2014年08月15日
第28回 酒とうつわ

「今宵堂」の貧乏徳利
暑い季節に日本酒を呑んでもらおうと、酒造メーカーや飲食店ではカクテルやサワー風にアレンジした日本酒レシピをさかんにPRしています。私も一年前の記事(「柳陰と日本酒カクテル」)でいろいろと紹介させていただきました。
そうはいっても、せっかく蔵元さんが丹精込めて醸した酒。できることなら造り手が目指した酒質をそのまま素直に味わって感動したい・・・美味しい酒に出合うたびにそう思うのも正直なところ。ならば、アレンジするのはこれだ!ということで、今回は酒器のお話をしようと思います。
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先月、東京国立博物館で開催中の台湾国立故宮博物院展を観に行き、面白い酒器に出合いました。中国大陸で今から3000年以上前、殷~西周の時代に作られた『亜醜方尊(あしゅうほうそん)』。
『尊』とは酒を盛る容器のことで、古代の祭礼に使われていた器物でした。専門家の解説によると、殷の青銅器は神人共棲(しんじんきょうせい=人間が神に近づこうとした)の社会を表現するもので、しかも殷時代の青銅器のほとんどは酒器だったそうです。
時代が進み、前漢時代に作られたのが『龍文玉角盃』。玉を細長く動物の牙に見立て、龍や雲の文様をほどこしたもので、神や仙人が住まう雲海の彼方を憧憬した当時の人々の思念を象徴しているのでしょう。
*亜醜方尊 http://www.npm.gov.tw/ja/Article.aspx?sNo=04001148
*龍文玉角盃 http://www.npm.gov.tw/ja/Article.aspx?sNo=04001072
美しさに感動したのは、中国陶磁器が芸術として華開いた北宋時代(11~12世紀)の『青磁輪花碗』。北宋の宮廷が造ったいわば国立の青磁窯・汝窯(かんよう)の傑作で、酒器を温めるために使われていたそうです。以前、台湾旅行をしたときに故宮博の汝窯コレクションに釘付けになったのですが、この花碗が酒器のための碗だったとは今回初めて気づきました。
*青磁輪花碗 http://www.npm.gov.tw/ja/Article.aspx?sNo=04001032
こうしてみると、つくづくお酒とは、人が神と向き合うときに必要不可欠な存在で、酒のうつわも聖なる存在だったと解ります。単なる生活容器ではなく、文明や民族の成り立ちや国家の威信といったドラスティックなステージで象徴となり得たんですね。
日本陶磁史研究家・荒川正明氏の著書『やきものの見方』(角川選書)の序文に、印象的な一文を見つけました。
「やきものをつくること、それは人類が初めて化学変化を応用して達成したもの。土や泥や石のような見栄えのしない原料が、炎の働きによって、人工の宝石ともいうべき、輝くばかりの光を放つ美しいうつわに生まれ変わるのである」
日本酒も同じかもしれません。もちろん、原料の米はけっして“見栄えのしない”シロモノではありませんが、日本人は米を有効活用する手段として、微生物醗酵の働きによってアルコールを生み出したのです。
酒とうつわとが、ともに神と人間の仲介役を担い続けてきた“同志”だと考えれば、酒造家と陶芸家はもっと近しい関係であってほしい・・・。故宮の神品を眺めながら、つらつら思いました。
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故宮博を観た後、酒器について書こうと思い立って、2組の陶芸家夫婦を訪ねました。
ひと組は伊豆の国市で【無畏庵(むいあん)】というしつらえ懐石の庵を営む安陪均さん絹子さん夫妻。均さんは伊豆の国市三福にある曹洞宗の古刹・中尾山福嚴院に生まれ、戦中、同院に疎開していた澤木興道老師の受戒で在家得度。老師を慕って参禅した松永安左エ門(電力王として知られた大物財界人)茶の湯の弟子となり、古美術収集家として名高い安左エ門から薫陶を受けました。大阪吉兆で8年、懐石料理を学び、出張料理人として活躍した後、実家の福嚴院に登り窯を築いてやきものを始めたという出色キャリアの持ち主です。
妻の絹子さんは静岡県の女性で初めて酒匠(日本酒ソムリエ)の資格を取得したきき酒達人。沼津で【一時来(ひととき)】という地酒バーを経営されていました。お二人は10年前に出会って結婚。福嚴院には懐石料理でもてなす茅葺の母屋、均さんの作品ギャラリーを兼ねた座禅堂、そして登り窯が併設され、絹子さんの“妹分”である私は、四季折々に酒を持参し“姉さんの嫁ぎ先”に遊びに行く、そんな関係です。
安陪均さんのギャラリー
