2013年07月26日
第13回 和醸良酒
今回も、“開かれた酒蔵”を紹介しましょう。
日本酒の造り酒屋は創業100年以上の歴史を持つ老舗が多く、地域の暮らしの移り変わりとともに発展・継続してきました。島田市の大井神社東側にある大村屋酒造場は「若竹鬼ころし」「おんな泣かせ」で知られる銘醸。天保3年(1832)に創業し、東海道島田宿の蔵として発展し、島田市唯一の地酒の灯を守っています。それは、地域の人々に支えられ、灯された文化の光でもありました。

大村屋酒造場 外観
2011年3月に静岡県から発行された『文化支援活動レポート3・文化を支えるProject』で、私は大村屋酒造場が守ってきた“文化の光”について紹介しました。
レポートの発行時、東日本大震災が発生し、県内14団体、32ページに亘って取材した渾身のレポートを多くの人に紹介する機会を逸してしまいました。もとより、県内で文化支援政策にかかわる行政担当者や事業団体向けに作られたレポートで、一般の方の眼に留まる機会はほとんどありませんが、この場をお借りし、大村屋酒造場の記事の一部だけでも再掲させていただこうと思います。
「地域と共存共栄する酒蔵」を実践する。
地元の人々に“地酒の灯を消すな”と背を押され・・・
大村屋酒造場6代目当主・松永今朝二さんは昭和42年に入社し、義父で5代目当主松永始郎氏(故人)とともに伝統蔵の継承発展に努めてきた。
松永さんが入社した当時は、島田市に7軒の酒蔵があったが、地方の酒蔵経営が厳しくなり、島田市内でも廃業が相次ぐ。“最後の砦”となった松永さんを「最後の地酒の灯を消してくれるな」と激励したのは、島田市内の名士の集り「若竹会」だった。
この会で「慶長9年(1604)の大井川の氾濫で消滅した地酒・鬼ころしを復活させよう」と呼びかけ、今では蔵の看板銘柄である「若竹鬼ころし」が誕生。その5年後には、辛口の鬼ころしとは対照的にソフトでまろやかな「おんな泣かせ」が誕生した。粋な酒銘は、若竹会の宴席で島田の芸者さんのひと言だったという。これも静岡県を代表する人気銘柄に成長した。
音楽のまち島田をほうふつとさせる酒蔵コンサート
そんな経緯もあって、松永さんには地元島田への思いがひときわ強く、「地域の皆さんとともに共存共栄するのが地酒の使命」と明言する。
音楽好きの松永さんは10数年前、妻が師事するオルガンの先生に「蔵には独特の音響効果がある。何か演奏してみたら?」と勧められ、貯蔵タンクが並ぶ蔵で室内楽コンサートを企画した。100人が集まり、音楽ホールとはひと味違う、酒蔵に響くクラシックの音色を堪能した。
さらに「島田の七夕に賑わいを復活させたい」という町の声に応え、七夕の日に静岡大学のジャズバンドを招いて酒蔵コンサートを開催。蔵を開放し、生ライブを楽しんでもらった後は、樽詰めの生酒を無料でふるまった。

ステージ設営も七夕飾りもすべて社員の手作り。最近ではテノール歌手の加藤信行さん、中鉢聡さん、ザルツブルクのモーツァルテウム管弦楽団首席ホルン奏者シュヴァイガー氏といった ビッグネームもやってくる。松永さんの「出演料は出せないけど酒はたっぷり飲ませるよ」が口説き文句だといい、アーティスト自身も酒蔵の空間に魅力を感じ、手弁当で参加するという。
聴衆は年々増えて今では400人を超え、蔵の中に入りきれない人が路上で演奏に耳を傾けるということも。「島田市はもともと音楽好きの市民が多く、静岡市に市民会館が出来る前は、県下で唯一NHK交響楽団の演奏会が島田市民会館で開かれていた。音楽が身近にあった街なんです」と松永さん。今年(2011年)で14回目を数える七夕酒蔵コンサートは、島田市の夏の風物詩になった。

蔵に入りきれない聴衆
