2013年06月14日
第10回 ガリレオの酒談義
全国新酒鑑評会の話題を続けます。今回は、5月21日に東広島市内で開かれた酒類総合研究所講演会の内容を紹介します。
酒類総合研究所講演会は、日本酒造組合中央会とともに全国新酒鑑評会を主催する酒類総合研究所が、鑑評会の開催に合わせ、日ごろの研究成果や鑑評会審査のポイントなどを解説するシンポジウムで、今年で49回を数えます。
同研究所は明治37年(1904)、東京・滝野川に設立された国立醸造試験所を前身とし、1995年に東広島市に移転。2001年に財務省管轄の独立行政法人となりました。
昨年1月、時の民主党政権下で独法の存続が“仕分け”され、酒類総研は廃止との閣議決定。業界内では騒然となりましたが、自民党政権になって、無事?廃止凍結となりました。そんな背景があってか、今年の講演会では研究成果の社会的貢献度を強調する発表もみられました。

【発表1 なぜ清酒酵母はアルコール発酵力が高いのか?】
すごく面白い発表でした。なぜ日本酒に使う酵母はアルコール発酵力が高いのか?→ズバリ「ストレスに弱い酵母だから」なんですって。意外でしょ?
今まではその逆で、「清酒酵母に高いアルコール発酵力があるのは、ストレスに強いから」と考えられていました。素人目で考えてもそうでしょう。
研究スタッフが清酒酵母K701(協会7号系酵母)と、バイオ研究で一般的に使う出芽酵母X2180に、一定のストレス(=熱ショックや高いエタノール)を与え、生存率を比べてみたところ、意外にも、清酒酵母K701のほうがはるかに多く死滅してしまったそうです。つまりストレスにやられてしまった・・・。
酵母も、厳しい自然界の中で必死に生存競争を闘っている微生物であり、ストレスのない環境で長生きしたいはず。しかし、高いアルコールを求める人間の欲望によって酵母菌株の選抜が繰り返された結果、自分の存在を犠牲にしてまでアルコールを生産し続ける“習性”を身につけてしまったというのです。なんだか切なくなりますね。
清酒酵母がストレスに弱い原因を、遺伝子レベルで調べたところ、一般酵母が持つMsn2、Msn4pという2つのストレス応答遺伝子(=ストレスをブロックする遺伝子)が、清酒酵母には抑制されていたことが判明しました。
さらにこの2つの遺伝子の働きに関連するRim15pというプロテインキナーゼに機能欠失変異があり、それぞれの回路がうまく働かず、結果としてストレス応答経路が欠損してしまったとのこと。
これらの“欠陥”は、昭和以降に分離培養された清酒酵母だけが持ち、実験用の一般酵母、ワイン酵母やビール酵母などには存在しないそうです。清酒の高いアルコール発酵力は、欠陥遺伝子のおかげ、というわけです。実に面白い・・・!
このメカニズムが解明できたことで、日本酒のみならず、他の発酵・醸造産業にもメリットが生まれるかもしれない、と発表者は力説しました。アルコール発酵力を高める欠陥遺伝子を応用し、バイオエタノール製造用酵母の発酵時間を19.7%短縮できたという実験成果も得られたとのこと。清酒酵母の発酵メカニズムが、地球のエネルギー問題を解決するかもしれないなんて、とてつもないロマンですねえ。
科学とは、ロマンを論理的に説明する手段なんだ・・・と、呑んでいないのに酔った気分になりました。
【発表2 清酒粕の成分調査と機能性成分の安定性について】
小難しそうなタイトルですが、数年前にNHK『ためしてガッテン』が酒粕の有効成分について取り上げて以来、酒粕イコール健康食品のイメージが定着したことから、研究所でも酒粕の機能性成分について本腰を入れて研究し、新しい有効成分を発見した、というもの。
その、注目される高機能性成分とは、S-アデノシルメチオニン(SAM)と葉酸。
SAMは清酒酵母が高含有する成分で、肝障害、ウツ、関節炎を防ぐ効果があり、欧米ではサプリメントとして広く知られています。国内産のサプリメントは2社から発売されており、いずれも清酒酵母から成分採取されているそうです。
葉酸は欧米では子ども向けのシリアルにも使われる高機能性成分で、妊婦の滋養に効果あり。先進国では日本だけ摂取量が低いといわれるものです。
酒粕に含まれるSAMは、豚レバーの約27倍(最大で116倍)、葉酸はホウレンソウの約0.8倍(最大で2.5倍)。最大値との数値に開きがあるのは、サンプルに使われた酒粕の違いによるものです。たとえば酒の主要成分であるタンパク質は、普通酒では14.4%、大吟醸では5.5%、液化仕込は25.3%というように仕込み方法の違いによって酒粕にまで成分の差がハッキリ出るんですね。とくに酒粕をあまり出さない液化仕込と、酒粕をもろみの5割以上出す大吟醸では、極端な差があります。
そんなこんなで酒粕の成分検査は、複雑かつ判断が難しいようですが、酒粕の有効成分が話題になる中、あらたにSAMと葉酸の高含有が科学的に解明され、ますます頼もしく感じました。
SAMや葉酸は、酒粕を冷凍保存(マイナス30℃)することで長期保存でも含量が損なわないようです。とくに酒粕を凍結乾燥させると安定性が劇的に向上する。凍結乾燥の酒粕が機能性食品として開発される日も必ず来るでしょう。
実は後日、東京のある酒宴で、偶然、NHKためしてガッテンの酒粕特集を担当した番組ディレクターと会うことができたんです。さっそくこの話をして、酒粕特集第2弾を、とアピールしたんですが、そのディレクター氏、まもなく異動になってしまうとか。・・・せっかくの研究成果ですから、酒類総研はうまくメディアを活用し、発信してほしいと思います。
酒粕の機能性については第5回「かしこい酒粕」(≫こちら)もご参照ください。
【発表3 清酒中の貯蔵劣化臭の生成機構について】
日本酒が海外でも飲まれるようになり、ますます重要になってきたのが貯蔵による酒質変化の制御。長期熟成による香りの変化を楽しむ人も増えてはいますが、やっぱり蔵元が目指して造った酒質から、あまりにもかけ離れてしまった変容は、看過できないでしょう。静岡の酒は繊細でデリケートな酒質が“ウリ”でもあるので、ちょっとした変化を“劣化ではないか”と感じてしまいます。
研究所では古酒の香りのモトとなる成分について、長期熟成酒として売られている酒と、一般市販酒で専門家から「老香(ひねか)=劣化臭」の烙印を押された酒を比べて調査しました。その結果、5年以上の長期熟成酒にはソトロン(カルメラのような香り)、コハク酸ジエチルという成分が多かったようです。
一方、老香酒には、ポリスルフィドの一種DMTS(ジメチルトリスルフィド)が増加していました。たくあん漬けのような臭いを発生させる成分です。これが劣化臭の真犯人だったんですね。
DMTSは、貯蔵中に化学反応で生まれるため、その原因を突き止めて制御すれば劣化は防げます。ちょっと難しすぎて脳の回路がパンクしそうになったので途中カットしますが、とどのつまりは、DMTSを生成させる経路をブッタ切る“破壊株”を使って酒を仕込んだところ成功したそうです。貯蔵条件を変えるのではなく、仕込み段階から劣化しにくい酵母を使い、貯蔵劣化を完全に防いだというわけですね。
劣化のメカニズムは多様で、原料米-とくに硫黄含有の多い米を使うと、劣化臭ポリスルフィドが増える事例も報告されています。原料に劣化原因があるとしたら、蔵元は酒米の仕入れにもっと神経を遣うべきだし、米の生産者も責任を持って育てなければなりませんね。
こういう話を聞いていると、人間の病気の治療や予防も同じだなあと実感させられます。いくつになっても人として、劣化ではなく熟成の魅力を持ち続けたいものだ、としみじみ思います。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
発表者はそれぞれの研究を現場で担当した研究者自身。パワーポイントを駆使して丁寧に解説してくれましたが、理系大学の専門課程レベルの内容なので、素人にはついていけない化学記号や専門用語のオンパレード。途中で何度か挫折しそうになりましたが、そんな時はひたすら、「発表者がガリレオの福山雅治だったら」と妄想しながら乗り切りました。
今回の記事、ややこしくて読みにくいと思われたなら、ぜひアタマの中で福山さんの低音ボイスをかぶせてみてください(笑)。
酒類総合研究所講演会は、日本酒造組合中央会とともに全国新酒鑑評会を主催する酒類総合研究所が、鑑評会の開催に合わせ、日ごろの研究成果や鑑評会審査のポイントなどを解説するシンポジウムで、今年で49回を数えます。
同研究所は明治37年(1904)、東京・滝野川に設立された国立醸造試験所を前身とし、1995年に東広島市に移転。2001年に財務省管轄の独立行政法人となりました。
昨年1月、時の民主党政権下で独法の存続が“仕分け”され、酒類総研は廃止との閣議決定。業界内では騒然となりましたが、自民党政権になって、無事?廃止凍結となりました。そんな背景があってか、今年の講演会では研究成果の社会的貢献度を強調する発表もみられました。
【発表1 なぜ清酒酵母はアルコール発酵力が高いのか?】
すごく面白い発表でした。なぜ日本酒に使う酵母はアルコール発酵力が高いのか?→ズバリ「ストレスに弱い酵母だから」なんですって。意外でしょ?
今まではその逆で、「清酒酵母に高いアルコール発酵力があるのは、ストレスに強いから」と考えられていました。素人目で考えてもそうでしょう。
研究スタッフが清酒酵母K701(協会7号系酵母)と、バイオ研究で一般的に使う出芽酵母X2180に、一定のストレス(=熱ショックや高いエタノール)を与え、生存率を比べてみたところ、意外にも、清酒酵母K701のほうがはるかに多く死滅してしまったそうです。つまりストレスにやられてしまった・・・。
酵母も、厳しい自然界の中で必死に生存競争を闘っている微生物であり、ストレスのない環境で長生きしたいはず。しかし、高いアルコールを求める人間の欲望によって酵母菌株の選抜が繰り返された結果、自分の存在を犠牲にしてまでアルコールを生産し続ける“習性”を身につけてしまったというのです。なんだか切なくなりますね。
清酒酵母がストレスに弱い原因を、遺伝子レベルで調べたところ、一般酵母が持つMsn2、Msn4pという2つのストレス応答遺伝子(=ストレスをブロックする遺伝子)が、清酒酵母には抑制されていたことが判明しました。
さらにこの2つの遺伝子の働きに関連するRim15pというプロテインキナーゼに機能欠失変異があり、それぞれの回路がうまく働かず、結果としてストレス応答経路が欠損してしまったとのこと。
これらの“欠陥”は、昭和以降に分離培養された清酒酵母だけが持ち、実験用の一般酵母、ワイン酵母やビール酵母などには存在しないそうです。清酒の高いアルコール発酵力は、欠陥遺伝子のおかげ、というわけです。実に面白い・・・!
このメカニズムが解明できたことで、日本酒のみならず、他の発酵・醸造産業にもメリットが生まれるかもしれない、と発表者は力説しました。アルコール発酵力を高める欠陥遺伝子を応用し、バイオエタノール製造用酵母の発酵時間を19.7%短縮できたという実験成果も得られたとのこと。清酒酵母の発酵メカニズムが、地球のエネルギー問題を解決するかもしれないなんて、とてつもないロマンですねえ。
科学とは、ロマンを論理的に説明する手段なんだ・・・と、呑んでいないのに酔った気分になりました。
【発表2 清酒粕の成分調査と機能性成分の安定性について】
小難しそうなタイトルですが、数年前にNHK『ためしてガッテン』が酒粕の有効成分について取り上げて以来、酒粕イコール健康食品のイメージが定着したことから、研究所でも酒粕の機能性成分について本腰を入れて研究し、新しい有効成分を発見した、というもの。
その、注目される高機能性成分とは、S-アデノシルメチオニン(SAM)と葉酸。
SAMは清酒酵母が高含有する成分で、肝障害、ウツ、関節炎を防ぐ効果があり、欧米ではサプリメントとして広く知られています。国内産のサプリメントは2社から発売されており、いずれも清酒酵母から成分採取されているそうです。
葉酸は欧米では子ども向けのシリアルにも使われる高機能性成分で、妊婦の滋養に効果あり。先進国では日本だけ摂取量が低いといわれるものです。
酒粕に含まれるSAMは、豚レバーの約27倍(最大で116倍)、葉酸はホウレンソウの約0.8倍(最大で2.5倍)。最大値との数値に開きがあるのは、サンプルに使われた酒粕の違いによるものです。たとえば酒の主要成分であるタンパク質は、普通酒では14.4%、大吟醸では5.5%、液化仕込は25.3%というように仕込み方法の違いによって酒粕にまで成分の差がハッキリ出るんですね。とくに酒粕をあまり出さない液化仕込と、酒粕をもろみの5割以上出す大吟醸では、極端な差があります。
そんなこんなで酒粕の成分検査は、複雑かつ判断が難しいようですが、酒粕の有効成分が話題になる中、あらたにSAMと葉酸の高含有が科学的に解明され、ますます頼もしく感じました。
SAMや葉酸は、酒粕を冷凍保存(マイナス30℃)することで長期保存でも含量が損なわないようです。とくに酒粕を凍結乾燥させると安定性が劇的に向上する。凍結乾燥の酒粕が機能性食品として開発される日も必ず来るでしょう。
実は後日、東京のある酒宴で、偶然、NHKためしてガッテンの酒粕特集を担当した番組ディレクターと会うことができたんです。さっそくこの話をして、酒粕特集第2弾を、とアピールしたんですが、そのディレクター氏、まもなく異動になってしまうとか。・・・せっかくの研究成果ですから、酒類総研はうまくメディアを活用し、発信してほしいと思います。
酒粕の機能性については第5回「かしこい酒粕」(≫こちら)もご参照ください。
【発表3 清酒中の貯蔵劣化臭の生成機構について】
日本酒が海外でも飲まれるようになり、ますます重要になってきたのが貯蔵による酒質変化の制御。長期熟成による香りの変化を楽しむ人も増えてはいますが、やっぱり蔵元が目指して造った酒質から、あまりにもかけ離れてしまった変容は、看過できないでしょう。静岡の酒は繊細でデリケートな酒質が“ウリ”でもあるので、ちょっとした変化を“劣化ではないか”と感じてしまいます。
研究所では古酒の香りのモトとなる成分について、長期熟成酒として売られている酒と、一般市販酒で専門家から「老香(ひねか)=劣化臭」の烙印を押された酒を比べて調査しました。その結果、5年以上の長期熟成酒にはソトロン(カルメラのような香り)、コハク酸ジエチルという成分が多かったようです。
一方、老香酒には、ポリスルフィドの一種DMTS(ジメチルトリスルフィド)が増加していました。たくあん漬けのような臭いを発生させる成分です。これが劣化臭の真犯人だったんですね。
DMTSは、貯蔵中に化学反応で生まれるため、その原因を突き止めて制御すれば劣化は防げます。ちょっと難しすぎて脳の回路がパンクしそうになったので途中カットしますが、とどのつまりは、DMTSを生成させる経路をブッタ切る“破壊株”を使って酒を仕込んだところ成功したそうです。貯蔵条件を変えるのではなく、仕込み段階から劣化しにくい酵母を使い、貯蔵劣化を完全に防いだというわけですね。
劣化のメカニズムは多様で、原料米-とくに硫黄含有の多い米を使うと、劣化臭ポリスルフィドが増える事例も報告されています。原料に劣化原因があるとしたら、蔵元は酒米の仕入れにもっと神経を遣うべきだし、米の生産者も責任を持って育てなければなりませんね。
こういう話を聞いていると、人間の病気の治療や予防も同じだなあと実感させられます。いくつになっても人として、劣化ではなく熟成の魅力を持ち続けたいものだ、としみじみ思います。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
発表者はそれぞれの研究を現場で担当した研究者自身。パワーポイントを駆使して丁寧に解説してくれましたが、理系大学の専門課程レベルの内容なので、素人にはついていけない化学記号や専門用語のオンパレード。途中で何度か挫折しそうになりましたが、そんな時はひたすら、「発表者がガリレオの福山雅治だったら」と妄想しながら乗り切りました。
今回の記事、ややこしくて読みにくいと思われたなら、ぜひアタマの中で福山さんの低音ボイスをかぶせてみてください(笑)。
Posted by 日刊いーしず at 12:00
2013年05月31日
第9回 あまい金賞
第6回『酒造業界のミスコン』で紹介した全国新酒鑑評会が今月、東広島市で開かれました。私は5月21日の酒類総合研究所講演会、22日の全国新酒鑑評会製造技術研究会(業界関係者対象の全出品酒の公開試飲会)に行ってきました。

全国新酒鑑評会製造技術研究会会場
(東広島運動公園アクアパーク体育館)
今年の出品数は864品。これを10時から15時までの公開時間内にすべて試飲するのは至難の業です(飲むんじゃなくて口に含んだ後、吐きますよ、もちろん)。
きき酒能力に自信のない私は、静岡酒というベースの物差しがなければ他県の酒を判断できないため、いつも静岡県のコーナーからスタートします。真っ先に行くのでだいたい一番乗り。静岡県の全国鑑評会出品酒をイの一番に試飲できるというのは実に爽快な気分です。今回は気がついたら目の前に杉錦の杉井均乃介社長がいて、真剣にきき酒しながら寸評を書き込んでいました。この会は蔵元、杜氏、研究者、流通関係者、マスコミなど業界関係者オンリーなので、時折耳にする雑談や試飲の感想コメントなどを盗み聞きするだけでも勉強になるのです。
きき酒に集中しつつ、漏れ聞こえてくる人々の会話にも耳をそばだてながら、5時間の試飲が始まりました。

静岡県コーナーできき酒中の杉錦・杉井均乃介社長
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
実は今年、静岡県の出品酒は金賞受賞ゼロという自分の記憶にはない結果でした。前週、フェイスブックで岩手県の『南部美人』の蔵元久慈浩介さんが金賞受賞の喜び報告をしたのをいち早く見つけ、酒類総合研究所のホームページで確認したところ、静岡県のリストに金賞の☆印がひとつも見当たらない。そんな馬鹿なと思いつつ、22日当日、開場を待つ間に配られた結果目録を再チェックしたところ、やっぱり☆印がありません。
静岡県の出品点数は18。金賞0、入賞6という結果でした。実際に試飲してみると、いつもの年なら十分、金賞に該当すると思われる酒がちゃんとあるのに、「ナットクいかんなあ」と首を傾げました。
他のコーナーを見回すと、入賞率が高かった仙台国税局管内の岩手・宮城・福島のコーナーには、あっという間の大行列。静岡県金賞ゼロの背景を探るにはここを試飲してみないと分からないだろうと、私も覚悟して並び、90分待ちでやっと試飲テーブルの位置まで辿り着きました。日ごろ、遊園地のアトラクションや人気のラーメン屋さんに1時間も2時間も行列を作って待つという人たちの気持ちが分からんと嘯いていますが、その人たちから、試飲のために90分待つという神経が分かんないよーと嗤われそうですね。ちなみに会場入りする前にも開場を70分くらい待ちました(苦笑)。一番乗りした人は、早朝5時から並んでいたとか。試飲できる酒は一銘柄につき500ml瓶で6本しかないため、人気銘柄や金賞常連銘柄は品切れになる可能性があるからです。
90分待ってやっと辿り着いた岩手・宮城・福島コーナー。案の定、全国区の人気銘柄は見事にカラとなっていました。結果目録によると、2年前の大震災直後、福島県いわき市を訪問したときに地元の方々からお土産にいただき、その後も取り寄せて愛飲している『又兵衛』が金賞を受賞していたので、これは見逃せない!と思っていたのですが、残念ながら品切れ。今年、福島県は37品出品して金賞が26、入賞が6という圧巻の成績でした。
宮城県も22品出品中、金賞が12、入賞が5。岩手県は16品出品中、金賞8、入賞2という好成績。被災3県の健闘ぶりは見事と言うしかありません。
会場から『南部美人』の久慈さんにおめでとうコメントを送ったところ、「東北はすごいことになっています。ここ数年、ずっとこんな高い金賞受賞率が続いており、まさに努力と、横の連携のたまものです。これにおごらず、しっかりとこれからも頑張って行きます」と真摯なお返事。・・・四半世紀前、消費低迷と経営危機にさらされていた静岡県の蔵元が静岡酵母で一発逆転、一世風靡した頃も、こんなふうに、みんな“横の連携”を絆に頑張っていたんだろうなあと想像させられました。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
新酒鑑評会をミスコンに例えるとすれば、今年の美のトレンドは“スイーツ系”。入賞酒はとにかく甘かった。世の味覚全体が“オイシイ=甘い”になっちゃっているせいなのか、よくわかりませんが、静岡吟醸の洗練された香りと控えめな甘さの絶妙なバランスが評価されていた時代とは、あきらかに基準が変わった・・・と実感します。
前日の酒類総合研究所講演会では、今回の鑑評会出品酒の傾向や審査のポイントを詳しく説明してくれました。マニアックな話ですが、酒席のウンチク話にはうってつけの内容かもしれませんので、しばしおつきあいを。
【ウンチクその1 今年の出品酒に使われた原料米】
①山田錦(84.5%)②その他(5.9%)③越淡麗(3.6%)④美山錦・千本錦(ともに1.9%)⑤五百万石(0.9%)
やっぱり山田錦(兵庫県生まれ)の酒米王者ぶりは健在です。越淡麗は新潟県の米、美山錦は長野県、千本錦は広島県、五百万石は新潟県で生まれた米です。静岡県産の酒米・誉富士は、唯一、『若竹』が純米大吟醸で出品しました。
【ウンチクその2 今年の出品酒の平均精米歩合】
平均38.5% 最大59% 最小19%
玄米の外側61.5%を糠として削り落とし、残った中心部分38.5%を使うという意味。ちなみに市販酒の表示規定では精米歩合50%以下なら大吟醸・純米大吟醸、60%以下なら吟醸・純米吟醸、70%以下なら純米酒・本醸造酒と表記できます。19%精米って8割以上を捨てて米の芯(=デンプンのかたまり)の部分しか使わないって超ゼイタクな造りですが、これで本当に米の酒の味わいが表現できるのかどうかは別のハナシ、だと思います。
【ウンチクその3 今年の出品酒の平均粕歩合】
平均48.8% (内訳)40.1~50%=350品 50.1~60%=246品 60.1~70%=77品 70%以上=24品
粕歩合というのは、酒のもろみを搾ったときに出る酒粕の量の割合。酒粕が多い=米をあまり融かさず硬めに仕込んで搾った酒=すっきりきれいな仕上がりと言われます。昔は酒粕を多く出す=酒になる量が減る=不経済な造り方として非難されていました。ちなみに普通酒の粕歩合は20%程度。
【ウンチクその4 今年の出品酒で審査員がチェックした項目点数。後者は5年前の点数】
①甘味(2344点←1694点)②渋味(1822点←1583点)③酸味(1337点←844点)④苦味(1269点←1204点)
甘味の評価点が5年前に比べるとかなり増加していることがわかります。「甘い酒が賞を獲った」というよりも、「出品酒全体が甘い傾向にあった」という表現が正しいかもしれません。甘味とのバランスを考えると酸味が高くなるのも必然。甘さ控えめのスッキリ低酸タイプの静岡吟醸が不利だったのも仕方ないか・・・。
【ウンチクその5 今年の出品酒に使われた酵母】
①協会1801号(25.7%)②明利(15.4%)③秋田今野(4.2%)*その他(49.2%)
酵母はアルコールを造り、酒の味と香りを決める重要な微生物です。日本醸造協会という業界団体や民間で市販されています。「協会1801号」というのは、現在の吟醸酒や純米吟醸酒の仕込みに使われるスタンダードな酵母。香りを強く出し、酸は控えめ。「明利」は茨城県の明利酒類が開発した重量級の香りの出る酵母。「秋田今野」は秋田県の種麹メーカー秋田今野商店が開発した清酒酵母でさまざまなタイプがあり、用途別に選びやすい。なお、複数の酵母をブレンドして使うと「その他」にカウントされます。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
試飲の最中に周囲の雑談を盗み聞きしていると、ベテラン杜氏と思われる人の「こんな甘い酒、俺は好かんな」と嘆く声、流通業者と思われる人の「未だに酢酸系にこだわる時代遅れの酒がある」と吐き捨てるような声が印象に残りました。酢酸系というのは、バナナに似た香りを作る香気成分・酢酸イソアミルや酢酸エチル系のこと。静岡酵母もどちらかといえばこのタイプです。後を引かないきれいな飲み口は、淡白な駿河湾の海の幸によく合うんですね。
一方、入賞酒に多かったのは、カプロン酸エチルという香気成分を強く出す酒。りんご、洋ナシ、南国フルーツをイメージさせる華やかで濃厚な香りです。なぜ静岡県の蔵元がそういうタイプの酒を造りたがらないのかといえば、カプロン酸系の香りは変化しやすく、貯蔵管理が悪いと熟れすぎて異臭を放つフルーツのように劣化するから。コンテストでは審査員ウケする高カプロン酸系酵母を使い、貯蔵を要する市販酒では使わない―なんて戦略的なことはせず、市販用の大吟醸や純米大吟醸の中からベストパフォーマンスの酒を出品するのが、四半世紀にわたって静岡県の蔵元が貫いてきた姿勢です。この、素直さや生真面目さが静岡人の特徴なんですね。
もちろん、鑑評会で圧倒的に多かったカプロン酸系の酒を造る全国の蔵元も、市販酒では香りの劣化リスクにしっかり対応していることでしょう。何より、カプロン酸系の甘く華やかな酒をワイングラスでおしゃれに飲めば、日本酒のイメージは一新します。若者、女性、外国人など新たな消費ターゲットを開拓しようという蔵元ならば、他の飲料に似た味わいや甘さをウリにするのも戦略の一つと言えます。
こういう酒を否定するつもりはありませんが、そういう酒で日本酒の扉を開けたのなら、さらにその先にある、米の発酵酒たる日本酒の味わいの奥深さを知ってもらいたい・・・と願うばかりです。

業界関係者が真剣にきき酒する
ひところに比べ、静岡酒の入賞率が低下し、全国新酒鑑評会に足を運ぶ県内関係者の数も減ったような気がします。私も一時、広島までの足が遠のいた時期もありました。
ただ、全国にはまだまだ知らない銘柄がたくさんあるし、全国から集まった最高水準の出品酒を一度に試飲できる場で、もっときき酒能力を鍛えなければなりません。
静岡酒の価値を紹介する語り部の立場としても、井の中の蛙でいいわけがありません。金賞ゼロというのは地元ファンとして残念極まりない結果でしたが、スイーツのような酒が大勢を占めるコンテストで、静岡らしさを貫こうとした蔵元の姿勢を、静岡の地元ファンが誰より評価しなければダメじゃないですか。それにはやはり、ここへ足を運んで、全国との比較検証をしなければならない。20年以上、鑑評会に通い続け、ようやく、ここに来る使命のようなものを実感できた・・・そんな気がしました。
きき酒の最後は、いつも、個人的に一番好きだと思った酒を、もう一度、吐くのではなくちゃんと飲んで終わるようにしています。
今年、選んだ最後の一杯は島田市の『若竹』。誉富士と静岡酵母使用の純米大吟醸酒です。入賞はしませんでしたが、きき酒して吐き捨てる酒ではなく、間違いなく“飲める酒”でした。鑑評会に山田錦でもなく、カプロン酸系酵母でもなく、不利とされる純米酒(注)を堂々と出品した『若竹』の姿勢は、外に向けて語って聞かせるだけの価値がある。こういう酒を評価できる同志が一人でも増えるといいな、と心から思います。

