2013年03月15日
第5回 かしこい酒粕
日本酒は、秋に米が収穫されてから本格的に仕込みが始まり、発酵をコントロールしやすい低温の時期に集中製造します。米洗いからスタートして酒を搾るまでが、だいたい1ヵ月~2ヶ月ぐらい。とくに温度管理に気を配り、時間をかけて丁寧に仕込む吟醸酒は年末~2月中旬が製造のピークで、今月後半から5月末ぐらいまで、各地で開かれる新酒鑑評会(品質コンテスト)で今期の出来栄えをチェックしたりします。
一方、我々飲み手にとって嬉しいのは、この時期、限定発売されるいろいろなタイプの新酒。にごりが混じった搾りたて、発酵を完全に止めずに炭酸を残した発泡酒、アルコール度数の高い生原酒など等です。搾って間もない酒は、酒造のイロハからいえば“未完成”状態なので、酒蔵でも酒屋さんでも販売期間を区切り、売り切ってしまいます。
酒造のイロハでは、搾った後の処理として、
(1) にごりを完全にとるために濾過をする。
(2) 酵母の働きを完全に止めるため火入れ(加熱殺菌)を行う。
(3) 水を足してアルコール度数を15~16度に調整する。
(4) 瓶詰前に再度火入れをする。
を行い、貯蔵をし、年間流通させます。ただし“変化球”として、(1)をはぶいたものを『無濾過』、(2)(4)をはぶいたものを『生酒』、(3)をはぶいたものを『原酒』、(2)をはぶいて(4)を行うものを『生貯蔵酒』として売ることもあります。合わせ技で『無濾過生原酒』なんてのもありますね。原料が米ですし、大きな味の差別化ができない分、製造工程の違いによって変化をつける日本のモノづくりらしい繊細さがうかがえます。これら“一部変化球酒”は品質が変化しやすいので、冷蔵保存が鉄則。一度開封したら、なるべく早く飲み切ってください。
それにしても、日本酒を買い慣れていない人にとっては“変化球”の種類が増えると混乱してしまいます。これに加え、酒造工程の前段階として、原料米の精米歩合や醸造アルコール添加の有無によって『大吟醸』『吟醸』『純米』『本醸造』『普通酒』などと区分けされるので、「日本酒はラベルの読み方が複雑で判りにくい」と思われるのも致し方ありません(こちらの区分けについては追々紹介します)。前段階と後処理、この組み合わせいかんで、一つの銘柄でも実にいろいろな種類の酒が、時期に応じて発売されます。酒造りのことを突っ込んで知りたいと思ったら、まずは、一つの銘柄で一年間発売されるラインナップを追いかけてみるのもいいと思います。
そうそう、酒屋さんや飲食店の中には、「1年経った搾りたて」とか「2年置いてみた無濾過生原酒」等など、蔵元の手から離れた後、熟成という工程を勝手に?加える変りモノがいますので、そういう売り手と仲良くなっておくと、レアな変り種にありつけると思います(笑)。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
さて、酒が搾られるということは、酒粕もたんまり出る!わけで、新酒が出揃う時期には、ぜひ、お近くの蔵元、酒店、スーパー等で酒粕を入手しておきましょう。大手メーカーがコストカットを目的に、酒粕をあまり出さない造り方をするようになったので、基本に忠実に、丁寧に造られた地酒の酒粕って、今、すごく希少価値があるんですよ。
静岡県の酒蔵では、原料の米を徹底的に洗ってきれいな蒸し米を造り、その蒸し米からいい麹、いいもろみを醸し出す。当然、酒を搾った残りの酒粕も雑味が少なく、風味が素晴らしい。蔵元によっては、もろみ100のうち、60~70%余を酒粕にしてしまい、酒は搾りに搾った真の滴だけ・・・というこだわった造り方をしています。昔は酒粕が多い=酒が少ない=下手な造り方というレッテルを貼られたそうですが、今は180度評価が変わりました。経営者が杜氏になるケースが増え、こういうぜいたくな酒造りも可能になったんですね。当然、原料にもこだわりの酒造好適米を使っていますので、酒粕がいいのも当たり前、というわけです。

写真左は吟醸バラ粕。吟醸酒はもろみを酒袋に入れて積み上げ、上からゆっくり圧力をかけて、自然に搾り出てくるのを溜める、という方法をとることが多いので、酒袋に残った粕もふんわりしっとりしています。期間限定ですが蔵元や地酒専門店で入手できます。吟醸酒の風味が残っているので、私はドリンクや鍋など“汁物”に使うようにしています。冷凍すれば1年は保ちます。
写真中央は板粕。吟醸酒よりも精米率の低い酒は、アコーディオンのような機械で強制圧縮させて搾ります。圧力が強い分、酒粕も板状になります。スーパーや量販店でも手に入りやすいですね。冷蔵でも1年保存OK。
写真右は板粕を3年冷蔵保存したもの。ナッツやチョコレートボンボンのような風味になります。これが意外に調味料として重宝するんですね。味噌やチーズなど他の発酵食品との相性もGOOD! 酒とみりんを加えてペースト状にすれば、粕漬の床になります。粕漬床は冷蔵保存し、1ヶ月ぐらいで使い切ってください。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
しずおか地酒研究会では、2004年の浜名湖花博「庭文化創造館」で、真夏の『雪見の庭』を眺めながら、静岡の蔵元が持参した酒粕を使って冷やし甘酒を提供し、多くの方に喜ばれました。このとき、酒粕の効能についていろいろ資料を集め、調べてみたところ、目からウロコのネタばかり! それまでは何といっても酒が大事で、粕は眼中になかったため(笑)、猛省させられました。
そもそも酒粕とは、酒のもろみを搾った後、役目を終えた酵母や、清酒にならなかったデンプン、たんぱく質、ビタミン類のかたまり。脳の活性化に効果のあるグルタミン酸、疲労回復に効果のあるアスパラギン酸、メラニン生成を抑制するシステイン、体内で合成できない必須アミノ酸のロイシン(肝機能強化)、リジン(脂肪燃焼や鎮静作用)、アルギリン(免疫力向上)等、20種類以上のアミノ酸がバランスよく含まれます。米に比べ、アミノ酸の総量はなんと583倍。ビタミンB2は26倍、B6は47倍というグレードです。
アミノ酸が豊富ということは、肌の保湿力や美白効果を促進してくれます。もちろん頭髪にもいい。さらに、アレルギー症状をやわらげ、高血圧抑制やボケ防止にも効果があるといわれる優秀な酵素ペプチド、ヨーロッパでは抗うつ剤に使われるS-アデノシルメチオニン等の有効成分も。江戸時代、甘酒は夏の滋養強壮のために飲まれ、夏の季語にもなっていましたから、先人たちは経験則として解っていたんですねえ。
そして今、酒粕の有効成分として注目されているのが、2010年秋にNHKためしてガッテン酒粕特集で紹介された「レジスタントプロテイン」。食物繊維のように消化されにくい性質を持つたんぱく質で、体内に入ると、消化されずにそのまま小腸に行き、食物の脂質と結びついて、そのまま体外へ排出させるというのです。排出=大便はいつもより脂質が多くなるので、お通じがスルッとなって、便秘改善 → ダイエットの味方!に。
脂っこいものを食べるとき気になる“悪玉コレステロール”も、レジスタントプロテインが抱え込んで排出してくれるので、コレステロール数値が下がり、血液がサラサラ → 動脈硬化予防につながります。
自分は手遅れだけど(涙)、20~30代の早いうちから常食しておけば、成人病のリスク軽減になると思います。ぜひ酒粕を常備食材にして、賢く利活用してください。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
さて、2004年の浜名湖花博ではキッチンディレクターの田米嘉宏さん(浜名湖ロイヤルホテル調理部)が甘酒作りや酒粕デザートレシピを担当してくれました。日ごろお世話になっている蔵元の奥様たちからも、アイディアレシピを教えてもらっていますので、いくつかご紹介しましょう。
★甘酒の作り方★
酒粕350gに対して、水1ℓ、上白糖140g、塩小さじ2分の1を用意。酒粕を鍋に一度に入れると焦げやすいので、ボールなどで少量ずつ溶かして鍋に移し、最後に上白糖と塩で味付けすると、上手に仕上がります。暖かい季節は冷やし甘酒にしたり、レモン汁を加えて凍らせてシャーベットにしてもGOOD!
★豆乳甘酒★