NY三ツ星フレンチレストランの地酒パーティーをきっかけに
松永さんは日本酒の蔵元として島田の食文化振興にも努めている。1999年、ニューヨークの三ツ星フレンチレストランで開かれた日本酒パーティーに招待されたとき、「若竹鬼ころし」がフレンチ料理と見事にマッチし、NYの食通たちに喜ばれる姿に感激する。NYナンバーワンの呼び声高いワインソムリエとシェフが事前に島田までやってきて蔵できき酒するなど準備も万全だった。「海外で島田の地酒がこれだけのもてなしを受けているのに、自分たちは地元では何もしていない」と実感した松永さんは、帰国後、蔵に隣接する大井神社宮美殿の調理長と協働で【島田の食と地酒を楽しむ会】を企画した。
翌年からは酒米作りで縁のある島田市初倉地区の農家、大井川奥のヤマメ養殖業者にも声を掛け、食事の合間に生産者の苦労話や地域の自然の価値などを解説してもらうなど、地産地消をテーマにした食文化の会に発展した。5000円のチケットは受付直後に定員満員となり、今では抽選制にせざるをえないほどの人気ぶりだ。
親子で体験学習、「お米とお酒の学校」開催
2005年からは親子対象の食育活動【お米とお酒の学校】を始めた。初倉の農家の協力で、5月に酒米の田植えをし、9月に稲刈り、3月に酒蔵工場見学を行う。子どもたちは田植えや稲刈り時に農家から米作りや田んぼの生態系などを聞き、バケツにひと株ずつ稲を持ち帰る。田んぼには自分の名前の立て札が立っているので、下校途中に様子を見に行くことも。田植えの日は午後、かかしづくりの体験。稲刈りの日は島田市金谷の伝統の志戸呂焼き工房で茶碗やぐい飲みづくりの体験。お酒が完成する3月にはオリジナルラベルをデザインして酒瓶に貼る。そんな稲作体験が、親子のコミュニケーションづくり、地域農業や酒造り・陶芸等のモノづくり文化を学ぶ好機にもつながっている。
酒蔵2階の文化発信基地「若竹サロン」
本社2階フロアは、貸しギャラリーとして市民に開放している。ここで2カ月に1度のペースで文化交流会「若竹サロン」を開催し、地元で活躍する学識経験者、経済人、文化人等を講師に招いてさまざまなトークときき酒を楽しんでもらう。蔵を支えてくれた「若竹会」の伝統がそこに息づいている。ギャラリーは、若い陶芸家や書家たちの作品発表の場にも活用している。
これら事業は参加者から費用をとらないか、必要最小限の実費しかとらず、企画や運営はすべて松永さんと社員でまかなっている。「スポンサーをつけたり補助金をもらったりすると、いろいろ制約が出てくるから」と苦笑いする松永さんだが、会社の“持ち出し分”は広報活動の範疇をゆうに超えている。その原動力は、数々の催しを通して、地域住民から寄せられる「自分たちが住む町に誇りが持てる、ぜひ続けてほしい」という声。「酒蔵が地域に存在する意義もそこにあります」と力を込める。
私は亡き5代目・松永始郎翁がお達者な頃から蔵へちょくちょくお邪魔しており、1997年の毎日新聞『しずおか酒と人』では、始郎さんと6代目今朝二さんの父子エピソードを紹介しました。自分でも特に気に入っている記事なので、ぜひご一読ください。
◆http://ginjyo-shizuoka.jp/suzuki_15.html

大村屋酒造場6代目・松永今朝二会長
現在、大村屋酒造場は今朝二さんの娘婿・孝廣さんが7代目をしっかり継承しています。県内の蔵元で3代に亘っておつきあいさせていただいているのは、今のところこの蔵だけでしょうか。今年7月7日の七夕酒蔵コンサートは、孝廣さんの企画でスイングジャズの演奏を楽しみました。クラシックが続いた今朝二さんの時代とはひと味違う、陽気でワクワクのノリが新鮮でした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