若竹(島田市)が出品した誉富士と静岡酵母使用の純米大吟醸
*注)醸造アルコールを添加したほうが、吟醸香が立ちやすく、酒質が安定すると言われる。今年の全国新酒鑑評会出品酒864品のうち、アル添しない純米系の酒は97品。残りはすべてアル添酒。
*今回の結果(平成24酒造年度全国新酒鑑評会)は酒類総合研究所のホームページを参照してください。http://www.nrib.go.jp/kan/h24by/h24bymoku_top.htm
全国新酒鑑評会製造技術研究会会場
(東広島運動公園アクアパーク体育館)
今年の出品数は864品。これを10時から15時までの公開時間内にすべて試飲するのは至難の業です(飲むんじゃなくて口に含んだ後、吐きますよ、もちろん)。
きき酒能力に自信のない私は、静岡酒というベースの物差しがなければ他県の酒を判断できないため、いつも静岡県のコーナーからスタートします。真っ先に行くのでだいたい一番乗り。静岡県の全国鑑評会出品酒をイの一番に試飲できるというのは実に爽快な気分です。今回は気がついたら目の前に杉錦の杉井均乃介社長がいて、真剣にきき酒しながら寸評を書き込んでいました。この会は蔵元、杜氏、研究者、流通関係者、マスコミなど業界関係者オンリーなので、時折耳にする雑談や試飲の感想コメントなどを盗み聞きするだけでも勉強になるのです。
きき酒に集中しつつ、漏れ聞こえてくる人々の会話にも耳をそばだてながら、5時間の試飲が始まりました。
静岡県コーナーできき酒中の杉錦・杉井均乃介社長
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
実は今年、静岡県の出品酒は金賞受賞ゼロという自分の記憶にはない結果でした。前週、フェイスブックで岩手県の『南部美人』の蔵元久慈浩介さんが金賞受賞の喜び報告をしたのをいち早く見つけ、酒類総合研究所のホームページで確認したところ、静岡県のリストに金賞の☆印がひとつも見当たらない。そんな馬鹿なと思いつつ、22日当日、開場を待つ間に配られた結果目録を再チェックしたところ、やっぱり☆印がありません。
静岡県の出品点数は18。金賞0、入賞6という結果でした。実際に試飲してみると、いつもの年なら十分、金賞に該当すると思われる酒がちゃんとあるのに、「ナットクいかんなあ」と首を傾げました。
他のコーナーを見回すと、入賞率が高かった仙台国税局管内の岩手・宮城・福島のコーナーには、あっという間の大行列。静岡県金賞ゼロの背景を探るにはここを試飲してみないと分からないだろうと、私も覚悟して並び、90分待ちでやっと試飲テーブルの位置まで辿り着きました。日ごろ、遊園地のアトラクションや人気のラーメン屋さんに1時間も2時間も行列を作って待つという人たちの気持ちが分からんと嘯いていますが、その人たちから、試飲のために90分待つという神経が分かんないよーと嗤われそうですね。ちなみに会場入りする前にも開場を70分くらい待ちました(苦笑)。一番乗りした人は、早朝5時から並んでいたとか。試飲できる酒は一銘柄につき500ml瓶で6本しかないため、人気銘柄や金賞常連銘柄は品切れになる可能性があるからです。
90分待ってやっと辿り着いた岩手・宮城・福島コーナー。案の定、全国区の人気銘柄は見事にカラとなっていました。結果目録によると、2年前の大震災直後、福島県いわき市を訪問したときに地元の方々からお土産にいただき、その後も取り寄せて愛飲している『又兵衛』が金賞を受賞していたので、これは見逃せない!と思っていたのですが、残念ながら品切れ。今年、福島県は37品出品して金賞が26、入賞が6という圧巻の成績でした。
宮城県も22品出品中、金賞が12、入賞が5。岩手県は16品出品中、金賞8、入賞2という好成績。被災3県の健闘ぶりは見事と言うしかありません。
会場から『南部美人』の久慈さんにおめでとうコメントを送ったところ、「東北はすごいことになっています。ここ数年、ずっとこんな高い金賞受賞率が続いており、まさに努力と、横の連携のたまものです。これにおごらず、しっかりとこれからも頑張って行きます」と真摯なお返事。・・・四半世紀前、消費低迷と経営危機にさらされていた静岡県の蔵元が静岡酵母で一発逆転、一世風靡した頃も、こんなふうに、みんな“横の連携”を絆に頑張っていたんだろうなあと想像させられました。
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新酒鑑評会をミスコンに例えるとすれば、今年の美のトレンドは“スイーツ系”。入賞酒はとにかく甘かった。世の味覚全体が“オイシイ=甘い”になっちゃっているせいなのか、よくわかりませんが、静岡吟醸の洗練された香りと控えめな甘さの絶妙なバランスが評価されていた時代とは、あきらかに基準が変わった・・・と実感します。
前日の酒類総合研究所講演会では、今回の鑑評会出品酒の傾向や審査のポイントを詳しく説明してくれました。マニアックな話ですが、酒席のウンチク話にはうってつけの内容かもしれませんので、しばしおつきあいを。
【ウンチクその1 今年の出品酒に使われた原料米】
①山田錦(84.5%)②その他(5.9%)③越淡麗(3.6%)④美山錦・千本錦(ともに1.9%)⑤五百万石(0.9%)
やっぱり山田錦(兵庫県生まれ)の酒米王者ぶりは健在です。越淡麗は新潟県の米、美山錦は長野県、千本錦は広島県、五百万石は新潟県で生まれた米です。静岡県産の酒米・誉富士は、唯一、『若竹』が純米大吟醸で出品しました。
【ウンチクその2 今年の出品酒の平均精米歩合】
平均38.5% 最大59% 最小19%
玄米の外側61.5%を糠として削り落とし、残った中心部分38.5%を使うという意味。ちなみに市販酒の表示規定では精米歩合50%以下なら大吟醸・純米大吟醸、60%以下なら吟醸・純米吟醸、70%以下なら純米酒・本醸造酒と表記できます。19%精米って8割以上を捨てて米の芯(=デンプンのかたまり)の部分しか使わないって超ゼイタクな造りですが、これで本当に米の酒の味わいが表現できるのかどうかは別のハナシ、だと思います。
【ウンチクその3 今年の出品酒の平均粕歩合】
平均48.8% (内訳)40.1~50%=350品 50.1~60%=246品 60.1~70%=77品 70%以上=24品
粕歩合というのは、酒のもろみを搾ったときに出る酒粕の量の割合。酒粕が多い=米をあまり融かさず硬めに仕込んで搾った酒=すっきりきれいな仕上がりと言われます。昔は酒粕を多く出す=酒になる量が減る=不経済な造り方として非難されていました。ちなみに普通酒の粕歩合は20%程度。
【ウンチクその4 今年の出品酒で審査員がチェックした項目点数。後者は5年前の点数】
①甘味(2344点←1694点)②渋味(1822点←1583点)③酸味(1337点←844点)④苦味(1269点←1204点)
甘味の評価点が5年前に比べるとかなり増加していることがわかります。「甘い酒が賞を獲った」というよりも、「出品酒全体が甘い傾向にあった」という表現が正しいかもしれません。甘味とのバランスを考えると酸味が高くなるのも必然。甘さ控えめのスッキリ低酸タイプの静岡吟醸が不利だったのも仕方ないか・・・。
【ウンチクその5 今年の出品酒に使われた酵母】
①協会1801号(25.7%)②明利(15.4%)③秋田今野(4.2%)*その他(49.2%)
酵母はアルコールを造り、酒の味と香りを決める重要な微生物です。日本醸造協会という業界団体や民間で市販されています。「協会1801号」というのは、現在の吟醸酒や純米吟醸酒の仕込みに使われるスタンダードな酵母。香りを強く出し、酸は控えめ。「明利」は茨城県の明利酒類が開発した重量級の香りの出る酵母。「秋田今野」は秋田県の種麹メーカー秋田今野商店が開発した清酒酵母でさまざまなタイプがあり、用途別に選びやすい。なお、複数の酵母をブレンドして使うと「その他」にカウントされます。
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試飲の最中に周囲の雑談を盗み聞きしていると、ベテラン杜氏と思われる人の「こんな甘い酒、俺は好かんな」と嘆く声、流通業者と思われる人の「未だに酢酸系にこだわる時代遅れの酒がある」と吐き捨てるような声が印象に残りました。酢酸系というのは、バナナに似た香りを作る香気成分・酢酸イソアミルや酢酸エチル系のこと。静岡酵母もどちらかといえばこのタイプです。後を引かないきれいな飲み口は、淡白な駿河湾の海の幸によく合うんですね。
一方、入賞酒に多かったのは、カプロン酸エチルという香気成分を強く出す酒。りんご、洋ナシ、南国フルーツをイメージさせる華やかで濃厚な香りです。なぜ静岡県の蔵元がそういうタイプの酒を造りたがらないのかといえば、カプロン酸系の香りは変化しやすく、貯蔵管理が悪いと熟れすぎて異臭を放つフルーツのように劣化するから。コンテストでは審査員ウケする高カプロン酸系酵母を使い、貯蔵を要する市販酒では使わない―なんて戦略的なことはせず、市販用の大吟醸や純米大吟醸の中からベストパフォーマンスの酒を出品するのが、四半世紀にわたって静岡県の蔵元が貫いてきた姿勢です。この、素直さや生真面目さが静岡人の特徴なんですね。
もちろん、鑑評会で圧倒的に多かったカプロン酸系の酒を造る全国の蔵元も、市販酒では香りの劣化リスクにしっかり対応していることでしょう。何より、カプロン酸系の甘く華やかな酒をワイングラスでおしゃれに飲めば、日本酒のイメージは一新します。若者、女性、外国人など新たな消費ターゲットを開拓しようという蔵元ならば、他の飲料に似た味わいや甘さをウリにするのも戦略の一つと言えます。
こういう酒を否定するつもりはありませんが、そういう酒で日本酒の扉を開けたのなら、さらにその先にある、米の発酵酒たる日本酒の味わいの奥深さを知ってもらいたい・・・と願うばかりです。
業界関係者が真剣にきき酒する
ひところに比べ、静岡酒の入賞率が低下し、全国新酒鑑評会に足を運ぶ県内関係者の数も減ったような気がします。私も一時、広島までの足が遠のいた時期もありました。
ただ、全国にはまだまだ知らない銘柄がたくさんあるし、全国から集まった最高水準の出品酒を一度に試飲できる場で、もっときき酒能力を鍛えなければなりません。
静岡酒の価値を紹介する語り部の立場としても、井の中の蛙でいいわけがありません。金賞ゼロというのは地元ファンとして残念極まりない結果でしたが、スイーツのような酒が大勢を占めるコンテストで、静岡らしさを貫こうとした蔵元の姿勢を、静岡の地元ファンが誰より評価しなければダメじゃないですか。それにはやはり、ここへ足を運んで、全国との比較検証をしなければならない。20年以上、鑑評会に通い続け、ようやく、ここに来る使命のようなものを実感できた・・・そんな気がしました。
きき酒の最後は、いつも、個人的に一番好きだと思った酒を、もう一度、吐くのではなくちゃんと飲んで終わるようにしています。
今年、選んだ最後の一杯は島田市の『若竹』。誉富士と静岡酵母使用の純米大吟醸酒です。入賞はしませんでしたが、きき酒して吐き捨てる酒ではなく、間違いなく“飲める酒”でした。鑑評会に山田錦でもなく、カプロン酸系酵母でもなく、不利とされる純米酒(注)を堂々と出品した『若竹』の姿勢は、外に向けて語って聞かせるだけの価値がある。こういう酒を評価できる同志が一人でも増えるといいな、と心から思います。
若竹(島田市)が出品した誉富士と静岡酵母使用の純米大吟醸
*注)醸造アルコールを添加したほうが、吟醸香が立ちやすく、酒質が安定すると言われる。今年の全国新酒鑑評会出品酒864品のうち、アル添しない純米系の酒は97品。残りはすべてアル添酒。
*今回の結果(平成24酒造年度全国新酒鑑評会)は酒類総合研究所のホームページを参照してください。http://www.nrib.go.jp/kan/h24by/h24bymoku_top.htm
Posted by 日刊いーしず at 12:00
2013年05月17日
第8回 美酒の記憶
前回(第7回「酔読ノススメ」はこちら)、フリーアナウンサーの國本良博さんに酒の本の朗読をお願いしたエピソードを紹介しました。國本さんとは、しずおか地酒研究会設立のきっかけになった1995年の静岡市南部図書館地酒講座で、プログラムに地酒エッセイの寄稿をお願いして以来のおつきあい。寄稿者を探しているとき、偶然、國本さんがラジオ番組で河村傳兵衛さんにインタビューしていたのを聴いて、とても面白くて、静岡新聞社の知り合いに仲介を頼んだのがそもそもの出会いでした。実は、國本さんご自身が先月、SBSアナウンサー時代を振り返る自叙伝『くんちゃんのはなしのはなし』(マイルスタッフ刊)を出版され、この経緯を紹介してくださっています。よかったらぜひお読みください!

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今回は本ではなく、本筋に戻ってお酒の紹介といきましょう。
こういう肩書きで活動している宿命といいますか、初対面の人に「しずおか地酒研究会主宰」の名刺を渡すと、十中八九、「どの銘柄がおすすめですか?」と訊かれます。○○○が好きだとしても、○○○が去年と今年では味が違うかもしれないし、○○○の大吟醸か純米酒か本醸造かでも違います。「○○○は、大吟はいいけど純米はブレがある」・・・な~んて通ぶった答えをしても、質問者を戸惑わせるような気がする。自分はプロの評論家でもきき酒師でもないし、結局、自分の体験しか使える物指しがありません。そこでおすすめ銘柄を問われたときは、自分が直近で飲んで感動した銘柄を挙げるようにしています。
今回も、25年の酒歴で、質問されるたびに答えた記憶に残る美酒を思い起こしてみます。
最近一番感動したのは、先月、下田の蕎麦処『いし塚』で飲んだ『國香』(袋井市)の特別純米。繊細な香味が絶妙に調和し、私が何より國香らしいと感じる、ノド越しがストンと落ちる“さばけの良さ”が見事に表現されていました。目隠しして飲んだら十中八九、純米大吟醸だと答えるでしょう。この酒質を純米酒クラスで発揮できる蔵元杜氏・松尾晃一さんの力量に改めて敬服、というか、本当に「出会えてよかったぁ」と心から感動しました。

いし塚で味わえる國香
これに加え、酒肴のいし塚特製・蕎麦味噌が、國香のキレ味をやわらかく包み込んでくれます。キレ味がなくなるのではなく、内に秘められていた酒の旨味が、蕎麦味噌の旨味に刺激され、表に顔を出したという感じ。醗酵物同士の旨味ですから相性は申し分ありません。
下田を訪ねる機会がありましたら、ぜひ『いし塚』で味わってみてください。
◆いし塚の紹介記事はこちら ≫http://www.at-s.com/gourmet/featured/jizake/vol162.html
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
記憶に残る最も古い感動体験というと、1989年春、初めて『開運』(掛川市)の土井酒造場を訪ねたとき、試飲させてもらった搾りたての大吟醸。思わず、「こんなに美味い酒、今まで飲んだことがない!」と叫んでしまい、蔵元の土井さんに「この程度で満足してもらっては困るんだが」と苦笑いされました。
初めてまともに味わった搾りたての大吟醸。そのフルーティーでみずみずしい香りと、アルコールとは思えない清冽な口当たりに、これが本当に水と米と米麹だけで造った飲み物なのかとただただ驚愕しました。それなのに、「この程度で満足するな」とはいかなる意味か・・・。土井さんの苦笑いに、こちらも「ハハハ」とごまかし笑いで返したものの、脳裏は「?」マークで一杯でした。搾ったばかり酒が、濾過や加水や火入れ処理され、熟成を経て、さらに酒質が向上するということを、この時点ではまったく理解できていなかったのです。
いずれにしても、仕込み現場で初めて味わった搾りたての酒が、開運の大吟醸だったというのは、今思えば大変な幸運でした。「酒のファンを増やすには、最初の感動体験が大事だ」と考え、執筆活動のみならず実体験を共有できる場をつくろうと研究会を構想したのは、まさに自分自身のこの体験からでした。
『開運』に合う酒肴は、それこそ枚挙に暇はありませんが、個人的に思い入れがあるのは、鮨屋『陣太鼓』(静岡市葵区昭和町)で味わうワサビ巻き。出会ったのは、ちょうど開運を訪ねたちょうどこの頃で、「ワサビを巻くだけの寿司があるんだ」と目を白黒させ、大人の味覚を一つ覚えた気分になりました。『陣太鼓』は開運が全種類飲める鮨屋さんです。ぜひお味見ください。

陣太鼓で飲める開運全種
◆陣太鼓の紹介記事はこちら ≫http://www.at-s.com/gourmet/featured/jizake/vol81.html
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
静岡県酒造組合では毎年10月1日(日本酒の日)に『静岡県地酒まつり』という県内全蔵が一堂に介する大試飲会を開催しています。以前、このイベントで何年か続けて燗酒をふるまうブースをお手伝いしたことがありました。
「かんすけ」という錫製の燗付け器をお湯で温め、温度計で慎重に測りながらのお燗番役。お客さんのほとんどは、各蔵元ブースに並ぶ豪華ラインナップをはしご呑みするのに必死で、ふだん呑み価格の酒が並ぶ燗酒ブースはヒマだったんですが、私にとっては、県内全銘柄をいっぺんに、しかも自分の好みの温度で燗付けして試飲できる夢のようなブースです。冷やかしに来る蔵元や顔なじみの酒徒たちで、いつの間にか内輪の立ち飲みカウンターみたいになっていました(苦笑)。

静岡県地酒まつりの燗酒ブース。燗付け器「かんすけ」の営業さんと
初めて燗酒ブースが設置された2004年の『静岡県地酒まつり』で、いきなり、燗上がりする素晴らしい酒を発見しました。『白隠正宗』(沼津市)の純米酒です。少し温めると角がとれるのか酒質全体が丸くなり、旨みがじんわり口中に広がる。それでいて後味がすっきり。前述のとおり、この後味すっきりのさばけ感が、自分の何よりのお好みポイントで、燗酒でこれだけきれいにさばける酒に出会えたのは大きな収穫でした。
冷やかしに来た『小夜衣』の蔵元森本均さんに試飲してもらったら、人前では他人の酒をめったに褒めない森本さんが「いい酒だ」と満足してくれました。きき酒名人で知られる森本さんに自分が褒められたような気分になり、その時から、自分の脳裏に「燗酒には白隠の純米」と刷り込まれてしまいました。
白隠正宗は沼津の地酒ですから、やっぱり沼津の魚料理と相性バツグンです。中でも純米酒は煮魚がベストマッチ。おすすめは漁師居酒屋『さえ丸おじさんの店』(沼津市)。

煮魚と相性バツグンの白隠正宗
◆さえ丸おじさんの店の紹介記事はこちら
≫http://www.at-s.com/gourmet/featured/jizake/vol165.html
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2004年の静岡県地酒まつりでは、忘れられない燗酒がもう一つありました。満寿一(静岡市葵区)の蔵元増井浩二さんが、「これ、燗付けてみて」と持ってこられたのは、なんと『満寿一大吟醸』。大吟醸というのはフルーティーな吟醸香を楽しむ酒で、燗をつけると香りが飛んでしまうため、冷酒で飲むのが常道だとされていますが、蔵元自ら、道を外れよ、とのお達し。実は私もひそかに「遊びで大吟を燗付けよ、なんて言って来る猛者はいないかなあ」と期待していたのです。それが、数多くの商品ラインナップを持つ規模の大きな蔵元ではなく、小規模の部類に入る満寿一さんだったのが意外でした。
増井さんは昨年、49歳の若さで急逝しました。静岡県で唯一残った杜氏集団・志太杜氏を雇用し続け、志太杜氏最後の一人が引退した後は自ら杜氏となって伝統を守った信念の酒造家でした。そんな彼が大吟醸片手に、悪戯小僧のような笑顔で燗酒ブースにやってきたあの日のことは、今でも忘れられません。
満寿一は、安倍川の軟らかな水質と増井さんの骨太な性格が融け合った“細マッチョな酒だ”と勝手に思っていましたが、温めると筋肉が弛緩する感じ。増井さんが隠し持っていた優しい人柄がにじみ出てくるんでしょう・・・。増井さんの笑顔にも、満寿一の味にも二度と会えないと思うと本当に残念でなりません。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『國香』の松尾晃一さんと、『満寿一』の増井浩二さんは、静岡酵母の開発者で静岡吟醸造りの指導者でもある河村傳兵衛さんの“直弟子”です。松尾さんが『傳一郎』、増井さんが『傳次郎』という杜氏名を授かっており、松尾さんの『傳一郎』は純米吟醸酒の酒銘にもなっています。
河村さんの三番目の直弟子が、『喜久醉』の蔵元杜氏・青島孝さん。満寿一が昨年廃業した後、増井さんが使っていたタンクや甑(こしき)を譲り受け、いつにも増して今期の仕込みに精魂を込め、静岡県清酒鑑評会で見事、県知事賞を受賞しました。彼には『傳三郎』という杜氏名が与えられ、県知事賞を2度も獲得していますが、「まだ酒銘に出来るほどの腕はない」と謙虚に語ります。
『國香』『喜久醉』は、JR静岡駅ビルASTY東館の居酒屋『魚河岸大作』で鮮度バツグンの地魚と一緒に味わえます。大作は、『満寿一』一種だけをずっと扱ってきた店ですが、満寿一廃業となり、在庫もなくなってからは、ともに「傳」の杜氏名を授かった兄貴分の國香、弟分の喜久醉を置くようになりました。この2蔵がブレずに美酒を醸し続ける限り、この店における満寿一の記憶もなくならない、と信じています。

魚河岸大作の看板銘柄だった満寿一
◆魚河岸 大作の紹介記事はこちら
≫http://www.at-s.com/gourmet/featured/jizake/vol65.html
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青島さんは2004年から杜氏を務めていますが、私が最初に感動した『喜久醉』は、1963年から2003年まで青島酒造の杜氏を務めた富山初雄さん(南部杜氏=岩手県出身)の手による普通酒や特別本醸造でした。醸造アルコールを添加した、いわゆる“アル添酒”です。
日本酒ファンの中には、「アルコールを米と米麹だけで自然発酵させる純米酒こそ正しい日本酒であり、使用米の量を減らしてコストを下げ、代わりに出来合いのアルコールを加えるなんて不純な造り方だ」と主張する人は少なくなく、純米酒しか扱いませんという酒屋や飲食店、また最近では純米酒しか造りません、という酒蔵も増えているようです。
それでも私は富山さんの酒で覚えたアル添酒の美味しさに魅了され続けています。初めて喜久醉特別本醸造を飲んだときは、本当は吟醸酒に入れ替えて飲まされたのではないかと思うほど洗練されていました。普通酒を飲んだときは、「こんな美味しい酒を普通酒として売って蔵の儲けになるのか・・・」と素人ながら心配したほど。
最近、インスタントラーメンの世界で、生麺と見紛う美味しい袋麺が出始めていますよね。高い品質と価格の手軽さを両立させようと各社が開発努力をした成果でしょう。ジャンルは異なりますが、美味しくてリーズナブルなアル添酒が造れるというのも、蔵元の技術力の証明ではないか、と思っています。
青島さんが杜氏を引き継いだ後は、喜久醉のアル添酒もさらに一層、磨きがかかり、目隠しで飲めば普通酒が吟醸酒に、特別本醸造は大吟醸と言われても疑わないクオリティーです。となると、吟醸酒や大吟醸はもっと上のレベルを目指さなければならないわけで、「“傳三郎”を易々と名乗れない」と語った青島さんの目標の高さや“求道者”ぶりに唸ってしまいます。
昨年8月、平野斗紀子さんとアメリカを旅行したとき、ラスベガスのマンダレイ・ベイ・ホテルのイタリアンレストランLupoで、シェフが気前よくサービスしてくれたので、お礼に、持参した『喜久醉普通酒』を試飲してもらったところ、「SAKEを飲むのは生まれて初めて!実にまろやかで美味しい」と絶賛してくれました。
その後、LupoのシェフがSAKEにハマッたかどうかは分かりませんが、彼にとって忘れられない感動の一杯として記憶に残ってくれればいいな・・・と願うばかりです。

ラスベガスのイタリアンLupoのシェフに喜久酔普通酒を勧めた。右が平野さん
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美酒の記憶とは、造り手が売り手へ、売り手が飲み手へとつないだ「美味しい酒が、もっと美味しくなるように」という心のバトンリレー。地元の酒はバトンタッチまでの距離が短い分、見えてくる心象もクリアです。
酒蔵の仕込み作業はほぼ終わりましたので、造り手が売り手や飲み手と交流する機会も増えるでしょう。チャンスを活かし、ぜひとも多くの美酒体験を楽しんでくださいね。

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今回は本ではなく、本筋に戻ってお酒の紹介といきましょう。
こういう肩書きで活動している宿命といいますか、初対面の人に「しずおか地酒研究会主宰」の名刺を渡すと、十中八九、「どの銘柄がおすすめですか?」と訊かれます。○○○が好きだとしても、○○○が去年と今年では味が違うかもしれないし、○○○の大吟醸か純米酒か本醸造かでも違います。「○○○は、大吟はいいけど純米はブレがある」・・・な~んて通ぶった答えをしても、質問者を戸惑わせるような気がする。自分はプロの評論家でもきき酒師でもないし、結局、自分の体験しか使える物指しがありません。そこでおすすめ銘柄を問われたときは、自分が直近で飲んで感動した銘柄を挙げるようにしています。
今回も、25年の酒歴で、質問されるたびに答えた記憶に残る美酒を思い起こしてみます。
最近一番感動したのは、先月、下田の蕎麦処『いし塚』で飲んだ『國香』(袋井市)の特別純米。繊細な香味が絶妙に調和し、私が何より國香らしいと感じる、ノド越しがストンと落ちる“さばけの良さ”が見事に表現されていました。目隠しして飲んだら十中八九、純米大吟醸だと答えるでしょう。この酒質を純米酒クラスで発揮できる蔵元杜氏・松尾晃一さんの力量に改めて敬服、というか、本当に「出会えてよかったぁ」と心から感動しました。
いし塚で味わえる國香
これに加え、酒肴のいし塚特製・蕎麦味噌が、國香のキレ味をやわらかく包み込んでくれます。キレ味がなくなるのではなく、内に秘められていた酒の旨味が、蕎麦味噌の旨味に刺激され、表に顔を出したという感じ。醗酵物同士の旨味ですから相性は申し分ありません。
下田を訪ねる機会がありましたら、ぜひ『いし塚』で味わってみてください。
◆いし塚の紹介記事はこちら ≫http://www.at-s.com/gourmet/featured/jizake/vol162.html
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記憶に残る最も古い感動体験というと、1989年春、初めて『開運』(掛川市)の土井酒造場を訪ねたとき、試飲させてもらった搾りたての大吟醸。思わず、「こんなに美味い酒、今まで飲んだことがない!」と叫んでしまい、蔵元の土井さんに「この程度で満足してもらっては困るんだが」と苦笑いされました。
初めてまともに味わった搾りたての大吟醸。そのフルーティーでみずみずしい香りと、アルコールとは思えない清冽な口当たりに、これが本当に水と米と米麹だけで造った飲み物なのかとただただ驚愕しました。それなのに、「この程度で満足するな」とはいかなる意味か・・・。土井さんの苦笑いに、こちらも「ハハハ」とごまかし笑いで返したものの、脳裏は「?」マークで一杯でした。搾ったばかり酒が、濾過や加水や火入れ処理され、熟成を経て、さらに酒質が向上するということを、この時点ではまったく理解できていなかったのです。
いずれにしても、仕込み現場で初めて味わった搾りたての酒が、開運の大吟醸だったというのは、今思えば大変な幸運でした。「酒のファンを増やすには、最初の感動体験が大事だ」と考え、執筆活動のみならず実体験を共有できる場をつくろうと研究会を構想したのは、まさに自分自身のこの体験からでした。
『開運』に合う酒肴は、それこそ枚挙に暇はありませんが、個人的に思い入れがあるのは、鮨屋『陣太鼓』(静岡市葵区昭和町)で味わうワサビ巻き。出会ったのは、ちょうど開運を訪ねたちょうどこの頃で、「ワサビを巻くだけの寿司があるんだ」と目を白黒させ、大人の味覚を一つ覚えた気分になりました。『陣太鼓』は開運が全種類飲める鮨屋さんです。ぜひお味見ください。
陣太鼓で飲める開運全種
◆陣太鼓の紹介記事はこちら ≫http://www.at-s.com/gourmet/featured/jizake/vol81.html
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静岡県酒造組合では毎年10月1日(日本酒の日)に『静岡県地酒まつり』という県内全蔵が一堂に介する大試飲会を開催しています。以前、このイベントで何年か続けて燗酒をふるまうブースをお手伝いしたことがありました。
「かんすけ」という錫製の燗付け器をお湯で温め、温度計で慎重に測りながらのお燗番役。お客さんのほとんどは、各蔵元ブースに並ぶ豪華ラインナップをはしご呑みするのに必死で、ふだん呑み価格の酒が並ぶ燗酒ブースはヒマだったんですが、私にとっては、県内全銘柄をいっぺんに、しかも自分の好みの温度で燗付けして試飲できる夢のようなブースです。冷やかしに来る蔵元や顔なじみの酒徒たちで、いつの間にか内輪の立ち飲みカウンターみたいになっていました(苦笑)。
静岡県地酒まつりの燗酒ブース。燗付け器「かんすけ」の営業さんと
初めて燗酒ブースが設置された2004年の『静岡県地酒まつり』で、いきなり、燗上がりする素晴らしい酒を発見しました。『白隠正宗』(沼津市)の純米酒です。少し温めると角がとれるのか酒質全体が丸くなり、旨みがじんわり口中に広がる。それでいて後味がすっきり。前述のとおり、この後味すっきりのさばけ感が、自分の何よりのお好みポイントで、燗酒でこれだけきれいにさばける酒に出会えたのは大きな収穫でした。
冷やかしに来た『小夜衣』の蔵元森本均さんに試飲してもらったら、人前では他人の酒をめったに褒めない森本さんが「いい酒だ」と満足してくれました。きき酒名人で知られる森本さんに自分が褒められたような気分になり、その時から、自分の脳裏に「燗酒には白隠の純米」と刷り込まれてしまいました。
白隠正宗は沼津の地酒ですから、やっぱり沼津の魚料理と相性バツグンです。中でも純米酒は煮魚がベストマッチ。おすすめは漁師居酒屋『さえ丸おじさんの店』(沼津市)。

