2013年05月17日
第8回 美酒の記憶
前回(第7回「酔読ノススメ」はこちら)、フリーアナウンサーの國本良博さんに酒の本の朗読をお願いしたエピソードを紹介しました。國本さんとは、しずおか地酒研究会設立のきっかけになった1995年の静岡市南部図書館地酒講座で、プログラムに地酒エッセイの寄稿をお願いして以来のおつきあい。寄稿者を探しているとき、偶然、國本さんがラジオ番組で河村傳兵衛さんにインタビューしていたのを聴いて、とても面白くて、静岡新聞社の知り合いに仲介を頼んだのがそもそもの出会いでした。実は、國本さんご自身が先月、SBSアナウンサー時代を振り返る自叙伝『くんちゃんのはなしのはなし』(マイルスタッフ刊)を出版され、この経緯を紹介してくださっています。よかったらぜひお読みください!

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今回は本ではなく、本筋に戻ってお酒の紹介といきましょう。
こういう肩書きで活動している宿命といいますか、初対面の人に「しずおか地酒研究会主宰」の名刺を渡すと、十中八九、「どの銘柄がおすすめですか?」と訊かれます。○○○が好きだとしても、○○○が去年と今年では味が違うかもしれないし、○○○の大吟醸か純米酒か本醸造かでも違います。「○○○は、大吟はいいけど純米はブレがある」・・・な~んて通ぶった答えをしても、質問者を戸惑わせるような気がする。自分はプロの評論家でもきき酒師でもないし、結局、自分の体験しか使える物指しがありません。そこでおすすめ銘柄を問われたときは、自分が直近で飲んで感動した銘柄を挙げるようにしています。
今回も、25年の酒歴で、質問されるたびに答えた記憶に残る美酒を思い起こしてみます。
最近一番感動したのは、先月、下田の蕎麦処『いし塚』で飲んだ『國香』(袋井市)の特別純米。繊細な香味が絶妙に調和し、私が何より國香らしいと感じる、ノド越しがストンと落ちる“さばけの良さ”が見事に表現されていました。目隠しして飲んだら十中八九、純米大吟醸だと答えるでしょう。この酒質を純米酒クラスで発揮できる蔵元杜氏・松尾晃一さんの力量に改めて敬服、というか、本当に「出会えてよかったぁ」と心から感動しました。

いし塚で味わえる國香
これに加え、酒肴のいし塚特製・蕎麦味噌が、國香のキレ味をやわらかく包み込んでくれます。キレ味がなくなるのではなく、内に秘められていた酒の旨味が、蕎麦味噌の旨味に刺激され、表に顔を出したという感じ。醗酵物同士の旨味ですから相性は申し分ありません。
下田を訪ねる機会がありましたら、ぜひ『いし塚』で味わってみてください。
◆いし塚の紹介記事はこちら ≫http://www.at-s.com/gourmet/featured/jizake/vol162.html
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記憶に残る最も古い感動体験というと、1989年春、初めて『開運』(掛川市)の土井酒造場を訪ねたとき、試飲させてもらった搾りたての大吟醸。思わず、「こんなに美味い酒、今まで飲んだことがない!」と叫んでしまい、蔵元の土井さんに「この程度で満足してもらっては困るんだが」と苦笑いされました。
初めてまともに味わった搾りたての大吟醸。そのフルーティーでみずみずしい香りと、アルコールとは思えない清冽な口当たりに、これが本当に水と米と米麹だけで造った飲み物なのかとただただ驚愕しました。それなのに、「この程度で満足するな」とはいかなる意味か・・・。土井さんの苦笑いに、こちらも「ハハハ」とごまかし笑いで返したものの、脳裏は「?」マークで一杯でした。搾ったばかり酒が、濾過や加水や火入れ処理され、熟成を経て、さらに酒質が向上するということを、この時点ではまったく理解できていなかったのです。
いずれにしても、仕込み現場で初めて味わった搾りたての酒が、開運の大吟醸だったというのは、今思えば大変な幸運でした。「酒のファンを増やすには、最初の感動体験が大事だ」と考え、執筆活動のみならず実体験を共有できる場をつくろうと研究会を構想したのは、まさに自分自身のこの体験からでした。