甘酒を作る時、水を豆乳にします。レジスタントプロテインに大豆プロテインが加わり、強力な健康ドリンクに! 私は、新鮮な吟醸粕が入手できたときは、ミキサーに豆乳200CC、酒粕20グラム、ハチミツ少々を入れて攪拌させ、スムージー感覚で飲んじゃいます。加温すると死滅しちゃう酵母が活かされるし、風味もバツグン。朝の快便間違いなし! ただし微量ですがアルコール分がそのまま残りますので注意してください。
★酒粕ピザ★

板状の酒粕にとろけるチーズを乗せてオーブントースターで6~7分。トースト代わりになります。バラ粕ならギョウザの皮に乗せて、ハーブソルトとオリーブオイルをふりかけ、トースターで3分。簡単なおつまみになります。
★酒粕と味噌のカナッペ★
材料/フランスパン、酒粕30g、田舎味噌20g、上白糖10g、万能ネギの小口切り大さじ1、日本酒大さじ1)
(1)フランスパンを5ミリ厚に切ってオーブンで軽く空焼きします。
(2)酒粕、味噌、上白糖、日本酒、ネギを混ぜ合わせます。一緒に呑む酒の味に合わせて甘さを加減するとよいです。個人的には、ちょっと砂糖多めにするほうが酒の味がひきたつかなあ・・・。
(3)パンに(2)を塗り、オーブンで焼き色が付くまで(7~10分程度)焼きます。和風に徹したかったら、パンを油揚げに代えてもOK。
★酒粕サブレ(60~70個分)★

酒宴向けのひと手間かけたデザート。バター60gを常温に戻し、酒粕150gとなじませ、グラニュー糖200gを加える。振るった薄力粉250gを加えて、こねずにざっくり合わせます。棒状に伸ばして適当な数に切り、160度のオーブンで10~15分焼きます。
★かんたん酒粕鍋★