煮魚と相性バツグンの白隠正宗
◆さえ丸おじさんの店の紹介記事はこちら
≫http://www.at-s.com/gourmet/featured/jizake/vol165.html
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2004年の静岡県地酒まつりでは、忘れられない燗酒がもう一つありました。満寿一(静岡市葵区)の蔵元増井浩二さんが、「これ、燗付けてみて」と持ってこられたのは、なんと『満寿一大吟醸』。大吟醸というのはフルーティーな吟醸香を楽しむ酒で、燗をつけると香りが飛んでしまうため、冷酒で飲むのが常道だとされていますが、蔵元自ら、道を外れよ、とのお達し。実は私もひそかに「遊びで大吟を燗付けよ、なんて言って来る猛者はいないかなあ」と期待していたのです。それが、数多くの商品ラインナップを持つ規模の大きな蔵元ではなく、小規模の部類に入る満寿一さんだったのが意外でした。
増井さんは昨年、49歳の若さで急逝しました。静岡県で唯一残った杜氏集団・志太杜氏を雇用し続け、志太杜氏最後の一人が引退した後は自ら杜氏となって伝統を守った信念の酒造家でした。そんな彼が大吟醸片手に、悪戯小僧のような笑顔で燗酒ブースにやってきたあの日のことは、今でも忘れられません。
満寿一は、安倍川の軟らかな水質と増井さんの骨太な性格が融け合った“細マッチョな酒だ”と勝手に思っていましたが、温めると筋肉が弛緩する感じ。増井さんが隠し持っていた優しい人柄がにじみ出てくるんでしょう・・・。増井さんの笑顔にも、満寿一の味にも二度と会えないと思うと本当に残念でなりません。
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『國香』の松尾晃一さんと、『満寿一』の増井浩二さんは、静岡酵母の開発者で静岡吟醸造りの指導者でもある河村傳兵衛さんの“直弟子”です。松尾さんが『傳一郎』、増井さんが『傳次郎』という杜氏名を授かっており、松尾さんの『傳一郎』は純米吟醸酒の酒銘にもなっています。
河村さんの三番目の直弟子が、『喜久醉』の蔵元杜氏・青島孝さん。満寿一が昨年廃業した後、増井さんが使っていたタンクや甑(こしき)を譲り受け、いつにも増して今期の仕込みに精魂を込め、静岡県清酒鑑評会で見事、県知事賞を受賞しました。彼には『傳三郎』という杜氏名が与えられ、県知事賞を2度も獲得していますが、「まだ酒銘に出来るほどの腕はない」と謙虚に語ります。
『國香』『喜久醉』は、JR静岡駅ビルASTY東館の居酒屋『魚河岸大作』で鮮度バツグンの地魚と一緒に味わえます。大作は、『満寿一』一種だけをずっと扱ってきた店ですが、満寿一廃業となり、在庫もなくなってからは、ともに「傳」の杜氏名を授かった兄貴分の國香、弟分の喜久醉を置くようになりました。この2蔵がブレずに美酒を醸し続ける限り、この店における満寿一の記憶もなくならない、と信じています。
魚河岸大作の看板銘柄だった満寿一
◆魚河岸 大作の紹介記事はこちら
≫http://www.at-s.com/gourmet/featured/jizake/vol65.html
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青島さんは2004年から杜氏を務めていますが、私が最初に感動した『喜久醉』は、1963年から2003年まで青島酒造の杜氏を務めた富山初雄さん(南部杜氏=岩手県出身)の手による普通酒や特別本醸造でした。醸造アルコールを添加した、いわゆる“アル添酒”です。
日本酒ファンの中には、「アルコールを米と米麹だけで自然発酵させる純米酒こそ正しい日本酒であり、使用米の量を減らしてコストを下げ、代わりに出来合いのアルコールを加えるなんて不純な造り方だ」と主張する人は少なくなく、純米酒しか扱いませんという酒屋や飲食店、また最近では純米酒しか造りません、という酒蔵も増えているようです。
それでも私は富山さんの酒で覚えたアル添酒の美味しさに魅了され続けています。初めて喜久醉特別本醸造を飲んだときは、本当は吟醸酒に入れ替えて飲まされたのではないかと思うほど洗練されていました。普通酒を飲んだときは、「こんな美味しい酒を普通酒として売って蔵の儲けになるのか・・・」と素人ながら心配したほど。
最近、インスタントラーメンの世界で、生麺と見紛う美味しい袋麺が出始めていますよね。高い品質と価格の手軽さを両立させようと各社が開発努力をした成果でしょう。ジャンルは異なりますが、美味しくてリーズナブルなアル添酒が造れるというのも、蔵元の技術力の証明ではないか、と思っています。
青島さんが杜氏を引き継いだ後は、喜久醉のアル添酒もさらに一層、磨きがかかり、目隠しで飲めば普通酒が吟醸酒に、特別本醸造は大吟醸と言われても疑わないクオリティーです。となると、吟醸酒や大吟醸はもっと上のレベルを目指さなければならないわけで、「“傳三郎”を易々と名乗れない」と語った青島さんの目標の高さや“求道者”ぶりに唸ってしまいます。
昨年8月、平野斗紀子さんとアメリカを旅行したとき、ラスベガスのマンダレイ・ベイ・ホテルのイタリアンレストランLupoで、シェフが気前よくサービスしてくれたので、お礼に、持参した『喜久醉普通酒』を試飲してもらったところ、「SAKEを飲むのは生まれて初めて!実にまろやかで美味しい」と絶賛してくれました。
その後、LupoのシェフがSAKEにハマッたかどうかは分かりませんが、彼にとって忘れられない感動の一杯として記憶に残ってくれればいいな・・・と願うばかりです。
ラスベガスのイタリアンLupoのシェフに喜久酔普通酒を勧めた。右が平野さん
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
美酒の記憶とは、造り手が売り手へ、売り手が飲み手へとつないだ「美味しい酒が、もっと美味しくなるように」という心のバトンリレー。地元の酒はバトンタッチまでの距離が短い分、見えてくる心象もクリアです。
酒蔵の仕込み作業はほぼ終わりましたので、造り手が売り手や飲み手と交流する機会も増えるでしょう。チャンスを活かし、ぜひとも多くの美酒体験を楽しんでくださいね。
Posted by 日刊いーしず at 12:00
2013年04月26日
第7回 酔読ノススメ
当コラム第3回「17歳の酒縁」(≫こちら)で紹介した、『喜久醉純米大吟醸松下米』の原料米生産農家・松下明弘さんが、【ロジカルな田んぼ】(日経プレミアシリーズ)という新書本を上梓しました。

独学で辿り着いた〈農薬や化学肥料を使わないのに雑草が生えなくなった田んぼづくり〉のプロセスを通し、農作業のすべてに理由があることを、学者の論説ではなく自称稲オタクとして実証したもの。〈有機農業〉の本意や、「17歳の酒縁」でも触れた喜久醉の蔵元との出会い、巨大胚芽米カミアカリを育種した経緯など等、農業者自身がここまでクレバーに語り切るなんて、ニッポン農業は新しい次元に進化したんじゃないかと感じさせる筆力です。たまたま発刊直後の4月12日、所用で上京して新宿紀伊国屋書店の新刊本コーナーをのぞいたら、名だたるベストセラーと並んでセンターポジションに堂々と並んでいて、胸が熱くなりました。
2000年10月、藤枝市出身の写真家多々良栄里さんが、松下さんを密着撮影した連作「松下君の山田錦」(土門拳文化奨励賞受賞)を新宿コニカプラザで展示披露した際、松下さんと2人で観に行き、本屋に寄りたいと言う彼につきあって、新宿紀伊国屋書店で長々時間をつぶしたことがありました。本などに頼らず、トコトン現場・実践主義を貫く人だと思っていた彼が専門書を漁っている姿に、少々意外な感じがしましたが、こうして、この書店の新刊センターポジションに著作を並べてしまう日が来るとは・・・。
今回は【ロジカルな田んぼ】が加わったMY書棚から、読むだけで心地よく酔いそうな、お気に入り本をご紹介します。

桜木廂夫さんの【名酒発掘の旅】(平凡社/1987年刊)は、私が地酒の取材を始めて最初に購入したガイド本でした。「傳魚坊」「笹舟」「松島」等と並び、地酒を育てた料飲店として名高い神田「一ノ茶屋」店主が綴った酒蔵訪問記で、静岡県では『春の甍』という酒が紹介されています。ピンと来ない人も多いでしょう。これ、藤枝の『志太泉』が当時、首都圏向けに発売していた純米酒ブランドです。久しぶりに読み返して気がついたんですが、桜木さんは「この酒蔵に今期、一升瓶で五千本の純米酒を注文している」と書いています。個人店一店の注文数か!?と目を疑いましたが、当時はこういう個店が、地方の隠れた名酒を買い支えていたんだなあと感慨深くなりました。
それはさておき、桜木さんは、当時の志太泉の杜氏が、桜木さんの常識を超える洗米作業と麹造りをしていたこと、若い酒造技術者が熱心に指導している光景を紹介しています。ピンと来る人もいるでしょう。杜氏は多田信男さん。今は磯自慢の杜氏さんです。若い技術者というのは静岡県工業技術センター(当時)で静岡酵母を開発した河村傳兵衛さんで、多田さんと同い年の43歳。お二人ともバリバリの働き盛りでした。
桜木さんが、静岡酵母や酒造りの技術全般について質問しても、河村さんからは判で押したように「酵母だけでは名酒はできない」「酵母より麹のほうが大切」「しっかりした麹を造らないといけません」と返ってきます。とりわけ印象的だったのは、「(河村氏は)麹造りは建築で言うならば、土台であり骨組みだと言った。酵母の役割は内装であり、外装であり、いわばインテリアの部分に属する、とも言った」という一節です。酒の勉強を始めたばかりの若輩者にとって、麹と酵母¬=2大微生物の働きや役割を正しく理解することは最初の大きな関門。これをすんなり通過させてくれたバイパスのような一節でした。
この本は、志太泉さんや河村さんに薦められたわけではなく、書店でたまたま見つけ、静岡の蔵が載っている数少ない本だったのでとりあえず買ってみたんですが、その後に出会った酒の関係者の中で「麹造りの重要性をしっかり語れる人」とそうではない人では、物事の本質を語っているのか、そもそも本質を理解しているかが、なんとなく見えてきました。
酒に限りません。料理人ならダシ、農家なら土づくり、企業経営者なら基本となるシステムづくりや人員配置・・・。インタビューでグッと心を掴まされるのは、こういう話を、時間を割いて語る人です。基礎の土台をしっかり作ることに手を抜かず、真摯に取り組む人、ですね。最初に読んだ酒の本で、土台というキーワードで酒造りの核心を突いた一節に出会えたというのは、私の取材活動にとって実に大きかった。
この本を買った直後に、河村さんから「よかったら読んでみてください」と薦められたのがこの本でした(笑)。そのときの、照れくさそうな表情を、昨日のことのように覚えています。

藤田千恵子さんの【杜氏という仕事】(新潮新書/2004年刊)は、自分もいつか、酒の分野でこういうものが書けるようになりたいと具体的にイメージできた本です。著者の藤田さんも、こういうライターになりたいと思わせる憧れの女性。何度かお会いし、しずおか地酒研究会で講演に来ていただいたこともあります。とても面白い講演&蔵元セッションだったので、よかったらこちらをご覧ください。
◆藤田さんの講演
http://mayumi-s-jizake.blogzine.jp/blog/2008/04/post_1c05.html
◆藤田さんvs國香・杉錦・志太泉・喜久醉トークセッション
http://mayumi-s-jizake.blogzine.jp/blog/2008/04/vs_4edd.html
本書は、滋賀県の銘酒『喜楽長』を醸す能登杜氏・天保正一さんのロングインタビューを柱に、杜氏という日本の伝統的な技能者の職業観や人生観、日本酒の造り手が置かれた環境や酒造業の未来について、じっくり読ませてくれます。
この本にもお気に入りの一節があります。
「杜氏はね、眠れん夜があるものですよ。(中略)酒造りの責任者には、孤独なところもあるのですよ。でも、その責任で苦労する部分と、自分の技術で対応していくおもしろみと、両方を味わうようにならないと、杜氏はだめですね。結局、酒造りというのは、何年やっても、これでいい、ということがない。去年どおりでもだめなんです。(中略)自分の理想通りには、なかなか進まない。その面だけ孤独なんですよ」。
名人と謳われる職人が〈孤独〉という言葉を吐く・・・このことの重さが、モノづくりの取材をしていく上でいつも脳裏に甦ってきます。
文中、天保さんに憧れ、蔵元・喜多酒造に直談判して蔵人になった西原光志さんという若者が登場します。ピンと来る人もいると思いますが、今、西原さんは、『志太泉』の杜氏を務めています。なんとも不思議な酒縁ですよね。

吉田健一さんの【まろやかな日本】(新潮社/1978年刊)は、発刊年は前2冊よりも古いのですが、出会ったのは2年前。しずおか地酒研究会で企画した『酒と匠の文化祭』というイベントの中で、フリーアナウンサー國本良博さんに酒の本の朗読をお願いした中の一冊です。朗読会の様子はこちらをご覧ください。
http://mayumi-s-jizake.blogzine.jp/blog/2010/12/5_ea42.html
http://mayumi-s-jizake.blogzine.jp/blog/2010/12/5_2948.html
http://mayumi-s-jizake.blogzine.jp/blog/2010/12/5_3123.html
國本さんにはこのとき、井伏鱒二や若山牧水の歌、篠田次郎さんの酒の歳時記、不肖私の県内酒蔵レポート等を読んでもらったのですが、せっかくプロのアナウンサーに頼むなら、読むのはしんどいけど心地よい朗読なら多少は耳に入るかも・・・という、ちょっと高尚な酒文化論も入れようと思い、あれこれ探して発掘しました。
著者の吉田さんは、昭和の宰相吉田茂のご長男。英国タイムズ紙に「完全無比な英語を使いこなす日本の英文学者」と紹介された人で、本書は1974年、イギリスで「Japan is a circle」というタイトルで出版され、吉田さんが亡くなった1年後に日本で翻訳・出版された日本文化論です。全26章のうち、日本酒について4章が費やされており、何度も読み込んでワードのテキストに入力し、國本さんと相談して音読に適さない部分をカットし、朗読用台本に仕上げました。一部を再掲します。
「日本酒というものの絶妙さは、飲んでみなければとうてい信じられるものではない。多くの要素が、といっても量ではなく、質の点で入り組んだ日本の食事には、1回の献立のなかに胡桃から鶉や熊の足といったものまで含まれている場合もありうるが、日本酒はその全部と合う。
ある人が一度、日本酒でビフテキを食べたことがあって、これも申し分なく合ったらしい。しかしむろん、何を一緒に食べようと、そんなことは酒自体に比べればほとんど問題にならない。この点で日本酒は葡萄酒に優るのであって、全然何も食べないか、せいぜい塩をちょっと舐める程度でもすむ。つまり、いい酒ができるのに役立っている複雑な成分がそこにあれば、あとはただ盃を口へ運ぶこと以外、現実には何一つしないで充分だということである。
日本酒はほとんど、どんな食べ物とも合うだけでなく、それ自体、ほとんど、どんなものにも成り得る。西洋ではどの国だろうと人は大理石の大広間でシャンパンを飲み、安酒場でジンを飲む。日本では、同じ日本酒を、金箔で飾り立てた豪華な座敷で飲むこともあれば、馬方が出入りする道端の小さな屋台で、縁に少しばかり塩をのせた四角い杉材の容器に入れて飲むこともある。
日本酒が、そうした屋台でのほうがかえっていい状態に保たれていることさえあるかもしれないのは、少なくとも上流階級よりも馬方のほうが自分たちの飲むものに気を配るからであって、少なくともそういう階級が存在していた頃はそうだった。」(第15章「日本酒の定義」より抜粋)。
英語の翻訳文で朗読しづらい表現が多かったにもかかわらず、國本さんの艶やかで抑揚のある声によって、吉田さん自身が、新橋あたりのガード下の飲み屋を恋しく思い浮かべ、ロンドンのセレブたちに滔々と語って聞かせている・・・そんな情景が浮かんできました。呑みながら聴くっていうのが、またいいんですよねえ。
國本さんは、しずおか地酒研究会設立のきっかけとなった、1995年の静岡市南部図書館地酒講座のプログラムに、地酒エッセイの寄稿をお願いして以来のおつきあい。エッセイを頼んだきっかけは、國本さんがラジオ番組で河村傳兵衛さんにインタビューしていたのを偶然聴いて、とても面白くて、静岡新聞社の知り合いに仲介を頼んだのです。その後、それまで日本酒を敬遠していた國本さんを、無事、こちら側?に寝返させることが出来ました(笑)。
日本酒の朗読ライブは、國本さんと私のライフワークにできればいいなあと思っています。

2010年12月、大旅籠柏屋(岡部)で開催した「酒と匠の文化祭」での國本良博さんの酒の朗読会
新宿紀伊国屋で【ロジカルな田んぼ】を購入した日の夜、広尾の日赤通りにある定食店『一汁三菜』で、喜久醉純米吟醸松下米と、カミアカリ(松下さんが育種した巨大胚芽米)の玄米ご飯を味わいました。松下さんの米をこよなく愛する店主の朝川佳子さんと、本の話や喜久醉の県知事賞受賞の話題でひとしきり盛り上がりました。
【ロジカルな田んぼ】でお気に入りの一節は、
「自然の摂理にさからわないこと。さまざまな生きものの有機的つながりをこわさないよう、人間も自然の摂理のなかで動くこと」「田んぼの持ち主は松下になっているけれど、決して私一人のものじゃない。多くの生きものの生活の場になっている。そこで産まれ、そこで育ち、そこで死に、その死骸がまた田んぼの栄養になっていく。こうした循環から、少しだけおすそ分けをもらうのが有機農業だと思うのです」(92~93ページ)。
ここを読むと、ふと、禅の教えが浮かんでくるのです。無我の境地とは、田んぼの中の微生物のように、有機的つながりに身をゆだねるということだろう、と、腑に落ちる。
私は年に数回、京都の禅寺に坐禅をしに行きます。無我になろうと意識するうちは、なかなかなれないんですが、和尚から薦められた盛永宗興さん(元・妙心寺塔頭大珠院住職)の【お前は誰か】(禅文化研究所/2005年刊)に、こんな一節があります。

「DNAは生物の最も基本的な内在情報であって、細胞が一箇しかない単細胞生物から、人間のように数兆規模の細胞を持つ多細胞生物にいたるまで、例外なく共通に持っている物質です。(中略)すべてに共通して含まれるということ、この意味で、普遍的な〈いのち〉と、多様性を持った種種雑多な存在が、実は一つであるといえる。岡田博士は「一即多多即一」という仏教的な概念を、生物学の立場からお話された」。
岡田博士というのは、盛永さんが学長を務めた花園大学の文化祭に講師で招いた発生生物学の世界的権威・岡田節人博士のこと。評論家立花隆さんと脳死について対談したNHKの番組を盛永さんがご覧になり、講師に招かれたようです。
松下さんの田んぼは、宇宙にも喩えられる般若心経の世界を具現化したものではないか・・・。彼の山田錦で醸した酒と、玄米カミアカリを咀嚼していると、そんな妄想にとらわれてしまいます。
酒に関係のない話に飛んでいきそうなので、このへんで杯を眠らせておきますが、古い本でもネットで取り寄せられる便利な時代になりましたので、興味があったら読んでみてください。ちなみに【ロジカルな田んぼ】、東京の有名書店ではセンターポジションなのに、静岡の書店ではとんと見かけません。かつての静岡地酒と同じ扱いですね(苦笑)。・・・静岡の書店の奮起に期待します!