杜氏も世代交代しています。長年蔵を支えた歴代南部杜氏の薫陶を受けた社員の日比野哲さんが杜氏を継承しました。日比野さんは県内の蔵元では初めて、大学院の新卒入社で酒造り職人になった逸材です。日比野さんが醸した若竹純米大吟醸誉富士は、本コラム第9回「あまい金賞」(こちら)でも紹介したとおり、全国の舞台で、静岡県の酒の存在感を見事に示してくれました。
◆「あまい金賞」 http://sakazuki.eshizuoka.jp/e1070245.html
七夕酒蔵コンサートに集まった400人の市民に無料で振舞われた酒は、縁起のよい樽酒と、若い後継者を象徴するように新発売された誉富士60%精米の特別純米「鬼乙女」。ピンクボトルは春に発売された火入れバージョン、ブルーボトルは夏に発売する生酒バージョンです。この先、秋には冷やおろし、冬には新酒しぼりたてと、四季に合わせたバージョンで楽しませてくれます。

こんなふうに、松永孝廣さん、日比野哲さんと、外から入ってきた“新しい血”が、伝統蔵の活かし方をブレることなく前進させています。それは、ホテルマン出身の今朝二さんの“人間力”が、保守的な蔵の風土や、地域との関わり方・付き合い方に柔軟性を持たせた成果に相違ありません。酒造りの現場でも、職人同士のチームワークが大事であるように、一軒の酒蔵の暖簾を守っていくにも、血脈を超えた人と人の相互理解と結束力が必要なんですね。
七夕酒蔵コンサートを、社員総出で手作り準備し、継続させている大村屋酒造場には、理想の酒造りを示す「和醸良酒」という言葉がしっくりくるようです。地元に酒蔵があるっていいなあって、つくづく思います。
◆大村屋酒造場 公式サイト http://www.oomuraya.jp/
日本酒の造り酒屋は創業100年以上の歴史を持つ老舗が多く、地域の暮らしの移り変わりとともに発展・継続してきました。島田市の大井神社東側にある大村屋酒造場は「若竹鬼ころし」「おんな泣かせ」で知られる銘醸。天保3年(1832)に創業し、東海道島田宿の蔵として発展し、島田市唯一の地酒の灯を守っています。それは、地域の人々に支えられ、灯された文化の光でもありました。
大村屋酒造場 外観
2011年3月に静岡県から発行された『文化支援活動レポート3・文化を支えるProject』で、私は大村屋酒造場が守ってきた“文化の光”について紹介しました。
レポートの発行時、東日本大震災が発生し、県内14団体、32ページに亘って取材した渾身のレポートを多くの人に紹介する機会を逸してしまいました。もとより、県内で文化支援政策にかかわる行政担当者や事業団体向けに作られたレポートで、一般の方の眼に留まる機会はほとんどありませんが、この場をお借りし、大村屋酒造場の記事の一部だけでも再掲させていただこうと思います。
「地域と共存共栄する酒蔵」を実践する。
地元の人々に“地酒の灯を消すな”と背を押され・・・
大村屋酒造場6代目当主・松永今朝二さんは昭和42年に入社し、義父で5代目当主松永始郎氏(故人)とともに伝統蔵の継承発展に努めてきた。
松永さんが入社した当時は、島田市に7軒の酒蔵があったが、地方の酒蔵経営が厳しくなり、島田市内でも廃業が相次ぐ。“最後の砦”となった松永さんを「最後の地酒の灯を消してくれるな」と激励したのは、島田市内の名士の集り「若竹会」だった。
この会で「慶長9年(1604)の大井川の氾濫で消滅した地酒・鬼ころしを復活させよう」と呼びかけ、今では蔵の看板銘柄である「若竹鬼ころし」が誕生。その5年後には、辛口の鬼ころしとは対照的にソフトでまろやかな「おんな泣かせ」が誕生した。粋な酒銘は、若竹会の宴席で島田の芸者さんのひと言だったという。これも静岡県を代表する人気銘柄に成長した。