今冬の寒さはコレでしのぎました。土鍋に湯を沸かし、こぶ茶(だし代わり)、酒粕、味噌少々を融かし、適当に具材を煮込むだけ。とくにお気に入りの芽キャベツは甘さがグンと増します。こぶ茶をコンソメに代え、酒粕+味噌+バター+牛乳でホワイトシチューにしてもよし。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
昨年来の塩麹ブームで、今、改めて、酒粕の効能にスポットライトがあたっています。わさび漬けを常食している静岡人ならば、酒粕の味にも慣れていると思いますが、前述のとおり、酒粕自体、品薄になっていて、わさび漬け屋さんもよい酒粕を求めて必死。市販に回る酒粕の量は年々減っていますから、油断できません。
それより何より、日本酒の製造量が減ってしまうと、酒粕自体も減ってしまいます。万能食材である酒粕を末永く常用するには、日本酒をしっかり飲んで、買い支えていくしかありません!・・・と自己弁護する私の杯は、今夜も眠れそうにありません。
一方、我々飲み手にとって嬉しいのは、この時期、限定発売されるいろいろなタイプの新酒。にごりが混じった搾りたて、発酵を完全に止めずに炭酸を残した発泡酒、アルコール度数の高い生原酒など等です。搾って間もない酒は、酒造のイロハからいえば“未完成”状態なので、酒蔵でも酒屋さんでも販売期間を区切り、売り切ってしまいます。
酒造のイロハでは、搾った後の処理として、
(1) にごりを完全にとるために濾過をする。
(2) 酵母の働きを完全に止めるため火入れ(加熱殺菌)を行う。
(3) 水を足してアルコール度数を15~16度に調整する。
(4) 瓶詰前に再度火入れをする。
を行い、貯蔵をし、年間流通させます。ただし“変化球”として、(1)をはぶいたものを『無濾過』、(2)(4)をはぶいたものを『生酒』、(3)をはぶいたものを『原酒』、(2)をはぶいて(4)を行うものを『生貯蔵酒』として売ることもあります。合わせ技で『無濾過生原酒』なんてのもありますね。原料が米ですし、大きな味の差別化ができない分、製造工程の違いによって変化をつける日本のモノづくりらしい繊細さがうかがえます。これら“一部変化球酒”は品質が変化しやすいので、冷蔵保存が鉄則。一度開封したら、なるべく早く飲み切ってください。
それにしても、日本酒を買い慣れていない人にとっては“変化球”の種類が増えると混乱してしまいます。これに加え、酒造工程の前段階として、原料米の精米歩合や醸造アルコール添加の有無によって『大吟醸』『吟醸』『純米』『本醸造』『普通酒』などと区分けされるので、「日本酒はラベルの読み方が複雑で判りにくい」と思われるのも致し方ありません(こちらの区分けについては追々紹介します)。前段階と後処理、この組み合わせいかんで、一つの銘柄でも実にいろいろな種類の酒が、時期に応じて発売されます。酒造りのことを突っ込んで知りたいと思ったら、まずは、一つの銘柄で一年間発売されるラインナップを追いかけてみるのもいいと思います。
そうそう、酒屋さんや飲食店の中には、「1年経った搾りたて」とか「2年置いてみた無濾過生原酒」等など、蔵元の手から離れた後、熟成という工程を勝手に?加える変りモノがいますので、そういう売り手と仲良くなっておくと、レアな変り種にありつけると思います(笑)。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
さて、酒が搾られるということは、酒粕もたんまり出る!わけで、新酒が出揃う時期には、ぜひ、お近くの蔵元、酒店、スーパー等で酒粕を入手しておきましょう。大手メーカーがコストカットを目的に、酒粕をあまり出さない造り方をするようになったので、基本に忠実に、丁寧に造られた地酒の酒粕って、今、すごく希少価値があるんですよ。
静岡県の酒蔵では、原料の米を徹底的に洗ってきれいな蒸し米を造り、その蒸し米からいい麹、いいもろみを醸し出す。当然、酒を搾った残りの酒粕も雑味が少なく、風味が素晴らしい。蔵元によっては、もろみ100のうち、60~70%余を酒粕にしてしまい、酒は搾りに搾った真の滴だけ・・・というこだわった造り方をしています。昔は酒粕が多い=酒が少ない=下手な造り方というレッテルを貼られたそうですが、今は180度評価が変わりました。経営者が杜氏になるケースが増え、こういうぜいたくな酒造りも可能になったんですね。当然、原料にもこだわりの酒造好適米を使っていますので、酒粕がいいのも当たり前、というわけです。
写真左は吟醸バラ粕。吟醸酒はもろみを酒袋に入れて積み上げ、上からゆっくり圧力をかけて、自然に搾り出てくるのを溜める、という方法をとることが多いので、酒袋に残った粕もふんわりしっとりしています。期間限定ですが蔵元や地酒専門店で入手できます。吟醸酒の風味が残っているので、私はドリンクや鍋など“汁物”に使うようにしています。冷凍すれば1年は保ちます。
写真中央は板粕。吟醸酒よりも精米率の低い酒は、アコーディオンのような機械で強制圧縮させて搾ります。圧力が強い分、酒粕も板状になります。スーパーや量販店でも手に入りやすいですね。冷蔵でも1年保存OK。
写真右は板粕を3年冷蔵保存したもの。ナッツやチョコレートボンボンのような風味になります。これが意外に調味料として重宝するんですね。味噌やチーズなど他の発酵食品との相性もGOOD! 酒とみりんを加えてペースト状にすれば、粕漬の床になります。粕漬床は冷蔵保存し、1ヶ月ぐらいで使い切ってください。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
しずおか地酒研究会では、2004年の浜名湖花博「庭文化創造館」で、真夏の『雪見の庭』を眺めながら、静岡の蔵元が持参した酒粕を使って冷やし甘酒を提供し、多くの方に喜ばれました。このとき、酒粕の効能についていろいろ資料を集め、調べてみたところ、目からウロコのネタばかり! それまでは何といっても酒が大事で、粕は眼中になかったため(笑)、猛省させられました。
そもそも酒粕とは、酒のもろみを搾った後、役目を終えた酵母や、清酒にならなかったデンプン、たんぱく質、ビタミン類のかたまり。脳の活性化に効果のあるグルタミン酸、疲労回復に効果のあるアスパラギン酸、メラニン生成を抑制するシステイン、体内で合成できない必須アミノ酸のロイシン(肝機能強化)、リジン(脂肪燃焼や鎮静作用)、アルギリン(免疫力向上)等、20種類以上のアミノ酸がバランスよく含まれます。米に比べ、アミノ酸の総量はなんと583倍。ビタミンB2は26倍、B6は47倍というグレードです。
アミノ酸が豊富ということは、肌の保湿力や美白効果を促進してくれます。もちろん頭髪にもいい。さらに、アレルギー症状をやわらげ、高血圧抑制やボケ防止にも効果があるといわれる優秀な酵素ペプチド、ヨーロッパでは抗うつ剤に使われるS-アデノシルメチオニン等の有効成分も。江戸時代、甘酒は夏の滋養強壮のために飲まれ、夏の季語にもなっていましたから、先人たちは経験則として解っていたんですねえ。
そして今、酒粕の有効成分として注目されているのが、2010年秋にNHKためしてガッテン酒粕特集で紹介された「レジスタントプロテイン」。食物繊維のように消化されにくい性質を持つたんぱく質で、体内に入ると、消化されずにそのまま小腸に行き、食物の脂質と結びついて、そのまま体外へ排出させるというのです。排出=大便はいつもより脂質が多くなるので、お通じがスルッとなって、便秘改善 → ダイエットの味方!に。
脂っこいものを食べるとき気になる“悪玉コレステロール”も、レジスタントプロテインが抱え込んで排出してくれるので、コレステロール数値が下がり、血液がサラサラ → 動脈硬化予防につながります。
自分は手遅れだけど(涙)、20~30代の早いうちから常食しておけば、成人病のリスク軽減になると思います。ぜひ酒粕を常備食材にして、賢く利活用してください。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
さて、2004年の浜名湖花博ではキッチンディレクターの田米嘉宏さん(浜名湖ロイヤルホテル調理部)が甘酒作りや酒粕デザートレシピを担当してくれました。日ごろお世話になっている蔵元の奥様たちからも、アイディアレシピを教えてもらっていますので、いくつかご紹介しましょう。
★甘酒の作り方★
酒粕350gに対して、水1ℓ、上白糖140g、塩小さじ2分の1を用意。酒粕を鍋に一度に入れると焦げやすいので、ボールなどで少量ずつ溶かして鍋に移し、最後に上白糖と塩で味付けすると、上手に仕上がります。暖かい季節は冷やし甘酒にしたり、レモン汁を加えて凍らせてシャーベットにしてもGOOD!
★豆乳甘酒★