『開運』に合う酒肴は、それこそ枚挙に暇はありませんが、個人的に思い入れがあるのは、鮨屋『陣太鼓』(静岡市葵区昭和町)で味わうワサビ巻き。出会ったのは、ちょうど開運を訪ねたちょうどこの頃で、「ワサビを巻くだけの寿司があるんだ」と目を白黒させ、大人の味覚を一つ覚えた気分になりました。『陣太鼓』は開運が全種類飲める鮨屋さんです。ぜひお味見ください。

陣太鼓で飲める開運全種
◆陣太鼓の紹介記事はこちら ≫http://www.at-s.com/gourmet/featured/jizake/vol81.html
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静岡県酒造組合では毎年10月1日(日本酒の日)に『静岡県地酒まつり』という県内全蔵が一堂に介する大試飲会を開催しています。以前、このイベントで何年か続けて燗酒をふるまうブースをお手伝いしたことがありました。
「かんすけ」という錫製の燗付け器をお湯で温め、温度計で慎重に測りながらのお燗番役。お客さんのほとんどは、各蔵元ブースに並ぶ豪華ラインナップをはしご呑みするのに必死で、ふだん呑み価格の酒が並ぶ燗酒ブースはヒマだったんですが、私にとっては、県内全銘柄をいっぺんに、しかも自分の好みの温度で燗付けして試飲できる夢のようなブースです。冷やかしに来る蔵元や顔なじみの酒徒たちで、いつの間にか内輪の立ち飲みカウンターみたいになっていました(苦笑)。

静岡県地酒まつりの燗酒ブース。燗付け器「かんすけ」の営業さんと
初めて燗酒ブースが設置された2004年の『静岡県地酒まつり』で、いきなり、燗上がりする素晴らしい酒を発見しました。『白隠正宗』(沼津市)の純米酒です。少し温めると角がとれるのか酒質全体が丸くなり、旨みがじんわり口中に広がる。それでいて後味がすっきり。前述のとおり、この後味すっきりのさばけ感が、自分の何よりのお好みポイントで、燗酒でこれだけきれいにさばける酒に出会えたのは大きな収穫でした。
冷やかしに来た『小夜衣』の蔵元森本均さんに試飲してもらったら、人前では他人の酒をめったに褒めない森本さんが「いい酒だ」と満足してくれました。きき酒名人で知られる森本さんに自分が褒められたような気分になり、その時から、自分の脳裏に「燗酒には白隠の純米」と刷り込まれてしまいました。
白隠正宗は沼津の地酒ですから、やっぱり沼津の魚料理と相性バツグンです。中でも純米酒は煮魚がベストマッチ。おすすめは漁師居酒屋『さえ丸おじさんの店』(沼津市)。

煮魚と相性バツグンの白隠正宗
◆さえ丸おじさんの店の紹介記事はこちら
≫http://www.at-s.com/gourmet/featured/jizake/vol165.html
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2004年の静岡県地酒まつりでは、忘れられない燗酒がもう一つありました。満寿一(静岡市葵区)の蔵元増井浩二さんが、「これ、燗付けてみて」と持ってこられたのは、なんと『満寿一大吟醸』。大吟醸というのはフルーティーな吟醸香を楽しむ酒で、燗をつけると香りが飛んでしまうため、冷酒で飲むのが常道だとされていますが、蔵元自ら、道を外れよ、とのお達し。実は私もひそかに「遊びで大吟を燗付けよ、なんて言って来る猛者はいないかなあ」と期待していたのです。それが、数多くの商品ラインナップを持つ規模の大きな蔵元ではなく、小規模の部類に入る満寿一さんだったのが意外でした。
増井さんは昨年、49歳の若さで急逝しました。静岡県で唯一残った杜氏集団・志太杜氏を雇用し続け、志太杜氏最後の一人が引退した後は自ら杜氏となって伝統を守った信念の酒造家でした。そんな彼が大吟醸片手に、悪戯小僧のような笑顔で燗酒ブースにやってきたあの日のことは、今でも忘れられません。
満寿一は、安倍川の軟らかな水質と増井さんの骨太な性格が融け合った“細マッチョな酒だ”と勝手に思っていましたが、温めると筋肉が弛緩する感じ。増井さんが隠し持っていた優しい人柄がにじみ出てくるんでしょう・・・。増井さんの笑顔にも、満寿一の味にも二度と会えないと思うと本当に残念でなりません。