音楽のまち島田をほうふつとさせる酒蔵コンサート
そんな経緯もあって、松永さんには地元島田への思いがひときわ強く、「地域の皆さんとともに共存共栄するのが地酒の使命」と明言する。
音楽好きの松永さんは10数年前、妻が師事するオルガンの先生に「蔵には独特の音響効果がある。何か演奏してみたら?」と勧められ、貯蔵タンクが並ぶ蔵で室内楽コンサートを企画した。100人が集まり、音楽ホールとはひと味違う、酒蔵に響くクラシックの音色を堪能した。
さらに「島田の七夕に賑わいを復活させたい」という町の声に応え、七夕の日に静岡大学のジャズバンドを招いて酒蔵コンサートを開催。蔵を開放し、生ライブを楽しんでもらった後は、樽詰めの生酒を無料でふるまった。
ステージ設営も七夕飾りもすべて社員の手作り。最近ではテノール歌手の加藤信行さん、中鉢聡さん、ザルツブルクのモーツァルテウム管弦楽団首席ホルン奏者シュヴァイガー氏といった ビッグネームもやってくる。松永さんの「出演料は出せないけど酒はたっぷり飲ませるよ」が口説き文句だといい、アーティスト自身も酒蔵の空間に魅力を感じ、手弁当で参加するという。
聴衆は年々増えて今では400人を超え、蔵の中に入りきれない人が路上で演奏に耳を傾けるということも。「島田市はもともと音楽好きの市民が多く、静岡市に市民会館が出来る前は、県下で唯一NHK交響楽団の演奏会が島田市民会館で開かれていた。音楽が身近にあった街なんです」と松永さん。今年(2011年)で14回目を数える七夕酒蔵コンサートは、島田市の夏の風物詩になった。
蔵に入りきれない聴衆
NY三ツ星フレンチレストランの地酒パーティーをきっかけに
松永さんは日本酒の蔵元として島田の食文化振興にも努めている。1999年、ニューヨークの三ツ星フレンチレストランで開かれた日本酒パーティーに招待されたとき、「若竹鬼ころし」がフレンチ料理と見事にマッチし、NYの食通たちに喜ばれる姿に感激する。NYナンバーワンの呼び声高いワインソムリエとシェフが事前に島田までやってきて蔵できき酒するなど準備も万全だった。「海外で島田の地酒がこれだけのもてなしを受けているのに、自分たちは地元では何もしていない」と実感した松永さんは、帰国後、蔵に隣接する大井神社宮美殿の調理長と協働で【島田の食と地酒を楽しむ会】を企画した。
翌年からは酒米作りで縁のある島田市初倉地区の農家、大井川奥のヤマメ養殖業者にも声を掛け、食事の合間に生産者の苦労話や地域の自然の価値などを解説してもらうなど、地産地消をテーマにした食文化の会に発展した。5000円のチケットは受付直後に定員満員となり、今では抽選制にせざるをえないほどの人気ぶりだ。
親子で体験学習、「お米とお酒の学校」開催
2005年からは親子対象の食育活動【お米とお酒の学校】を始めた。初倉の農家の協力で、5月に酒米の田植えをし、9月に稲刈り、3月に酒蔵工場見学を行う。子どもたちは田植えや稲刈り時に農家から米作りや田んぼの生態系などを聞き、バケツにひと株ずつ稲を持ち帰る。田んぼには自分の名前の立て札が立っているので、下校途中に様子を見に行くことも。田植えの日は午後、かかしづくりの体験。稲刈りの日は島田市金谷の伝統の志戸呂焼き工房で茶碗やぐい飲みづくりの体験。お酒が完成する3月にはオリジナルラベルをデザインして酒瓶に貼る。そんな稲作体験が、親子のコミュニケーションづくり、地域農業や酒造り・陶芸等のモノづくり文化を学ぶ好機にもつながっている。
酒蔵2階の文化発信基地「若竹サロン」