独学で辿り着いた〈農薬や化学肥料を使わないのに雑草が生えなくなった田んぼづくり〉のプロセスを通し、農作業のすべてに理由があることを、学者の論説ではなく自称稲オタクとして実証したもの。〈有機農業〉の本意や、「17歳の酒縁」でも触れた喜久醉の蔵元との出会い、巨大胚芽米カミアカリを育種した経緯など等、農業者自身がここまでクレバーに語り切るなんて、ニッポン農業は新しい次元に進化したんじゃないかと感じさせる筆力です。たまたま発刊直後の4月12日、所用で上京して新宿紀伊国屋書店の新刊本コーナーをのぞいたら、名だたるベストセラーと並んでセンターポジションに堂々と並んでいて、胸が熱くなりました。
2000年10月、藤枝市出身の写真家多々良栄里さんが、松下さんを密着撮影した連作「松下君の山田錦」(土門拳文化奨励賞受賞)を新宿コニカプラザで展示披露した際、松下さんと2人で観に行き、本屋に寄りたいと言う彼につきあって、新宿紀伊国屋書店で長々時間をつぶしたことがありました。本などに頼らず、トコトン現場・実践主義を貫く人だと思っていた彼が専門書を漁っている姿に、少々意外な感じがしましたが、こうして、この書店の新刊センターポジションに著作を並べてしまう日が来るとは・・・。
今回は【ロジカルな田んぼ】が加わったMY書棚から、読むだけで心地よく酔いそうな、お気に入り本をご紹介します。
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桜木廂夫さんの【名酒発掘の旅】(平凡社/1987年刊)は、私が地酒の取材を始めて最初に購入したガイド本でした。「傳魚坊」「笹舟」「松島」等と並び、地酒を育てた料飲店として名高い神田「一ノ茶屋」店主が綴った酒蔵訪問記で、静岡県では『春の甍』という酒が紹介されています。ピンと来ない人も多いでしょう。これ、藤枝の『志太泉』が当時、首都圏向けに発売していた純米酒ブランドです。久しぶりに読み返して気がついたんですが、桜木さんは「この酒蔵に今期、一升瓶で五千本の純米酒を注文している」と書いています。個人店一店の注文数か!?と目を疑いましたが、当時はこういう個店が、地方の隠れた名酒を買い支えていたんだなあと感慨深くなりました。
それはさておき、桜木さんは、当時の志太泉の杜氏が、桜木さんの常識を超える洗米作業と麹造りをしていたこと、若い酒造技術者が熱心に指導している光景を紹介しています。ピンと来る人もいるでしょう。杜氏は多田信男さん。今は磯自慢の杜氏さんです。若い技術者というのは静岡県工業技術センター(当時)で静岡酵母を開発した河村傳兵衛さんで、多田さんと同い年の43歳。お二人ともバリバリの働き盛りでした。
桜木さんが、静岡酵母や酒造りの技術全般について質問しても、河村さんからは判で押したように「酵母だけでは名酒はできない」「酵母より麹のほうが大切」「しっかりした麹を造らないといけません」と返ってきます。とりわけ印象的だったのは、「(河村氏は)麹造りは建築で言うならば、土台であり骨組みだと言った。酵母の役割は内装であり、外装であり、いわばインテリアの部分に属する、とも言った」という一節です。酒の勉強を始めたばかりの若輩者にとって、麹と酵母¬=2大微生物の働きや役割を正しく理解することは最初の大きな関門。これをすんなり通過させてくれたバイパスのような一節でした。
この本は、志太泉さんや河村さんに薦められたわけではなく、書店でたまたま見つけ、静岡の蔵が載っている数少ない本だったのでとりあえず買ってみたんですが、その後に出会った酒の関係者の中で「麹造りの重要性をしっかり語れる人」とそうではない人では、物事の本質を語っているのか、そもそも本質を理解しているかが、なんとなく見えてきました。
酒に限りません。料理人ならダシ、農家なら土づくり、企業経営者なら基本となるシステムづくりや人員配置・・・。インタビューでグッと心を掴まされるのは、こういう話を、時間を割いて語る人です。基礎の土台をしっかり作ることに手を抜かず、真摯に取り組む人、ですね。最初に読んだ酒の本で、土台というキーワードで酒造りの核心を突いた一節に出会えたというのは、私の取材活動にとって実に大きかった。
この本を買った直後に、河村さんから「よかったら読んでみてください」と薦められたのがこの本でした(笑)。そのときの、照れくさそうな表情を、昨日のことのように覚えています。
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藤田千恵子さんの【杜氏という仕事】(新潮新書/2004年刊)は、自分もいつか、酒の分野でこういうものが書けるようになりたいと具体的にイメージできた本です。著者の藤田さんも、こういうライターになりたいと思わせる憧れの女性。何度かお会いし、しずおか地酒研究会で講演に来ていただいたこともあります。とても面白い講演&蔵元セッションだったので、よかったらこちらをご覧ください。
◆藤田さんの講演
http://mayumi-s-jizake.blogzine.jp/blog/2008/04/post_1c05.html
◆藤田さんvs國香・杉錦・志太泉・喜久醉トークセッション
http://mayumi-s-jizake.blogzine.jp/blog/2008/04/vs_4edd.html
本書は、滋賀県の銘酒『喜楽長』を醸す能登杜氏・天保正一さんのロングインタビューを柱に、杜氏という日本の伝統的な技能者の職業観や人生観、日本酒の造り手が置かれた環境や酒造業の未来について、じっくり読ませてくれます。
この本にもお気に入りの一節があります。
「杜氏はね、眠れん夜があるものですよ。(中略)酒造りの責任者には、孤独なところもあるのですよ。でも、その責任で苦労する部分と、自分の技術で対応していくおもしろみと、両方を味わうようにならないと、杜氏はだめですね。結局、酒造りというのは、何年やっても、これでいい、ということがない。去年どおりでもだめなんです。(中略)自分の理想通りには、なかなか進まない。その面だけ孤独なんですよ」。
名人と謳われる職人が〈孤独〉という言葉を吐く・・・このことの重さが、モノづくりの取材をしていく上でいつも脳裏に甦ってきます。
文中、天保さんに憧れ、蔵元・喜多酒造に直談判して蔵人になった西原光志さんという若者が登場します。ピンと来る人もいると思いますが、今、西原さんは、『志太泉』の杜氏を務めています。なんとも不思議な酒縁ですよね。
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吉田健一さんの【まろやかな日本】(新潮社/1978年刊)は、発刊年は前2冊よりも古いのですが、出会ったのは2年前。しずおか地酒研究会で企画した『酒と匠の文化祭』というイベントの中で、フリーアナウンサー國本良博さんに酒の本の朗読をお願いした中の一冊です。朗読会の様子はこちらをご覧ください。
http://mayumi-s-jizake.blogzine.jp/blog/2010/12/5_ea42.html
http://mayumi-s-jizake.blogzine.jp/blog/2010/12/5_2948.html
http://mayumi-s-jizake.blogzine.jp/blog/2010/12/5_3123.html
國本さんにはこのとき、井伏鱒二や若山牧水の歌、篠田次郎さんの酒の歳時記、不肖私の県内酒蔵レポート等を読んでもらったのですが、せっかくプロのアナウンサーに頼むなら、読むのはしんどいけど心地よい朗読なら多少は耳に入るかも・・・という、ちょっと高尚な酒文化論も入れようと思い、あれこれ探して発掘しました。
著者の吉田さんは、昭和の宰相吉田茂のご長男。英国タイムズ紙に「完全無比な英語を使いこなす日本の英文学者」と紹介された人で、本書は1974年、イギリスで「Japan is a circle」というタイトルで出版され、吉田さんが亡くなった1年後に日本で翻訳・出版された日本文化論です。全26章のうち、日本酒について4章が費やされており、何度も読み込んでワードのテキストに入力し、國本さんと相談して音読に適さない部分をカットし、朗読用台本に仕上げました。一部を再掲します。
「日本酒というものの絶妙さは、飲んでみなければとうてい信じられるものではない。多くの要素が、といっても量ではなく、質の点で入り組んだ日本の食事には、1回の献立のなかに胡桃から鶉や熊の足といったものまで含まれている場合もありうるが、日本酒はその全部と合う。
ある人が一度、日本酒でビフテキを食べたことがあって、これも申し分なく合ったらしい。しかしむろん、何を一緒に食べようと、そんなことは酒自体に比べればほとんど問題にならない。この点で日本酒は葡萄酒に優るのであって、全然何も食べないか、せいぜい塩をちょっと舐める程度でもすむ。つまり、いい酒ができるのに役立っている複雑な成分がそこにあれば、あとはただ盃を口へ運ぶこと以外、現実には何一つしないで充分だということである。
日本酒はほとんど、どんな食べ物とも合うだけでなく、それ自体、ほとんど、どんなものにも成り得る。西洋ではどの国だろうと人は大理石の大広間でシャンパンを飲み、安酒場でジンを飲む。日本では、同じ日本酒を、金箔で飾り立てた豪華な座敷で飲むこともあれば、馬方が出入りする道端の小さな屋台で、縁に少しばかり塩をのせた四角い杉材の容器に入れて飲むこともある。
日本酒が、そうした屋台でのほうがかえっていい状態に保たれていることさえあるかもしれないのは、少なくとも上流階級よりも馬方のほうが自分たちの飲むものに気を配るからであって、少なくともそういう階級が存在していた頃はそうだった。」(第15章「日本酒の定義」より抜粋)。
英語の翻訳文で朗読しづらい表現が多かったにもかかわらず、國本さんの艶やかで抑揚のある声によって、吉田さん自身が、新橋あたりのガード下の飲み屋を恋しく思い浮かべ、ロンドンのセレブたちに滔々と語って聞かせている・・・そんな情景が浮かんできました。呑みながら聴くっていうのが、またいいんですよねえ。
國本さんは、しずおか地酒研究会設立のきっかけとなった、1995年の静岡市南部図書館地酒講座のプログラムに、地酒エッセイの寄稿をお願いして以来のおつきあい。エッセイを頼んだきっかけは、國本さんがラジオ番組で河村傳兵衛さんにインタビューしていたのを偶然聴いて、とても面白くて、静岡新聞社の知り合いに仲介を頼んだのです。その後、それまで日本酒を敬遠していた國本さんを、無事、こちら側?に寝返させることが出来ました(笑)。
日本酒の朗読ライブは、國本さんと私のライフワークにできればいいなあと思っています。
2010年12月、大旅籠柏屋(岡部)で開催した「酒と匠の文化祭」での國本良博さんの酒の朗読会
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新宿紀伊国屋で【ロジカルな田んぼ】を購入した日の夜、広尾の日赤通りにある定食店『一汁三菜』で、喜久醉純米吟醸松下米と、カミアカリ(松下さんが育種した巨大胚芽米)の玄米ご飯を味わいました。松下さんの米をこよなく愛する店主の朝川佳子さんと、本の話や喜久醉の県知事賞受賞の話題でひとしきり盛り上がりました。
【ロジカルな田んぼ】でお気に入りの一節は、
「自然の摂理にさからわないこと。さまざまな生きものの有機的つながりをこわさないよう、人間も自然の摂理のなかで動くこと」「田んぼの持ち主は松下になっているけれど、決して私一人のものじゃない。多くの生きものの生活の場になっている。そこで産まれ、そこで育ち、そこで死に、その死骸がまた田んぼの栄養になっていく。こうした循環から、少しだけおすそ分けをもらうのが有機農業だと思うのです」(92~93ページ)。
ここを読むと、ふと、禅の教えが浮かんでくるのです。無我の境地とは、田んぼの中の微生物のように、有機的つながりに身をゆだねるということだろう、と、腑に落ちる。
私は年に数回、京都の禅寺に坐禅をしに行きます。無我になろうと意識するうちは、なかなかなれないんですが、和尚から薦められた盛永宗興さん(元・妙心寺塔頭大珠院住職)の【お前は誰か】(禅文化研究所/2005年刊)に、こんな一節があります。

「DNAは生物の最も基本的な内在情報であって、細胞が一箇しかない単細胞生物から、人間のように数兆規模の細胞を持つ多細胞生物にいたるまで、例外なく共通に持っている物質です。(中略)すべてに共通して含まれるということ、この意味で、普遍的な〈いのち〉と、多様性を持った種種雑多な存在が、実は一つであるといえる。岡田博士は「一即多多即一」という仏教的な概念を、生物学の立場からお話された」。
岡田博士というのは、盛永さんが学長を務めた花園大学の文化祭に講師で招いた発生生物学の世界的権威・岡田節人博士のこと。評論家立花隆さんと脳死について対談したNHKの番組を盛永さんがご覧になり、講師に招かれたようです。
松下さんの田んぼは、宇宙にも喩えられる般若心経の世界を具現化したものではないか・・・。彼の山田錦で醸した酒と、玄米カミアカリを咀嚼していると、そんな妄想にとらわれてしまいます。
酒に関係のない話に飛んでいきそうなので、このへんで杯を眠らせておきますが、古い本でもネットで取り寄せられる便利な時代になりましたので、興味があったら読んでみてください。ちなみに【ロジカルな田んぼ】、東京の有名書店ではセンターポジションなのに、静岡の書店ではとんと見かけません。かつての静岡地酒と同じ扱いですね(苦笑)。・・・静岡の書店の奮起に期待します!
Posted by 日刊いーしず at 12:00
2013年04月12日
第6回 酒造業界のミスコン・新酒鑑評会
数年前のこと。酒造関係者の間で衝撃的な数字が話題になりました。国内で消費されるアルコール飲料のうち、日本酒のシェアは、わずか8%。静岡市の繁華街、両替町や常磐町あたりで飲み歩く人がひと晩で何人いるのか数えたことはありませんが、100人いたとしたら、8人しか日本酒を飲んでいないなんて・・・。
さらに、全国に流通されている日本酒のうち、静岡県の酒はたったの0.68%。地元なら高いだろうと思ったら県内で流通されている日本酒の中で静岡の酒は20%以下。地酒ファンが憤慨したくなる数字です・・・。確かに気候温暖な静岡県は、酒どころというイメージがないし、すっかり全国区のグルメスポットになった青葉おでん横丁でも、静岡割り(焼酎のお茶割り)は人気だけど、地酒をガンガン飲む客、売る店はありません。
それでも、静岡県内で生産される日本酒は、全国の酒通の間で「吟醸王国」とまで称されるほど人気があるって、信じられますか?
今回は静岡県が吟醸王国になったきっかけともいえる、新酒鑑評会=酒の品質コンテストのディープな世界にご案内しましょう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
県内の酒蔵は30社ほど。多くは江戸時代に創業した老舗企業です。東海道の宿場町整備によって消費地が形成され、どの町にも必ず造り酒屋があったんですね。中には商才に長けた近江商人が隠密活動の拠点代わりに開業した、なんて蔵もあります。
明治以降は酒税を重要な国税にしようと、国が積極的に酒造業を奨励します。このころ設立されたのが国立の醸造試験所。酒税は国の税収の3割を占めるまでになっていましたが、当時は醸造技術が未熟だったため、品質劣化がしばしば問題になりました。宿場町の酒屋の軒先で量り売りする程度ならまだしも、大量に造って各地へ出荷するとなると品質を安定させなければなりません。税金をあてこんでいる国としても、ちゃんと造ってどんどん売ってもらわないと困るということで、国策で醸造試験所を造り、品質コンテスト=全国新酒鑑評会をスタートさせたのです。
この、全国新酒鑑評会。今年でなんと101回目です。休止したのは戦争中と、「独立行政法人酒類総合研究所」に移行する際に東京から東広島へ施設移転したときだけ。全国規模のコンペティションでこれだけ長く継続し、しかも内容的にも非常にレベルの高い技術コンテストというのは世界でも稀有な存在です。
市販酒の生産拡大のために酒造技術を向上させるという目的でスタートした鑑評会は、やがて蔵元や杜氏にとって、国から優良とのお墨付きをもらい、「金賞」を授与されることはこの上ない誉れとなり、しだいに技術競争の様相を呈してきます。鑑評会の出品用に原料の米を(米の外側は栄養があるが酒にすると雑味になるため)半分以下まで精米し、特別に吟味して醸す、という意味合いの「吟醸酒」は、ここから生まれました。
さまざまな清酒酵母が生まれ、実用化されるようになったのも、鑑評会の功績です。7号酵母、9号酵母といった名称で知られる酵母菌の多くは、鑑評会で好成績だった酒蔵を醸造試験所の技術者が調査し、酵母を収集し、保存・育種して普及させました。優良な酵母を選抜して安全な環境で培養し、全国の酒蔵へ頒布することは、日本酒全体の品質安定につながったのです。
現在、酵母は、日本醸造協会という業界団体が専門に培養しており、実用化した順に番号を付けています。現役の協会酵母で最も古いのは6号酵母で、大正時代に秋田の「新政」という蔵から採取されました。7号酵母は昭和21年に長野の「真澄」から。9号酵母は熊本の「香露」から出た香りの高い酵母で、吟醸酒向けに一世風靡しました。みなさんがイメージする吟醸酒のフルーティーな香りは、9号酵母が定着させたとも言われ、今でも鑑評会出品酒の多くは9号系統の酵母を使用しているようです。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
さて、静岡県。東海道の城下町を中心に、個人経営の小規模な蔵が多かったものの、交通の要所=安定した消費地という地理的条件に支えられ、そこそこ繁盛していました。しかしながら、太平洋戦争中は原料米不足の折から統廃合を余儀なくされ、生き残った蔵も、東海道線、国道1号線、東名高速道路という新たな交通の動脈が物流を加速させ、高度成長期には全国の銘醸地からさまざまな酒が流入し、地酒は存在感を失っていきます。日本酒の生産量のピークは昭和48年頃と言われていますが、静岡県の蔵元は昭和50年代前半頃まで灘や伏見の大手酒造会社の下請けで生計を立てるなど“日陰の時代”が続きました。
昭和50年代後半から下請けの量が減り始め、さらに経営が苦しくなった県内の蔵元は、それまで経営の柱には考えなかった「吟醸酒」で生き残りを図る英断をします。
この時に追い風となったのが静岡酵母。蔵元に技術指導をしていた静岡県工業技術センターの河村傅兵衛氏が、蔵元が自立するには他地域の亜流にならず、独自スタイルで勝負すべきと考え、吟醸酒造りの実績を持つ県内の蔵で発見した酵母菌をもとに、バイオテクノロジーを駆使して独自開発したものです。
昭和61年の全国新酒鑑評会には、県内から21銘柄が出品し、金賞10、銀賞7を獲得しました。入賞率は実に87%。2位石川県、3位福井県をおさえて全国一位という、県酒造史始まって以来の快挙を成し遂げました。
この年、全国新酒鑑評会に出品された酒は800銘柄ほどで、うち約100銘柄が金賞に選ばれたのですが、この中の10銘柄を静岡県が占めたのです。しかも9号酵母ではなく、地方研究機関が独自に開発した酵母による吟醸酒造り。酒どころとしては無名だった静岡県は、この年の鑑評会を機に、一躍、銘醸地に名乗りを上げたのでした。
他県の研究機関や蔵元は驚愕し、静岡酵母に着目します。「静岡で成功するなら当県だって・・・」と各県の酵母開発に勢いが付き、優良酵母の輩出県だった秋田や長野も新たに独自酵母を生み出します。長野県の「アルプス酵母」は、繊細でまるみのあるおだやかな香りの静岡酵母の酒とは異なる、香り華やかで濃厚な酒を醸し出し、その後の鑑評会で大量入賞しました。静岡酵母の酒が、薄化粧の素肌美人だとしたら、アルプス酵母は完璧な女優メイクを施した美女って感じでしょうか。
いずれにしても、静岡県が先鞭を付けた酵母開発と吟醸酒造りの技術革新は、それまで、国の指導による“鑑評会出品酒”の規格に、新たな地方化・個性化の波をもたらしたのでした。“美女の条件”は画一じゃなくなったってことですね!
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
全国新酒鑑評会は毎年5月に行われます。その前に、地域国税局単位の新酒鑑評会が4月(静岡県は東海4県を管轄する名古屋国税局に所属・現在は秋に開催)、県単位の鑑評会が3月に開かれます。
静岡県清酒鑑評会は、吟醸酒の部・純米酒の部と2つ部門があり、点数を付けて順位を決め、最上位の銘柄に県知事賞を授与します。順位を発表している県はあまり多くありません。

2012年全国新酒鑑評会(東広島市アリーナ)

2013年静岡県清酒鑑評会一般公開(グランディエールブケトーカイ)
各県でどういう酒に県知事賞を与えるかはさまざまです。私が以前、取材に行った宮城県清酒鑑評会は、県知事賞は宮城県の米を使った酒の最上位に与えていました。さすが米どころですね。
静岡県の鑑評会も、「県の鑑評会はあくまで名古屋国税局、全国の鑑評会の予選だ」「いや、県は県独自の基準で選ぶべきだ」等など、これまでいろいろな判断基準で審査されてきました。あくまで内々(静岡県酒造組合)の主催ですから、各組合員(各蔵元)が鑑評会をどう意義付けるかで決まる。順位付けも組合員の総意で決めている。それだけシビアに競い合おうと高い意識で臨んでいるわけです。
飲料・食品・農産物の品質コンペの場合、食味計のような測定器を併用するケースもあるようですが、静岡県清酒鑑評会では機械類を一切使わず、人間のきき酒だけで決めます。10~11人程度の審査員(名古屋国税局鑑定官、大学の醸造学研究者、蔵元代表、杜氏代表など)が官能審査を行い、各出品酒に1点から3点までどれかを付けます。1が優秀、2が普通、3が欠点あり、というシンプルな付け方で、合計で○点以下のものを二次審査、さらに最終審査へと残していきます。
ちなみに1000品近い出品酒を審査する全国新酒鑑評会では、どんなに優秀な審査員でも、香りが強く出る酵母の酒と、おだやかな香りの酒を続けて審査すれば、香りの強い酒を引きずってしまうということで、現在、香りの成分を事前に計測し、審査カテゴリーを分ける、という処置をとっているようです。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
今年の静岡県清酒鑑評会で吟醸の部県知事賞を受賞した喜久醉(藤枝市)、純米の部県知事賞の富士錦(富士宮市)は、ともに原料である米作りから蔵元自ら実践し、一貫した考えで真摯に取り組む蔵元です。
私が主宰するしずおか地酒研究会では、毎年、県の審査員を務める松崎晴雄さん(日本酒評論家)をお招きして審査の内容や新酒の傾向を解説してもらうサロンを開いています。先週4月2日に開催した今年のサロンでは、
「昨夏の猛暑で高温障害を受け、全国的に酒米が硬質で発酵段階で融けにくく、酒造現場では苦労したと聞く。温暖化の影響でこの先も同様の傾向が続くとしたら、融けにくい米にどう対処するかが技術的なポイントになる」
「静岡県の場合、静岡酵母の特性から、元来、硬くひきしまった麹作りが特徴で、発酵も長期低温でじっくり仕込む。米が融けにくい年にはそういうノウハウが生きてくる」
「米の出来に左右されない静岡吟醸のスタイルがしっかり確立されている」
とのことでした。
ちなみに松崎さんは審査にあたって「“静岡らしい酒とは何か”にトコトンこだわって選んだ」とおっしゃっていました。結果を見て「他の審査員も同じ考えだったようだ」と満足されていました。

静岡県清酒鑑評会審査員を務める松崎晴雄さん
酒の鑑評会は、よく、ミスコンテストやF1レースに喩えられることがあります。ミスコンをきっかけに時代時代の女性の美しさが定義され、F1レースを通して自動車メーカーの技術力が見えてくる・・・最上級を競う場にはそれ相応の役割があると思います。
ミスコンやF1のように、川上のトップランナーが仕掛けることは、やがて川下へと大きなうねりとなって波及してくるもの。松崎さんのお話を通して、今後は米に対する蔵元の考え方がますます重要になるな、と実感しました。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
市販酒の品質安定という当初目的から高度な技術競争へと化した酒の鑑評会。「造り手の自己満足にすぎない世界」「米を精米しすぎる吟醸酒は原料を無駄使いするバブリーな酒」と揶揄する声もあるようですが、昔、静岡県の蔵元から聞いた「うちは小さな蔵だが、吟醸酒に挑戦し、技を磨くことで、普通酒も本醸造も純米酒もレベルアップした」という言葉は忘れられません。
また県外の酒の流通業者から「静岡市の繁華街で飲んだとき、高級な料亭や鮨屋ばかりでなく、ごくフツウの居酒屋でも地元の吟醸酒をズラッと並べていた。地方都市ではあまりお目にかかれない。さすが吟醸王国ですね」と言われたことも忘れられません。
日本酒の全国シェアわずか0.7%弱の静岡県が、静岡酵母に続き、日本酒の世界をいかに変革していくか、ほんとうに楽しみです。この春社会人になったみなさんは、とくに、飲まず嫌いせず、静岡の吟醸酒をぜひオーダーし、「素肌美人の酒ですよね」なんてウンチクたれてみてください。先輩や上司から一目置かれるはずですよ!
◆2013年静岡県清酒鑑評会の結果はこちらを。
http://www.shizuoka-sake.jp/prize/h25_report.html
◆松崎晴雄さんによる静岡県清酒鑑評会2013高評については、こちらのブログを。
http://mayumi-s-jizake.blogzine.jp/blog/2012/04/post_7f89.html
◆5月22日開催予定の全国新酒鑑評会についてはこちらを。
http://www.nrib.go.jp/kan/h24by/info/h24by_info.pdf
なお、「杯は眠らない第3回(≫こちらの記事)」で紹介した酒類総合研究所講演会、今年は5月21日に東広島市民文化センターで開かれます。内容は「なぜ清酒酵母のアルコール発酵は強いのか」「清酒粕の成分調査と機能性成分の安定性について」「古代の酒造り」等など。興味のある方はぜひ!
http://www.nrib.go.jp/kou/49kouen.htm
◆全国新酒鑑評会の入賞酒が一同に集まる一般公開は6月14日に東京池袋サンシャインシティー文化会館で開催されます。誰でも参加できますのでぜひ!
http://www.fullnet.co.jp/zenkoku_shinsyu_kanpyokai/
さらに、全国に流通されている日本酒のうち、静岡県の酒はたったの0.68%。地元なら高いだろうと思ったら県内で流通されている日本酒の中で静岡の酒は20%以下。地酒ファンが憤慨したくなる数字です・・・。確かに気候温暖な静岡県は、酒どころというイメージがないし、すっかり全国区のグルメスポットになった青葉おでん横丁でも、静岡割り(焼酎のお茶割り)は人気だけど、地酒をガンガン飲む客、売る店はありません。
それでも、静岡県内で生産される日本酒は、全国の酒通の間で「吟醸王国」とまで称されるほど人気があるって、信じられますか?
今回は静岡県が吟醸王国になったきっかけともいえる、新酒鑑評会=酒の品質コンテストのディープな世界にご案内しましょう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
県内の酒蔵は30社ほど。多くは江戸時代に創業した老舗企業です。東海道の宿場町整備によって消費地が形成され、どの町にも必ず造り酒屋があったんですね。中には商才に長けた近江商人が隠密活動の拠点代わりに開業した、なんて蔵もあります。
明治以降は酒税を重要な国税にしようと、国が積極的に酒造業を奨励します。このころ設立されたのが国立の醸造試験所。酒税は国の税収の3割を占めるまでになっていましたが、当時は醸造技術が未熟だったため、品質劣化がしばしば問題になりました。宿場町の酒屋の軒先で量り売りする程度ならまだしも、大量に造って各地へ出荷するとなると品質を安定させなければなりません。税金をあてこんでいる国としても、ちゃんと造ってどんどん売ってもらわないと困るということで、国策で醸造試験所を造り、品質コンテスト=全国新酒鑑評会をスタートさせたのです。
この、全国新酒鑑評会。今年でなんと101回目です。休止したのは戦争中と、「独立行政法人酒類総合研究所」に移行する際に東京から東広島へ施設移転したときだけ。全国規模のコンペティションでこれだけ長く継続し、しかも内容的にも非常にレベルの高い技術コンテストというのは世界でも稀有な存在です。
市販酒の生産拡大のために酒造技術を向上させるという目的でスタートした鑑評会は、やがて蔵元や杜氏にとって、国から優良とのお墨付きをもらい、「金賞」を授与されることはこの上ない誉れとなり、しだいに技術競争の様相を呈してきます。鑑評会の出品用に原料の米を(米の外側は栄養があるが酒にすると雑味になるため)半分以下まで精米し、特別に吟味して醸す、という意味合いの「吟醸酒」は、ここから生まれました。
さまざまな清酒酵母が生まれ、実用化されるようになったのも、鑑評会の功績です。7号酵母、9号酵母といった名称で知られる酵母菌の多くは、鑑評会で好成績だった酒蔵を醸造試験所の技術者が調査し、酵母を収集し、保存・育種して普及させました。優良な酵母を選抜して安全な環境で培養し、全国の酒蔵へ頒布することは、日本酒全体の品質安定につながったのです。
現在、酵母は、日本醸造協会という業界団体が専門に培養しており、実用化した順に番号を付けています。現役の協会酵母で最も古いのは6号酵母で、大正時代に秋田の「新政」という蔵から採取されました。7号酵母は昭和21年に長野の「真澄」から。9号酵母は熊本の「香露」から出た香りの高い酵母で、吟醸酒向けに一世風靡しました。みなさんがイメージする吟醸酒のフルーティーな香りは、9号酵母が定着させたとも言われ、今でも鑑評会出品酒の多くは9号系統の酵母を使用しているようです。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
さて、静岡県。東海道の城下町を中心に、個人経営の小規模な蔵が多かったものの、交通の要所=安定した消費地という地理的条件に支えられ、そこそこ繁盛していました。しかしながら、太平洋戦争中は原料米不足の折から統廃合を余儀なくされ、生き残った蔵も、東海道線、国道1号線、東名高速道路という新たな交通の動脈が物流を加速させ、高度成長期には全国の銘醸地からさまざまな酒が流入し、地酒は存在感を失っていきます。日本酒の生産量のピークは昭和48年頃と言われていますが、静岡県の蔵元は昭和50年代前半頃まで灘や伏見の大手酒造会社の下請けで生計を立てるなど“日陰の時代”が続きました。
昭和50年代後半から下請けの量が減り始め、さらに経営が苦しくなった県内の蔵元は、それまで経営の柱には考えなかった「吟醸酒」で生き残りを図る英断をします。
この時に追い風となったのが静岡酵母。蔵元に技術指導をしていた静岡県工業技術センターの河村傅兵衛氏が、蔵元が自立するには他地域の亜流にならず、独自スタイルで勝負すべきと考え、吟醸酒造りの実績を持つ県内の蔵で発見した酵母菌をもとに、バイオテクノロジーを駆使して独自開発したものです。
昭和61年の全国新酒鑑評会には、県内から21銘柄が出品し、金賞10、銀賞7を獲得しました。入賞率は実に87%。2位石川県、3位福井県をおさえて全国一位という、県酒造史始まって以来の快挙を成し遂げました。
この年、全国新酒鑑評会に出品された酒は800銘柄ほどで、うち約100銘柄が金賞に選ばれたのですが、この中の10銘柄を静岡県が占めたのです。しかも9号酵母ではなく、地方研究機関が独自に開発した酵母による吟醸酒造り。酒どころとしては無名だった静岡県は、この年の鑑評会を機に、一躍、銘醸地に名乗りを上げたのでした。
他県の研究機関や蔵元は驚愕し、静岡酵母に着目します。「静岡で成功するなら当県だって・・・」と各県の酵母開発に勢いが付き、優良酵母の輩出県だった秋田や長野も新たに独自酵母を生み出します。長野県の「アルプス酵母」は、繊細でまるみのあるおだやかな香りの静岡酵母の酒とは異なる、香り華やかで濃厚な酒を醸し出し、その後の鑑評会で大量入賞しました。静岡酵母の酒が、薄化粧の素肌美人だとしたら、アルプス酵母は完璧な女優メイクを施した美女って感じでしょうか。
いずれにしても、静岡県が先鞭を付けた酵母開発と吟醸酒造りの技術革新は、それまで、国の指導による“鑑評会出品酒”の規格に、新たな地方化・個性化の波をもたらしたのでした。“美女の条件”は画一じゃなくなったってことですね!
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
全国新酒鑑評会は毎年5月に行われます。その前に、地域国税局単位の新酒鑑評会が4月(静岡県は東海4県を管轄する名古屋国税局に所属・現在は秋に開催)、県単位の鑑評会が3月に開かれます。
静岡県清酒鑑評会は、吟醸酒の部・純米酒の部と2つ部門があり、点数を付けて順位を決め、最上位の銘柄に県知事賞を授与します。順位を発表している県はあまり多くありません。
2012年全国新酒鑑評会(東広島市アリーナ)
2013年静岡県清酒鑑評会一般公開(グランディエールブケトーカイ)
各県でどういう酒に県知事賞を与えるかはさまざまです。私が以前、取材に行った宮城県清酒鑑評会は、県知事賞は宮城県の米を使った酒の最上位に与えていました。さすが米どころですね。
静岡県の鑑評会も、「県の鑑評会はあくまで名古屋国税局、全国の鑑評会の予選だ」「いや、県は県独自の基準で選ぶべきだ」等など、これまでいろいろな判断基準で審査されてきました。あくまで内々(静岡県酒造組合)の主催ですから、各組合員(各蔵元)が鑑評会をどう意義付けるかで決まる。順位付けも組合員の総意で決めている。それだけシビアに競い合おうと高い意識で臨んでいるわけです。
飲料・食品・農産物の品質コンペの場合、食味計のような測定器を併用するケースもあるようですが、静岡県清酒鑑評会では機械類を一切使わず、人間のきき酒だけで決めます。10~11人程度の審査員(名古屋国税局鑑定官、大学の醸造学研究者、蔵元代表、杜氏代表など)が官能審査を行い、各出品酒に1点から3点までどれかを付けます。1が優秀、2が普通、3が欠点あり、というシンプルな付け方で、合計で○点以下のものを二次審査、さらに最終審査へと残していきます。
ちなみに1000品近い出品酒を審査する全国新酒鑑評会では、どんなに優秀な審査員でも、香りが強く出る酵母の酒と、おだやかな香りの酒を続けて審査すれば、香りの強い酒を引きずってしまうということで、現在、香りの成分を事前に計測し、審査カテゴリーを分ける、という処置をとっているようです。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
今年の静岡県清酒鑑評会で吟醸の部県知事賞を受賞した喜久醉(藤枝市)、純米の部県知事賞の富士錦(富士宮市)は、ともに原料である米作りから蔵元自ら実践し、一貫した考えで真摯に取り組む蔵元です。
私が主宰するしずおか地酒研究会では、毎年、県の審査員を務める松崎晴雄さん(日本酒評論家)をお招きして審査の内容や新酒の傾向を解説してもらうサロンを開いています。先週4月2日に開催した今年のサロンでは、
「昨夏の猛暑で高温障害を受け、全国的に酒米が硬質で発酵段階で融けにくく、酒造現場では苦労したと聞く。温暖化の影響でこの先も同様の傾向が続くとしたら、融けにくい米にどう対処するかが技術的なポイントになる」
「静岡県の場合、静岡酵母の特性から、元来、硬くひきしまった麹作りが特徴で、発酵も長期低温でじっくり仕込む。米が融けにくい年にはそういうノウハウが生きてくる」
「米の出来に左右されない静岡吟醸のスタイルがしっかり確立されている」
とのことでした。
ちなみに松崎さんは審査にあたって「“静岡らしい酒とは何か”にトコトンこだわって選んだ」とおっしゃっていました。結果を見て「他の審査員も同じ考えだったようだ」と満足されていました。
静岡県清酒鑑評会審査員を務める松崎晴雄さん
酒の鑑評会は、よく、ミスコンテストやF1レースに喩えられることがあります。ミスコンをきっかけに時代時代の女性の美しさが定義され、F1レースを通して自動車メーカーの技術力が見えてくる・・・最上級を競う場にはそれ相応の役割があると思います。
ミスコンやF1のように、川上のトップランナーが仕掛けることは、やがて川下へと大きなうねりとなって波及してくるもの。松崎さんのお話を通して、今後は米に対する蔵元の考え方がますます重要になるな、と実感しました。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
市販酒の品質安定という当初目的から高度な技術競争へと化した酒の鑑評会。「造り手の自己満足にすぎない世界」「米を精米しすぎる吟醸酒は原料を無駄使いするバブリーな酒」と揶揄する声もあるようですが、昔、静岡県の蔵元から聞いた「うちは小さな蔵だが、吟醸酒に挑戦し、技を磨くことで、普通酒も本醸造も純米酒もレベルアップした」という言葉は忘れられません。
また県外の酒の流通業者から「静岡市の繁華街で飲んだとき、高級な料亭や鮨屋ばかりでなく、ごくフツウの居酒屋でも地元の吟醸酒をズラッと並べていた。地方都市ではあまりお目にかかれない。さすが吟醸王国ですね」と言われたことも忘れられません。
日本酒の全国シェアわずか0.7%弱の静岡県が、静岡酵母に続き、日本酒の世界をいかに変革していくか、ほんとうに楽しみです。この春社会人になったみなさんは、とくに、飲まず嫌いせず、静岡の吟醸酒をぜひオーダーし、「素肌美人の酒ですよね」なんてウンチクたれてみてください。先輩や上司から一目置かれるはずですよ!
◆2013年静岡県清酒鑑評会の結果はこちらを。
http://www.shizuoka-sake.jp/prize/h25_report.html
◆松崎晴雄さんによる静岡県清酒鑑評会2013高評については、こちらのブログを。
http://mayumi-s-jizake.blogzine.jp/blog/2012/04/post_7f89.html
◆5月22日開催予定の全国新酒鑑評会についてはこちらを。
http://www.nrib.go.jp/kan/h24by/info/h24by_info.pdf
なお、「杯は眠らない第3回(≫こちらの記事)」で紹介した酒類総合研究所講演会、今年は5月21日に東広島市民文化センターで開かれます。内容は「なぜ清酒酵母のアルコール発酵は強いのか」「清酒粕の成分調査と機能性成分の安定性について」「古代の酒造り」等など。興味のある方はぜひ!
http://www.nrib.go.jp/kou/49kouen.htm
◆全国新酒鑑評会の入賞酒が一同に集まる一般公開は6月14日に東京池袋サンシャインシティー文化会館で開催されます。誰でも参加できますのでぜひ!
http://www.fullnet.co.jp/zenkoku_shinsyu_kanpyokai/
Posted by 日刊いーしず at 12:00
2013年03月15日
第5回 かしこい酒粕
日本酒は、秋に米が収穫されてから本格的に仕込みが始まり、発酵をコントロールしやすい低温の時期に集中製造します。米洗いからスタートして酒を搾るまでが、だいたい1ヵ月~2ヶ月ぐらい。とくに温度管理に気を配り、時間をかけて丁寧に仕込む吟醸酒は年末~2月中旬が製造のピークで、今月後半から5月末ぐらいまで、各地で開かれる新酒鑑評会(品質コンテスト)で今期の出来栄えをチェックしたりします。
一方、我々飲み手にとって嬉しいのは、この時期、限定発売されるいろいろなタイプの新酒。にごりが混じった搾りたて、発酵を完全に止めずに炭酸を残した発泡酒、アルコール度数の高い生原酒など等です。搾って間もない酒は、酒造のイロハからいえば“未完成”状態なので、酒蔵でも酒屋さんでも販売期間を区切り、売り切ってしまいます。
酒造のイロハでは、搾った後の処理として、
(1) にごりを完全にとるために濾過をする。
(2) 酵母の働きを完全に止めるため火入れ(加熱殺菌)を行う。
(3) 水を足してアルコール度数を15~16度に調整する。
(4) 瓶詰前に再度火入れをする。
を行い、貯蔵をし、年間流通させます。ただし“変化球”として、(1)をはぶいたものを『無濾過』、(2)(4)をはぶいたものを『生酒』、(3)をはぶいたものを『原酒』、(2)をはぶいて(4)を行うものを『生貯蔵酒』として売ることもあります。合わせ技で『無濾過生原酒』なんてのもありますね。原料が米ですし、大きな味の差別化ができない分、製造工程の違いによって変化をつける日本のモノづくりらしい繊細さがうかがえます。これら“一部変化球酒”は品質が変化しやすいので、冷蔵保存が鉄則。一度開封したら、なるべく早く飲み切ってください。
それにしても、日本酒を買い慣れていない人にとっては“変化球”の種類が増えると混乱してしまいます。これに加え、酒造工程の前段階として、原料米の精米歩合や醸造アルコール添加の有無によって『大吟醸』『吟醸』『純米』『本醸造』『普通酒』などと区分けされるので、「日本酒はラベルの読み方が複雑で判りにくい」と思われるのも致し方ありません(こちらの区分けについては追々紹介します)。前段階と後処理、この組み合わせいかんで、一つの銘柄でも実にいろいろな種類の酒が、時期に応じて発売されます。酒造りのことを突っ込んで知りたいと思ったら、まずは、一つの銘柄で一年間発売されるラインナップを追いかけてみるのもいいと思います。
そうそう、酒屋さんや飲食店の中には、「1年経った搾りたて」とか「2年置いてみた無濾過生原酒」等など、蔵元の手から離れた後、熟成という工程を勝手に?加える変りモノがいますので、そういう売り手と仲良くなっておくと、レアな変り種にありつけると思います(笑)。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
さて、酒が搾られるということは、酒粕もたんまり出る!わけで、新酒が出揃う時期には、ぜひ、お近くの蔵元、酒店、スーパー等で酒粕を入手しておきましょう。大手メーカーがコストカットを目的に、酒粕をあまり出さない造り方をするようになったので、基本に忠実に、丁寧に造られた地酒の酒粕って、今、すごく希少価値があるんですよ。
静岡県の酒蔵では、原料の米を徹底的に洗ってきれいな蒸し米を造り、その蒸し米からいい麹、いいもろみを醸し出す。当然、酒を搾った残りの酒粕も雑味が少なく、風味が素晴らしい。蔵元によっては、もろみ100のうち、60~70%余を酒粕にしてしまい、酒は搾りに搾った真の滴だけ・・・というこだわった造り方をしています。昔は酒粕が多い=酒が少ない=下手な造り方というレッテルを貼られたそうですが、今は180度評価が変わりました。経営者が杜氏になるケースが増え、こういうぜいたくな酒造りも可能になったんですね。当然、原料にもこだわりの酒造好適米を使っていますので、酒粕がいいのも当たり前、というわけです。

