2013年12月13日
第22回 茶懐石と酒
和食が世界無形文化遺産に登録されました。喜ばしいことではありますが、少々ひっかかるところもあり、“遺産”という言葉を広辞苑を引いてみたら、「前代の人が遺した業績」とありました。歴史があるということは尊いけれど、現代ではなく前代の遺物扱いかと思うと、なんとなく哀しくなります。
折も折、今月に入り、式年遷宮を迎えた伊勢神宮の早朝参りと、濃茶を中心とした茶懐石のフルコースを味わうという2つの文化遺産体験をしました。日本酒の話題とは少しズレるかもしれませんが、とても意義深い体験でしたので、そのお話をさせていただきます。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
伊勢神宮は、それこそ世界文化遺産の認定資格は十分なのに、登録はされていません。人間が神様を遺産認定するなど畏れ多いという理由で、立候補すらしないのです。恒久的な建物を造らず、20年ごとに同じものを造り替えて、日本古来の伝統や精神を次世代に継承していく、まさに現在進行形の文化。これぞ日本独自の思想が反映された世界に誇るべきものだと、実際にお参りし、しみじみ思い知りました。
食物・穀物の神である豊受大神宮(外宮)をお参りしたとき、ガイドさんから教えてもらってビックリしたのは、神様のお食事=御饌(みけ)。米、塩、水、神酒、餅、魚、鳥、海藻、野菜、菓子、果物などを朝夕2回、365日、一日も休まず神殿にお供えするのですが、調理するのに、古代さながら、前夜から潔斎=身を清めた神職が、木と火打石で火を熾しているということ。食材のみならず、器も、毎食、新しく焼いた素焼きの器を使う。これを、今日まで1500余年、途切れることなく毎日続けているというのです。神道においては、何よりも清浄を尊ぶのですね。
日本人に生まれてこのかた、当たり前のように正月や種々の行事でお参りしてきた神社のこと、何も知らなかったんだなあと恥ずかしくなりました。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
2年前から経営者団体の有志で、ビジネスマナーや経営哲学を学ぶ目的で茶道をたしなんでいます。私はこの年齢になって生まれて初めて、まともにお茶の勉強を始め、和室に入るときの襖の開け方やら畳の踏み方やらお辞儀の仕方やら、日本人として知って当然の所作やマナーをまるで知らずに生きてきたことを、大いに恥じているところ。ちょうど伊勢神宮をお参りした1週間後、茶道仲間にしずおか地酒研究会メンバーを加え、御所丸(静岡市葵区大鋸町)で茶懐石のフルコースを体験する会を催しました。御所丸さんは本格的な茶懐石を、テーブル席で気軽に体験できるお店で、酒は初亀(岡部町)を扱っています。
◆茶懐石と喫茶の店「御所丸」 http://gosyomaru.sakura.ne.jp/
一般的な和食の会席料理とは違い、茶懐石の料理や酒は、お茶(濃茶)をいただく前の大いなる“前フリ”。主役のお茶が登場するまで、実に3~4時間かけ、亭主(ホスト)は前フリ(懐石料理と酒)で客(ゲスト)をもてなすのです。これらをトータルで「茶事」といいます。
懐石とは禅僧が修行中、寒さと空腹を癒すため、温石を懐に入れていたことに由来し、禅僧が喫食する精進料理を懐石料理と呼んでいました。16世紀、千利休が禅宗の精神を本膳料理に取り入れ、茶道の会合に供する「茶懐石」を確立した、といわれます。

茶懐石のメインディッシュ、煮物椀
茶懐石の手順は―
(1)一汁三菜(飯、汁、向付け、煮物、焼物)が基本で、まず、「飯」、「汁」、「向付け」が折敷でだされる。
(2)ご飯を二口~三口食べ、味噌汁を飲んだところで、それを合図に亭主から酒が勧められる。基本は杯に一杯ずつ。
(3)酒を飲んでから、「向付」に手をつける。向付とは、膳の手前ではなく向こう側に置かれた刺身類のこと。
(4)さらに、「煮物」、人数分が一鉢に盛り込まれた「焼物」が出される。
