2013年09月27日
第17回 誉富士の未来(その2)
≪前回の記事 第16回 誉富士の未来(その1)はこちら
静岡県が開発した酒米・誉富士のお話を続けます。誉富士は2003年にデビューし、2012酒造年度は22社から誉富士使用酒が発売され、今期(2013)酒造年度はさらに増える見込みです。ちなみに酒造年度(Brewery Year)というのは、米の収穫時期を基準にしたもので、7月から翌6月までを一年度とします。
今年6月の志太美酒イベントの会場で、誉富士の開発者・宮田祐二さんから「個人的に買い置きしていた2005年酒造年度(以下05BY)、06BY、07BY、08BYの誉富士使用酒、保管場所に困っているので開けちゃいたいんだけど・・・」と言われ、そういうお困り事なら喜んで解決しましょうと、さっそく酒友に声を掛け、宮田秘蔵酒を試飲する会を8月に催しました。

宮田祐二さんの誉富士秘蔵コレクションの一部
宮田さんが持ち込んだ酒は30本。一番古い05BY酒は、仕込んでから8年経っています。一番若い08BYにしても5年近く経っています。どんな熟成具合になっていてもきちんと受け止め、咀嚼できるプロに呑んでいただこうと、当日は、誉富士を使用中の蔵元、長年、酒米育種に尽力された県農業技術研究所の元スタッフ、きき酒に慣れたマスコミ&酒の会主宰者の方々に集まってもらいました。以下は蔵元さんたちから後日いただいた感想メールの一部です。
「初年度(05BY)の酒があんなに良い状態とは思いませんでした。ホッとしたのと、うれしかったので、何とも言えない良い気分でした。それ以外のお酒も非常にバラエティに富んでいて楽しく呑むことができました。
誉富士は最初から熟成が面白い米だなと思っていたので、今回はいろいろ確認できました。これからも“駄目だと思うからやらない”ではなく、“やってみて良いか駄目か判断する”を考えながら、誉富士と接して可能性を広げて行きたいと思います。」
「誉富士の熟成でおどろいたのは、自分が初めて杜氏として醸造した07BYの酒が、まったく老香がなかったことです。炭(注)も使用していない酒です。
これ以前の05BY、06BYは、若干、炭を使用していました。悪くはないのですが、全く使っていない07BYと比べると違和感があります。
間違いなくこの米は、ピュアな醸造や搾り後の処理をした酒で、熟成に適していると思います。」
(注)搾った酒を濾過する際、活性炭を投与し、品質上好ましくない色や雑味を除去すること。
前回記事でもふれたように、日本酒研究家の松崎晴雄さんが「新しい酒米に挑戦するとき、造り手は慎重になり、硬く締まった造りをしがちになる」と解説され、私自身も、初期の誉富士の酒を新酒で呑んだときは、すっきりしすぎて素っ気のない味だと感じていました。
日本酒というのは不思議なもので、醗酵が活発だと美味しい酒になるとは、一概には言えないんですね。また日本人は初物を重宝がりますが、日本酒に限っては“搾りたてが最高”とは言えない。仕込み現場では、まどろっこしく感じるような低調な醗酵経過で、搾った直後は味も素っ気もない・・・そんな酒が、1年、2年と熟成させると、なんとも絶妙な味になるのです。
思い起こせば1997年春、山田錦を初めて不耕起・有機無農薬栽培で育てた松下明弘さんの米で、最初に仕込まれた純米大吟醸(精米歩合40%)を、搾り口からすくったばかりの搾りたてを呑んだとき、「何?この水みたいな味も素っ気もない酒・・・」と言葉を失いました。ところが同じ酒が、3ヶ月、6ヶ月、1年と熟成していくうちに、米の実力がじわじわ発揮され、山田錦研究の第一人者永谷正治先生(元国税庁酒類鑑定官室長)から「山田錦で醸した酒では最高レベル」と称賛されるまでになりました。