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『國香』の松尾晃一さんと、『満寿一』の増井浩二さんは、静岡酵母の開発者で静岡吟醸造りの指導者でもある河村傳兵衛さんの“直弟子”です。松尾さんが『傳一郎』、増井さんが『傳次郎』という杜氏名を授かっており、松尾さんの『傳一郎』は純米吟醸酒の酒銘にもなっています。
河村さんの三番目の直弟子が、『喜久醉』の蔵元杜氏・青島孝さん。満寿一が昨年廃業した後、増井さんが使っていたタンクや甑(こしき)を譲り受け、いつにも増して今期の仕込みに精魂を込め、静岡県清酒鑑評会で見事、県知事賞を受賞しました。彼には『傳三郎』という杜氏名が与えられ、県知事賞を2度も獲得していますが、「まだ酒銘に出来るほどの腕はない」と謙虚に語ります。
『國香』『喜久醉』は、JR静岡駅ビルASTY東館の居酒屋『魚河岸大作』で鮮度バツグンの地魚と一緒に味わえます。大作は、『満寿一』一種だけをずっと扱ってきた店ですが、満寿一廃業となり、在庫もなくなってからは、ともに「傳」の杜氏名を授かった兄貴分の國香、弟分の喜久醉を置くようになりました。この2蔵がブレずに美酒を醸し続ける限り、この店における満寿一の記憶もなくならない、と信じています。

魚河岸大作の看板銘柄だった満寿一
◆魚河岸 大作の紹介記事はこちら
≫http://www.at-s.com/gourmet/featured/jizake/vol65.html
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青島さんは2004年から杜氏を務めていますが、私が最初に感動した『喜久醉』は、1963年から2003年まで青島酒造の杜氏を務めた富山初雄さん(南部杜氏=岩手県出身)の手による普通酒や特別本醸造でした。醸造アルコールを添加した、いわゆる“アル添酒”です。
日本酒ファンの中には、「アルコールを米と米麹だけで自然発酵させる純米酒こそ正しい日本酒であり、使用米の量を減らしてコストを下げ、代わりに出来合いのアルコールを加えるなんて不純な造り方だ」と主張する人は少なくなく、純米酒しか扱いませんという酒屋や飲食店、また最近では純米酒しか造りません、という酒蔵も増えているようです。
それでも私は富山さんの酒で覚えたアル添酒の美味しさに魅了され続けています。初めて喜久醉特別本醸造を飲んだときは、本当は吟醸酒に入れ替えて飲まされたのではないかと思うほど洗練されていました。普通酒を飲んだときは、「こんな美味しい酒を普通酒として売って蔵の儲けになるのか・・・」と素人ながら心配したほど。
最近、インスタントラーメンの世界で、生麺と見紛う美味しい袋麺が出始めていますよね。高い品質と価格の手軽さを両立させようと各社が開発努力をした成果でしょう。ジャンルは異なりますが、美味しくてリーズナブルなアル添酒が造れるというのも、蔵元の技術力の証明ではないか、と思っています。
青島さんが杜氏を引き継いだ後は、喜久醉のアル添酒もさらに一層、磨きがかかり、目隠しで飲めば普通酒が吟醸酒に、特別本醸造は大吟醸と言われても疑わないクオリティーです。となると、吟醸酒や大吟醸はもっと上のレベルを目指さなければならないわけで、「“傳三郎”を易々と名乗れない」と語った青島さんの目標の高さや“求道者”ぶりに唸ってしまいます。
昨年8月、平野斗紀子さんとアメリカを旅行したとき、ラスベガスのマンダレイ・ベイ・ホテルのイタリアンレストランLupoで、シェフが気前よくサービスしてくれたので、お礼に、持参した『喜久醉普通酒』を試飲してもらったところ、「SAKEを飲むのは生まれて初めて!実にまろやかで美味しい」と絶賛してくれました。
その後、LupoのシェフがSAKEにハマッたかどうかは分かりませんが、彼にとって忘れられない感動の一杯として記憶に残ってくれればいいな・・・と願うばかりです。