「鉢肴(はちざかな)」、「強肴(しいざかな)」など献立以外の料理を出す場合もある。
「小吸物」、「八寸」が出される。
(5)献酬のあと「湯桶(ゆとう )」と香の物がでて食べ終わる。
(6)懐紙で膳に落ちた滴を押さえて折敷の上を整え、一同で折敷の縁に掛けてあった箸を折敷の中に落とし、終了の合図をして終える。
(7)小休止の後、菓子と濃茶が供せられる。
一般の宴会料理と大きく違うのは、初めからご飯と汁が出てきて、その合間に酒が注がれるということ。この、合間の匙加減というのが難しいんですね。
茶懐石で表現する“おもてなしの精神”とは、単に美味しい酒や料理を出せばいいというものではなく、厨房から膳を持って給仕口の襖を閉め、ふたたび襖を開ける間の呼吸までも細心の神経を遣うということ。間が早すぎても、空きすぎてもダメ。そして料理は季節感、食材の持ち味を大切にし、切れ端まで粗末に扱わず、温かい料理は温かく、冷たいものは器も冷たくして供する。献立も、海、山、里の幸をバランスよく組み合わせ、食べにくいもの・噛む音が出るものは隠し包丁を入れ、骨あるものは丁寧に取り除く。・・・今の宴会料理が忘れつつあるもてなしの王道が、そこにあるようです。
今回、いただいた懐石料理をザッと紹介すると―
お香煎/京都祇園・原了郭製
麦や米を炒って粉末にした〈こがし〉に山椒、紫蘇、陳皮(ちんぴ=ミカンの皮)などの粉末と少量の塩を加えたもの。湯を注いで茶のように飲む、いわばウエルカムドリンク。ちなみに原了郭は赤穂浪士・原惣右衛門のご子孫とか!
お膳/一汁三菜
ご飯は一文字に盛る。お替り自由。
汁はヨモギ麩・菱の実・祖父江銀杏。
向付は鯛昆布〆・寿海苔・莫大海(バクダイの実)・双葉
煮物椀(メインディッシュ)は麻機レンコン団子・椎茸・人参・大根・三つ葉・柚子
焼き物は鰤の幽庵焼 梅酢漬け・生姜

最初に出される飯、汁、向付
和え物/菊菜・菠薐草(ほうれん草)・阿房宮(食用菊)・木の子
強肴/強いるので強肴といわれ 酒が進むような肴を少量出す。粟麩田楽・人参寒天寄。
預鉢/ご飯のおかずとして出される炊き合わせや酢の物など。凍豆腐・近江こんにゃく・生湯葉・百合根。

預鉢の凍豆腐は地酒にピッタリ!
小吸物/今回は師走にちなみ、鰊(にしん)を巻いた更科蕎麦寿司。
八寸/八寸(約20cm角)の正方形の盆のこと。魚介類のなまぐさものと野菜を盛り合わせたり、山海の珍味を数種取り合わせたもの。大徳寺麩・岩梨添え・鮭燻製醍醐(チーズ)巻ケッパー添え
湯桶/注ぎ口と横手がついた湯次(ゆつぎ)から、重湯に塩味をきかせた汁をごはんにかけ、香の物と一緒にいただく。
甘味/煮梅箔散らし・麩饅頭
干菓子/源氏香・巻柿・金平糖
濃茶/「祖母昔」 上林春松製
薄茶/「松風昔」 同

酒は、上記にあるように、最初にご飯に口をつけ、味噌汁を飲んだところで亭主が「燗鍋」に入れて勧めます。
燗鍋というのは鉄製のお銚子。昔はこのまま火にかけてお燗していたんですね。今回は御所丸さんに事前にお許しをいただき、特別に初亀新酒荒しぼり、亀丸純米吟醸(秋上がり)、白隠正宗純米酒誉富士を持ち込み、燗鍋に入れて冷やでお出ししました。

昔はそのまま火にかけて燗付けした鉄製の「燗鍋」
初亀はもともと御所丸の取り扱い酒。白隠正宗は禅宗の中興の祖・白隠禅師ゆかりの酒ということでご用意しました。地酒研会員が居酒屋感覚で酒瓶からそのまま注ぐマナー違反(苦笑)をしたせいか、3種類の酒すべて空瓶になり、日頃は日本酒が苦手という茶道研究会会員もスイスイ味わってくれました。季節の食材を吟味し、手間隙をかけ、丁寧に調理された料理との食べ合わせ・飲み合わせの賜物だと思います。

茶懐石に用意した地酒と、茶懐石に使う酒杯
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
気がつけば、湯桶が出るまで約3時間、あっという間でした。そして、これらの茶事の真の主役が、この後出される一杯の茶だということにただただ驚くばかり。一杯の茶のために費やす、この膨大な準備時間と気配りは、「おもてなし」のひと言では到底足りません。