写真左は吟醸バラ粕。吟醸酒はもろみを酒袋に入れて積み上げ、上からゆっくり圧力をかけて、自然に搾り出てくるのを溜める、という方法をとることが多いので、酒袋に残った粕もふんわりしっとりしています。期間限定ですが蔵元や地酒専門店で入手できます。吟醸酒の風味が残っているので、私はドリンクや鍋など“汁物”に使うようにしています。冷凍すれば1年は保ちます。
写真中央は板粕。吟醸酒よりも精米率の低い酒は、アコーディオンのような機械で強制圧縮させて搾ります。圧力が強い分、酒粕も板状になります。スーパーや量販店でも手に入りやすいですね。冷蔵でも1年保存OK。
写真右は板粕を3年冷蔵保存したもの。ナッツやチョコレートボンボンのような風味になります。これが意外に調味料として重宝するんですね。味噌やチーズなど他の発酵食品との相性もGOOD! 酒とみりんを加えてペースト状にすれば、粕漬の床になります。粕漬床は冷蔵保存し、1ヶ月ぐらいで使い切ってください。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
しずおか地酒研究会では、2004年の浜名湖花博「庭文化創造館」で、真夏の『雪見の庭』を眺めながら、静岡の蔵元が持参した酒粕を使って冷やし甘酒を提供し、多くの方に喜ばれました。このとき、酒粕の効能についていろいろ資料を集め、調べてみたところ、目からウロコのネタばかり! それまでは何といっても酒が大事で、粕は眼中になかったため(笑)、猛省させられました。
そもそも酒粕とは、酒のもろみを搾った後、役目を終えた酵母や、清酒にならなかったデンプン、たんぱく質、ビタミン類のかたまり。脳の活性化に効果のあるグルタミン酸、疲労回復に効果のあるアスパラギン酸、メラニン生成を抑制するシステイン、体内で合成できない必須アミノ酸のロイシン(肝機能強化)、リジン(脂肪燃焼や鎮静作用)、アルギリン(免疫力向上)等、20種類以上のアミノ酸がバランスよく含まれます。米に比べ、アミノ酸の総量はなんと583倍。ビタミンB2は26倍、B6は47倍というグレードです。
アミノ酸が豊富ということは、肌の保湿力や美白効果を促進してくれます。もちろん頭髪にもいい。さらに、アレルギー症状をやわらげ、高血圧抑制やボケ防止にも効果があるといわれる優秀な酵素ペプチド、ヨーロッパでは抗うつ剤に使われるS-アデノシルメチオニン等の有効成分も。江戸時代、甘酒は夏の滋養強壮のために飲まれ、夏の季語にもなっていましたから、先人たちは経験則として解っていたんですねえ。
そして今、酒粕の有効成分として注目されているのが、2010年秋にNHKためしてガッテン酒粕特集で紹介された「レジスタントプロテイン」。食物繊維のように消化されにくい性質を持つたんぱく質で、体内に入ると、消化されずにそのまま小腸に行き、食物の脂質と結びついて、そのまま体外へ排出させるというのです。排出=大便はいつもより脂質が多くなるので、お通じがスルッとなって、便秘改善 → ダイエットの味方!に。
脂っこいものを食べるとき気になる“悪玉コレステロール”も、レジスタントプロテインが抱え込んで排出してくれるので、コレステロール数値が下がり、血液がサラサラ → 動脈硬化予防につながります。
自分は手遅れだけど(涙)、20~30代の早いうちから常食しておけば、成人病のリスク軽減になると思います。ぜひ酒粕を常備食材にして、賢く利活用してください。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
さて、2004年の浜名湖花博ではキッチンディレクターの田米嘉宏さん(浜名湖ロイヤルホテル調理部)が甘酒作りや酒粕デザートレシピを担当してくれました。日ごろお世話になっている蔵元の奥様たちからも、アイディアレシピを教えてもらっていますので、いくつかご紹介しましょう。
★甘酒の作り方★
酒粕350gに対して、水1ℓ、上白糖140g、塩小さじ2分の1を用意。酒粕を鍋に一度に入れると焦げやすいので、ボールなどで少量ずつ溶かして鍋に移し、最後に上白糖と塩で味付けすると、上手に仕上がります。暖かい季節は冷やし甘酒にしたり、レモン汁を加えて凍らせてシャーベットにしてもGOOD!
★豆乳甘酒★

甘酒を作る時、水を豆乳にします。レジスタントプロテインに大豆プロテインが加わり、強力な健康ドリンクに! 私は、新鮮な吟醸粕が入手できたときは、ミキサーに豆乳200CC、酒粕20グラム、ハチミツ少々を入れて攪拌させ、スムージー感覚で飲んじゃいます。加温すると死滅しちゃう酵母が活かされるし、風味もバツグン。朝の快便間違いなし! ただし微量ですがアルコール分がそのまま残りますので注意してください。
★酒粕ピザ★

板状の酒粕にとろけるチーズを乗せてオーブントースターで6~7分。トースト代わりになります。バラ粕ならギョウザの皮に乗せて、ハーブソルトとオリーブオイルをふりかけ、トースターで3分。簡単なおつまみになります。
★酒粕と味噌のカナッペ★
材料/フランスパン、酒粕30g、田舎味噌20g、上白糖10g、万能ネギの小口切り大さじ1、日本酒大さじ1)
(1)フランスパンを5ミリ厚に切ってオーブンで軽く空焼きします。
(2)酒粕、味噌、上白糖、日本酒、ネギを混ぜ合わせます。一緒に呑む酒の味に合わせて甘さを加減するとよいです。個人的には、ちょっと砂糖多めにするほうが酒の味がひきたつかなあ・・・。
(3)パンに(2)を塗り、オーブンで焼き色が付くまで(7~10分程度)焼きます。和風に徹したかったら、パンを油揚げに代えてもOK。
★酒粕サブレ(60~70個分)★

酒宴向けのひと手間かけたデザート。バター60gを常温に戻し、酒粕150gとなじませ、グラニュー糖200gを加える。振るった薄力粉250gを加えて、こねずにざっくり合わせます。棒状に伸ばして適当な数に切り、160度のオーブンで10~15分焼きます。
★かんたん酒粕鍋★

今冬の寒さはコレでしのぎました。土鍋に湯を沸かし、こぶ茶(だし代わり)、酒粕、味噌少々を融かし、適当に具材を煮込むだけ。とくにお気に入りの芽キャベツは甘さがグンと増します。こぶ茶をコンソメに代え、酒粕+味噌+バター+牛乳でホワイトシチューにしてもよし。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
昨年来の塩麹ブームで、今、改めて、酒粕の効能にスポットライトがあたっています。わさび漬けを常食している静岡人ならば、酒粕の味にも慣れていると思いますが、前述のとおり、酒粕自体、品薄になっていて、わさび漬け屋さんもよい酒粕を求めて必死。市販に回る酒粕の量は年々減っていますから、油断できません。
それより何より、日本酒の製造量が減ってしまうと、酒粕自体も減ってしまいます。万能食材である酒粕を末永く常用するには、日本酒をしっかり飲んで、買い支えていくしかありません!・・・と自己弁護する私の杯は、今夜も眠れそうにありません。
一方、我々飲み手にとって嬉しいのは、この時期、限定発売されるいろいろなタイプの新酒。にごりが混じった搾りたて、発酵を完全に止めずに炭酸を残した発泡酒、アルコール度数の高い生原酒など等です。搾って間もない酒は、酒造のイロハからいえば“未完成”状態なので、酒蔵でも酒屋さんでも販売期間を区切り、売り切ってしまいます。
酒造のイロハでは、搾った後の処理として、
(1) にごりを完全にとるために濾過をする。
(2) 酵母の働きを完全に止めるため火入れ(加熱殺菌)を行う。
(3) 水を足してアルコール度数を15~16度に調整する。
(4) 瓶詰前に再度火入れをする。
を行い、貯蔵をし、年間流通させます。ただし“変化球”として、(1)をはぶいたものを『無濾過』、(2)(4)をはぶいたものを『生酒』、(3)をはぶいたものを『原酒』、(2)をはぶいて(4)を行うものを『生貯蔵酒』として売ることもあります。合わせ技で『無濾過生原酒』なんてのもありますね。原料が米ですし、大きな味の差別化ができない分、製造工程の違いによって変化をつける日本のモノづくりらしい繊細さがうかがえます。これら“一部変化球酒”は品質が変化しやすいので、冷蔵保存が鉄則。一度開封したら、なるべく早く飲み切ってください。
それにしても、日本酒を買い慣れていない人にとっては“変化球”の種類が増えると混乱してしまいます。これに加え、酒造工程の前段階として、原料米の精米歩合や醸造アルコール添加の有無によって『大吟醸』『吟醸』『純米』『本醸造』『普通酒』などと区分けされるので、「日本酒はラベルの読み方が複雑で判りにくい」と思われるのも致し方ありません(こちらの区分けについては追々紹介します)。前段階と後処理、この組み合わせいかんで、一つの銘柄でも実にいろいろな種類の酒が、時期に応じて発売されます。酒造りのことを突っ込んで知りたいと思ったら、まずは、一つの銘柄で一年間発売されるラインナップを追いかけてみるのもいいと思います。
そうそう、酒屋さんや飲食店の中には、「1年経った搾りたて」とか「2年置いてみた無濾過生原酒」等など、蔵元の手から離れた後、熟成という工程を勝手に?加える変りモノがいますので、そういう売り手と仲良くなっておくと、レアな変り種にありつけると思います(笑)。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
さて、酒が搾られるということは、酒粕もたんまり出る!わけで、新酒が出揃う時期には、ぜひ、お近くの蔵元、酒店、スーパー等で酒粕を入手しておきましょう。大手メーカーがコストカットを目的に、酒粕をあまり出さない造り方をするようになったので、基本に忠実に、丁寧に造られた地酒の酒粕って、今、すごく希少価値があるんですよ。
静岡県の酒蔵では、原料の米を徹底的に洗ってきれいな蒸し米を造り、その蒸し米からいい麹、いいもろみを醸し出す。当然、酒を搾った残りの酒粕も雑味が少なく、風味が素晴らしい。蔵元によっては、もろみ100のうち、60~70%余を酒粕にしてしまい、酒は搾りに搾った真の滴だけ・・・というこだわった造り方をしています。昔は酒粕が多い=酒が少ない=下手な造り方というレッテルを貼られたそうですが、今は180度評価が変わりました。経営者が杜氏になるケースが増え、こういうぜいたくな酒造りも可能になったんですね。当然、原料にもこだわりの酒造好適米を使っていますので、酒粕がいいのも当たり前、というわけです。
写真左は吟醸バラ粕。吟醸酒はもろみを酒袋に入れて積み上げ、上からゆっくり圧力をかけて、自然に搾り出てくるのを溜める、という方法をとることが多いので、酒袋に残った粕もふんわりしっとりしています。期間限定ですが蔵元や地酒専門店で入手できます。吟醸酒の風味が残っているので、私はドリンクや鍋など“汁物”に使うようにしています。冷凍すれば1年は保ちます。
写真中央は板粕。吟醸酒よりも精米率の低い酒は、アコーディオンのような機械で強制圧縮させて搾ります。圧力が強い分、酒粕も板状になります。スーパーや量販店でも手に入りやすいですね。冷蔵でも1年保存OK。
写真右は板粕を3年冷蔵保存したもの。ナッツやチョコレートボンボンのような風味になります。これが意外に調味料として重宝するんですね。味噌やチーズなど他の発酵食品との相性もGOOD! 酒とみりんを加えてペースト状にすれば、粕漬の床になります。粕漬床は冷蔵保存し、1ヶ月ぐらいで使い切ってください。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
しずおか地酒研究会では、2004年の浜名湖花博「庭文化創造館」で、真夏の『雪見の庭』を眺めながら、静岡の蔵元が持参した酒粕を使って冷やし甘酒を提供し、多くの方に喜ばれました。このとき、酒粕の効能についていろいろ資料を集め、調べてみたところ、目からウロコのネタばかり! それまでは何といっても酒が大事で、粕は眼中になかったため(笑)、猛省させられました。
そもそも酒粕とは、酒のもろみを搾った後、役目を終えた酵母や、清酒にならなかったデンプン、たんぱく質、ビタミン類のかたまり。脳の活性化に効果のあるグルタミン酸、疲労回復に効果のあるアスパラギン酸、メラニン生成を抑制するシステイン、体内で合成できない必須アミノ酸のロイシン(肝機能強化)、リジン(脂肪燃焼や鎮静作用)、アルギリン(免疫力向上)等、20種類以上のアミノ酸がバランスよく含まれます。米に比べ、アミノ酸の総量はなんと583倍。ビタミンB2は26倍、B6は47倍というグレードです。
アミノ酸が豊富ということは、肌の保湿力や美白効果を促進してくれます。もちろん頭髪にもいい。さらに、アレルギー症状をやわらげ、高血圧抑制やボケ防止にも効果があるといわれる優秀な酵素ペプチド、ヨーロッパでは抗うつ剤に使われるS-アデノシルメチオニン等の有効成分も。江戸時代、甘酒は夏の滋養強壮のために飲まれ、夏の季語にもなっていましたから、先人たちは経験則として解っていたんですねえ。
そして今、酒粕の有効成分として注目されているのが、2010年秋にNHKためしてガッテン酒粕特集で紹介された「レジスタントプロテイン」。食物繊維のように消化されにくい性質を持つたんぱく質で、体内に入ると、消化されずにそのまま小腸に行き、食物の脂質と結びついて、そのまま体外へ排出させるというのです。排出=大便はいつもより脂質が多くなるので、お通じがスルッとなって、便秘改善 → ダイエットの味方!に。
脂っこいものを食べるとき気になる“悪玉コレステロール”も、レジスタントプロテインが抱え込んで排出してくれるので、コレステロール数値が下がり、血液がサラサラ → 動脈硬化予防につながります。
自分は手遅れだけど(涙)、20~30代の早いうちから常食しておけば、成人病のリスク軽減になると思います。ぜひ酒粕を常備食材にして、賢く利活用してください。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
さて、2004年の浜名湖花博ではキッチンディレクターの田米嘉宏さん(浜名湖ロイヤルホテル調理部)が甘酒作りや酒粕デザートレシピを担当してくれました。日ごろお世話になっている蔵元の奥様たちからも、アイディアレシピを教えてもらっていますので、いくつかご紹介しましょう。
★甘酒の作り方★
酒粕350gに対して、水1ℓ、上白糖140g、塩小さじ2分の1を用意。酒粕を鍋に一度に入れると焦げやすいので、ボールなどで少量ずつ溶かして鍋に移し、最後に上白糖と塩で味付けすると、上手に仕上がります。暖かい季節は冷やし甘酒にしたり、レモン汁を加えて凍らせてシャーベットにしてもGOOD!
★豆乳甘酒★

甘酒を作る時、水を豆乳にします。レジスタントプロテインに大豆プロテインが加わり、強力な健康ドリンクに! 私は、新鮮な吟醸粕が入手できたときは、ミキサーに豆乳200CC、酒粕20グラム、ハチミツ少々を入れて攪拌させ、スムージー感覚で飲んじゃいます。加温すると死滅しちゃう酵母が活かされるし、風味もバツグン。朝の快便間違いなし! ただし微量ですがアルコール分がそのまま残りますので注意してください。
★酒粕ピザ★

板状の酒粕にとろけるチーズを乗せてオーブントースターで6~7分。トースト代わりになります。バラ粕ならギョウザの皮に乗せて、ハーブソルトとオリーブオイルをふりかけ、トースターで3分。簡単なおつまみになります。
★酒粕と味噌のカナッペ★
材料/フランスパン、酒粕30g、田舎味噌20g、上白糖10g、万能ネギの小口切り大さじ1、日本酒大さじ1)
(1)フランスパンを5ミリ厚に切ってオーブンで軽く空焼きします。
(2)酒粕、味噌、上白糖、日本酒、ネギを混ぜ合わせます。一緒に呑む酒の味に合わせて甘さを加減するとよいです。個人的には、ちょっと砂糖多めにするほうが酒の味がひきたつかなあ・・・。
(3)パンに(2)を塗り、オーブンで焼き色が付くまで(7~10分程度)焼きます。和風に徹したかったら、パンを油揚げに代えてもOK。
★酒粕サブレ(60~70個分)★

酒宴向けのひと手間かけたデザート。バター60gを常温に戻し、酒粕150gとなじませ、グラニュー糖200gを加える。振るった薄力粉250gを加えて、こねずにざっくり合わせます。棒状に伸ばして適当な数に切り、160度のオーブンで10~15分焼きます。
★かんたん酒粕鍋★

今冬の寒さはコレでしのぎました。土鍋に湯を沸かし、こぶ茶(だし代わり)、酒粕、味噌少々を融かし、適当に具材を煮込むだけ。とくにお気に入りの芽キャベツは甘さがグンと増します。こぶ茶をコンソメに代え、酒粕+味噌+バター+牛乳でホワイトシチューにしてもよし。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
昨年来の塩麹ブームで、今、改めて、酒粕の効能にスポットライトがあたっています。わさび漬けを常食している静岡人ならば、酒粕の味にも慣れていると思いますが、前述のとおり、酒粕自体、品薄になっていて、わさび漬け屋さんもよい酒粕を求めて必死。市販に回る酒粕の量は年々減っていますから、油断できません。
それより何より、日本酒の製造量が減ってしまうと、酒粕自体も減ってしまいます。万能食材である酒粕を末永く常用するには、日本酒をしっかり飲んで、買い支えていくしかありません!・・・と自己弁護する私の杯は、今夜も眠れそうにありません。
Posted by 日刊いーしず at 12:00
2013年03月01日
第4回 17歳の酒縁
3月1日はしずおか地酒研究会の17回目の誕生日です。人間でいえばセブンティーン、思春期盛りの高校生ですね。たぶん祝ってくれるヒトはいないと思うので(笑)、この場を借りてセルフ・ハッピーバースデーをさせてください。
静岡の酒の造り手・売り手・飲み手の交流を目指し、1996年3月1日に誕生したしずおか地酒研究会。きっかけは、前年の秋、静岡市立南部図書館の食文化講座を担当していた市の職員から「地酒を取り上げたい」と相談され、企画を請け負ったことでした。
先月、17年ぶりに静岡市役所から声をかけてもらって、静岡おでんフェアの協賛イベント・しずおか早春の楽市2013の会場内(葵スクエア)に、しずおか地酒研究会で燗酒ブース『暖杯!しずおか地酒屋台』を出店したのですが、担当者から「市庁内で、酒呑みのスズキさんって知っている人が多くてビックリしましたよ」と言われ、赤面したと同時に、17年前の発足当時のこと、その前年の食文化講座のことを懐かしく思い出しました。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
静岡市立南部図書館の食文化講座『静岡の地酒』では、講師に、このお2人しかいないというビッグネーム、静岡県酒造組合専務理事(当時)で静岡酒の生き字引のような存在だった栗田覚一郎さん、『静岡酵母』の開発で知られる静岡県静岡工業技術センター(当時)の河村傳兵衛さんをお招きし、2回に分け、静岡酒の歩みから酵母開発秘話まで幅広く解説していただきました。