ラスベガスのイタリアンLupoのシェフに喜久酔普通酒を勧めた。右が平野さん
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美酒の記憶とは、造り手が売り手へ、売り手が飲み手へとつないだ「美味しい酒が、もっと美味しくなるように」という心のバトンリレー。地元の酒はバトンタッチまでの距離が短い分、見えてくる心象もクリアです。
酒蔵の仕込み作業はほぼ終わりましたので、造り手が売り手や飲み手と交流する機会も増えるでしょう。チャンスを活かし、ぜひとも多くの美酒体験を楽しんでくださいね。

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今回は本ではなく、本筋に戻ってお酒の紹介といきましょう。
こういう肩書きで活動している宿命といいますか、初対面の人に「しずおか地酒研究会主宰」の名刺を渡すと、十中八九、「どの銘柄がおすすめですか?」と訊かれます。○○○が好きだとしても、○○○が去年と今年では味が違うかもしれないし、○○○の大吟醸か純米酒か本醸造かでも違います。「○○○は、大吟はいいけど純米はブレがある」・・・な~んて通ぶった答えをしても、質問者を戸惑わせるような気がする。自分はプロの評論家でもきき酒師でもないし、結局、自分の体験しか使える物指しがありません。そこでおすすめ銘柄を問われたときは、自分が直近で飲んで感動した銘柄を挙げるようにしています。
今回も、25年の酒歴で、質問されるたびに答えた記憶に残る美酒を思い起こしてみます。
最近一番感動したのは、先月、下田の蕎麦処『いし塚』で飲んだ『國香』(袋井市)の特別純米。繊細な香味が絶妙に調和し、私が何より國香らしいと感じる、ノド越しがストンと落ちる“さばけの良さ”が見事に表現されていました。目隠しして飲んだら十中八九、純米大吟醸だと答えるでしょう。この酒質を純米酒クラスで発揮できる蔵元杜氏・松尾晃一さんの力量に改めて敬服、というか、本当に「出会えてよかったぁ」と心から感動しました。
いし塚で味わえる國香
これに加え、酒肴のいし塚特製・蕎麦味噌が、國香のキレ味をやわらかく包み込んでくれます。キレ味がなくなるのではなく、内に秘められていた酒の旨味が、蕎麦味噌の旨味に刺激され、表に顔を出したという感じ。醗酵物同士の旨味ですから相性は申し分ありません。
下田を訪ねる機会がありましたら、ぜひ『いし塚』で味わってみてください。
◆いし塚の紹介記事はこちら ≫http://www.at-s.com/gourmet/featured/jizake/vol162.html
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記憶に残る最も古い感動体験というと、1989年春、初めて『開運』(掛川市)の土井酒造場を訪ねたとき、試飲させてもらった搾りたての大吟醸。思わず、「こんなに美味い酒、今まで飲んだことがない!」と叫んでしまい、蔵元の土井さんに「この程度で満足してもらっては困るんだが」と苦笑いされました。
初めてまともに味わった搾りたての大吟醸。そのフルーティーでみずみずしい香りと、アルコールとは思えない清冽な口当たりに、これが本当に水と米と米麹だけで造った飲み物なのかとただただ驚愕しました。それなのに、「この程度で満足するな」とはいかなる意味か・・・。土井さんの苦笑いに、こちらも「ハハハ」とごまかし笑いで返したものの、脳裏は「?」マークで一杯でした。搾ったばかり酒が、濾過や加水や火入れ処理され、熟成を経て、さらに酒質が向上するということを、この時点ではまったく理解できていなかったのです。
いずれにしても、仕込み現場で初めて味わった搾りたての酒が、開運の大吟醸だったというのは、今思えば大変な幸運でした。「酒のファンを増やすには、最初の感動体験が大事だ」と考え、執筆活動のみならず実体験を共有できる場をつくろうと研究会を構想したのは、まさに自分自身のこの体験からでした。