甘酒を作る時、水を豆乳にします。レジスタントプロテインに大豆プロテインが加わり、強力な健康ドリンクに! 私は、新鮮な吟醸粕が入手できたときは、ミキサーに豆乳200CC、酒粕20グラム、ハチミツ少々を入れて攪拌させ、スムージー感覚で飲んじゃいます。加温すると死滅しちゃう酵母が活かされるし、風味もバツグン。朝の快便間違いなし! ただし微量ですがアルコール分がそのまま残りますので注意してください。
★酒粕ピザ★

板状の酒粕にとろけるチーズを乗せてオーブントースターで6~7分。トースト代わりになります。バラ粕ならギョウザの皮に乗せて、ハーブソルトとオリーブオイルをふりかけ、トースターで3分。簡単なおつまみになります。
★酒粕と味噌のカナッペ★
材料/フランスパン、酒粕30g、田舎味噌20g、上白糖10g、万能ネギの小口切り大さじ1、日本酒大さじ1)
(1)フランスパンを5ミリ厚に切ってオーブンで軽く空焼きします。
(2)酒粕、味噌、上白糖、日本酒、ネギを混ぜ合わせます。一緒に呑む酒の味に合わせて甘さを加減するとよいです。個人的には、ちょっと砂糖多めにするほうが酒の味がひきたつかなあ・・・。
(3)パンに(2)を塗り、オーブンで焼き色が付くまで(7~10分程度)焼きます。和風に徹したかったら、パンを油揚げに代えてもOK。
★酒粕サブレ(60~70個分)★

酒宴向けのひと手間かけたデザート。バター60gを常温に戻し、酒粕150gとなじませ、グラニュー糖200gを加える。振るった薄力粉250gを加えて、こねずにざっくり合わせます。棒状に伸ばして適当な数に切り、160度のオーブンで10~15分焼きます。
★かんたん酒粕鍋★

今冬の寒さはコレでしのぎました。土鍋に湯を沸かし、こぶ茶(だし代わり)、酒粕、味噌少々を融かし、適当に具材を煮込むだけ。とくにお気に入りの芽キャベツは甘さがグンと増します。こぶ茶をコンソメに代え、酒粕+味噌+バター+牛乳でホワイトシチューにしてもよし。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
昨年来の塩麹ブームで、今、改めて、酒粕の効能にスポットライトがあたっています。わさび漬けを常食している静岡人ならば、酒粕の味にも慣れていると思いますが、前述のとおり、酒粕自体、品薄になっていて、わさび漬け屋さんもよい酒粕を求めて必死。市販に回る酒粕の量は年々減っていますから、油断できません。
それより何より、日本酒の製造量が減ってしまうと、酒粕自体も減ってしまいます。万能食材である酒粕を末永く常用するには、日本酒をしっかり飲んで、買い支えていくしかありません!・・・と自己弁護する私の杯は、今夜も眠れそうにありません。
Posted by 日刊いーしず at 12:00
2013年03月01日
第4回 17歳の酒縁
3月1日はしずおか地酒研究会の17回目の誕生日です。人間でいえばセブンティーン、思春期盛りの高校生ですね。たぶん祝ってくれるヒトはいないと思うので(笑)、この場を借りてセルフ・ハッピーバースデーをさせてください。
静岡の酒の造り手・売り手・飲み手の交流を目指し、1996年3月1日に誕生したしずおか地酒研究会。きっかけは、前年の秋、静岡市立南部図書館の食文化講座を担当していた市の職員から「地酒を取り上げたい」と相談され、企画を請け負ったことでした。
先月、17年ぶりに静岡市役所から声をかけてもらって、静岡おでんフェアの協賛イベント・しずおか早春の楽市2013の会場内(葵スクエア)に、しずおか地酒研究会で燗酒ブース『暖杯!しずおか地酒屋台』を出店したのですが、担当者から「市庁内で、酒呑みのスズキさんって知っている人が多くてビックリしましたよ」と言われ、赤面したと同時に、17年前の発足当時のこと、その前年の食文化講座のことを懐かしく思い出しました。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
静岡市立南部図書館の食文化講座『静岡の地酒』では、講師に、このお2人しかいないというビッグネーム、静岡県酒造組合専務理事(当時)で静岡酒の生き字引のような存在だった栗田覚一郎さん、『静岡酵母』の開発で知られる静岡県静岡工業技術センター(当時)の河村傳兵衛さんをお招きし、2回に分け、静岡酒の歩みから酵母開発秘話まで幅広く解説していただきました。

1995年11月 静岡市立南部図書館食文化講座「静岡の地酒」
お2人とも頑固なスペシャリストで、一般市民に合わせて話のレベルを手加減・調整するような方々ではありませんが、おかげさまで講座は大好評で、会場は定員オーバーの聴講者で熱気にあふれ、終了後は「もっと地酒の情報を」「カネをとっていいから続けてくれ」という声をいただきました。そこで、年末年始にいろいろ構想し、96年1月末には酒の取材でお世話になっていた関係者、知己のあるマスコミ人、文化事業担当者等に集まってもらって相談会をもうけ、3月1日、研究会の発足、と相成ったのです。
一般にお披露目する発会パーティーは、静岡県清酒鑑評会授賞式で酒造関係者が静岡市内に一堂に集まる日にあわせ、3月22日、静岡県男女共同参画センターあざれあ調理実習室で開きました。地域の伝統食を研究・伝承している静岡市生活改善グループ連絡協議会(農家の主婦の皆さん)が朝採り山野草を材料にした酒肴をその場で作ってくれて、県内蔵元の皆さんが新酒を持ち寄り、酒友たちがボランティアで受付や会場設営をしたホントの手作りパーティーでした。当時、まだ『地産地消』『地域資源』なんて言葉はありませんでしたが、あの日に集まった酒も食も人も、100%地元産の地域資源でした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
しずおか地酒研究会の当初のプログラムは、図書館講座の延長のような感じで、酒米の研究者、マーケティング専門家、酒の評論家等を招いての「地酒塾」や消費者代表によるシンポジウムなど。2年活動した後、当時、静岡新聞出版局にいらした平野斗紀子さんの尽力で、会員情報をベースにしたガイドブック『地酒をもう一杯』を静岡新聞社から出版しました。その後は“塾”なんて上から目線のお題目はやめて、フランクに楽しめる酒蔵巡りや居酒屋さんをはしごする“地酒サロン”に切り替え、不定期に続けています。栗田・河村両巨頭から「酒のことでカネもうけしようなんて、ゆめゆめ思うな」とクギをさされていたので、研究会はまったくの非営利活動。必要経費を参加費用としていただく形でやっています。
バブル崩壊以降のフリーランスライター稼業と併行しての活動は、決して楽ではありませんが、自分が運よく取材で出会えて感動した酒の味、造り手の精神を、多くの人に直に紹介し、感動を共有し合う・・・これは、もう、ライター稼業だけではできない経験です。発足間もない頃、『開運』の蔵元・土井清愰社長が、会の“効能”を「地元のいい酒を楽しい雰囲気で呑んでいると、隣に座った初対面の人が長年の親友のような気分になる。お茶やまんじゅうじゃこうはいかない」と評価してくださいましたが、地酒は人と人をつなげ、地域コミュニケーションを円滑に、そして実に豊かにしてくれるんですね。今では、会に参加していた売り手(酒販店や飲食店)の多くが、独自に酒の会やイベントを開くようになり、酒の業界の外から投じた“貧者の一灯”が少しずつ結実していくようでワクワクしています。
しずおか地酒研究会の発足当時の経緯については、こちらの記事もぜひご覧ください。
http://ginjyo-shizuoka.jp/suzuki_09.html
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
さて、前述のとおり、私がしずおか地酒研究会をスタートさせたのが1996年3月1日。その前の日のことです。研究会の応援団のお一人、喜久醉(藤枝市上青島)の蔵元・青島秀夫社長のもとに若い農家が突然やってきました。今は、喜久醉の看板商品『純米大吟醸松下米』の米で知られる松下明弘さんです。4年前のある講演会で松下さん、喜久醉の杜氏で専務の青島孝さんと鼎談し、当時のことを語っています。講演録を再掲してみましょう。

