒造家がいることをもっと知ってもらうべきだし、酒造界のスターになってもらいたい・・・今は、心からそう思います。

根上酒造店の地酒
『金明』醸造元 根上酒造店 http://www.at-s.com/gourmet/detail/3425.html
5月末にユネスコの諮問機関(イコモス)の評価が出てからは、「最初から自然遺産ではなく、文化遺産登録を目指せば、もっと登録は早かった」という関係者の声が印象に残っています。やっぱり文化の力って偉大なんですね。
2013年1月1日、家族で初詣した三保松原
文化遺産に登録されたとしても、富士山の場合、文化を育んだ自然を保護していくことも重要です。以前、富士山の水の恵みをテーマに、こんな記事を書きました。
湧水に育まれるニジマス養殖
『白糸の滝』の北、芝川の上流に広がる『猪之頭湧水群』はニジマス養殖で知られる。昭和11年に静岡県水産試験場富士養鱒場が設立したのを機に、猪之頭一帯で養殖池が作られ、一大養鱒地に。戦後は冷凍ニジマスが北米に輸出され、国内需要も右肩上がりに伸びた。
産業は成長・発展とともにリスクも伴う。台風や水害等の影響でしばしば変化する湧水量。加えて高度成長期には周辺に工場や事業所が進出し、水量は相対的に減少し始めた。リスクを避けた養鱒業者は市外・県外へ移転し、川魚消費の伸び悩みも手伝って、現在、猪之頭の養鱒業者は30軒足らずとなった。
柿島養鱒の岩本いづみ社長は、ニジマス本来の美味しさを見直してもらおうと、飼料添加物や人工色素に頼らない天然素材の餌を毎日作って与える。3児の母でもある岩本社長の考えは「色素を添加した、脂肪が不自然に多い魚は育てたくない」と明快。餌の自家製造は養鱒業では極めて珍しいという。
「魚が川の中で長い時間をかけ、自然に育つ環境を再現したい。それには豊富な流水量が不可欠」と案内してくれたのは、養殖池のすぐそばにある湧水ポイント。猪之頭はかつて「井之頭」と表記されていたそうだが、その名を象徴するような滝が水のカーテンのように岩肌を厚く覆い、川の各所で水がボコボコと湧き上がっている。今では国内外の名のある料理人や流通業者が視察にくる。
養鱒業の未来は、この豊かな水の恵みを、食文化として発信できるか、或いは文化として語れる内容が伴っているかに懸っているようだ。

柿島養鱒の敷地にある猪之頭湧水
酒蔵の伝統を支える源泉
名水が必要不可欠である酒造業。猪之頭の南西、芝川町柚野地区にある富士錦酒造は創業300年超という県内屈指の老舗酒蔵だ。
18代目当主の清信一社長は神奈川県出身。妻朋子さんの実家である富士錦酒造に婿入りしたとき、井戸水を当たり前のように飲料にしていることに驚いた。一方、朋子さんは東京の大学に通っていた頃、水道水をそのまま飲もうとして注意されたことがあるという。「水を扱う事業者として、毎年2回欠かさず水質検査を行っていますが、まったく変化がない。富士山のろ過機能というのは凄いと日々実感します」と清社長。酒造家から見た富士山の湧水は「あたり(角)がない、やわらかで馴染みやすい」という。
近年、酒質の高さが評価されている静岡県の吟醸酒は、洗米から始まる仕込み工程で大量の水を使う。仕込み水を道具洗いにもふんだんに使えることに、県外出身の杜氏や蔵人が感心する。「原料米や職人は外から調達することもできるが、水だけは持って来られない。この地で酒造業を続けられるのは、この水があってこそ」と清社長は噛み締める。国際食品コンテストでも高く評価される『富士錦』には、「富士山湧水仕込」の文字が勲章のように輝いていた。
富士山湧水仕込をアピールした地酒
「世界文化遺産」と共生するために
富士常葉大学水環境デザイン室では、「いのちを育む水の旅」と称して定期的に富士山周辺の水量・水質を調査し、人の暮らしと水環境のかかわりについて研究している。
調査対象となった富士山南麓の富士市今泉湧水群・田宿川地区は、明治初期に富士の製糸業の発祥地となった湧水地帯。今も工場稼働期には深層の地下水が過剰に揚水され、水位が低下し、駿河湾の海水が入り込んで塩水化に傾いたり、湧水が枯渇するなど水環境にしばしば変化が見られる。
田宿川本流は1秒間に1トンもの流量があり、毎年7月にはたらい流し祭りも行われる。高度成長期にヘドロで汚染された苦い経験があり、地域住民が一丸となって浄化に努めた成果だ。その田宿川には絶滅危惧種の『ナガエミクリ』という貴重な水藻が群生している。これがしばしば異常発生して水位を上げる。富士山麓の茶畑で使用される化学肥料が原因で藻が育ち過ぎるからではないかとみられ、住民が川の清掃時にナガエミクリを伐採すると、水位はもとに戻る。
湧水や川の保全を考えるということは、その流域全体の暮らしと産業の在り方に向き合うこと。世界文化遺産と共生することになる富士山麓の人々にとって、避けて通れないテーマになりそうだ。(中日新聞富士山特集 2011年10月15日掲載より抜粋)
記事でもふれたように、酒造業は地域の水環境に大きく影響されます。水質によって酒の味が左右されるのは無論のこと、安定した仕込みのためには、水量や水温がつねに一定であることが必須条件だからです。
7月1日の中日新聞に掲載予定の富士山特集で、あらためて水資源について書こうと、先日、御殿場の根上酒造店を訪問しました。『金明』『富嶽泉』『富士自慢』というブランドで知られる蔵元で、社長の根上陽一さんが杜氏を兼務しています。