春の新酒鑑評会では搾った直後の酒が出品されるので、中には、「味も素っ気もない」酒があります。そういう酒の“将来性”を吟味して評価する審査員がいなければ、精魂込めて仕込み、手間隙かけて搾った酒を出品してもムダになってしまうわけですが、鑑評会のきき酒会場にやってくるプロの中にはちゃんと解る人もいます。私はいつも、そういう人たちの反応を、「アイドルの卵をスカウトするプロデューサーみたいだ」と面白く見物するのです(笑)。

誉富士熟成酒を呑み比べ
話がそれましたが、誉富士の酒に関しても、上記の蔵元さんコメントにあるように、熟成によって“大バケ”する、という手応えを、この試飲会でつかむことができました。松崎さんが「山田錦が酒米の王者になったのは、栽培方法や醸造方法に関する膨大なデータが蓄積されてきたから」とおっしゃったように、新しい酒米、新しい酵母、新しい仕込み方法が真価を発揮できるまでは時間がかかるもの。地域独自に創出されたものならば、地域ぐるみで長い目で育て、下支えしなければなりません。誉富士には、体力のある生産者や蔵元が実験場となり、データを集め、共有するしくみが確立されています。後は、酒としての評価です。
今回の試飲会では15名の参加者全員が「熟成させると良くなる」との評価でした。搾った酒を売らずに貯蔵させておくのは、蔵元にとって経営リスクになるため、現段階では、売り手(酒販店や飲食店)がある程度買い置きをし、熟成管理する、といったサポートも必要かと思われます。もちろん、われわれ地域の呑み手も、しっかりと買い支えをしなければいけませんね。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
今、誉富士の酒は、富士山の世界文化遺産登録の追い風もあって、どの蔵元でも売り切れ続出。しかし、生産量を増やしたくても肝心の米が思うように入手できないそうです。確実に売れる米なのに、作る生産者が増えていかない理由・・・これは、酒造業の範疇では語りきれないものがありそうです。

収穫まであと20日時点の誉富士
以下は、私の個人的な見解ですので、誤解があったらご指摘ください。
一般的な考えとして、生産者を増やすには、誉富士を「高く売れる米」にすることが肝要です。私が漏れ聞いた価格は1俵(60kg)あたり20,000円未満。酒米では五百万石と同レベルと考えてよいでしょう。
酒米の王者・山田錦は、一時期30,000円を超えるバブリーな時代もありましたが、山田錦を主原料とする大吟醸クラスの高級酒が市場で低迷し、山田錦の価格も頭打ちとなり、今では平均24,000円程度に落ち着いているようです。生産量自体は減るどころか増える一方で、最近では精米歩合60~70%程度のクラスでも山田錦使用を堂々と謳う酒が登場しています。産地が広がり、販路が多様化し、蔵元にとっては“高嶺の花”だった時代に比べるとずいぶん買いやすくなったようですね。全量山田錦で純米大吟醸を仕込む『獺祭(山口県)』の蔵元は「クールジャパンで海外に日本酒の売り込み攻勢をかけたくても、原料の山田錦が足りない。減反政策が足枷となって栽培地を増やせないからだ。なんとかしてくれ」と安倍首相に直談判した、なんてニュースも聞かれました。
山田錦は静岡県でも栽培されていますが、前回記したように、栽培が難しく、栽培適地も限られます。松下明弘さんの山田錦「松下米」も、かならずしも適地とはいえない場所で栽培されていますが、逆境を糧にし、常識破りの稲作ができる彼だからこそ成功したと言えるでしょう。彼が、最高の適地で作ったら、どんな酒米になるんだろうと想像せずにはいられないときもありますが・・・。
誉富士は当初、静岡県では作り難い山田錦に代わる、山田錦レベルの高品質・高価格米という触れ込みでした。実際に試験醸造が始まり、山田錦のように高精白できないと判ると、蔵元では精米歩合を落とし、純米・純米吟醸クラスで使うようになります。