『開運』に合う酒肴は、それこそ枚挙に暇はありませんが、個人的に思い入れがあるのは、鮨屋『陣太鼓』(静岡市葵区昭和町)で味わうワサビ巻き。出会ったのは、ちょうど開運を訪ねたちょうどこの頃で、「ワサビを巻くだけの寿司があるんだ」と目を白黒させ、大人の味覚を一つ覚えた気分になりました。『陣太鼓』は開運が全種類飲める鮨屋さんです。ぜひお味見ください。
陣太鼓で飲める開運全種
◆陣太鼓の紹介記事はこちら ≫http://www.at-s.com/gourmet/featured/jizake/vol81.html
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静岡県酒造組合では毎年10月1日(日本酒の日)に『静岡県地酒まつり』という県内全蔵が一堂に介する大試飲会を開催しています。以前、このイベントで何年か続けて燗酒をふるまうブースをお手伝いしたことがありました。
「かんすけ」という錫製の燗付け器をお湯で温め、温度計で慎重に測りながらのお燗番役。お客さんのほとんどは、各蔵元ブースに並ぶ豪華ラインナップをはしご呑みするのに必死で、ふだん呑み価格の酒が並ぶ燗酒ブースはヒマだったんですが、私にとっては、県内全銘柄をいっぺんに、しかも自分の好みの温度で燗付けして試飲できる夢のようなブースです。冷やかしに来る蔵元や顔なじみの酒徒たちで、いつの間にか内輪の立ち飲みカウンターみたいになっていました(苦笑)。
静岡県地酒まつりの燗酒ブース。燗付け器「かんすけ」の営業さんと
初めて燗酒ブースが設置された2004年の『静岡県地酒まつり』で、いきなり、燗上がりする素晴らしい酒を発見しました。『白隠正宗』(沼津市)の純米酒です。少し温めると角がとれるのか酒質全体が丸くなり、旨みがじんわり口中に広がる。それでいて後味がすっきり。前述のとおり、この後味すっきりのさばけ感が、自分の何よりのお好みポイントで、燗酒でこれだけきれいにさばける酒に出会えたのは大きな収穫でした。
冷やかしに来た『小夜衣』の蔵元森本均さんに試飲してもらったら、人前では他人の酒をめったに褒めない森本さんが「いい酒だ」と満足してくれました。きき酒名人で知られる森本さんに自分が褒められたような気分になり、その時から、自分の脳裏に「燗酒には白隠の純米」と刷り込まれてしまいました。
白隠正宗は沼津の地酒ですから、やっぱり沼津の魚料理と相性バツグンです。中でも純米酒は煮魚がベストマッチ。おすすめは漁師居酒屋『さえ丸おじさんの店』(沼津市)。

煮魚と相性バツグンの白隠正宗
◆さえ丸おじさんの店の紹介記事はこちら
≫http://www.at-s.com/gourmet/featured/jizake/vol165.html
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2004年の静岡県地酒まつりでは、忘れられない燗酒がもう一つありました。満寿一(静岡市葵区)の蔵元増井浩二さんが、「これ、燗付けてみて」と持ってこられたのは、なんと『満寿一大吟醸』。大吟醸というのはフルーティーな吟醸香を楽しむ酒で、燗をつけると香りが飛んでしまうため、冷酒で飲むのが常道だとされていますが、蔵元自ら、道を外れよ、とのお達し。実は私もひそかに「遊びで大吟を燗付けよ、なんて言って来る猛者はいないかなあ」と期待していたのです。それが、数多くの商品ラインナップを持つ規模の大きな蔵元ではなく、小規模の部類に入る満寿一さんだったのが意外でした。
増井さんは昨年、49歳の若さで急逝しました。静岡県で唯一残った杜氏集団・志太杜氏を雇用し続け、志太杜氏最後の一人が引退した後は自ら杜氏となって伝統を守った信念の酒造家でした。そんな彼が大吟醸片手に、悪戯小僧のような笑顔で燗酒ブースにやってきたあの日のことは、今でも忘れられません。
満寿一は、安倍川の軟らかな水質と増井さんの骨太な性格が融け合った“細マッチョな酒だ”と勝手に思っていましたが、温めると筋肉が弛緩する感じ。増井さんが隠し持っていた優しい人柄がにじみ出てくるんでしょう・・・。増井さんの笑顔にも、満寿一の味にも二度と会えないと思うと本当に残念でなりません。