1997年から毎年10月に発売している喜久酔松下米シリーズ
鈴木 ―私が「しずおか地酒研究会」の発会式を、「あざれあ」の会議室で行ったのは1996年3月1日でした。その前日か前々日に、松下さんは青島酒造に酒米のことを聞きたいと訪ねたんですよね?
松下 ―96年2月29日だから前日ですね。その3年前に親父がガンで亡くなり、後を継いで専業農家になろうと、いろいろな設備を直したり機械をそろえたりしていた頃でした。
海外青年協力隊に参加し、アフリカから帰ってきたとき、近所の酒屋で買った日本酒を呑んだらびっくりするほどうまかった。行く前に呑んでいた日本酒というのは、いわゆる大手の酒でひどい酔い方をしました。たまたま行った酒屋にいい地酒が置いてあったのがよかったんですが、いろいろな地酒を呑み比べてみて、一番気に入ったのが喜久醉だった。呑んで何もひっかかりがなく、体にスーッと溶け込んでいく美味しい酒だった。どうせ専業で米を作るならこういう酒の原料になるような米も作りたいと思いました。で、裏貼りを見たら、「なんだ、うちから一番近い酒蔵じゃないか」と気がついた。青島酒造(藤枝市上青島)とうちは(藤枝市青南町)は、もともと同じ村なんです。
帰国後はしばらく会社勤めをしながら親父の農業を手伝っていたんですが、親父が亡くなったことで専業農家になろうと腹をくくり、96年2月28日にそれまで勤めていた会社を辞め、翌3月から心機一転スタートだと決めていました。ところがこの年はうるう年で、2月29日まであることに気がつき、1日ぽっかり空いてしまった。で、一度酒蔵というところを見てみようと思い切って訪ねてみたんです。
鈴木 ―アポなしでフラッと訪ねたんですよね。後で青島酒造の奥さんから「いきなり変な子が来てビックリした」と聞きました(笑)。
松下 ―「今日から専業農家になるんですけど、酒米について教えてくれるところがわからないので、酒蔵へ行けば教えてくれるかなと思って来ました」と切り出しました。青島酒造の社長は仕事の手を休めて30~40分、酒米の話をひととおりしてくれました。
話の流れで、社長が「自分は旅行が好きでね」と言い、「最近どこに行ったんですか」と聞いたら「ケニアに行ってきたんだよ、アフリカが好きでね」と社長。私「じゃあキリマンジャロにも?」、社長「もちろん」、私「どこのルートから入りました?」、社長「なに、君、知っているの?行ったことあるの?」、私「アフリカに住んでました」、社長「!?」(笑)。
で、そこから2時間、延々アフリカの話で大盛り上がりでした。後から奥さんに聞いたんですが、社長が周囲に「アフリカに行ってきた」と話しても、誰も行ったことがないから想像がつかず、まともに聞いてくれる人がいなかったそうで、アフリカ話ができる相手がいきなり現われて、初めて会った相手とは思えないぐらい意気投合した、と喜んでいたそうです。
鈴木 ―そして翌日の3月1日、しずおか地酒研究会の発会式で、青島社長から「昨日、うちに来たばかりの変なやつだけど、面白いから連れて行く」と連絡をもらい、そこで初めて松下さんとお会いしました。
発会式で私は、会のスローガンを“造り手・売り手・飲み手の和”と掲げました。ビールやワインや焼酎は、造りの現場で職人の顔を気軽に見ることはできないけど、日本酒の蔵元は、昔は町内に1軒はあったぐらい、地域に溶け込んでいる存在で、造り手の顔がよく見える。ところが、国内はおろか静岡でも、地元で日本酒を造っていることを知らない人が多い。それはとてもモッタイナイ話だと思っていました。地域だからこそ、酒を造っている蔵元、紹介する小売店や飲食店、そして受け取る消費者である私たちが相互理解し、交流を広げる場ができると考えたのです。
そんな宣言をしたところ、松下さんが「米農家が入っていないのはおかしい」と口を挟んできた。昨日初めて酒蔵にやってきて、これから酒米づくりに挑戦しようという奴が、何を生意気なことを・・・とカチンと来ましたが(笑)、とにかく松下さんの初めての酒米づくり…しかも青島の社長から「どうせ作るなら一番難しい山田錦を作ってみろ、失敗しても自分がポケットマネーで買い取ってやる」と背を押されたと聞いて、それなら会の仲間で応援しようじゃないかということになり、何度も田んぼに通って田植えを手伝ったり、草取りしたり山田錦研究の先生を招いたりして、秋の稲刈りを迎えたのです。
ニューヨークで投資顧問の仕事をされていた孝さんが帰国したのは、その稲刈り直前の、96年10月初旬でしたね。家の近所の田んぼでおかしな連中が盛り上がっているのを見て、さぞかしビックリしたでしょう?(笑)。
青島 ―松下さんとうちの社長が初めて出会ってアフリカ話で盛り上がり、真弓さんがしずおか地酒研究会を作ったころ、自分はニューヨークでこのままでいいのかと悩み苦しんでいました(苦笑)。自分が大切にして行きたいと思うのはカネでは買えないものだと思い始めていた。松下さんが最終的に行きついたのは故郷の田んぼだったということと、同じ思いだったかも知れません。
ただ、すんなり実家の酒蔵へ戻ることを決めたわけではなくて、100年200年と長い年月をかけて生き残っていくモノづくりの世界・・・たとえば自然と携わる植林や森づくりみたいな仕事に憧れました。酒造りもそうなのかなと思いましたが、一度は拒否した世界だし、ニューヨークに渡った時は、「(家業から)逃げきった」とまで思ってましたから(苦笑)。
鈴木 ―確か、宮大工の仕事にも憧れたと聞きましたが?
青島 ―そう、職人の技が数百年経っても息づくようなモノづくりの世界ですよね。そんなとき、母親から「変わった農家の人が来たよ」「お父さんの心臓の具合がよくなくてね・・・」という手紙をもらい、改めて故郷で酒を造るという仕事を真正面から考えるようになりました。
思えば、自分の故郷には大切なものがたくさんある。酒造りに欠かせないも のはなんといっても良質の水ですね。
鈴木 ―先ほど観ていただいた『吟醸王国しずおか』パイロット版で、いくつかの酒蔵の米洗いのシーンを立て続けにつないでみたのですが、あんなに水をぜいたくに使える地域というのは実は貴重で、日本では、名水地といわれるところでも、水量が乏しいことが多いそうですね。
青島 ―その意味で、酒造りというのは、その土地のいい水を守り、農業を守ることにつながると気づきました。この仕事が、何百年という年月の間、酒に携わる多くの人々の知恵や技に支えられて成り立っていると思った時、自分の代で簡単に辞めてはいけないんじゃないかと。
現実的には、収入は10分の1ぐらいになるわけで、相応の葛藤はありましたが(苦笑)、帰ったのはちょうど松下さんの稲刈りの1週間ぐらい前でしたね。その直前、父に帰ると伝えたとき、最初は「ニューヨークで何か失敗していられなくなって逃げ帰ってくるのか」と反対されたんですよ(苦笑)。