米価に影響を与える米の等級検査では、誉富士の栽培に慣れないうちは、なかなか特等や一等をとることができません。結果、蔵元が生産者に支払う米の仕入れ価格は、当初の目論見よりも下がり、「高く売れるなら作ってみようか」という意識の生産者は、一人二人と脱落していきました。
現在、誉富士の主産地である静岡県中部の志太地域(焼津、藤枝、島田)には、蔵元が集積していることから、もともと山田錦や五百万石を作る意欲的な生産者がいました。松下さんは誉富士を作っていませんが、彼のように冬場は酒蔵にパートで入り、酒造りにとって必要な米とは何かを真摯に考える生産者もいます。
稲作ひと筋でやってきた人ばかりではありません。野菜や温室メロンの生産者も誉富士作りに挑戦しています。宮田さん曰く「彼らは稲作初心者だから、砂漠で水をゴク飲みするかのように、こちらの指導を貪欲に聞いてくれる。果菜作りの繊細さが活かされ、丁寧に育ててくれる」とのこと。こういう人たちは「高く売れる米だから作る」というよりも、新品種と聞けば挑戦せずにはいられないアグレッシブな農家で、なおかつ「自分の米で地元の酒を支えたい」な~んてロマンの持ち主なのかもしれませんね。

誉富士初挑戦の藤枝市助宗地区の農家と語りあう宮田さん(中央)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
地域独自で創出されたものを、地域ぐるみで支え、育てる―こういう取り組みを評価する〈しくみ〉や〈仕掛け〉が欲しいなあと心から願います。
いきなり誉富士の米価が上がり、生産者が増えるような効果的なしくみは、私の頭では思いつきませんが、たとえば静岡県新酒鑑評会のうち、純米酒部門は、出品条件を誉富士もしくは県産米使用に限定し、秋の今頃、開催して、県地酒まつりの席上で盛大に表彰するなど、地域全体で盛り上げる―。作り手のロマンを刺激し、買い手が付加価値を感じて買い支えしたくなる仕掛けづくり、やろうと思えばできると思います。
いずれにせよ、酒米の価格を決めるモノサシが、従来の米の等級審査しかないというのは、実状とかけ離れしている気がするし、酒の等級が実状と乖離し、やがて撤廃されたように、いずれは変わるのかもしれません。
誉富士という米が静岡県で生まれたことは、地域に波紋を投げかけ、農業や製造業、働き方や暮らし方、そして地域ブランディングを考える上で大きな指標になっている・・・そう、実感します。
最後に、試飲会の後、宮田さんからいただいたメールの一部をご紹介します。宮田さん、どうもご馳走さまでした&ありがとうございました!
「思い入れが強すぎて、どの銘柄にも“生きていてくれたな、ありがとう”という状態で、正確には判断できてなかったと思います。
誉富士の醸造が始まった際、高いレベルで造ってくれた蔵が多く、その後、追随した蔵も競争意識が良い意味で働き、丁寧な酒造りがなされたことが、誉富士にとって幸せなことだったと思います。これが 貯蔵に耐えうる(熟成できる)酒になった要因の一つかもしれません。
もちろん、静岡の蔵の技術の確かさと静岡酵母の優れていることがあってのこと。森本さん(小夜衣)や高嶋さん(白隠正宗)が以前から、誉富士が熟成に適応している可能性を指摘してくれていました。
今回開封したのは、余りいい保存条件ではなく、6~8年経過したものでしたが、そこまで置かなくても 3~4年程度でも面白いものが出来るんじゃないかと感じています。
純米酒で貯蔵したものが、コストや販売価格を考えた時、商品として、蔵元と消費者の両方にメリットがあるかどうか・・・。ただワインなどのように新たな分野としての価値観が出てくる可能性は大事にしたいですね。その際、品種や米の栽培地などで熟成の味わいが違うと興味深いですね。その場面で誉富士が生きれば・・・。
作った品種に対する責任は、これからも続きます。どうしたら良いのか、はっきりした答えはつかんでいませんが、まだまだ、まだまだ、頑張らなきゃいけません」