1995年11月 静岡市立南部図書館食文化講座「静岡の地酒」
お2人とも頑固なスペシャリストで、一般市民に合わせて話のレベルを手加減・調整するような方々ではありませんが、おかげさまで講座は大好評で、会場は定員オーバーの聴講者で熱気にあふれ、終了後は「もっと地酒の情報を」「カネをとっていいから続けてくれ」という声をいただきました。そこで、年末年始にいろいろ構想し、96年1月末には酒の取材でお世話になっていた関係者、知己のあるマスコミ人、文化事業担当者等に集まってもらって相談会をもうけ、3月1日、研究会の発足、と相成ったのです。
一般にお披露目する発会パーティーは、静岡県清酒鑑評会授賞式で酒造関係者が静岡市内に一堂に集まる日にあわせ、3月22日、静岡県男女共同参画センターあざれあ調理実習室で開きました。地域の伝統食を研究・伝承している静岡市生活改善グループ連絡協議会(農家の主婦の皆さん)が朝採り山野草を材料にした酒肴をその場で作ってくれて、県内蔵元の皆さんが新酒を持ち寄り、酒友たちがボランティアで受付や会場設営をしたホントの手作りパーティーでした。当時、まだ『地産地消』『地域資源』なんて言葉はありませんでしたが、あの日に集まった酒も食も人も、100%地元産の地域資源でした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
しずおか地酒研究会の当初のプログラムは、図書館講座の延長のような感じで、酒米の研究者、マーケティング専門家、酒の評論家等を招いての「地酒塾」や消費者代表によるシンポジウムなど。2年活動した後、当時、静岡新聞出版局にいらした平野斗紀子さんの尽力で、会員情報をベースにしたガイドブック『地酒をもう一杯』を静岡新聞社から出版しました。その後は“塾”なんて上から目線のお題目はやめて、フランクに楽しめる酒蔵巡りや居酒屋さんをはしごする“地酒サロン”に切り替え、不定期に続けています。栗田・河村両巨頭から「酒のことでカネもうけしようなんて、ゆめゆめ思うな」とクギをさされていたので、研究会はまったくの非営利活動。必要経費を参加費用としていただく形でやっています。
バブル崩壊以降のフリーランスライター稼業と併行しての活動は、決して楽ではありませんが、自分が運よく取材で出会えて感動した酒の味、造り手の精神を、多くの人に直に紹介し、感動を共有し合う・・・これは、もう、ライター稼業だけではできない経験です。発足間もない頃、『開運』の蔵元・土井清愰社長が、会の“効能”を「地元のいい酒を楽しい雰囲気で呑んでいると、隣に座った初対面の人が長年の親友のような気分になる。お茶やまんじゅうじゃこうはいかない」と評価してくださいましたが、地酒は人と人をつなげ、地域コミュニケーションを円滑に、そして実に豊かにしてくれるんですね。今では、会に参加していた売り手(酒販店や飲食店)の多くが、独自に酒の会やイベントを開くようになり、酒の業界の外から投じた“貧者の一灯”が少しずつ結実していくようでワクワクしています。
しずおか地酒研究会の発足当時の経緯については、こちらの記事もぜひご覧ください。
http://ginjyo-shizuoka.jp/suzuki_09.html
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
さて、前述のとおり、私がしずおか地酒研究会をスタートさせたのが1996年3月1日。その前の日のことです。研究会の応援団のお一人、喜久醉(藤枝市上青島)の蔵元・青島秀夫社長のもとに若い農家が突然やってきました。今は、喜久醉の看板商品『純米大吟醸松下米』の米で知られる松下明弘さんです。4年前のある講演会で松下さん、喜久醉の杜氏で専務の青島孝さんと鼎談し、当時のことを語っています。講演録を再掲してみましょう。

1997年から毎年10月に発売している喜久酔松下米シリーズ
鈴木 ―私が「しずおか地酒研究会」の発会式を、「あざれあ」の会議室で行ったのは1996年3月1日でした。その前日か前々日に、松下さんは青島酒造に酒米のことを聞きたいと訪ねたんですよね?
松下 ―96年2月29日だから前日ですね。その3年前に親父がガンで亡くなり、後を継いで専業農家になろうと、いろいろな設備を直したり機械をそろえたりしていた頃でした。
海外青年協力隊に参加し、アフリカから帰ってきたとき、近所の酒屋で買った日本酒を呑んだらびっくりするほどうまかった。行く前に呑んでいた日本酒というのは、いわゆる大手の酒でひどい酔い方をしました。たまたま行った酒屋にいい地酒が置いてあったのがよかったんですが、いろいろな地酒を呑み比べてみて、一番気に入ったのが喜久醉だった。呑んで何もひっかかりがなく、体にスーッと溶け込んでいく美味しい酒だった。どうせ専業で米を作るならこういう酒の原料になるような米も作りたいと思いました。で、裏貼りを見たら、「なんだ、うちから一番近い酒蔵じゃないか」と気がついた。青島酒造(藤枝市上青島)とうちは(藤枝市青南町)は、もともと同じ村なんです。
帰国後はしばらく会社勤めをしながら親父の農業を手伝っていたんですが、親父が亡くなったことで専業農家になろうと腹をくくり、96年2月28日にそれまで勤めていた会社を辞め、翌3月から心機一転スタートだと決めていました。ところがこの年はうるう年で、2月29日まであることに気がつき、1日ぽっかり空いてしまった。で、一度酒蔵というところを見てみようと思い切って訪ねてみたんです。
鈴木 ―アポなしでフラッと訪ねたんですよね。後で青島酒造の奥さんから「いきなり変な子が来てビックリした」と聞きました(笑)。
松下 ―「今日から専業農家になるんですけど、酒米について教えてくれるところがわからないので、酒蔵へ行けば教えてくれるかなと思って来ました」と切り出しました。青島酒造の社長は仕事の手を休めて30~40分、酒米の話をひととおりしてくれました。
話の流れで、社長が「自分は旅行が好きでね」と言い、「最近どこに行ったんですか」と聞いたら「ケニアに行ってきたんだよ、アフリカが好きでね」と社長。私「じゃあキリマンジャロにも?」、社長「もちろん」、私「どこのルートから入りました?」、社長「なに、君、知っているの?行ったことあるの?」、私「アフリカに住んでました」、社長「!?」(笑)。
で、そこから2時間、延々アフリカの話で大盛り上がりでした。後から奥さんに聞いたんですが、社長が周囲に「アフリカに行ってきた」と話しても、誰も行ったことがないから想像がつかず、まともに聞いてくれる人がいなかったそうで、アフリカ話ができる相手がいきなり現われて、初めて会った相手とは思えないぐらい意気投合した、と喜んでいたそうです。
鈴木 ―そして翌日の3月1日、しずおか地酒研究会の発会式で、青島社長から「昨日、うちに来たばかりの変なやつだけど、面白いから連れて行く」と連絡をもらい、そこで初めて松下さんとお会いしました。
発会式で私は、会のスローガンを“造り手・売り手・飲み手の和”と掲げました。ビールやワインや焼酎は、造りの現場で職人の顔を気軽に見ることはできないけど、日本酒の蔵元は、昔は町内に1軒はあったぐらい、地域に溶け込んでいる存在で、造り手の顔がよく見える。ところが、国内はおろか静岡でも、地元で日本酒を造っていることを知らない人が多い。それはとてもモッタイナイ話だと思っていました。地域だからこそ、酒を造っている蔵元、紹介する小売店や飲食店、そして受け取る消費者である私たちが相互理解し、交流を広げる場ができると考えたのです。
そんな宣言をしたところ、松下さんが「米農家が入っていないのはおかしい」と口を挟んできた。昨日初めて酒蔵にやってきて、これから酒米づくりに挑戦しようという奴が、何を生意気なことを・・・とカチンと来ましたが(笑)、とにかく松下さんの初めての酒米づくり…しかも青島の社長から「どうせ作るなら一番難しい山田錦を作ってみろ、失敗しても自分がポケットマネーで買い取ってやる」と背を押されたと聞いて、それなら会の仲間で応援しようじゃないかということになり、何度も田んぼに通って田植えを手伝ったり、草取りしたり山田錦研究の先生を招いたりして、秋の稲刈りを迎えたのです。
ニューヨークで投資顧問の仕事をされていた孝さんが帰国したのは、その稲刈り直前の、96年10月初旬でしたね。家の近所の田んぼでおかしな連中が盛り上がっているのを見て、さぞかしビックリしたでしょう?(笑)。
青島 ―松下さんとうちの社長が初めて出会ってアフリカ話で盛り上がり、真弓さんがしずおか地酒研究会を作ったころ、自分はニューヨークでこのままでいいのかと悩み苦しんでいました(苦笑)。自分が大切にして行きたいと思うのはカネでは買えないものだと思い始めていた。松下さんが最終的に行きついたのは故郷の田んぼだったということと、同じ思いだったかも知れません。
ただ、すんなり実家の酒蔵へ戻ることを決めたわけではなくて、100年200年と長い年月をかけて生き残っていくモノづくりの世界・・・たとえば自然と携わる植林や森づくりみたいな仕事に憧れました。酒造りもそうなのかなと思いましたが、一度は拒否した世界だし、ニューヨークに渡った時は、「(家業から)逃げきった」とまで思ってましたから(苦笑)。
鈴木 ―確か、宮大工の仕事にも憧れたと聞きましたが?
青島 ―そう、職人の技が数百年経っても息づくようなモノづくりの世界ですよね。そんなとき、母親から「変わった農家の人が来たよ」「お父さんの心臓の具合がよくなくてね・・・」という手紙をもらい、改めて故郷で酒を造るという仕事を真正面から考えるようになりました。
思えば、自分の故郷には大切なものがたくさんある。酒造りに欠かせないも のはなんといっても良質の水ですね。
鈴木 ―先ほど観ていただいた『吟醸王国しずおか』パイロット版で、いくつかの酒蔵の米洗いのシーンを立て続けにつないでみたのですが、あんなに水をぜいたくに使える地域というのは実は貴重で、日本では、名水地といわれるところでも、水量が乏しいことが多いそうですね。
青島 ―その意味で、酒造りというのは、その土地のいい水を守り、農業を守ることにつながると気づきました。この仕事が、何百年という年月の間、酒に携わる多くの人々の知恵や技に支えられて成り立っていると思った時、自分の代で簡単に辞めてはいけないんじゃないかと。
現実的には、収入は10分の1ぐらいになるわけで、相応の葛藤はありましたが(苦笑)、帰ったのはちょうど松下さんの稲刈りの1週間ぐらい前でしたね。その直前、父に帰ると伝えたとき、最初は「ニューヨークで何か失敗していられなくなって逃げ帰ってくるのか」と反対されたんですよ(苦笑)。

1996年10月5日 松下さん(左)、青島さん(中央)と初めて呑んだ日

2010年8月 それぞれ貫禄?がついた3人
松下さんの米作り、青島さんの酒造りについては、例年10月の『喜久醉純米大吟醸松下米』の発売時にじっくりご紹介するとして、彼らとの不思議な出会いと、ともに歩んだ時間、交わした杯の数や深さが、しずおか地酒研究会のエネルギー源になっていたのは確かです。2人の活躍を見るにつけ、自分は彼らに恥ずかしくない仕事が出来ているだろうか・・・とわが身を振り返り、落ち込んだり励まされたりの毎日。栗田・河村両巨頭がしずおか地酒研究会を“出産”させてくれた産科医ならば、松下・青島コンビは、日頃の体調チェックをしてくれる、かかりつけ医のような存在かな(笑)。変な喩えでスミマセン。でもこういう同志が傍にいてくれたからこその17年なんです。
先月のしずおか地酒研究会・燗酒ブース『暖杯!しずおか地酒屋台』には、松下さんと平野さんが駆け付けて、一緒に地酒のプレゼンテーションをしてくれました。松下さんは17年前と変わらない、「どっから来るの?その自信」と呆れてしまうほど(苦笑)の、歯に衣着せぬ明快な物言い。心底嬉しくなりました。
燗酒ブースの出店協力してくれた長島酒店さん、丸河屋酒店さんとも長いつきあいです。酒縁というのは、大切に育てていけば、ほんとうに地域を支える強靭な力になるに違いない、とあらためて確信しました。

おでんフェアの協賛イベント「暖杯!しずおか地酒屋台」に助っ人で来て
くれた松下さん(左から2人目)、「たまらん」の平野さん(3人目)
それでも、しずおか地酒研究会は、まだ17歳。ほんとうの酒の価値を語れるオトナになるには、まだまだ修業が必要です。時代や状況が変わっても、新しい酒縁にワクワクする気持ちを忘れず、活動を続けていきたい、と思っています(長々、回顧話に終始しちゃってごめんなさい)。
◆松下×青島×スズキの鼎談はこちらをご参照ください。
『杯が乾くまで~見直そう地のモノ・地のヒト・ふるさとの価値』
http://mayumi-s-jizake.blogzine.jp/blog/2009/07/post_d7c2.html
http://mayumi-s-jizake.blogzine.jp/blog/2009/07/post_6bbd.html
▼日本農業新聞に紹介されたしずおか地酒研究会発会式
静岡の酒の造り手・売り手・飲み手の交流を目指し、1996年3月1日に誕生したしずおか地酒研究会。きっかけは、前年の秋、静岡市立南部図書館の食文化講座を担当していた市の職員から「地酒を取り上げたい」と相談され、企画を請け負ったことでした。
先月、17年ぶりに静岡市役所から声をかけてもらって、静岡おでんフェアの協賛イベント・しずおか早春の楽市2013の会場内(葵スクエア)に、しずおか地酒研究会で燗酒ブース『暖杯!しずおか地酒屋台』を出店したのですが、担当者から「市庁内で、酒呑みのスズキさんって知っている人が多くてビックリしましたよ」と言われ、赤面したと同時に、17年前の発足当時のこと、その前年の食文化講座のことを懐かしく思い出しました。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
静岡市立南部図書館の食文化講座『静岡の地酒』では、講師に、このお2人しかいないというビッグネーム、静岡県酒造組合専務理事(当時)で静岡酒の生き字引のような存在だった栗田覚一郎さん、『静岡酵母』の開発で知られる静岡県静岡工業技術センター(当時)の河村傳兵衛さんをお招きし、2回に分け、静岡酒の歩みから酵母開発秘話まで幅広く解説していただきました。

1995年11月 静岡市立南部図書館食文化講座「静岡の地酒」
お2人とも頑固なスペシャリストで、一般市民に合わせて話のレベルを手加減・調整するような方々ではありませんが、おかげさまで講座は大好評で、会場は定員オーバーの聴講者で熱気にあふれ、終了後は「もっと地酒の情報を」「カネをとっていいから続けてくれ」という声をいただきました。そこで、年末年始にいろいろ構想し、96年1月末には酒の取材でお世話になっていた関係者、知己のあるマスコミ人、文化事業担当者等に集まってもらって相談会をもうけ、3月1日、研究会の発足、と相成ったのです。
一般にお披露目する発会パーティーは、静岡県清酒鑑評会授賞式で酒造関係者が静岡市内に一堂に集まる日にあわせ、3月22日、静岡県男女共同参画センターあざれあ調理実習室で開きました。地域の伝統食を研究・伝承している静岡市生活改善グループ連絡協議会(農家の主婦の皆さん)が朝採り山野草を材料にした酒肴をその場で作ってくれて、県内蔵元の皆さんが新酒を持ち寄り、酒友たちがボランティアで受付や会場設営をしたホントの手作りパーティーでした。当時、まだ『地産地消』『地域資源』なんて言葉はありませんでしたが、あの日に集まった酒も食も人も、100%地元産の地域資源でした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
しずおか地酒研究会の当初のプログラムは、図書館講座の延長のような感じで、酒米の研究者、マーケティング専門家、酒の評論家等を招いての「地酒塾」や消費者代表によるシンポジウムなど。2年活動した後、当時、静岡新聞出版局にいらした平野斗紀子さんの尽力で、会員情報をベースにしたガイドブック『地酒をもう一杯』を静岡新聞社から出版しました。その後は“塾”なんて上から目線のお題目はやめて、フランクに楽しめる酒蔵巡りや居酒屋さんをはしごする“地酒サロン”に切り替え、不定期に続けています。栗田・河村両巨頭から「酒のことでカネもうけしようなんて、ゆめゆめ思うな」とクギをさされていたので、研究会はまったくの非営利活動。必要経費を参加費用としていただく形でやっています。
バブル崩壊以降のフリーランスライター稼業と併行しての活動は、決して楽ではありませんが、自分が運よく取材で出会えて感動した酒の味、造り手の精神を、多くの人に直に紹介し、感動を共有し合う・・・これは、もう、ライター稼業だけではできない経験です。発足間もない頃、『開運』の蔵元・土井清愰社長が、会の“効能”を「地元のいい酒を楽しい雰囲気で呑んでいると、隣に座った初対面の人が長年の親友のような気分になる。お茶やまんじゅうじゃこうはいかない」と評価してくださいましたが、地酒は人と人をつなげ、地域コミュニケーションを円滑に、そして実に豊かにしてくれるんですね。今では、会に参加していた売り手(酒販店や飲食店)の多くが、独自に酒の会やイベントを開くようになり、酒の業界の外から投じた“貧者の一灯”が少しずつ結実していくようでワクワクしています。
しずおか地酒研究会の発足当時の経緯については、こちらの記事もぜひご覧ください。
http://ginjyo-shizuoka.jp/suzuki_09.html
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
さて、前述のとおり、私がしずおか地酒研究会をスタートさせたのが1996年3月1日。その前の日のことです。研究会の応援団のお一人、喜久醉(藤枝市上青島)の蔵元・青島秀夫社長のもとに若い農家が突然やってきました。今は、喜久醉の看板商品『純米大吟醸松下米』の米で知られる松下明弘さんです。4年前のある講演会で松下さん、喜久醉の杜氏で専務の青島孝さんと鼎談し、当時のことを語っています。講演録を再掲してみましょう。

1997年から毎年10月に発売している喜久酔松下米シリーズ
鈴木 ―私が「しずおか地酒研究会」の発会式を、「あざれあ」の会議室で行ったのは1996年3月1日でした。その前日か前々日に、松下さんは青島酒造に酒米のことを聞きたいと訪ねたんですよね?
松下 ―96年2月29日だから前日ですね。その3年前に親父がガンで亡くなり、後を継いで専業農家になろうと、いろいろな設備を直したり機械をそろえたりしていた頃でした。
海外青年協力隊に参加し、アフリカから帰ってきたとき、近所の酒屋で買った日本酒を呑んだらびっくりするほどうまかった。行く前に呑んでいた日本酒というのは、いわゆる大手の酒でひどい酔い方をしました。たまたま行った酒屋にいい地酒が置いてあったのがよかったんですが、いろいろな地酒を呑み比べてみて、一番気に入ったのが喜久醉だった。呑んで何もひっかかりがなく、体にスーッと溶け込んでいく美味しい酒だった。どうせ専業で米を作るならこういう酒の原料になるような米も作りたいと思いました。で、裏貼りを見たら、「なんだ、うちから一番近い酒蔵じゃないか」と気がついた。青島酒造(藤枝市上青島)とうちは(藤枝市青南町)は、もともと同じ村なんです。
帰国後はしばらく会社勤めをしながら親父の農業を手伝っていたんですが、親父が亡くなったことで専業農家になろうと腹をくくり、96年2月28日にそれまで勤めていた会社を辞め、翌3月から心機一転スタートだと決めていました。ところがこの年はうるう年で、2月29日まであることに気がつき、1日ぽっかり空いてしまった。で、一度酒蔵というところを見てみようと思い切って訪ねてみたんです。
鈴木 ―アポなしでフラッと訪ねたんですよね。後で青島酒造の奥さんから「いきなり変な子が来てビックリした」と聞きました(笑)。
松下 ―「今日から専業農家になるんですけど、酒米について教えてくれるところがわからないので、酒蔵へ行けば教えてくれるかなと思って来ました」と切り出しました。青島酒造の社長は仕事の手を休めて30~40分、酒米の話をひととおりしてくれました。
話の流れで、社長が「自分は旅行が好きでね」と言い、「最近どこに行ったんですか」と聞いたら「ケニアに行ってきたんだよ、アフリカが好きでね」と社長。私「じゃあキリマンジャロにも?」、社長「もちろん」、私「どこのルートから入りました?」、社長「なに、君、知っているの?行ったことあるの?」、私「アフリカに住んでました」、社長「!?」(笑)。
で、そこから2時間、延々アフリカの話で大盛り上がりでした。後から奥さんに聞いたんですが、社長が周囲に「アフリカに行ってきた」と話しても、誰も行ったことがないから想像がつかず、まともに聞いてくれる人がいなかったそうで、アフリカ話ができる相手がいきなり現われて、初めて会った相手とは思えないぐらい意気投合した、と喜んでいたそうです。
鈴木 ―そして翌日の3月1日、しずおか地酒研究会の発会式で、青島社長から「昨日、うちに来たばかりの変なやつだけど、面白いから連れて行く」と連絡をもらい、そこで初めて松下さんとお会いしました。
発会式で私は、会のスローガンを“造り手・売り手・飲み手の和”と掲げました。ビールやワインや焼酎は、造りの現場で職人の顔を気軽に見ることはできないけど、日本酒の蔵元は、昔は町内に1軒はあったぐらい、地域に溶け込んでいる存在で、造り手の顔がよく見える。ところが、国内はおろか静岡でも、地元で日本酒を造っていることを知らない人が多い。それはとてもモッタイナイ話だと思っていました。地域だからこそ、酒を造っている蔵元、紹介する小売店や飲食店、そして受け取る消費者である私たちが相互理解し、交流を広げる場ができると考えたのです。
そんな宣言をしたところ、松下さんが「米農家が入っていないのはおかしい」と口を挟んできた。昨日初めて酒蔵にやってきて、これから酒米づくりに挑戦しようという奴が、何を生意気なことを・・・とカチンと来ましたが(笑)、とにかく松下さんの初めての酒米づくり…しかも青島の社長から「どうせ作るなら一番難しい山田錦を作ってみろ、失敗しても自分がポケットマネーで買い取ってやる」と背を押されたと聞いて、それなら会の仲間で応援しようじゃないかということになり、何度も田んぼに通って田植えを手伝ったり、草取りしたり山田錦研究の先生を招いたりして、秋の稲刈りを迎えたのです。
ニューヨークで投資顧問の仕事をされていた孝さんが帰国したのは、その稲刈り直前の、96年10月初旬でしたね。家の近所の田んぼでおかしな連中が盛り上がっているのを見て、さぞかしビックリしたでしょう?(笑)。
青島 ―松下さんとうちの社長が初めて出会ってアフリカ話で盛り上がり、真弓さんがしずおか地酒研究会を作ったころ、自分はニューヨークでこのままでいいのかと悩み苦しんでいました(苦笑)。自分が大切にして行きたいと思うのはカネでは買えないものだと思い始めていた。松下さんが最終的に行きついたのは故郷の田んぼだったということと、同じ思いだったかも知れません。
ただ、すんなり実家の酒蔵へ戻ることを決めたわけではなくて、100年200年と長い年月をかけて生き残っていくモノづくりの世界・・・たとえば自然と携わる植林や森づくりみたいな仕事に憧れました。酒造りもそうなのかなと思いましたが、一度は拒否した世界だし、ニューヨークに渡った時は、「(家業から)逃げきった」とまで思ってましたから(苦笑)。
鈴木 ―確か、宮大工の仕事にも憧れたと聞きましたが?
青島 ―そう、職人の技が数百年経っても息づくようなモノづくりの世界ですよね。そんなとき、母親から「変わった農家の人が来たよ」「お父さんの心臓の具合がよくなくてね・・・」という手紙をもらい、改めて故郷で酒を造るという仕事を真正面から考えるようになりました。
思えば、自分の故郷には大切なものがたくさんある。酒造りに欠かせないも のはなんといっても良質の水ですね。
鈴木 ―先ほど観ていただいた『吟醸王国しずおか』パイロット版で、いくつかの酒蔵の米洗いのシーンを立て続けにつないでみたのですが、あんなに水をぜいたくに使える地域というのは実は貴重で、日本では、名水地といわれるところでも、水量が乏しいことが多いそうですね。
青島 ―その意味で、酒造りというのは、その土地のいい水を守り、農業を守ることにつながると気づきました。この仕事が、何百年という年月の間、酒に携わる多くの人々の知恵や技に支えられて成り立っていると思った時、自分の代で簡単に辞めてはいけないんじゃないかと。
現実的には、収入は10分の1ぐらいになるわけで、相応の葛藤はありましたが(苦笑)、帰ったのはちょうど松下さんの稲刈りの1週間ぐらい前でしたね。その直前、父に帰ると伝えたとき、最初は「ニューヨークで何か失敗していられなくなって逃げ帰ってくるのか」と反対されたんですよ(苦笑)。

1996年10月5日 松下さん(左)、青島さん(中央)と初めて呑んだ日

2010年8月 それぞれ貫禄?がついた3人
松下さんの米作り、青島さんの酒造りについては、例年10月の『喜久醉純米大吟醸松下米』の発売時にじっくりご紹介するとして、彼らとの不思議な出会いと、ともに歩んだ時間、交わした杯の数や深さが、しずおか地酒研究会のエネルギー源になっていたのは確かです。2人の活躍を見るにつけ、自分は彼らに恥ずかしくない仕事が出来ているだろうか・・・とわが身を振り返り、落ち込んだり励まされたりの毎日。栗田・河村両巨頭がしずおか地酒研究会を“出産”させてくれた産科医ならば、松下・青島コンビは、日頃の体調チェックをしてくれる、かかりつけ医のような存在かな(笑)。変な喩えでスミマセン。でもこういう同志が傍にいてくれたからこその17年なんです。
先月のしずおか地酒研究会・燗酒ブース『暖杯!しずおか地酒屋台』には、松下さんと平野さんが駆け付けて、一緒に地酒のプレゼンテーションをしてくれました。松下さんは17年前と変わらない、「どっから来るの?その自信」と呆れてしまうほど(苦笑)の、歯に衣着せぬ明快な物言い。心底嬉しくなりました。
燗酒ブースの出店協力してくれた長島酒店さん、丸河屋酒店さんとも長いつきあいです。酒縁というのは、大切に育てていけば、ほんとうに地域を支える強靭な力になるに違いない、とあらためて確信しました。

おでんフェアの協賛イベント「暖杯!しずおか地酒屋台」に助っ人で来て
くれた松下さん(左から2人目)、「たまらん」の平野さん(3人目)
それでも、しずおか地酒研究会は、まだ17歳。ほんとうの酒の価値を語れるオトナになるには、まだまだ修業が必要です。時代や状況が変わっても、新しい酒縁にワクワクする気持ちを忘れず、活動を続けていきたい、と思っています(長々、回顧話に終始しちゃってごめんなさい)。
◆松下×青島×スズキの鼎談はこちらをご参照ください。
『杯が乾くまで~見直そう地のモノ・地のヒト・ふるさとの価値』
http://mayumi-s-jizake.blogzine.jp/blog/2009/07/post_d7c2.html
http://mayumi-s-jizake.blogzine.jp/blog/2009/07/post_6bbd.html
▼日本農業新聞に紹介されたしずおか地酒研究会発会式