1996年10月5日 松下さん(左)、青島さん(中央)と初めて呑んだ日

2010年8月 それぞれ貫禄?がついた3人
松下さんの米作り、青島さんの酒造りについては、例年10月の『喜久醉純米大吟醸松下米』の発売時にじっくりご紹介するとして、彼らとの不思議な出会いと、ともに歩んだ時間、交わした杯の数や深さが、しずおか地酒研究会のエネルギー源になっていたのは確かです。2人の活躍を見るにつけ、自分は彼らに恥ずかしくない仕事が出来ているだろうか・・・とわが身を振り返り、落ち込んだり励まされたりの毎日。栗田・河村両巨頭がしずおか地酒研究会を“出産”させてくれた産科医ならば、松下・青島コンビは、日頃の体調チェックをしてくれる、かかりつけ医のような存在かな(笑)。変な喩えでスミマセン。でもこういう同志が傍にいてくれたからこその17年なんです。
先月のしずおか地酒研究会・燗酒ブース『暖杯!しずおか地酒屋台』には、松下さんと平野さんが駆け付けて、一緒に地酒のプレゼンテーションをしてくれました。松下さんは17年前と変わらない、「どっから来るの?その自信」と呆れてしまうほど(苦笑)の、歯に衣着せぬ明快な物言い。心底嬉しくなりました。
燗酒ブースの出店協力してくれた長島酒店さん、丸河屋酒店さんとも長いつきあいです。酒縁というのは、大切に育てていけば、ほんとうに地域を支える強靭な力になるに違いない、とあらためて確信しました。

おでんフェアの協賛イベント「暖杯!しずおか地酒屋台」に助っ人で来て
くれた松下さん(左から2人目)、「たまらん」の平野さん(3人目)
それでも、しずおか地酒研究会は、まだ17歳。ほんとうの酒の価値を語れるオトナになるには、まだまだ修業が必要です。時代や状況が変わっても、新しい酒縁にワクワクする気持ちを忘れず、活動を続けていきたい、と思っています(長々、回顧話に終始しちゃってごめんなさい)。
◆松下×青島×スズキの鼎談はこちらをご参照ください。
『杯が乾くまで~見直そう地のモノ・地のヒト・ふるさとの価値』
http://mayumi-s-jizake.blogzine.jp/blog/2009/07/post_d7c2.html
http://mayumi-s-jizake.blogzine.jp/blog/2009/07/post_6bbd.html
▼日本農業新聞に紹介されたしずおか地酒研究会発会式
静岡の酒の造り手・売り手・飲み手の交流を目指し、1996年3月1日に誕生したしずおか地酒研究会。きっかけは、前年の秋、静岡市立南部図書館の食文化講座を担当していた市の職員から「地酒を取り上げたい」と相談され、企画を請け負ったことでした。
先月、17年ぶりに静岡市役所から声をかけてもらって、静岡おでんフェアの協賛イベント・しずおか早春の楽市2013の会場内(葵スクエア)に、しずおか地酒研究会で燗酒ブース『暖杯!しずおか地酒屋台』を出店したのですが、担当者から「市庁内で、酒呑みのスズキさんって知っている人が多くてビックリしましたよ」と言われ、赤面したと同時に、17年前の発足当時のこと、その前年の食文化講座のことを懐かしく思い出しました。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
静岡市立南部図書館の食文化講座『静岡の地酒』では、講師に、このお2人しかいないというビッグネーム、静岡県酒造組合専務理事(当時)で静岡酒の生き字引のような存在だった栗田覚一郎さん、『静岡酵母』の開発で知られる静岡県静岡工業技術センター(当時)の河村傳兵衛さんをお招きし、2回に分け、静岡酒の歩みから酵母開発秘話まで幅広く解説していただきました。