ふだん、なかなか濃茶を味わう機会はないと思いますが、濃茶というのは練り状のようなドロッとした濃~い抹茶。飲むというより吸う感じ。これを、一つの茶碗を回しのみしていただきます。千利休が始めた作法のようで、戦国時代、狭い茶室で同じ茶碗を回しのみするというのは、真に気を許し合った証拠なのでしょう。「一味同心」とか「同じ釜の飯を食う」なんて言葉を想起させます。
味はご想像のとおり、ものすごく苦いのですが、より上質の抹茶を厳選し、品よくまろやかに仕上げるのが亭主の腕の見せどころのようです。初めて濃茶を飲んだときは、酒蔵で、酒母のもろみをきき酒したときを思い出しちゃいました(苦笑)。
濃茶のあとは、ふだんいただく抹茶として馴染みのある「薄茶」をいただき、フィニッシュです。濃茶よりも“薄い”からといって軽視してはいけません。一期一会の茶席の最後の大切な一杯。この日も、最後の薄茶の美味しさが、余韻と感動を残してくれました。
カラになった酒瓶を眺め、御所丸の店主が「お酒を飲んだ後、濃茶や薄茶をいただけば、絶対に二日酔いしませんよ」とひと言。そういえば、しずおか地酒研究会で利用する飲食店では、焼津の日本料理「安藤」が、コース料理の最後に必ず抹茶(薄茶)を出してくれます。安藤さんは茶事の心得がおありなのだ・・・と今更ながら感じ入りました。
◆日本料理 安藤 http://www.at-s.com/gourmet/featured/jizake/vol13.html
伊勢神宮の御饌(みけ)と、千利休の茶懐石。詳しく調べたわけではありませんが、この2つには和食の原型がある、と実感しました。
この両者に日本酒が介在していることも嬉しい発見です。焼酎やワインってわけにはいきませんよね、さすがに。
ただ、私のお茶の先生曰く「濃茶の回しのみは、利休が生きていた頃、日本に入ってきたキリスト教のぶどう酒の回しのみが影響しているのではないか」とも。茶道と酒道は思った以上に近しいのかもしれません。
いずれにせよ、和食に“遺産”という称号がふさわしいのかどうか、この先、日本酒も“遺産”扱いされてしまうのだろうか、ふだんの飲食を見直しながらちゃんと考えていきたい、と思っています。
折も折、今月に入り、式年遷宮を迎えた伊勢神宮の早朝参りと、濃茶を中心とした茶懐石のフルコースを味わうという2つの文化遺産体験をしました。日本酒の話題とは少しズレるかもしれませんが、とても意義深い体験でしたので、そのお話をさせていただきます。
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伊勢神宮は、それこそ世界文化遺産の認定資格は十分なのに、登録はされていません。人間が神様を遺産認定するなど畏れ多いという理由で、立候補すらしないのです。恒久的な建物を造らず、20年ごとに同じものを造り替えて、日本古来の伝統や精神を次世代に継承していく、まさに現在進行形の文化。これぞ日本独自の思想が反映された世界に誇るべきものだと、実際にお参りし、しみじみ思い知りました。
食物・穀物の神である豊受大神宮(外宮)をお参りしたとき、ガイドさんから教えてもらってビックリしたのは、神様のお食事=御饌(みけ)。米、塩、水、神酒、餅、魚、鳥、海藻、野菜、菓子、果物などを朝夕2回、365日、一日も休まず神殿にお供えするのですが、調理するのに、古代さながら、前夜から潔斎=身を清めた神職が、木と火打石で火を熾しているということ。食材のみならず、器も、毎食、新しく焼いた素焼きの器を使う。これを、今日まで1500余年、途切れることなく毎日続けているというのです。神道においては、何よりも清浄を尊ぶのですね。
日本人に生まれてこのかた、当たり前のように正月や種々の行事でお参りしてきた神社のこと、何も知らなかったんだなあと恥ずかしくなりました。