Posted by 日刊いーしず at 12:00
2013年02月15日
第3回 スルメにワインが合わない理由
昨年末、ポートランドに住む妹夫婦が久しぶりに帰省しました。妹の夫ショーンは大のビール好きで、アメリカではマイクロブルワリー(小規模の地ビール醸造所)を訪ね歩くのが趣味ですが、日本酒の美味しさもちゃんと理解できるようで、しずおかオンラインの海野尚史社長はじめ私の酒友と一緒に『喜久酔』と『磯自慢』を訪問し、酒造りのきめ細やかさにすっかり魅了されていました。先日もあるテレビ番組で、フランス人ソムリエや在日外国人たちが日本酒をテイスティングして絶賛していたシーンが流れていました。日本食ブームの追い風にのって、海外輸出量も少しずつ伸びているようですね。
この『日刊いーしず』で海野社長と対談したとき(こちら)も、日本酒の味わい方や食べ合わせについてあれこれ訊かれ、あらためて、日本酒の美味しさって何だろう・・・と考えてみました。
私が地酒の取材を始めたのは平成元年2月、ちょうど25年前です。そして5年前の平成20年1月に始めたのが、ドキュメンタリー映画『吟醸王国しずおか』の制作。仕事で映画作りに関わったことをきっかけに、長年見守り続けてきた酒造職人さんたちの雄姿を動画で残しておきたいと考え、様々な方々に資金カンパをいただいて自主制作で取り組んでいます(お恥かしながら現在、資金不足で足踏み状態ですが・・・)。で、今年からこの連載のスタート。たまたまですが、こうしてみると、なんとなく、節目節目で新しいことを始めているんですね。でも、25年前を振り返ってみると、静岡の地酒に出会う前までは日本酒にこんなにハマるとは想像もしていなかったし、体質的には(アルコールに)強いほうではないし、日本酒の味に大感動したって経験もなし。仕事の枠を超え、25年もこういう活動を続けてこられたのは、やっぱり、さまざまな食体験を通して日本酒が心底美味しいなあと思えるようになったからです。
海野社長との対談の後、ふと思い出したのは、5年前の2008年5月、『吟醸王国しずおか』の撮影で訪ねた広島市での独立行政法人酒類総合研究所講演会。専門研究員による『清酒成分と生理的美味しさの関係』という研究発表です。当時の取材ノートを紐解いてみると―
「ヒトと動物(ラットやマウスで実験)の清酒の嗜好は、生理的な差(=体調や心理状態によって生じる違い)はないが、口腔内刺激(=きき酒で感じる味・香り・口当たり等)には差があり、飲酒初心者と経験者でも同様の結果となった。とくに初心者は空腹時と摂食時では嗜好が大きく異なる」
とあります。たぶんパワーポイントの解説文をそのまんま書き取っただけの味気のないメモですが(苦笑)、要訳すると、
(1)その日の体調や気分によって感じる『生理的美味しさ』は、人間と動物では共通している。ノドが渇いている時のビールの最初の1杯がむちゃくちゃ美味しい!って感覚。ふだんから呑む人も呑まない人も同じ。
(2)香りや口当たりによって感じる美味しさは人間と動物では違う。ふだんから呑む人と呑まない人でも違う。とくに呑まない人は、一緒に食べる料理が大きく影響する。
ってことでしょうか。
まず(1)の『生理的美味しさ』ですが、マウスに何種類かの日本酒を飲ませたところ、より好んでたくさん飲んだ酒=生理的に美味しいと感じた酒を飲むと、体にとってよくない変化=血糖値の低下・ケトン体や遊離脂肪酸の上昇などを起こしにくいという結果だったそうです。好みでない酒は、体にもよくない症状が起きたってことでしょう。解りやすい・・・!
成分分析したところ、生理的に美味しく、体に負担をかけない酒には「グルコース」「リジン」「ヒスチジン」が影響していたとのこと。
ご存知の通り「グルコース」はブドウ糖のこと。日本酒とは、お米のデンプンが麹によって糖化され、これを酵母が栄養にしてアルコールを作るわけで、いわば醸造酒成分の代表格です。
「リジン」と「ヒスチジン」はアミノ酸の一種です。日本酒にはアルギニン、チロシン、セリン、ロイシン、グルタミン酸など約20種類のアミノ酸が含まれ、旨味のもとを構成しているのですが、リジンというのは、たんぱく質の吸収を促進させ、ブドウ糖の代謝やカルシウムの吸収にも重要な働きを担う有効成分で、細菌やウイルスに対する抗体を作って免疫力を上げたり、脳卒中の発症を抑制する作用もあり、食品ではマグロ、サワラ、サバ、小麦胚芽、卵黄、しらす干し、そば、大豆、高野豆腐、納豆などに多く含まれています。
一方、ヒスチジンは抗酸化作用・ストレス解消に効果があるといわれるアミノ酸。食品では鶏肉、子牛肉、チェダーチーズ、マグロ、カツオ、サンマ、イワシなどに多く含まれています。
これら成分が1杯の日本酒にどれほど含まれ、どのような影響を与えるのか、機会があったら専門家にちゃんと取材してみたいと思いますが、美味いという感じ方は、体にもマルなんだと判って、しみじみ嬉しくなりました。
世の中には、美味しいけど体にワルそうという食べ物・飲み物は少なくないんですから、日本酒でこういう科学的実証が得られたってことは、左党には心強い限り。やっぱり、長年飲まれて来た伝統酒だけのことはあります。酒肴は、リジンやヒスチジンが多く含まれる赤身魚、青魚、大豆製品、乳製品類をうまく組み合わせるとよいのかもしれませんね。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
(2)では食品とお酒の相性について検証しています。食べ合わせの科学的な解明というのは、実はあまり進んでいないそうですが、発表者はシーフードと日本酒・ワインの相性について解説してくれました。評価者18人による実験で、「スルメ」をかみながら日本酒と白ワインを飲み比べてみたところ、白ワインのほうが、エグ味・苦味・生臭みを強く感じたとのこと。・・・実は今、書きながら自分も味見しているんですが、確かにおススメできない食べ合わせです(苦笑)。
シーフードに含まれる多価不飽和脂肪酸=有名なのはDHA(ドコサヘキサエン酸)=は、劣化すると、カルボニル化合物という不快な香り成分に変化します。そこで、日本酒と白ワインにDHAを添加して変化を比べてみたところ、日本酒ではほとんど変化がなかったのに対し、白ワインでは明らかにカルボニル化合物が増加したそう。ワインに含まれる亜硫酸がDHAの酸化=劣化を促進したようです。
発表者は「亜硫酸の少ないワインや無添加のワイン、多価不飽和脂肪酸が少ないシーフード(白身魚、エビ、カニ等)を選べばよい」と結論付けました。DHAってアタマがよくなるありがたい成分だと思っていましたが、ワイン党には味覚的に要注意のようです。
テッパンだけど、私が好きな(+リジンやヒスチジンが多く含まれる)、静岡酒と食べ合わせのよい料理例


せいろそば、豆腐鍋


桜えびのかきあげ×マグロのホホ肉、刺身の盛り合わせ
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
講演会では、日本酒の消費アンケートについての紹介もありました。取材ノートには、
「アンケートで日本酒を飲む回数が増えたと答えた人の理由は、“おいしく感じるようになったから”“知る・わかる・目覚める・出会う”“和食・日本料理に合うから”が多い。他のアルコールと比較してもきわめて多い」
「日本酒を飲む量が増えたと答えた人の中で、20代では“好みのタイプはわからない”“自分では買ったことがない”との回答が多かった」
とのメモ書き。そういえば、会場から「飲む回数が増えた人の解析よりも、飲まなくなった人の解析をすべきではないか」という質問があり、発表者は「飲まない理由を分析したところで、それに対処する手立てを考えるのは容易ではない。むしろ飲むようになった人の動機を参考にするほうが有益だと思う」と答えていました。質問者(どこかの蔵元さん)は不満げな顔でしたが、私も、マイナス要因よりもプラス要因を伸ばそうという意見に賛成です。
この講演会の聴講者は醸造関係者がほとんどでしたが、こういう解説は酒販店や飲食店やフードコーディネーター・きき酒師など消費者と直につながる人たちも聞くべきだし、プラス要因を伸ばす知恵やアイディアは、消費動向の現場に居る彼らのほうが持っています。毎年5月下旬に東広島市で行われる全国新酒鑑評会一般公開の前日に同市内で開かれますので、興味のある人は(独)酒類総合研究所の公式サイトでチェックしてみてください。
→ http://www.nrib.go.jp/index.html
日本酒を美味しいと感じるきっかけは、食体験の積み重ねの中にあります。そもそもが、日本人の主食であるコメを原料とした醸造飲料。発酵過程で非常に多くの成分が生成され、相性のよい食品、機能性が高まる食品と出会うチャンスも、他のアルコールより格段に多い。外国人でも日本酒の美味しさが解るというのは、多様な味覚や嗜好の持ち主も受容でき、食べ合わせがしやすい飲み物だという証拠じゃないでしょうか。ワインにソムリエが必要なのは、「スルメ」の例ではありませんが、それだけ食べ合わせが難しいということでしょう。
最近出会う日本酒ファンの多くは、単に呑ん兵衛というのではなく、食べること自体が好きで好奇心や探究心が旺盛です。食材が豊富な静岡に暮らす皆さんは、難しく考えないで、とにかくいろんな食べ合わせを楽しんでみてください。そして興味が湧いたら、「好きなお酒をもっと美味しく、健康的に飲める食べ合わせ」について、さらに突っ込んで探求してみてください。豊かな食体験を持つ飲み手は、酒の売り手や造り手のモチベーションを向上させてくれるはずです。
◆お酒の知識・雑学等は(独)酒類総合研究所公式サイトのこちらのページで専門家が一般向けにわかりやすく解説しています。
→ http://www.nrib.go.jp/sake/sakeinfo.htm
この『日刊いーしず』で海野社長と対談したとき(こちら)も、日本酒の味わい方や食べ合わせについてあれこれ訊かれ、あらためて、日本酒の美味しさって何だろう・・・と考えてみました。
私が地酒の取材を始めたのは平成元年2月、ちょうど25年前です。そして5年前の平成20年1月に始めたのが、ドキュメンタリー映画『吟醸王国しずおか』の制作。仕事で映画作りに関わったことをきっかけに、長年見守り続けてきた酒造職人さんたちの雄姿を動画で残しておきたいと考え、様々な方々に資金カンパをいただいて自主制作で取り組んでいます(お恥かしながら現在、資金不足で足踏み状態ですが・・・)。で、今年からこの連載のスタート。たまたまですが、こうしてみると、なんとなく、節目節目で新しいことを始めているんですね。でも、25年前を振り返ってみると、静岡の地酒に出会う前までは日本酒にこんなにハマるとは想像もしていなかったし、体質的には(アルコールに)強いほうではないし、日本酒の味に大感動したって経験もなし。仕事の枠を超え、25年もこういう活動を続けてこられたのは、やっぱり、さまざまな食体験を通して日本酒が心底美味しいなあと思えるようになったからです。
海野社長との対談の後、ふと思い出したのは、5年前の2008年5月、『吟醸王国しずおか』の撮影で訪ねた広島市での独立行政法人酒類総合研究所講演会。専門研究員による『清酒成分と生理的美味しさの関係』という研究発表です。当時の取材ノートを紐解いてみると―
「ヒトと動物(ラットやマウスで実験)の清酒の嗜好は、生理的な差(=体調や心理状態によって生じる違い)はないが、口腔内刺激(=きき酒で感じる味・香り・口当たり等)には差があり、飲酒初心者と経験者でも同様の結果となった。とくに初心者は空腹時と摂食時では嗜好が大きく異なる」
とあります。たぶんパワーポイントの解説文をそのまんま書き取っただけの味気のないメモですが(苦笑)、要訳すると、
(1)その日の体調や気分によって感じる『生理的美味しさ』は、人間と動物では共通している。ノドが渇いている時のビールの最初の1杯がむちゃくちゃ美味しい!って感覚。ふだんから呑む人も呑まない人も同じ。
(2)香りや口当たりによって感じる美味しさは人間と動物では違う。ふだんから呑む人と呑まない人でも違う。とくに呑まない人は、一緒に食べる料理が大きく影響する。
ってことでしょうか。
まず(1)の『生理的美味しさ』ですが、マウスに何種類かの日本酒を飲ませたところ、より好んでたくさん飲んだ酒=生理的に美味しいと感じた酒を飲むと、体にとってよくない変化=血糖値の低下・ケトン体や遊離脂肪酸の上昇などを起こしにくいという結果だったそうです。好みでない酒は、体にもよくない症状が起きたってことでしょう。解りやすい・・・!
成分分析したところ、生理的に美味しく、体に負担をかけない酒には「グルコース」「リジン」「ヒスチジン」が影響していたとのこと。
ご存知の通り「グルコース」はブドウ糖のこと。日本酒とは、お米のデンプンが麹によって糖化され、これを酵母が栄養にしてアルコールを作るわけで、いわば醸造酒成分の代表格です。
「リジン」と「ヒスチジン」はアミノ酸の一種です。日本酒にはアルギニン、チロシン、セリン、ロイシン、グルタミン酸など約20種類のアミノ酸が含まれ、旨味のもとを構成しているのですが、リジンというのは、たんぱく質の吸収を促進させ、ブドウ糖の代謝やカルシウムの吸収にも重要な働きを担う有効成分で、細菌やウイルスに対する抗体を作って免疫力を上げたり、脳卒中の発症を抑制する作用もあり、食品ではマグロ、サワラ、サバ、小麦胚芽、卵黄、しらす干し、そば、大豆、高野豆腐、納豆などに多く含まれています。
一方、ヒスチジンは抗酸化作用・ストレス解消に効果があるといわれるアミノ酸。食品では鶏肉、子牛肉、チェダーチーズ、マグロ、カツオ、サンマ、イワシなどに多く含まれています。
これら成分が1杯の日本酒にどれほど含まれ、どのような影響を与えるのか、機会があったら専門家にちゃんと取材してみたいと思いますが、美味いという感じ方は、体にもマルなんだと判って、しみじみ嬉しくなりました。
世の中には、美味しいけど体にワルそうという食べ物・飲み物は少なくないんですから、日本酒でこういう科学的実証が得られたってことは、左党には心強い限り。やっぱり、長年飲まれて来た伝統酒だけのことはあります。酒肴は、リジンやヒスチジンが多く含まれる赤身魚、青魚、大豆製品、乳製品類をうまく組み合わせるとよいのかもしれませんね。
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(2)では食品とお酒の相性について検証しています。食べ合わせの科学的な解明というのは、実はあまり進んでいないそうですが、発表者はシーフードと日本酒・ワインの相性について解説してくれました。評価者18人による実験で、「スルメ」をかみながら日本酒と白ワインを飲み比べてみたところ、白ワインのほうが、エグ味・苦味・生臭みを強く感じたとのこと。・・・実は今、書きながら自分も味見しているんですが、確かにおススメできない食べ合わせです(苦笑)。
シーフードに含まれる多価不飽和脂肪酸=有名なのはDHA(ドコサヘキサエン酸)=は、劣化すると、カルボニル化合物という不快な香り成分に変化します。そこで、日本酒と白ワインにDHAを添加して変化を比べてみたところ、日本酒ではほとんど変化がなかったのに対し、白ワインでは明らかにカルボニル化合物が増加したそう。ワインに含まれる亜硫酸がDHAの酸化=劣化を促進したようです。
発表者は「亜硫酸の少ないワインや無添加のワイン、多価不飽和脂肪酸が少ないシーフード(白身魚、エビ、カニ等)を選べばよい」と結論付けました。DHAってアタマがよくなるありがたい成分だと思っていましたが、ワイン党には味覚的に要注意のようです。
テッパンだけど、私が好きな(+リジンやヒスチジンが多く含まれる)、静岡酒と食べ合わせのよい料理例
せいろそば、豆腐鍋

桜えびのかきあげ×マグロのホホ肉、刺身の盛り合わせ
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講演会では、日本酒の消費アンケートについての紹介もありました。取材ノートには、
「アンケートで日本酒を飲む回数が増えたと答えた人の理由は、“おいしく感じるようになったから”“知る・わかる・目覚める・出会う”“和食・日本料理に合うから”が多い。他のアルコールと比較してもきわめて多い」
「日本酒を飲む量が増えたと答えた人の中で、20代では“好みのタイプはわからない”“自分では買ったことがない”との回答が多かった」
とのメモ書き。そういえば、会場から「飲む回数が増えた人の解析よりも、飲まなくなった人の解析をすべきではないか」という質問があり、発表者は「飲まない理由を分析したところで、それに対処する手立てを考えるのは容易ではない。むしろ飲むようになった人の動機を参考にするほうが有益だと思う」と答えていました。質問者(どこかの蔵元さん)は不満げな顔でしたが、私も、マイナス要因よりもプラス要因を伸ばそうという意見に賛成です。
この講演会の聴講者は醸造関係者がほとんどでしたが、こういう解説は酒販店や飲食店やフードコーディネーター・きき酒師など消費者と直につながる人たちも聞くべきだし、プラス要因を伸ばす知恵やアイディアは、消費動向の現場に居る彼らのほうが持っています。毎年5月下旬に東広島市で行われる全国新酒鑑評会一般公開の前日に同市内で開かれますので、興味のある人は(独)酒類総合研究所の公式サイトでチェックしてみてください。
→ http://www.nrib.go.jp/index.html
日本酒を美味しいと感じるきっかけは、食体験の積み重ねの中にあります。そもそもが、日本人の主食であるコメを原料とした醸造飲料。発酵過程で非常に多くの成分が生成され、相性のよい食品、機能性が高まる食品と出会うチャンスも、他のアルコールより格段に多い。外国人でも日本酒の美味しさが解るというのは、多様な味覚や嗜好の持ち主も受容でき、食べ合わせがしやすい飲み物だという証拠じゃないでしょうか。ワインにソムリエが必要なのは、「スルメ」の例ではありませんが、それだけ食べ合わせが難しいということでしょう。
最近出会う日本酒ファンの多くは、単に呑ん兵衛というのではなく、食べること自体が好きで好奇心や探究心が旺盛です。食材が豊富な静岡に暮らす皆さんは、難しく考えないで、とにかくいろんな食べ合わせを楽しんでみてください。そして興味が湧いたら、「好きなお酒をもっと美味しく、健康的に飲める食べ合わせ」について、さらに突っ込んで探求してみてください。豊かな食体験を持つ飲み手は、酒の売り手や造り手のモチベーションを向上させてくれるはずです。
◆お酒の知識・雑学等は(独)酒類総合研究所公式サイトのこちらのページで専門家が一般向けにわかりやすく解説しています。
→ http://www.nrib.go.jp/sake/sakeinfo.htm
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◆このコラムの著者・鈴木真弓さんのインタビューを、コラム「インタビュー・ノート」にて掲載しています。
鈴木真弓さんと静岡の地酒の出会い、これまでの経緯、日本酒の美味しい飲み方などが語られています。
・前編 http://interview.eshizuoka.jp/e989117.html
・中編 http://interview.eshizuoka.jp/e991908.html
・後編 http://interview.eshizuoka.jp/e995219.html
◆このコラムの著者・鈴木真弓さんのインタビューを、コラム「インタビュー・ノート」にて掲載しています。
鈴木真弓さんと静岡の地酒の出会い、これまでの経緯、日本酒の美味しい飲み方などが語られています。
・前編 http://interview.eshizuoka.jp/e989117.html
・中編 http://interview.eshizuoka.jp/e991908.html
・後編 http://interview.eshizuoka.jp/e995219.html
Posted by 日刊いーしず at 12:00
2013年02月01日
第2回 磯自慢入手顛末記
昨年末のことです。沼津の観光記事を書くため、昔からお世話になっていた沼津市内の某社長のもとへリサーチに行ったとき、その社長さんから「磯自慢が手に入らなくて困っている」と言われました。暮れのギフトでどうしても必要だが、沼津市内の酒販店では必要本数が入手できないと。磯自慢の取扱い販売店では全国どこでも「お一人様1本限り」の断り書きが貼ってあるんですね。
今や、静岡が誇るトップブランドとなった『磯自慢』。地酒に詳しくない人も一度は耳にする酒銘でしょう。焼津にある磯自慢酒造は、平成元年2月―ちょうど25年前に初めて取材した思い出深い酒蔵で、蔵元の寺岡洋司さんとも25年のおつきあいになります。でも、いくらつきあいが長いからといっても、ただの酒呑みライターが「1本限り」の原則を曲げることなんて出来ません。
沼津の社長さんからは「困っている」と言われただけで、「手に入れて」と頼まれたわけではありませんが、地酒のことで困っていると聞けば何とかしたいし、恩ある社長さんに報いるにはそれしかないだろうと、県内で磯自慢を取り扱う酒販店1軒1軒を回ってかき集められるだけ集めて社長さんに届けました。必要本数には届かなかったものの、とりあえず社長さんのホッとした表情が見られて、こちらも肩をなでおろしました。と同時に、改めて、『磯自慢』という酒のブランドパワーに息を呑む思いがしました。
25年前は、地元焼津を除けばよほどの酒通でなければ海苔の佃煮かふりかけの名前だと思われていたかもしれません。なぜ今、これほどまでに入手困難になったのか、これまでも、いろいろな人から訊かれました。某百貨店の社長さんからは直々に、「なぜ百貨店で磯自慢を取り扱えないのか」と聞かれ、自分が軽々に応えるのはまずいと思い、寺岡さんに「どうお返事しましょうか」と相談をしに行ったことも。そのときの経緯や、磯自慢が入手しにくい理由については、私なりの解釈でこちらの記事にまとめてあるのでご一読ください。
→リンク「吟醸王国しずおか」映像製作委員会オフィシャルサイト
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
テレビコマーシャルで大々的に宣伝する大手ブランドとは違い、地方の、ましてや酒どころのイメージのない静岡の地酒の場合、蔵元自身の広報力だけでブランドパワーを獲得するのは至難の業です。加えて日本列島のほぼ真ん中の、東海道ベルト地帯にある静岡は物流が発達しているので、全国津々浦々から有名地酒が入ってきます。静岡県内で呑まれる日本酒のうち、県産酒のシェアは実は2割以下なんです。
戦後の高度経済成長時代は黙っていても日本酒が売れていた時代でした。卸問屋や小売店にしてみれば、注文した量をすぐに納入してくれる、ついでにおまけしてくれる、サービスで看板を付けてくれたりする酒蔵を重宝します。一方、そんな“余力”のない中小酒蔵は、造った酒のうち、地元で細々売る以外は、灘や伏見の大手酒蔵に桶売り(OEM供給)するなどして、必死に生き残りを図っていました。やがて大手が輸送コストのかかる桶買いをやめて自主生産体制を整えると、桶売りに頼っていた酒蔵は自立、事業縮小、あるいは転業・廃業の選択を迫られます。
このとき自立の道を選んだ酒蔵は、量より質にギアチェンジし、それまでコンテスト用に少量試作していた吟醸酒の市販化に取り組みました。これを強力に後押ししたのが、静岡県工業技術センター開発の『静岡酵母』。昭和50年代後半~60年代にかけ、県内酒造業がドラスティックに構造転換した時代でした。
磯自慢酒造は、桶売りに頼らず、一貫して『磯自慢』として造り続け、売り続けてきた蔵でした。地元焼津は新鮮な海の幸の宝庫。口の肥えた客や料理人が集まる日本有数の港町、という土地柄も手伝い、蔵元の酒質に対する意識は大いに磨かれていたのでしょう。しかし焼津から一歩外へ出れば、酒の市場は荒波の渦。家業に入る前、酒の流通会社で修業をし、市場の渦の激しさを目の当たりにしていた寺岡さんは、「うちも一層、質を磨いていくしかないが、品質を上げれば黙っても売れるほど世の中は甘くない。市場に認知され、信頼される努力をしなければ」と実感します。蔵に戻るや、上記記事でふれたように次々と蔵の改造・改築に着手し、暖地静岡のイメージリスクを払拭するような、完璧な低温管理醸造所を創り上げました。


焼津港と小川港の中間にある磯自慢酒造。搾りたてを試飲する蔵元寺岡洋司さん(左)と杜氏の多田信男さん
同じ頃、同様に、テレビコマーシャルで名の知れた銘柄を並べておけば黙っていても売れる時代ではない、卸問屋に依存し、他店と同じ商品を並べるだけでは価格競争に巻き込まれる、と危機意識を持った小売酒販店がいました。それが、東京の「はせがわ酒店」、静岡の「ヴィノスやまざき」等、磯自慢の名パートナーとなった酒販店です。彼らは卸問屋に頼らず、小さいながらもキラリと光るダイヤの原石のような地方の蔵を自らの足で発掘し、リスクを分かち合いながら必死に営業努力を重ねました。
自分の酒を無名の頃から買い支えると言い切ってくれた、そんなパートナーへの恩を、寺岡さんは今でも大切にし、生産量や新規取引先を無計画に増やすようなことはしません。

若い蔵人たちが躍動する洗米作業
2008年のG8北海道洞爺湖サミットの晩餐会乾杯酒に選ばれたことで、磯自慢の人気にさらに拍車がかかりました。
サミット酒=日本を代表する国酒、という最上級のブランドパワーがついた以上、品質は絶対に落とせませんし、品質を落とせないという理由で量を減らすことも出来ないでしょう。

サミットに使われた中取り純米大吟醸35
ブランドとは、高い品質を安定供給できる信頼の証。現場の杜氏さんや蔵人衆の肩にかかるプレッシャーは相当なものだと想像しますが、現場の皆さんは蔵を訪ねるたびに意気揚々と迎えてくれます。緊張の中にも、期待されることへの充足感があるんですね。「働き甲斐のある仕事場なんだな」と、こちらもワクワクしてきます。そんな現場を作り上げた寺岡さんは、私が知る限り、国酒にふさわしい日本屈指の酒造家だと明言できます。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
昨年末、私が磯自慢を求めて県内酒販店を駆けずり回っていた頃、寺岡さんの名パートナーだったヴィノスやまざき(静岡市葵区常磐町)の山崎巽会長が亡くなりました。
山崎さんは、私が初めて手がけた新聞全面広告のスポンサーであり、「マユミさんの思い通りに作ってみなさい」とチャンスをくれた、私にとっても得難い恩人です。毎日新聞で1997~98年に連載していたコラムでは静岡酒の功労店として似顔絵付きで紹介。一線を退かれた後も、時折、「最近の酒の事情を聞きたい」と連絡をもらい、お茶を飲みにうかがったりしていました。
年明け8日に執り行われたお別れの会には、私のほうが風邪で体調を崩して参列できませんでしたが、2日後、東京の広尾へ取材に行ったとき、ヴィノスやまざき広尾店で磯自慢のやまざき限定新酒を見つけ、思わず購入してしまいました。
取材先というのは某国大使館。執筆を手がける静岡県広報誌の看板企画・川勝知事と各国大使の対談コーナー取材です。訪問時には手土産として、編集スタッフが静岡県産マスクメロンを用意するのが常でしたが、対談で食の話題になると、知事は「わが県には、洞爺湖サミットで乾杯酒に選ばれた名酒がある」と自慢げに話されることがあるので、迷惑にはならないだろう、と、買ったばかりの磯自慢を手土産に加えてもらいました。
案の定、知事は満面得意顔で「サミットの酒です!」と大使に差し出したものの、実は、私が買った限定新酒というのは、サミットで使われた最高級の中取り純米大吟醸35ではなく、ハウスワイン価格の本醸造。ヴィノスやまざき広尾店は大使館の目と鼻の先ですから、行けば、バレバレです(苦笑)。それでも、磯自慢という酒は本醸造だろうと大吟醸だろうと、日本を代表する国酒に違いない、その称号にふさわしい経営努力を寺岡さんはされてきたのだという私なりの確信があってのこと。その素晴らしい酒をテーブルヌーヴォーとして手軽に味わえるようヴィノスやまざきが企画した、ある意味、お宝な逸品です。こうして取材前に偶然手にしたのは、山崎さんが天空から呼びかけてくださったのでは、と思いました。
知事のニコニコ顔を見ていたら、磯自慢のような造り手やヴィノスやまざきのような売り手が地元に存在することが、静岡の酒全体のブランドパワーをどれだけ押し上げたのか計り知れない、と実感しました。今、磯自慢の取扱いのない酒販店の中にも、自分が惚れた酒を全力で買い支えようと努力する若い酒販店主や、彼らが開拓した飲食店主が数多く育っています。飲み手の私たちがいいお酒にめぐり合うチャンスとは、いい売り手との出会いに他なりません。山崎さんは生涯をかけ、そのことを実証してくれた先達でした。
対談取材が終わって大使館の門を出たとき、夕闇に染まる空を見上げて、「今日、広尾店にはたまたま本醸造しか置いてなかったんですが、大丈夫ですよね」と、手を合わせました。山崎さんは「うちが全力で売る酒に文句は言わせない」と応えてくれるはず・・・そう、確信しています。