1995年11月 静岡市立南部図書館食文化講座「静岡の地酒」
お2人とも頑固なスペシャリストで、一般市民に合わせて話のレベルを手加減・調整するような方々ではありませんが、おかげさまで講座は大好評で、会場は定員オーバーの聴講者で熱気にあふれ、終了後は「もっと地酒の情報を」「カネをとっていいから続けてくれ」という声をいただきました。そこで、年末年始にいろいろ構想し、96年1月末には酒の取材でお世話になっていた関係者、知己のあるマスコミ人、文化事業担当者等に集まってもらって相談会をもうけ、3月1日、研究会の発足、と相成ったのです。
一般にお披露目する発会パーティーは、静岡県清酒鑑評会授賞式で酒造関係者が静岡市内に一堂に集まる日にあわせ、3月22日、静岡県男女共同参画センターあざれあ調理実習室で開きました。地域の伝統食を研究・伝承している静岡市生活改善グループ連絡協議会(農家の主婦の皆さん)が朝採り山野草を材料にした酒肴をその場で作ってくれて、県内蔵元の皆さんが新酒を持ち寄り、酒友たちがボランティアで受付や会場設営をしたホントの手作りパーティーでした。当時、まだ『地産地消』『地域資源』なんて言葉はありませんでしたが、あの日に集まった酒も食も人も、100%地元産の地域資源でした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
しずおか地酒研究会の当初のプログラムは、図書館講座の延長のような感じで、酒米の研究者、マーケティング専門家、酒の評論家等を招いての「地酒塾」や消費者代表によるシンポジウムなど。2年活動した後、当時、静岡新聞出版局にいらした平野斗紀子さんの尽力で、会員情報をベースにしたガイドブック『地酒をもう一杯』を静岡新聞社から出版しました。その後は“塾”なんて上から目線のお題目はやめて、フランクに楽しめる酒蔵巡りや居酒屋さんをはしごする“地酒サロン”に切り替え、不定期に続けています。栗田・河村両巨頭から「酒のことでカネもうけしようなんて、ゆめゆめ思うな」とクギをさされていたので、研究会はまったくの非営利活動。必要経費を参加費用としていただく形でやっています。
バブル崩壊以降のフリーランスライター稼業と併行しての活動は、決して楽ではありませんが、自分が運よく取材で出会えて感動した酒の味、造り手の精神を、多くの人に直に紹介し、感動を共有し合う・・・これは、もう、ライター稼業だけではできない経験です。発足間もない頃、『開運』の蔵元・土井清愰社長が、会の“効能”を「地元のいい酒を楽しい雰囲気で呑んでいると、隣に座った初対面の人が長年の親友のような気分になる。お茶やまんじゅうじゃこうはいかない」と評価してくださいましたが、地酒は人と人をつなげ、地域コミュニケーションを円滑に、そして実に豊かにしてくれるんですね。今では、会に参加していた売り手(酒販店や飲食店)の多くが、独自に酒の会やイベントを開くようになり、酒の業界の外から投じた“貧者の一灯”が少しずつ結実していくようでワクワクしています。
しずおか地酒研究会の発足当時の経緯については、こちらの記事もぜひご覧ください。
http://ginjyo-shizuoka.jp/suzuki_09.html
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
さて、前述のとおり、私がしずおか地酒研究会をスタートさせたのが1996年3月1日。その前の日のことです。研究会の応援団のお一人、喜久醉(藤枝市上青島)の蔵元・青島秀夫社長のもとに若い農家が突然やってきました。今は、喜久醉の看板商品『純米大吟醸松下米』の米で知られる松下明弘さんです。4年前のある講演会で松下さん、喜久醉の杜氏で専務の青島孝さんと鼎談し、当時のことを語っています。講演録を再掲してみましょう。