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2年前から経営者団体の有志で、ビジネスマナーや経営哲学を学ぶ目的で茶道をたしなんでいます。私はこの年齢になって生まれて初めて、まともにお茶の勉強を始め、和室に入るときの襖の開け方やら畳の踏み方やらお辞儀の仕方やら、日本人として知って当然の所作やマナーをまるで知らずに生きてきたことを、大いに恥じているところ。ちょうど伊勢神宮をお参りした1週間後、茶道仲間にしずおか地酒研究会メンバーを加え、御所丸(静岡市葵区大鋸町)で茶懐石のフルコースを体験する会を催しました。御所丸さんは本格的な茶懐石を、テーブル席で気軽に体験できるお店で、酒は初亀(岡部町)を扱っています。
◆茶懐石と喫茶の店「御所丸」 http://gosyomaru.sakura.ne.jp/
一般的な和食の会席料理とは違い、茶懐石の料理や酒は、お茶(濃茶)をいただく前の大いなる“前フリ”。主役のお茶が登場するまで、実に3~4時間かけ、亭主(ホスト)は前フリ(懐石料理と酒)で客(ゲスト)をもてなすのです。これらをトータルで「茶事」といいます。
懐石とは禅僧が修行中、寒さと空腹を癒すため、温石を懐に入れていたことに由来し、禅僧が喫食する精進料理を懐石料理と呼んでいました。16世紀、千利休が禅宗の精神を本膳料理に取り入れ、茶道の会合に供する「茶懐石」を確立した、といわれます。
茶懐石のメインディッシュ、煮物椀
茶懐石の手順は―
(1)一汁三菜(飯、汁、向付け、煮物、焼物)が基本で、まず、「飯」、「汁」、「向付け」が折敷でだされる。
(2)ご飯を二口~三口食べ、味噌汁を飲んだところで、それを合図に亭主から酒が勧められる。基本は杯に一杯ずつ。
(3)酒を飲んでから、「向付」に手をつける。向付とは、膳の手前ではなく向こう側に置かれた刺身類のこと。
(4)さらに、「煮物」、人数分が一鉢に盛り込まれた「焼物」が出される。
「鉢肴(はちざかな)」、「強肴(しいざかな)」など献立以外の料理を出す場合もある。
「小吸物」、「八寸」が出される。
(5)献酬のあと「湯桶(ゆとう )」と香の物がでて食べ終わる。
(6)懐紙で膳に落ちた滴を押さえて折敷の上を整え、一同で折敷の縁に掛けてあった箸を折敷の中に落とし、終了の合図をして終える。
(7)小休止の後、菓子と濃茶が供せられる。
一般の宴会料理と大きく違うのは、初めからご飯と汁が出てきて、その合間に酒が注がれるということ。この、合間の匙加減というのが難しいんですね。
茶懐石で表現する“おもてなしの精神”とは、単に美味しい酒や料理を出せばいいというものではなく、厨房から膳を持って給仕口の襖を閉め、ふたたび襖を開ける間の呼吸までも細心の神経を遣うということ。間が早すぎても、空きすぎてもダメ。そして料理は季節感、食材の持ち味を大切にし、切れ端まで粗末に扱わず、温かい料理は温かく、冷たいものは器も冷たくして供する。献立も、海、山、里の幸をバランスよく組み合わせ、食べにくいもの・噛む音が出るものは隠し包丁を入れ、骨あるものは丁寧に取り除く。・・・今の宴会料理が忘れつつあるもてなしの王道が、そこにあるようです。
今回、いただいた懐石料理をザッと紹介すると―
お香煎/京都祇園・原了郭製
麦や米を炒って粉末にした〈こがし〉に山椒、紫蘇、陳皮(ちんぴ=ミカンの皮)などの粉末と少量の塩を加えたもの。湯を注いで茶のように飲む、いわばウエルカムドリンク。ちなみに原了郭は赤穂浪士・原惣右衛門のご子孫とか!
お膳/一汁三菜
ご飯は一文字に盛る。お替り自由。
汁はヨモギ麩・菱の実・祖父江銀杏。
向付は鯛昆布〆・寿海苔・莫大海(バクダイの実)・双葉
煮物椀(メインディッシュ)は麻機レンコン団子・椎茸・人参・大根・三つ葉・柚子
焼き物は鰤の幽庵焼 梅酢漬け・生姜
最初に出される飯、汁、向付
和え物/菊菜・菠薐草(ほうれん草)・阿房宮(食用菊)・木の子
強肴/強いるので強肴といわれ 酒が進むような肴を少量出す。粟麩田楽・人参寒天寄。
預鉢/ご飯のおかずとして出される炊き合わせや酢の物など。凍豆腐・近江こんにゃく・生湯葉・百合根。
預鉢の凍豆腐は地酒にピッタリ!