毎日新聞「しずおか酒と人」に掲載した山崎巽さんのイラスト
※『磯自慢』の取扱い店はこちらの公式サイトをご参照ください。
→http://www.isojiman-sake.jp/jp/
今や、静岡が誇るトップブランドとなった『磯自慢』。地酒に詳しくない人も一度は耳にする酒銘でしょう。焼津にある磯自慢酒造は、平成元年2月―ちょうど25年前に初めて取材した思い出深い酒蔵で、蔵元の寺岡洋司さんとも25年のおつきあいになります。でも、いくらつきあいが長いからといっても、ただの酒呑みライターが「1本限り」の原則を曲げることなんて出来ません。
沼津の社長さんからは「困っている」と言われただけで、「手に入れて」と頼まれたわけではありませんが、地酒のことで困っていると聞けば何とかしたいし、恩ある社長さんに報いるにはそれしかないだろうと、県内で磯自慢を取り扱う酒販店1軒1軒を回ってかき集められるだけ集めて社長さんに届けました。必要本数には届かなかったものの、とりあえず社長さんのホッとした表情が見られて、こちらも肩をなでおろしました。と同時に、改めて、『磯自慢』という酒のブランドパワーに息を呑む思いがしました。
25年前は、地元焼津を除けばよほどの酒通でなければ海苔の佃煮かふりかけの名前だと思われていたかもしれません。なぜ今、これほどまでに入手困難になったのか、これまでも、いろいろな人から訊かれました。某百貨店の社長さんからは直々に、「なぜ百貨店で磯自慢を取り扱えないのか」と聞かれ、自分が軽々に応えるのはまずいと思い、寺岡さんに「どうお返事しましょうか」と相談をしに行ったことも。そのときの経緯や、磯自慢が入手しにくい理由については、私なりの解釈でこちらの記事にまとめてあるのでご一読ください。
→リンク「吟醸王国しずおか」映像製作委員会オフィシャルサイト
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
テレビコマーシャルで大々的に宣伝する大手ブランドとは違い、地方の、ましてや酒どころのイメージのない静岡の地酒の場合、蔵元自身の広報力だけでブランドパワーを獲得するのは至難の業です。加えて日本列島のほぼ真ん中の、東海道ベルト地帯にある静岡は物流が発達しているので、全国津々浦々から有名地酒が入ってきます。静岡県内で呑まれる日本酒のうち、県産酒のシェアは実は2割以下なんです。
戦後の高度経済成長時代は黙っていても日本酒が売れていた時代でした。卸問屋や小売店にしてみれば、注文した量をすぐに納入してくれる、ついでにおまけしてくれる、サービスで看板を付けてくれたりする酒蔵を重宝します。一方、そんな“余力”のない中小酒蔵は、造った酒のうち、地元で細々売る以外は、灘や伏見の大手酒蔵に桶売り(OEM供給)するなどして、必死に生き残りを図っていました。やがて大手が輸送コストのかかる桶買いをやめて自主生産体制を整えると、桶売りに頼っていた酒蔵は自立、事業縮小、あるいは転業・廃業の選択を迫られます。
このとき自立の道を選んだ酒蔵は、量より質にギアチェンジし、それまでコンテスト用に少量試作していた吟醸酒の市販化に取り組みました。これを強力に後押ししたのが、静岡県工業技術センター開発の『静岡酵母』。昭和50年代後半~60年代にかけ、県内酒造業がドラスティックに構造転換した時代でした。
磯自慢酒造は、桶売りに頼らず、一貫して『磯自慢』として造り続け、売り続けてきた蔵でした。地元焼津は新鮮な海の幸の宝庫。口の肥えた客や料理人が集まる日本有数の港町、という土地柄も手伝い、蔵元の酒質に対する意識は大いに磨かれていたのでしょう。しかし焼津から一歩外へ出れば、酒の市場は荒波の渦。家業に入る前、酒の流通会社で修業をし、市場の渦の激しさを目の当たりにしていた寺岡さんは、「うちも一層、質を磨いていくしかないが、品質を上げれば黙っても売れるほど世の中は甘くない。市場に認知され、信頼される努力をしなければ」と実感します。蔵に戻るや、上記記事でふれたように次々と蔵の改造・改築に着手し、暖地静岡のイメージリスクを払拭するような、完璧な低温管理醸造所を創り上げました。
焼津港と小川港の中間にある磯自慢酒造。搾りたてを試飲する蔵元寺岡洋司さん(左)と杜氏の多田信男さん
同じ頃、同様に、テレビコマーシャルで名の知れた銘柄を並べておけば黙っていても売れる時代ではない、卸問屋に依存し、他店と同じ商品を並べるだけでは価格競争に巻き込まれる、と危機意識を持った小売酒販店がいました。それが、東京の「はせがわ酒店」、静岡の「ヴィノスやまざき」等、磯自慢の名パートナーとなった酒販店です。彼らは卸問屋に頼らず、小さいながらもキラリと光るダイヤの原石のような地方の蔵を自らの足で発掘し、リスクを分かち合いながら必死に営業努力を重ねました。
自分の酒を無名の頃から買い支えると言い切ってくれた、そんなパートナーへの恩を、寺岡さんは今でも大切にし、生産量や新規取引先を無計画に増やすようなことはしません。
若い蔵人たちが躍動する洗米作業
2008年のG8北海道洞爺湖サミットの晩餐会乾杯酒に選ばれたことで、磯自慢の人気にさらに拍車がかかりました。
サミット酒=日本を代表する国酒、という最上級のブランドパワーがついた以上、品質は絶対に落とせませんし、品質を落とせないという理由で量を減らすことも出来ないでしょう。
サミットに使われた中取り純米大吟醸35
ブランドとは、高い品質を安定供給できる信頼の証。現場の杜氏さんや蔵人衆の肩にかかるプレッシャーは相当なものだと想像しますが、現場の皆さんは蔵を訪ねるたびに意気揚々と迎えてくれます。緊張の中にも、期待されることへの充足感があるんですね。「働き甲斐のある仕事場なんだな」と、こちらもワクワクしてきます。そんな現場を作り上げた寺岡さんは、私が知る限り、国酒にふさわしい日本屈指の酒造家だと明言できます。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
昨年末、私が磯自慢を求めて県内酒販店を駆けずり回っていた頃、寺岡さんの名パートナーだったヴィノスやまざき(静岡市葵区常磐町)の山崎巽会長が亡くなりました。
山崎さんは、私が初めて手がけた新聞全面広告のスポンサーであり、「マユミさんの思い通りに作ってみなさい」とチャンスをくれた、私にとっても得難い恩人です。毎日新聞で1997~98年に連載していたコラムでは静岡酒の功労店として似顔絵付きで紹介。一線を退かれた後も、時折、「最近の酒の事情を聞きたい」と連絡をもらい、お茶を飲みにうかがったりしていました。
年明け8日に執り行われたお別れの会には、私のほうが風邪で体調を崩して参列できませんでしたが、2日後、東京の広尾へ取材に行ったとき、ヴィノスやまざき広尾店で磯自慢のやまざき限定新酒を見つけ、思わず購入してしまいました。
取材先というのは某国大使館。執筆を手がける静岡県広報誌の看板企画・川勝知事と各国大使の対談コーナー取材です。訪問時には手土産として、編集スタッフが静岡県産マスクメロンを用意するのが常でしたが、対談で食の話題になると、知事は「わが県には、洞爺湖サミットで乾杯酒に選ばれた名酒がある」と自慢げに話されることがあるので、迷惑にはならないだろう、と、買ったばかりの磯自慢を手土産に加えてもらいました。
案の定、知事は満面得意顔で「サミットの酒です!」と大使に差し出したものの、実は、私が買った限定新酒というのは、サミットで使われた最高級の中取り純米大吟醸35ではなく、ハウスワイン価格の本醸造。ヴィノスやまざき広尾店は大使館の目と鼻の先ですから、行けば、バレバレです(苦笑)。それでも、磯自慢という酒は本醸造だろうと大吟醸だろうと、日本を代表する国酒に違いない、その称号にふさわしい経営努力を寺岡さんはされてきたのだという私なりの確信があってのこと。その素晴らしい酒をテーブルヌーヴォーとして手軽に味わえるようヴィノスやまざきが企画した、ある意味、お宝な逸品です。こうして取材前に偶然手にしたのは、山崎さんが天空から呼びかけてくださったのでは、と思いました。
知事のニコニコ顔を見ていたら、磯自慢のような造り手やヴィノスやまざきのような売り手が地元に存在することが、静岡の酒全体のブランドパワーをどれだけ押し上げたのか計り知れない、と実感しました。今、磯自慢の取扱いのない酒販店の中にも、自分が惚れた酒を全力で買い支えようと努力する若い酒販店主や、彼らが開拓した飲食店主が数多く育っています。飲み手の私たちがいいお酒にめぐり合うチャンスとは、いい売り手との出会いに他なりません。山崎さんは生涯をかけ、そのことを実証してくれた先達でした。
対談取材が終わって大使館の門を出たとき、夕闇に染まる空を見上げて、「今日、広尾店にはたまたま本醸造しか置いてなかったんですが、大丈夫ですよね」と、手を合わせました。山崎さんは「うちが全力で売る酒に文句は言わせない」と応えてくれるはず・・・そう、確信しています。

毎日新聞「しずおか酒と人」に掲載した山崎巽さんのイラスト
※『磯自慢』の取扱い店はこちらの公式サイトをご参照ください。
→http://www.isojiman-sake.jp/jp/
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◆このコラムの著者・鈴木真弓さんのインタビューを、コラム「インタビュー・ノート」にて掲載しています。
鈴木真弓さんと静岡の地酒の出会い、これまでの経緯、日本酒の美味しい飲み方などが語られています。
・前編 http://interview.eshizuoka.jp/e989117.html
・中編 http://interview.eshizuoka.jp/e991908.html
・後編 http://interview.eshizuoka.jp/e995219.html
◆このコラムの著者・鈴木真弓さんのインタビューを、コラム「インタビュー・ノート」にて掲載しています。
鈴木真弓さんと静岡の地酒の出会い、これまでの経緯、日本酒の美味しい飲み方などが語られています。
・前編 http://interview.eshizuoka.jp/e989117.html
・中編 http://interview.eshizuoka.jp/e991908.html
・後編 http://interview.eshizuoka.jp/e995219.html
Posted by 日刊いーしず at 12:00
2013年01月18日
第1回 眠る盃と小夜衣
はじめまして。今年から『日刊いーしず』に仲間入りさせていただく鈴木真弓です。静岡県内をベースに執筆の仕事をしています。よろしくお願いします。
最初にタイトルの説明から。向田邦子の作品に『眠る盃』という珠玉のエッセイがあります。彼女は、名曲『荒城の月』の歌詞“春高楼の~花の宴、巡る盃~かげさして~♪”の“巡る盃”を、子どもの頃に“眠る盃”と覚えてしまって、大人になってからも間違えるのでこの歌はなるべく人前では歌わないそうです。記憶を惑わせたのは、父親が酔いつぶれて座布団を枕に眠っている横に、飲みかけの盃がある、そんな幼い頃の茶の間の光景・・・。最初にこの一文を読んだとき、盃も眠っているという表現に唸り、器をも眠らせる酒というものの妖しい力に惧れを感じたものです。

私にとっての盃は、記録や記憶を注いで溜めるハードディスクのような存在。いやハードディスクなんて言い方、無粋かな。新約聖書マタイ伝に「新しい酒を古い皮袋に入れると皮袋は張り裂け、酒は流れ出る。新しい酒は新しい皮袋に入れるべき」とあるように、日々出会う新鮮で刺激的なヒト・モノ・情報を、漏れ失わないよう、きれいに磨いて置きたい存在です。
個人ですでに〈乾杯〉の二文字を分解した『杯が乾くまで』、〈満杯〉を分解した『杯が満ちるまで』という2本のブログを書いているので、今回のタイトルは、向田邦子のムコウを張って、“眠らない”と宣言してしまいました。せっかく訪問してくださった皆さまが眠気をもよおすような駄文にならぬよう頑張りますので、どうかお味見くださいませ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
連載初回ということで、私と『日刊いーしず』を運営するしずおかオンラインの海野尚史社長との“なれそめ”についてご紹介しようと思います。
ちょうど年号が平成に変わったころでした。駆け出しライターだった私は、取材先の飲食店で偶然、県内の日本酒の蔵元衆と出会い、静岡の地酒がスゴイことになっている!と聞いて興味本位で酒蔵巡りを始め、杜氏や蔵人のおやっさんたちから直接酒造のイロハを教授してもらえることに。ただ、当時の私は、自分の好きなテーマで署名原稿が書けるなんて実力もコネもありません。それでも静岡の地酒が一般にはブレイク前だったことと、女が酒の取材をしていることの珍しさも手伝って、酒販店の広告制作や酒販業界の会報誌の編集等、酒に関する仕事をいくつか受注できました。この間も時間があれば酒蔵を回り、試飲会や酒の会にこまめに顔を出し、少しずつ人脈を広げていきました。
酒蔵巡りを始めてから5年ほど経った1994年、知人の建築設計士から「うちの業界紙でよければ書いてみる?」と声をかけてもらいました。こちらが、私が初めて書いた酒の記事です。
海野さんとのファーストコンタクトはいつどこだったか忘れてしまいましたが、ちょうどこの原稿を書いた頃だったと思います。
海野さんは、しずおかオンラインの前身にあたるフィールドノート社という出版社を立ち上げ、雑誌『静岡アウトドアガイド』を発刊する新進気鋭の編集者でした。同誌で地酒の連載を打診され、来るべきものが来た!と身震いしたのを覚えています。
考えてみるとアウトドア情報誌で畑違いの、しかもあまりよく知られていない静岡の酒を無名のライターに書かせるというのは、海野さんにとってはリスクがあったに違いありません。私にしても、書店に並ぶ雑誌に書く初めて署名連載記事。当然、酒の関係者からも鵜の目鷹の目で視られるに違いありません。・・・そんなことはおかまいなしに突進した当時を振り返ると、海野さんも私も本当に若かったんだなあと思います。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『静岡アウトドアガイド』は、『K-MIXアウティングマガジン』『静岡あるく』等とタイトルを変え、年3~4回のスパンで発行され、私の連載〈静岡の地酒を楽しむ〉は、1995年春発行号から、つごう19回掲載されました。
1996年6月発行の『K-MIXアウティングマガジン』で紹介したのは、JR菊川駅前にある森本酒造。代表商品は〈小夜衣〉という酒銘です。本文はこちらのウエブに再掲しています。

1996年6月発行の「K-MIXアウティングマガジン」表紙
小夜の中山夜泣き石伝説にちなんだエレガントな銘柄ですが、蔵元の森本均さんは野武士のような風貌。トレードマークの髭と鋭い眼と歯に衣着せぬ毒舌の持ち主。取材しようにもフレンドリーに何でも話してくれるというタイプではないので、こりゃしっかり酒のことを勉強しないと相手にしてもらえないな、と緊張して臨んだものです。

静岡県清酒鑑評会審査員を務める森本さん
こちらは毎日新聞に酒の連載をしていたときに描いた森本さんのイラスト。ご本人は勝手にデフォルメされてオカンムリ?でしたが、後々、酒瓶ラベルにちゃっかり採用してました(笑)。


毎日新聞「しずおか酒と人」に掲載した森本さんのイラストと、
森本さんの顔イラストの酒(画/鈴木真弓)
それはさておき、森本さんは県内の蔵元の中でも群を抜く唎き酒能力を持ち、静岡県清酒鑑評会という新酒の品質コンテストの審査員を長年務めています。「森本さんに褒められると自信が付く」という若い蔵元もいるほど。取材当時、森本酒造では杜氏や蔵人を雇っていましたが、今は森本さんが一人で造っています。同業者からも尊敬される力量の蔵元が、個人の理想の酒を思い通りに造るようになったわけで、小夜衣の製造元というよりも、“森本均の地酒工房”と呼んだほうがいいかもしれません。海野さんが個人で理想の雑誌を作ろうとフィールドノート社を立ち上げた頃のモチベーションに通じるかもしれませんね。
海野さんの雑誌で森本さんのことを紹介してから3年後の1999年6月、私が主宰するしずおか地酒研究会で、森本酒造見学と海野さんのトークをコラボさせた『しずおか地酒サロン~しずおかの酒・味・余暇の伝え方』を開催しました。記録をちゃんと取っておかなかったので、森本さんと海野さんがどんなトークセッションをしたのか分からないのですが、写真を見る限り、26名の参加者が相応に楽しんでくれたようです。海野さん(中央)も私も(前列左端)も、そして森本さんも(海野さん右隣)も若いエネルギーが有り余っているのかパッツンパッツンしています(笑)。

1999年6月開催のしずおか地酒サロン
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
2012年暮れに森本酒造を訪ねたとき、〈小夜衣〉の商品ラインナップがさらに増え、ユニークな銘柄が増えていたのに驚きました。



〈速廃・速醸やめてみた〉とは、乳酸菌を使って短期間に酒母を造る速醸という今の作り方をやめて、乳酸を自然発酵させる昔ながらの作り方にした、という意味。〈火の用心〉は燗酒用に。〈絶対生厳守〉は、しぼりたて生原酒は要冷蔵でという意味。〈もったいない卸し〉とは、冬~春仕込んでひと夏熟成させ、秋に涼しくなってから出荷する“ひやおろし”というタイプの商品。もったいぶってやっと出荷したという意味なのか、売るのがもったいないくらいの自信作なのか、いろいろ想像させてくれます。
発酵飲料である日本酒は、米と水というシンプルな原料ながら実に多様な表情を持ち、出荷時期や保存状態によって味わいが微妙に変化します。狙った酒質の旬を逃さず、タイムリーなタイトルでその魅力を伝える。これは、森本さんのような個人酒造家ならではの、小回りの良さを効かせたスマートな戦術といえます。しかもネーミングのセンスの良さは、向田邦子の“眠る盃”に匹敵するほど。野武士のように見えても繊細な感性の持ち主なんですね。ちなみに私が現在制作中のドキュメンタリー映画『吟醸王国しずおか』のタイトル文字は森本さんの直筆です(映画の話は追々させていただきます)。
〈小夜衣〉のファンは、そんな森本均という酒造家の妖しい魅力に惹かれ、旬の酒を逃すまいとヘビーローテーションするそうです。こうして海野さんの掌で酒の連載を再開できる幸運に、まずは、その“妖しい一杯”で感謝の念を捧げようと思います。・・・くれぐれも眠らされぬよう用心しなければ。
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最初にタイトルの説明から。向田邦子の作品に『眠る盃』という珠玉のエッセイがあります。彼女は、名曲『荒城の月』の歌詞“春高楼の~花の宴、巡る盃~かげさして~♪”の“巡る盃”を、子どもの頃に“眠る盃”と覚えてしまって、大人になってからも間違えるのでこの歌はなるべく人前では歌わないそうです。記憶を惑わせたのは、父親が酔いつぶれて座布団を枕に眠っている横に、飲みかけの盃がある、そんな幼い頃の茶の間の光景・・・。最初にこの一文を読んだとき、盃も眠っているという表現に唸り、器をも眠らせる酒というものの妖しい力に惧れを感じたものです。
私にとっての盃は、記録や記憶を注いで溜めるハードディスクのような存在。いやハードディスクなんて言い方、無粋かな。新約聖書マタイ伝に「新しい酒を古い皮袋に入れると皮袋は張り裂け、酒は流れ出る。新しい酒は新しい皮袋に入れるべき」とあるように、日々出会う新鮮で刺激的なヒト・モノ・情報を、漏れ失わないよう、きれいに磨いて置きたい存在です。
個人ですでに〈乾杯〉の二文字を分解した『杯が乾くまで』、〈満杯〉を分解した『杯が満ちるまで』という2本のブログを書いているので、今回のタイトルは、向田邦子のムコウを張って、“眠らない”と宣言してしまいました。せっかく訪問してくださった皆さまが眠気をもよおすような駄文にならぬよう頑張りますので、どうかお味見くださいませ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
連載初回ということで、私と『日刊いーしず』を運営するしずおかオンラインの海野尚史社長との“なれそめ”についてご紹介しようと思います。
ちょうど年号が平成に変わったころでした。駆け出しライターだった私は、取材先の飲食店で偶然、県内の日本酒の蔵元衆と出会い、静岡の地酒がスゴイことになっている!と聞いて興味本位で酒蔵巡りを始め、杜氏や蔵人のおやっさんたちから直接酒造のイロハを教授してもらえることに。ただ、当時の私は、自分の好きなテーマで署名原稿が書けるなんて実力もコネもありません。それでも静岡の地酒が一般にはブレイク前だったことと、女が酒の取材をしていることの珍しさも手伝って、酒販店の広告制作や酒販業界の会報誌の編集等、酒に関する仕事をいくつか受注できました。この間も時間があれば酒蔵を回り、試飲会や酒の会にこまめに顔を出し、少しずつ人脈を広げていきました。
酒蔵巡りを始めてから5年ほど経った1994年、知人の建築設計士から「うちの業界紙でよければ書いてみる?」と声をかけてもらいました。こちらが、私が初めて書いた酒の記事です。
海野さんとのファーストコンタクトはいつどこだったか忘れてしまいましたが、ちょうどこの原稿を書いた頃だったと思います。
海野さんは、しずおかオンラインの前身にあたるフィールドノート社という出版社を立ち上げ、雑誌『静岡アウトドアガイド』を発刊する新進気鋭の編集者でした。同誌で地酒の連載を打診され、来るべきものが来た!と身震いしたのを覚えています。
考えてみるとアウトドア情報誌で畑違いの、しかもあまりよく知られていない静岡の酒を無名のライターに書かせるというのは、海野さんにとってはリスクがあったに違いありません。私にしても、書店に並ぶ雑誌に書く初めて署名連載記事。当然、酒の関係者からも鵜の目鷹の目で視られるに違いありません。・・・そんなことはおかまいなしに突進した当時を振り返ると、海野さんも私も本当に若かったんだなあと思います。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『静岡アウトドアガイド』は、『K-MIXアウティングマガジン』『静岡あるく』等とタイトルを変え、年3~4回のスパンで発行され、私の連載〈静岡の地酒を楽しむ〉は、1995年春発行号から、つごう19回掲載されました。
1996年6月発行の『K-MIXアウティングマガジン』で紹介したのは、JR菊川駅前にある森本酒造。代表商品は〈小夜衣〉という酒銘です。本文はこちらのウエブに再掲しています。

1996年6月発行の「K-MIXアウティングマガジン」表紙
小夜の中山夜泣き石伝説にちなんだエレガントな銘柄ですが、蔵元の森本均さんは野武士のような風貌。トレードマークの髭と鋭い眼と歯に衣着せぬ毒舌の持ち主。取材しようにもフレンドリーに何でも話してくれるというタイプではないので、こりゃしっかり酒のことを勉強しないと相手にしてもらえないな、と緊張して臨んだものです。

静岡県清酒鑑評会審査員を務める森本さん
こちらは毎日新聞に酒の連載をしていたときに描いた森本さんのイラスト。ご本人は勝手にデフォルメされてオカンムリ?でしたが、後々、酒瓶ラベルにちゃっかり採用してました(笑)。
毎日新聞「しずおか酒と人」に掲載した森本さんのイラストと、
森本さんの顔イラストの酒(画/鈴木真弓)
それはさておき、森本さんは県内の蔵元の中でも群を抜く唎き酒能力を持ち、静岡県清酒鑑評会という新酒の品質コンテストの審査員を長年務めています。「森本さんに褒められると自信が付く」という若い蔵元もいるほど。取材当時、森本酒造では杜氏や蔵人を雇っていましたが、今は森本さんが一人で造っています。同業者からも尊敬される力量の蔵元が、個人の理想の酒を思い通りに造るようになったわけで、小夜衣の製造元というよりも、“森本均の地酒工房”と呼んだほうがいいかもしれません。海野さんが個人で理想の雑誌を作ろうとフィールドノート社を立ち上げた頃のモチベーションに通じるかもしれませんね。
海野さんの雑誌で森本さんのことを紹介してから3年後の1999年6月、私が主宰するしずおか地酒研究会で、森本酒造見学と海野さんのトークをコラボさせた『しずおか地酒サロン~しずおかの酒・味・余暇の伝え方』を開催しました。記録をちゃんと取っておかなかったので、森本さんと海野さんがどんなトークセッションをしたのか分からないのですが、写真を見る限り、26名の参加者が相応に楽しんでくれたようです。海野さん(中央)も私も(前列左端)も、そして森本さんも(海野さん右隣)も若いエネルギーが有り余っているのかパッツンパッツンしています(笑)。

1999年6月開催のしずおか地酒サロン
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
2012年暮れに森本酒造を訪ねたとき、〈小夜衣〉の商品ラインナップがさらに増え、ユニークな銘柄が増えていたのに驚きました。
〈速廃・速醸やめてみた〉とは、乳酸菌を使って短期間に酒母を造る速醸という今の作り方をやめて、乳酸を自然発酵させる昔ながらの作り方にした、という意味。〈火の用心〉は燗酒用に。〈絶対生厳守〉は、しぼりたて生原酒は要冷蔵でという意味。〈もったいない卸し〉とは、冬~春仕込んでひと夏熟成させ、秋に涼しくなってから出荷する“ひやおろし”というタイプの商品。もったいぶってやっと出荷したという意味なのか、売るのがもったいないくらいの自信作なのか、いろいろ想像させてくれます。
発酵飲料である日本酒は、米と水というシンプルな原料ながら実に多様な表情を持ち、出荷時期や保存状態によって味わいが微妙に変化します。狙った酒質の旬を逃さず、タイムリーなタイトルでその魅力を伝える。これは、森本さんのような個人酒造家ならではの、小回りの良さを効かせたスマートな戦術といえます。しかもネーミングのセンスの良さは、向田邦子の“眠る盃”に匹敵するほど。野武士のように見えても繊細な感性の持ち主なんですね。ちなみに私が現在制作中のドキュメンタリー映画『吟醸王国しずおか』のタイトル文字は森本さんの直筆です(映画の話は追々させていただきます)。
〈小夜衣〉のファンは、そんな森本均という酒造家の妖しい魅力に惹かれ、旬の酒を逃すまいとヘビーローテーションするそうです。こうして海野さんの掌で酒の連載を再開できる幸運に、まずは、その“妖しい一杯”で感謝の念を捧げようと思います。・・・くれぐれも眠らされぬよう用心しなければ。
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Posted by 日刊いーしず at 12:30