1997年から毎年10月に発売している喜久酔松下米シリーズ
鈴木 ―私が「しずおか地酒研究会」の発会式を、「あざれあ」の会議室で行ったのは1996年3月1日でした。その前日か前々日に、松下さんは青島酒造に酒米のことを聞きたいと訪ねたんですよね?
松下 ―96年2月29日だから前日ですね。その3年前に親父がガンで亡くなり、後を継いで専業農家になろうと、いろいろな設備を直したり機械をそろえたりしていた頃でした。
海外青年協力隊に参加し、アフリカから帰ってきたとき、近所の酒屋で買った日本酒を呑んだらびっくりするほどうまかった。行く前に呑んでいた日本酒というのは、いわゆる大手の酒でひどい酔い方をしました。たまたま行った酒屋にいい地酒が置いてあったのがよかったんですが、いろいろな地酒を呑み比べてみて、一番気に入ったのが喜久醉だった。呑んで何もひっかかりがなく、体にスーッと溶け込んでいく美味しい酒だった。どうせ専業で米を作るならこういう酒の原料になるような米も作りたいと思いました。で、裏貼りを見たら、「なんだ、うちから一番近い酒蔵じゃないか」と気がついた。青島酒造(藤枝市上青島)とうちは(藤枝市青南町)は、もともと同じ村なんです。
帰国後はしばらく会社勤めをしながら親父の農業を手伝っていたんですが、親父が亡くなったことで専業農家になろうと腹をくくり、96年2月28日にそれまで勤めていた会社を辞め、翌3月から心機一転スタートだと決めていました。ところがこの年はうるう年で、2月29日まであることに気がつき、1日ぽっかり空いてしまった。で、一度酒蔵というところを見てみようと思い切って訪ねてみたんです。
鈴木 ―アポなしでフラッと訪ねたんですよね。後で青島酒造の奥さんから「いきなり変な子が来てビックリした」と聞きました(笑)。
松下 ―「今日から専業農家になるんですけど、酒米について教えてくれるところがわからないので、酒蔵へ行けば教えてくれるかなと思って来ました」と切り出しました。青島酒造の社長は仕事の手を休めて30~40分、酒米の話をひととおりしてくれました。
話の流れで、社長が「自分は旅行が好きでね」と言い、「最近どこに行ったんですか」と聞いたら「ケニアに行ってきたんだよ、アフリカが好きでね」と社長。私「じゃあキリマンジャロにも?」、社長「もちろん」、私「どこのルートから入りました?」、社長「なに、君、知っているの?行ったことあるの?」、私「アフリカに住んでました」、社長「!?」(笑)。
で、そこから2時間、延々アフリカの話で大盛り上がりでした。後から奥さんに聞いたんですが、社長が周囲に「アフリカに行ってきた」と話しても、誰も行ったことがないから想像がつかず、まともに聞いてくれる人がいなかったそうで、アフリカ話ができる相手がいきなり現われて、初めて会った相手とは思えないぐらい意気投合した、と喜んでいたそうです。
鈴木 ―そして翌日の3月1日、しずおか地酒研究会の発会式で、青島社長から「昨日、うちに来たばかりの変なやつだけど、面白いから連れて行く」と連絡をもらい、そこで初めて松下さんとお会いしました。
発会式で私は、会のスローガンを“造り手・売り手・飲み手の和”と掲げました。ビールやワインや焼酎は、造りの現場で職人の顔を気軽に見ることはできないけど、日本酒の蔵元は、昔は町内に1軒はあったぐらい、地域に溶け込んでいる存在で、造り手の顔がよく見える。ところが、国内はおろか静岡でも、地元で日本酒を造っていることを知らない人が多い。それはとてもモッタイナイ話だと思っていました。地域だからこそ、酒を造っている蔵元、紹介する小売店や飲食店、そして受け取る消費者である私たちが相互理解し、交流を広げる場ができると考えたのです。
そんな宣言をしたところ、松下さんが「米農家が入っていないのはおかしい」と口を挟んできた。昨日初めて酒蔵にやってきて、これから酒米づくりに挑戦しようという奴が、何を生意気なことを・・・とカチンと来ましたが(笑)、とにかく松下さんの初めての酒米づくり…しかも青島の社長から「どうせ作るなら一番難しい山田錦を作ってみろ、失敗しても自分がポケットマネーで買い取ってやる」と背を押されたと聞いて、それなら会の仲間で応援しようじゃないかということになり、何度も田んぼに通って田植えを手伝ったり、草取りしたり山田錦研究の先生を招いたりして、秋の稲刈りを迎えたのです。
ニューヨークで投資顧問の仕事をされていた孝さんが帰国したのは、その稲刈り直前の、96年10月初旬でしたね。家の近所の田んぼでおかしな連中が盛り上がっているのを見て、さぞかしビックリしたでしょう?(笑)。
青島 ―松下さんとうちの社長が初めて出会ってアフリカ話で盛り上がり、真弓さんがしずおか地酒研究会を作ったころ、自分はニューヨークでこのままでいいのかと悩み苦しんでいました(苦笑)。自分が大切にして行きたいと思うのはカネでは買えないものだと思い始めていた。松下さんが最終的に行きついたのは故郷の田んぼだったということと、同じ思いだったかも知れません。
ただ、すんなり実家の酒蔵へ戻ることを決めたわけではなくて、100年200年と長い年月をかけて生き残っていくモノづくりの世界・・・たとえば自然と携わる植林や森づくりみたいな仕事に憧れました。酒造りもそうなのかなと思いましたが、一度は拒否した世界だし、ニューヨークに渡った時は、「(家業から)逃げきった」とまで思ってましたから(苦笑)。
鈴木 ―確か、宮大工の仕事にも憧れたと聞きましたが?
青島 ―そう、職人の技が数百年経っても息づくようなモノづくりの世界ですよね。そんなとき、母親から「変わった農家の人が来たよ」「お父さんの心臓の具合がよくなくてね・・・」という手紙をもらい、改めて故郷で酒を造るという仕事を真正面から考えるようになりました。
思えば、自分の故郷には大切なものがたくさんある。酒造りに欠かせないも のはなんといっても良質の水ですね。
鈴木 ―先ほど観ていただいた『吟醸王国しずおか』パイロット版で、いくつかの酒蔵の米洗いのシーンを立て続けにつないでみたのですが、あんなに水をぜいたくに使える地域というのは実は貴重で、日本では、名水地といわれるところでも、水量が乏しいことが多いそうですね。
青島 ―その意味で、酒造りというのは、その土地のいい水を守り、農業を守ることにつながると気づきました。この仕事が、何百年という年月の間、酒に携わる多くの人々の知恵や技に支えられて成り立っていると思った時、自分の代で簡単に辞めてはいけないんじゃないかと。
現実的には、収入は10分の1ぐらいになるわけで、相応の葛藤はありましたが(苦笑)、帰ったのはちょうど松下さんの稲刈りの1週間ぐらい前でしたね。その直前、父に帰ると伝えたとき、最初は「ニューヨークで何か失敗していられなくなって逃げ帰ってくるのか」と反対されたんですよ(苦笑)。

1996年10月5日 松下さん(左)、青島さん(中央)と初めて呑んだ日

2010年8月 それぞれ貫禄?がついた3人
松下さんの米作り、青島さんの酒造りについては、例年10月の『喜久醉純米大吟醸松下米』の発売時にじっくりご紹介するとして、彼らとの不思議な出会いと、ともに歩んだ時間、交わした杯の数や深さが、しずおか地酒研究会のエネルギー源になっていたのは確かです。2人の活躍を見るにつけ、自分は彼らに恥ずかしくない仕事が出来ているだろうか・・・とわが身を振り返り、落ち込んだり励まされたりの毎日。栗田・河村両巨頭がしずおか地酒研究会を“出産”させてくれた産科医ならば、松下・青島コンビは、日頃の体調チェックをしてくれる、かかりつけ医のような存在かな(笑)。変な喩えでスミマセン。でもこういう同志が傍にいてくれたからこその17年なんです。
先月のしずおか地酒研究会・燗酒ブース『暖杯!しずおか地酒屋台』には、松下さんと平野さんが駆け付けて、一緒に地酒のプレゼンテーションをしてくれました。松下さんは17年前と変わらない、「どっから来るの?その自信」と呆れてしまうほど(苦笑)の、歯に衣着せぬ明快な物言い。心底嬉しくなりました。
燗酒ブースの出店協力してくれた長島酒店さん、丸河屋酒店さんとも長いつきあいです。酒縁というのは、大切に育てていけば、ほんとうに地域を支える強靭な力になるに違いない、とあらためて確信しました。

おでんフェアの協賛イベント「暖杯!しずおか地酒屋台」に助っ人で来て
くれた松下さん(左から2人目)、「たまらん」の平野さん(3人目)
それでも、しずおか地酒研究会は、まだ17歳。ほんとうの酒の価値を語れるオトナになるには、まだまだ修業が必要です。時代や状況が変わっても、新しい酒縁にワクワクする気持ちを忘れず、活動を続けていきたい、と思っています(長々、回顧話に終始しちゃってごめんなさい)。
◆松下×青島×スズキの鼎談はこちらをご参照ください。
『杯が乾くまで~見直そう地のモノ・地のヒト・ふるさとの価値』
http://mayumi-s-jizake.blogzine.jp/blog/2009/07/post_d7c2.html
http://mayumi-s-jizake.blogzine.jp/blog/2009/07/post_6bbd.html
▼日本農業新聞に紹介されたしずおか地酒研究会発会式

Posted by 日刊いーしず at 12:00