静岡県が開発した酒米・誉富士のお話を続けます。誉富士は2003年にデビューし、2012酒造年度は22社から誉富士使用酒が発売され、今期(2013)酒造年度はさらに増える見込みです。ちなみに酒造年度(Brewery Year)というのは、米の収穫時期を基準にしたもので、7月から翌6月までを一年度とします。
今年6月の志太美酒イベントの会場で、誉富士の開発者・宮田祐二さんから「個人的に買い置きしていた2005年酒造年度(以下05BY)、06BY、07BY、08BYの誉富士使用酒、保管場所に困っているので開けちゃいたいんだけど・・・」と言われ、そういうお困り事なら喜んで解決しましょうと、さっそく酒友に声を掛け、宮田秘蔵酒を試飲する会を8月に催しました。

宮田祐二さんの誉富士秘蔵コレクションの一部
宮田さんが持ち込んだ酒は30本。一番古い05BY酒は、仕込んでから8年経っています。一番若い08BYにしても5年近く経っています。どんな熟成具合になっていてもきちんと受け止め、咀嚼できるプロに呑んでいただこうと、当日は、誉富士を使用中の蔵元、長年、酒米育種に尽力された県農業技術研究所の元スタッフ、きき酒に慣れたマスコミ&酒の会主宰者の方々に集まってもらいました。以下は蔵元さんたちから後日いただいた感想メールの一部です。
「初年度(05BY)の酒があんなに良い状態とは思いませんでした。ホッとしたのと、うれしかったので、何とも言えない良い気分でした。それ以外のお酒も非常にバラエティに富んでいて楽しく呑むことができました。
誉富士は最初から熟成が面白い米だなと思っていたので、今回はいろいろ確認できました。これからも“駄目だと思うからやらない”ではなく、“やってみて良いか駄目か判断する”を考えながら、誉富士と接して可能性を広げて行きたいと思います。」
「誉富士の熟成でおどろいたのは、自分が初めて杜氏として醸造した07BYの酒が、まったく老香がなかったことです。炭(注)も使用していない酒です。
これ以前の05BY、06BYは、若干、炭を使用していました。悪くはないのですが、全く使っていない07BYと比べると違和感があります。
間違いなくこの米は、ピュアな醸造や搾り後の処理をした酒で、熟成に適していると思います。」
(注)搾った酒を濾過する際、活性炭を投与し、品質上好ましくない色や雑味を除去すること。
前回記事でもふれたように、日本酒研究家の松崎晴雄さんが「新しい酒米に挑戦するとき、造り手は慎重になり、硬く締まった造りをしがちになる」と解説され、私自身も、初期の誉富士の酒を新酒で呑んだときは、すっきりしすぎて素っ気のない味だと感じていました。
日本酒というのは不思議なもので、醗酵が活発だと美味しい酒になるとは、一概には言えないんですね。また日本人は初物を重宝がりますが、日本酒に限っては“搾りたてが最高”とは言えない。仕込み現場では、まどろっこしく感じるような低調な醗酵経過で、搾った直後は味も素っ気もない・・・そんな酒が、1年、2年と熟成させると、なんとも絶妙な味になるのです。
思い起こせば1997年春、山田錦を初めて不耕起・有機無農薬栽培で育てた松下明弘さんの米で、最初に仕込まれた純米大吟醸(精米歩合40%)を、搾り口からすくったばかりの搾りたてを呑んだとき、「何?この水みたいな味も素っ気もない酒・・・」と言葉を失いました。ところが同じ酒が、3ヶ月、6ヶ月、1年と熟成していくうちに、米の実力がじわじわ発揮され、山田錦研究の第一人者永谷正治先生(元国税庁酒類鑑定官室長)から「山田錦で醸した酒では最高レベル」と称賛されるまでになりました。