2013年1月1日。根上酒造店付近の富士山
古い記事ですが、1998年8月の毎日新聞『しずおか酒と人』で、根上さんのことをこんなふうに紹介しました。
蔵元自醸酒を応援しよう
先日、はせがわ酒店(東京都江東区)の新酒の会が開かれた新高輪プリンスホテルで、『十四代』(山形)の高木顕統さんにお会いしました。27歳で実家の高木酒造で酒造りを始め、初めて造った酒が通の間で評判になり、酒造界のイチローと異名をとるほどの人。パーティー会場でも彼の周囲にはつねに人垣ができ、オーラに照らされているようでした。
高木酒造では杜氏を置かず、高木さんがリーダーとなって地元の人と一緒に酒を造っています。杜氏や蔵人の減少により人材が確保できず、廃業してしまう蔵が多い中、高木さんのように蔵元自身が造る〈自醸酒〉が増えてきました。
酒造家の血を引くとはいえ、杜氏に比べたら素人同然の彼らが造る酒を、売り手も飲み手も最初は不安に思ったことでしょう。しかし酒質の点でプロの杜氏にひけをとらないということが、十四代の成果で見事に証明されました。
『金明』の根上酒造店(御殿場市)でも1990年から社長の根上陽一さんが酒を造っています。東京農大醸造科を卒業した根上さんは、家業を手伝うかたわら、蔵で働く越後杜氏のもとで酒造りを覚えました。杜氏が高齢を理由に引退を申し出たとき、意を決して自分で造ることに。「最初はちょろいもんだと思っていましたが、とんでもない。水質から何から教科書で学ぶ環境とは全く違い、失敗の連続。12月に搾りたてが間に合わず、お客様に迷惑をかけたこともありました」。

毎日新聞「しずおか酒と人」の挿絵
半自動化していた麹造りをすべて手作りに戻し、特定名称酒の比率も増やしたため、社長業との兼業は並大抵の忙しさではなく、4年後に病気で倒れてしまいます。やむをえず岩手の南部杜氏を手配したものの、やはり根上の伝統は自分で守ろうと奮起。現在は地元で3人、繁忙期にはさらに2人を雇い、経営と製造両面で奔走しています。
小売店への配達までは手が回らず、問屋主体にしていましたが、ヴィノスやまざき(静岡市)が吟醸酒を扱い、静岡の酒通に浸透し始めました。情報発信能力のある実力店のバックアップは、根上さんにさらなる奮起と酒質向上への課題を与えたようです。
「身を削る努力をするからには、混ざりけのない本当に純な酒、日本酒の伝統に立ち返った酒を造りたい」と根上さん。高木顕統さんのようなスターに・・・とは言いませんが、蔵元の姿勢をきちんと伝え、その意思が投影されるような酒を期待してやみません。(毎日新聞朝刊「しずおか酒と人」 1998年8月6日掲載)
自醸蔵となった根上酒造店の生産量は、根上さん一人で目の行き届く範囲の規模。必然的に仕込み期間が長くなり、「去年は夏のお盆前に1本仕込んで、ヘトヘトになった」と苦笑いします。
夏でも酒を仕込んでいると聞くと、大規模工場でオートメーション管理できる大手メーカーを想像しますが、根上さんのように、冬場に年間流通分を集中仕込みできず、長期で少量ずつ仕込む自醸蔵もあるのです。
夏場、仕込み蔵や貯蔵庫は冷蔵管理できるものの、蒸米を冷やしたり麹を造るとき、どうしても直接手で米にタッチする。この季節の最大の敵は、人間の手や指先に付着する雑菌なんですね。根上さんがヘトヘトになった理由は、自分の手や酒造道具の抗菌対策のせいだったそうです。
6月末は酒造年度が終わって各蔵元ともひと段落、という時期ですが、根上酒造店ではこれから大吟醸の仕込みに入るとのこと。いくら平地より2~3℃外気温が低いとはいえ、本来は冬の寒さの最も厳しい時期に仕込む特別仕様の酒にこれから挑むというのは、文字通り、身を削る作業ではないかと想像します。
気を抜けない手洗いや道具の手入れに欠かせないのがきれいな水。蔵の敷地にある自噴井戸からは、四六時中、富士山の雪解け水が噴出しています。「一時期、夏場にチョロチョロっとしか出なくなって焦りましたが、今はこのとおり」と根上さん。巨大な水亀ともいえる富士山の、年間を通して12~13℃という安定した水温と豊富な水量が、年間休みなく酒を造り続ける蔵の生命線なのだ・・・とあらためて実感しました。
自噴井戸をチェックする根上陽一社長
現在は全量、純米仕込みとし、自分でラベルデザインまで手掛ける根上さん。「軟水なんだけど、ちょっぴり発酵が進みやすい。この水に合った酒米を地元で育てるのがこれからの目標」。御殿場は県内屈指のコシヒカリ産地として知られていますが、山田錦や誉富士は、富士山の土との相性がイマイチだそう。酒造りを通して、富士山の土のこと、水のことが根上さんの中に得難い知識や経験として蓄積されていくんだと思います。
世界文化遺産のお膝元にこういう酒造家がいることをもっと知ってもらうべきだし、酒造界のスターになってもらいたい・・・今は、心からそう思います。
根上酒造店の地酒
『金明』醸造元 根上酒造店 http://www.at-s.com/gourmet/detail/3425.html
Posted by 日刊いーしず at 13:00