小吸物/今回は師走にちなみ、鰊(にしん)を巻いた更科蕎麦寿司。
八寸/八寸(約20cm角)の正方形の盆のこと。魚介類のなまぐさものと野菜を盛り合わせたり、山海の珍味を数種取り合わせたもの。大徳寺麩・岩梨添え・鮭燻製醍醐(チーズ)巻ケッパー添え
湯桶/注ぎ口と横手がついた湯次(ゆつぎ)から、重湯に塩味をきかせた汁をごはんにかけ、香の物と一緒にいただく。
甘味/煮梅箔散らし・麩饅頭
干菓子/源氏香・巻柿・金平糖
濃茶/「祖母昔」 上林春松製
薄茶/「松風昔」 同
酒は、上記にあるように、最初にご飯に口をつけ、味噌汁を飲んだところで亭主が「燗鍋」に入れて勧めます。
燗鍋というのは鉄製のお銚子。昔はこのまま火にかけてお燗していたんですね。今回は御所丸さんに事前にお許しをいただき、特別に初亀新酒荒しぼり、亀丸純米吟醸(秋上がり)、白隠正宗純米酒誉富士を持ち込み、燗鍋に入れて冷やでお出ししました。

昔はそのまま火にかけて燗付けした鉄製の「燗鍋」
初亀はもともと御所丸の取り扱い酒。白隠正宗は禅宗の中興の祖・白隠禅師ゆかりの酒ということでご用意しました。地酒研会員が居酒屋感覚で酒瓶からそのまま注ぐマナー違反(苦笑)をしたせいか、3種類の酒すべて空瓶になり、日頃は日本酒が苦手という茶道研究会会員もスイスイ味わってくれました。季節の食材を吟味し、手間隙をかけ、丁寧に調理された料理との食べ合わせ・飲み合わせの賜物だと思います。

茶懐石に用意した地酒と、茶懐石に使う酒杯
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
気がつけば、湯桶が出るまで約3時間、あっという間でした。そして、これらの茶事の真の主役が、この後出される一杯の茶だということにただただ驚くばかり。一杯の茶のために費やす、この膨大な準備時間と気配りは、「おもてなし」のひと言では到底足りません。
ふだん、なかなか濃茶を味わう機会はないと思いますが、濃茶というのは練り状のようなドロッとした濃~い抹茶。飲むというより吸う感じ。これを、一つの茶碗を回しのみしていただきます。千利休が始めた作法のようで、戦国時代、狭い茶室で同じ茶碗を回しのみするというのは、真に気を許し合った証拠なのでしょう。「一味同心」とか「同じ釜の飯を食う」なんて言葉を想起させます。
味はご想像のとおり、ものすごく苦いのですが、より上質の抹茶を厳選し、品よくまろやかに仕上げるのが亭主の腕の見せどころのようです。初めて濃茶を飲んだときは、酒蔵で、酒母のもろみをきき酒したときを思い出しちゃいました(苦笑)。
濃茶のあとは、ふだんいただく抹茶として馴染みのある「薄茶」をいただき、フィニッシュです。濃茶よりも“薄い”からといって軽視してはいけません。一期一会の茶席の最後の大切な一杯。この日も、最後の薄茶の美味しさが、余韻と感動を残してくれました。
カラになった酒瓶を眺め、御所丸の店主が「お酒を飲んだ後、濃茶や薄茶をいただけば、絶対に二日酔いしませんよ」とひと言。そういえば、しずおか地酒研究会で利用する飲食店では、焼津の日本料理「安藤」が、コース料理の最後に必ず抹茶(薄茶)を出してくれます。安藤さんは茶事の心得がおありなのだ・・・と今更ながら感じ入りました。
◆日本料理 安藤 http://www.at-s.com/gourmet/featured/jizake/vol13.html
伊勢神宮の御饌(みけ)と、千利休の茶懐石。詳しく調べたわけではありませんが、この2つには和食の原型がある、と実感しました。
この両者に日本酒が介在していることも嬉しい発見です。焼酎やワインってわけにはいきませんよね、さすがに。
ただ、私のお茶の先生曰く「濃茶の回しのみは、利休が生きていた頃、日本に入ってきたキリスト教のぶどう酒の回しのみが影響しているのではないか」とも。茶道と酒道は思った以上に近しいのかもしれません。
いずれにせよ、和食に“遺産”という称号がふさわしいのかどうか、この先、日本酒も“遺産”扱いされてしまうのだろうか、ふだんの飲食を見直しながらちゃんと考えていきたい、と思っています。
Posted by 日刊いーしず at 12:00