春の新酒鑑評会では搾った直後の酒が出品されるので、中には、「味も素っ気もない」酒があります。そういう酒の“将来性”を吟味して評価する審査員がいなければ、精魂込めて仕込み、手間隙かけて搾った酒を出品してもムダになってしまうわけですが、鑑評会のきき酒会場にやってくるプロの中にはちゃんと解る人もいます。私はいつも、そういう人たちの反応を、「アイドルの卵をスカウトするプロデューサーみたいだ」と面白く見物するのです(笑)。
誉富士熟成酒を呑み比べ
話がそれましたが、誉富士の酒に関しても、上記の蔵元さんコメントにあるように、熟成によって“大バケ”する、という手応えを、この試飲会でつかむことができました。松崎さんが「山田錦が酒米の王者になったのは、栽培方法や醸造方法に関する膨大なデータが蓄積されてきたから」とおっしゃったように、新しい酒米、新しい酵母、新しい仕込み方法が真価を発揮できるまでは時間がかかるもの。地域独自に創出されたものならば、地域ぐるみで長い目で育て、下支えしなければなりません。誉富士には、体力のある生産者や蔵元が実験場となり、データを集め、共有するしくみが確立されています。後は、酒としての評価です。
今回の試飲会では15名の参加者全員が「熟成させると良くなる」との評価でした。搾った酒を売らずに貯蔵させておくのは、蔵元にとって経営リスクになるため、現段階では、売り手(酒販店や飲食店)がある程度買い置きをし、熟成管理する、といったサポートも必要かと思われます。もちろん、われわれ地域の呑み手も、しっかりと買い支えをしなければいけませんね。
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今、誉富士の酒は、富士山の世界文化遺産登録の追い風もあって、どの蔵元でも売り切れ続出。しかし、生産量を増やしたくても肝心の米が思うように入手できないそうです。確実に売れる米なのに、作る生産者が増えていかない理由・・・これは、酒造業の範疇では語りきれないものがありそうです。
収穫まであと20日時点の誉富士
以下は、私の個人的な見解ですので、誤解があったらご指摘ください。
一般的な考えとして、生産者を増やすには、誉富士を「高く売れる米」にすることが肝要です。私が漏れ聞いた価格は1俵(60kg)あたり20,000円未満。酒米では五百万石と同レベルと考えてよいでしょう。
酒米の王者・山田錦は、一時期30,000円を超えるバブリーな時代もありましたが、山田錦を主原料とする大吟醸クラスの高級酒が市場で低迷し、山田錦の価格も頭打ちとなり、今では平均24,000円程度に落ち着いているようです。生産量自体は減るどころか増える一方で、最近では精米歩合60~70%程度のクラスでも山田錦使用を堂々と謳う酒が登場しています。産地が広がり、販路が多様化し、蔵元にとっては“高嶺の花”だった時代に比べるとずいぶん買いやすくなったようですね。全量山田錦で純米大吟醸を仕込む『獺祭(山口県)』の蔵元は「クールジャパンで海外に日本酒の売り込み攻勢をかけたくても、原料の山田錦が足りない。減反政策が足枷となって栽培地を増やせないからだ。なんとかしてくれ」と安倍首相に直談判した、なんてニュースも聞かれました。
山田錦は静岡県でも栽培されていますが、前回記したように、栽培が難しく、栽培適地も限られます。松下明弘さんの山田錦「松下米」も、かならずしも適地とはいえない場所で栽培されていますが、逆境を糧にし、常識破りの稲作ができる彼だからこそ成功したと言えるでしょう。彼が、最高の適地で作ったら、どんな酒米になるんだろうと想像せずにはいられないときもありますが・・・。
誉富士は当初、静岡県では作り難い山田錦に代わる、山田錦レベルの高品質・高価格米という触れ込みでした。実際に試験醸造が始まり、山田錦のように高精白できないと判ると、蔵元では精米歩合を落とし、純米・純米吟醸クラスで使うようになります。
米価に影響を与える米の等級検査では、誉富士の栽培に慣れないうちは、なかなか特等や一等をとることができません。結果、蔵元が生産者に支払う米の仕入れ価格は、当初の目論見よりも下がり、「高く売れるなら作ってみようか」という意識の生産者は、一人二人と脱落していきました。