本社2階フロアは、貸しギャラリーとして市民に開放している。ここで2カ月に1度のペースで文化交流会「若竹サロン」を開催し、地元で活躍する学識経験者、経済人、文化人等を講師に招いてさまざまなトークときき酒を楽しんでもらう。蔵を支えてくれた「若竹会」の伝統がそこに息づいている。ギャラリーは、若い陶芸家や書家たちの作品発表の場にも活用している。
これら事業は参加者から費用をとらないか、必要最小限の実費しかとらず、企画や運営はすべて松永さんと社員でまかなっている。「スポンサーをつけたり補助金をもらったりすると、いろいろ制約が出てくるから」と苦笑いする松永さんだが、会社の“持ち出し分”は広報活動の範疇をゆうに超えている。その原動力は、数々の催しを通して、地域住民から寄せられる「自分たちが住む町に誇りが持てる、ぜひ続けてほしい」という声。「酒蔵が地域に存在する意義もそこにあります」と力を込める。
私は亡き5代目・松永始郎翁がお達者な頃から蔵へちょくちょくお邪魔しており、1997年の毎日新聞『しずおか酒と人』では、始郎さんと6代目今朝二さんの父子エピソードを紹介しました。自分でも特に気に入っている記事なので、ぜひご一読ください。
◆http://ginjyo-shizuoka.jp/suzuki_15.html
大村屋酒造場6代目・松永今朝二会長
現在、大村屋酒造場は今朝二さんの娘婿・孝廣さんが7代目をしっかり継承しています。県内の蔵元で3代に亘っておつきあいさせていただいているのは、今のところこの蔵だけでしょうか。今年7月7日の七夕酒蔵コンサートは、孝廣さんの企画でスイングジャズの演奏を楽しみました。クラシックが続いた今朝二さんの時代とはひと味違う、陽気でワクワクのノリが新鮮でした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
杜氏も世代交代しています。長年蔵を支えた歴代南部杜氏の薫陶を受けた社員の日比野哲さんが杜氏を継承しました。日比野さんは県内の蔵元では初めて、大学院の新卒入社で酒造り職人になった逸材です。日比野さんが醸した若竹純米大吟醸誉富士は、本コラム第9回「あまい金賞」(こちら)でも紹介したとおり、全国の舞台で、静岡県の酒の存在感を見事に示してくれました。
◆「あまい金賞」 http://sakazuki.eshizuoka.jp/e1070245.html
七夕酒蔵コンサートに集まった400人の市民に無料で振舞われた酒は、縁起のよい樽酒と、若い後継者を象徴するように新発売された誉富士60%精米の特別純米「鬼乙女」。ピンクボトルは春に発売された火入れバージョン、ブルーボトルは夏に発売する生酒バージョンです。この先、秋には冷やおろし、冬には新酒しぼりたてと、四季に合わせたバージョンで楽しませてくれます。
こんなふうに、松永孝廣さん、日比野哲さんと、外から入ってきた“新しい血”が、伝統蔵の活かし方をブレることなく前進させています。それは、ホテルマン出身の今朝二さんの“人間力”が、保守的な蔵の風土や、地域との関わり方・付き合い方に柔軟性を持たせた成果に相違ありません。酒造りの現場でも、職人同士のチームワークが大事であるように、一軒の酒蔵の暖簾を守っていくにも、血脈を超えた人と人の相互理解と結束力が必要なんですね。
七夕酒蔵コンサートを、社員総出で手作り準備し、継続させている大村屋酒造場には、理想の酒造りを示す「和醸良酒」という言葉がしっくりくるようです。地元に酒蔵があるっていいなあって、つくづく思います。
◆大村屋酒造場 公式サイト http://www.oomuraya.jp/
Posted by 日刊いーしず at 12:00