さすが陶芸家と酒匠の“最強の二人”、こちらがお願いするまでもなく、古伊万里、マイセン、オールドノリタケ等、博物館級のアンティークに地酒を注いだり、自園の畑からもぎたての枝豆、もろこし、キュウリ、水なす、おくら、万願寺とうがらしをポンと盛り付けてくれました。
みずみずしい夏野菜や地酒の美味しさは器とは直接関係ないとはいえ、やはり何ともいえないご馳走気分を満喫できます。お2人のコレクションには17~19世紀のヨーロッパ古陶器やガラスアートも多く、とくに古伊万里の影響を受けたという1780年作マイセンの和柄デザインに目を惹かれました。
18世紀の和柄マイセン
私は夏らしい団扇をあしらった江戸後期の蕎麦猪口で、持参した磯自慢特別純米をどばっクイッ。絹子さんから「磁器は温度が変わりやすいから、なるべく小ぶりのお猪口がベター。大ぶりの器なら少量注ぐ。なみなみ注いじゃダメ」と注意されちゃいました(笑)。
安陪均さんの作品は、伊賀や信楽の土を使った重厚感ある焼きしめがメイン。絹子さん曰く「焼きしめの器は酒の温度を変えない。冷酒はいつまでも冷たく、燗酒はいつまでも温かい。焼きしめの花器に花をいけると、1週間ぐらい水を変えなくても大丈夫」とのこと。化学構造的なことはよくわかりませんが、厚みのある土ものは、断熱効果があるんでしょうね。逆に薄い磁器は熱伝導率が高いから、持ち手の体温が伝わり易いのでしょう。
古伊万里の碗に涼しげに乗せた安陪さんの焼きしめ徳利
一般に、薄い磁器には淡麗辛口の吟醸酒、焼きしめには濃醇旨口の純米酒が合うといわれますが、均さんご本人は、気に入ったものを好きに使って呑めばいいんだよ~とニコニコ顔。どのうつわで呑むのか観察していたら、「やっぱり米の酒には土ものの器が合うんだよねえ、同じ大地の恵だもんねえ」とひと言。日本の酒とうつわが“同志”であることを、皮膚感覚で理解されているんだなあと嬉しくなりました。
*しつらえ懐石 無畏庵
伊豆の国市三福743 TEL/FAX 0558-76-2851 (要予約)
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無畏庵を訪ねた2日後、静岡用宗のギャラリー文夢で開催していた【今宵堂の酒器展~登って十合、呑んで一升】という展示会に行きました。
酒器今宵堂というのは京都在住の若き陶芸家・上原連さん梨恵さん夫妻の町家窯。ギャラリー文夢のオーナー西野文雄さんが偶然、料理雑誌で知り、京都まで出向いて出展オファーされたそうで、静岡では今年で4回目の開催。私は3年前に静岡の飲食店で開かれた震災復興チャリティー酒宴で知己を得て、その後、京都の工房におじゃまし、時代劇に出てきそうな貧乏徳利を見つけて大はしゃぎしちゃいました。酒器専門の陶芸作家というのは貴重な存在で、蔵元や飲食店がオリジナル酒器を依頼することも多いそうです。
上原夫妻は全国各地で個展を開く際、その土地の名物や食文化を丁寧に調べ上げ、作品を創り上げます。静岡ではこれまで「東海道五十三次」「B級グルメ」「港まちにちなんだ白い器」をテーマにし、今回はずばり富士山。シンプルな富士山形状のぐい飲みから、かぐや姫伝説の竹、雪解けの山肌に現れる鳥の模様をイメージした肴皿、高台に熊よけの鈴が付いた酒盃など見ているだけでも楽しくなるものばかりで、西野さんも「こんなに遊び心がある作家は珍しい」と目を細めます。
今宵堂の富士山酒器
熊よけ鈴が付いた遊び心一杯の酒盃
今宵堂の作品からは、その土地の地域性を伝える地酒と、同じモチベーションを感じます。また、さまざまな酒造方法に挑戦し、ユニークな酒を醸そうとする新世代の酒造家たちを思い浮かべます。こういう“同志”たちの存在は、間違いなく酒の未来に希望を感じさせてくれますね。
*酒器今宵堂 http://www.koyoido.com/
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最近、日本酒の世界では、ワイングラスやカクテルグラスを使うのがトレンドのようで、ワイングラスで美味しい日本酒を表彰するコンテストもあります。日本酒の魅力を、いわゆる未開拓層である若者・女性・外国人等に発信するのに有効な手段とされていますが、せっかくなら日本のやきものの価値にも目を向けてほしいと思います。やきもののほうが日本酒よりも先にヨーロッパで評価されたのですから、その実績を活かさない手はないでしょう。
今、鑑評会やきき酒イベントで使われているのは、使い捨てのプラスチックカップかワンパターンの酒器グラス。これもそろそろ改善してほしいですね。MYぐいのみ持参とか酒盃デポジット(酒盃代を預け、後で返金してもらう)とか、地酒まつりと陶器市を同時開催するとか、いろいろとアイディアはあろうかと思います。ぜひご一考くださいませ!
Posted by 日刊いーしず at 12:00