現在、誉富士の主産地である静岡県中部の志太地域(焼津、藤枝、島田)には、蔵元が集積していることから、もともと山田錦や五百万石を作る意欲的な生産者がいました。松下さんは誉富士を作っていませんが、彼のように冬場は酒蔵にパートで入り、酒造りにとって必要な米とは何かを真摯に考える生産者もいます。
稲作ひと筋でやってきた人ばかりではありません。野菜や温室メロンの生産者も誉富士作りに挑戦しています。宮田さん曰く「彼らは稲作初心者だから、砂漠で水をゴク飲みするかのように、こちらの指導を貪欲に聞いてくれる。果菜作りの繊細さが活かされ、丁寧に育ててくれる」とのこと。こういう人たちは「高く売れる米だから作る」というよりも、新品種と聞けば挑戦せずにはいられないアグレッシブな農家で、なおかつ「自分の米で地元の酒を支えたい」な~んてロマンの持ち主なのかもしれませんね。
誉富士初挑戦の藤枝市助宗地区の農家と語りあう宮田さん(中央)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
地域独自で創出されたものを、地域ぐるみで支え、育てる―こういう取り組みを評価する〈しくみ〉や〈仕掛け〉が欲しいなあと心から願います。
いきなり誉富士の米価が上がり、生産者が増えるような効果的なしくみは、私の頭では思いつきませんが、たとえば静岡県新酒鑑評会のうち、純米酒部門は、出品条件を誉富士もしくは県産米使用に限定し、秋の今頃、開催して、県地酒まつりの席上で盛大に表彰するなど、地域全体で盛り上げる―。作り手のロマンを刺激し、買い手が付加価値を感じて買い支えしたくなる仕掛けづくり、やろうと思えばできると思います。
いずれにせよ、酒米の価格を決めるモノサシが、従来の米の等級審査しかないというのは、実状とかけ離れしている気がするし、酒の等級が実状と乖離し、やがて撤廃されたように、いずれは変わるのかもしれません。
誉富士という米が静岡県で生まれたことは、地域に波紋を投げかけ、農業や製造業、働き方や暮らし方、そして地域ブランディングを考える上で大きな指標になっている・・・そう、実感します。
最後に、試飲会の後、宮田さんからいただいたメールの一部をご紹介します。宮田さん、どうもご馳走さまでした&ありがとうございました!
「思い入れが強すぎて、どの銘柄にも“生きていてくれたな、ありがとう”という状態で、正確には判断できてなかったと思います。
誉富士の醸造が始まった際、高いレベルで造ってくれた蔵が多く、その後、追随した蔵も競争意識が良い意味で働き、丁寧な酒造りがなされたことが、誉富士にとって幸せなことだったと思います。これが 貯蔵に耐えうる(熟成できる)酒になった要因の一つかもしれません。
もちろん、静岡の蔵の技術の確かさと静岡酵母の優れていることがあってのこと。森本さん(小夜衣)や高嶋さん(白隠正宗)が以前から、誉富士が熟成に適応している可能性を指摘してくれていました。
今回開封したのは、余りいい保存条件ではなく、6~8年経過したものでしたが、そこまで置かなくても 3~4年程度でも面白いものが出来るんじゃないかと感じています。
純米酒で貯蔵したものが、コストや販売価格を考えた時、商品として、蔵元と消費者の両方にメリットがあるかどうか・・・。ただワインなどのように新たな分野としての価値観が出てくる可能性は大事にしたいですね。その際、品種や米の栽培地などで熟成の味わいが違うと興味深いですね。その場面で誉富士が生きれば・・・。
作った品種に対する責任は、これからも続きます。どうしたら良いのか、はっきりした答えはつかんでいませんが、まだまだ、まだまだ、頑張らなきゃいけません」
Posted by 日刊いーしず at 12:00