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『國香』の松尾晃一さんと、『満寿一』の増井浩二さんは、静岡酵母の開発者で静岡吟醸造りの指導者でもある河村傳兵衛さんの“直弟子”です。松尾さんが『傳一郎』、増井さんが『傳次郎』という杜氏名を授かっており、松尾さんの『傳一郎』は純米吟醸酒の酒銘にもなっています。
河村さんの三番目の直弟子が、『喜久醉』の蔵元杜氏・青島孝さん。満寿一が昨年廃業した後、増井さんが使っていたタンクや甑(こしき)を譲り受け、いつにも増して今期の仕込みに精魂を込め、静岡県清酒鑑評会で見事、県知事賞を受賞しました。彼には『傳三郎』という杜氏名が与えられ、県知事賞を2度も獲得していますが、「まだ酒銘に出来るほどの腕はない」と謙虚に語ります。
『國香』『喜久醉』は、JR静岡駅ビルASTY東館の居酒屋『魚河岸大作』で鮮度バツグンの地魚と一緒に味わえます。大作は、『満寿一』一種だけをずっと扱ってきた店ですが、満寿一廃業となり、在庫もなくなってからは、ともに「傳」の杜氏名を授かった兄貴分の國香、弟分の喜久醉を置くようになりました。この2蔵がブレずに美酒を醸し続ける限り、この店における満寿一の記憶もなくならない、と信じています。
魚河岸大作の看板銘柄だった満寿一
◆魚河岸 大作の紹介記事はこちら
≫http://www.at-s.com/gourmet/featured/jizake/vol65.html
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青島さんは2004年から杜氏を務めていますが、私が最初に感動した『喜久醉』は、1963年から2003年まで青島酒造の杜氏を務めた富山初雄さん(南部杜氏=岩手県出身)の手による普通酒や特別本醸造でした。醸造アルコールを添加した、いわゆる“アル添酒”です。
日本酒ファンの中には、「アルコールを米と米麹だけで自然発酵させる純米酒こそ正しい日本酒であり、使用米の量を減らしてコストを下げ、代わりに出来合いのアルコールを加えるなんて不純な造り方だ」と主張する人は少なくなく、純米酒しか扱いませんという酒屋や飲食店、また最近では純米酒しか造りません、という酒蔵も増えているようです。
それでも私は富山さんの酒で覚えたアル添酒の美味しさに魅了され続けています。初めて喜久醉特別本醸造を飲んだときは、本当は吟醸酒に入れ替えて飲まされたのではないかと思うほど洗練されていました。普通酒を飲んだときは、「こんな美味しい酒を普通酒として売って蔵の儲けになるのか・・・」と素人ながら心配したほど。
最近、インスタントラーメンの世界で、生麺と見紛う美味しい袋麺が出始めていますよね。高い品質と価格の手軽さを両立させようと各社が開発努力をした成果でしょう。ジャンルは異なりますが、美味しくてリーズナブルなアル添酒が造れるというのも、蔵元の技術力の証明ではないか、と思っています。
青島さんが杜氏を引き継いだ後は、喜久醉のアル添酒もさらに一層、磨きがかかり、目隠しで飲めば普通酒が吟醸酒に、特別本醸造は大吟醸と言われても疑わないクオリティーです。となると、吟醸酒や大吟醸はもっと上のレベルを目指さなければならないわけで、「“傳三郎”を易々と名乗れない」と語った青島さんの目標の高さや“求道者”ぶりに唸ってしまいます。
昨年8月、平野斗紀子さんとアメリカを旅行したとき、ラスベガスのマンダレイ・ベイ・ホテルのイタリアンレストランLupoで、シェフが気前よくサービスしてくれたので、お礼に、持参した『喜久醉普通酒』を試飲してもらったところ、「SAKEを飲むのは生まれて初めて!実にまろやかで美味しい」と絶賛してくれました。
その後、LupoのシェフがSAKEにハマッたかどうかは分かりませんが、彼にとって忘れられない感動の一杯として記憶に残ってくれればいいな・・・と願うばかりです。
ラスベガスのイタリアンLupoのシェフに喜久酔普通酒を勧めた。右が平野さん
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
美酒の記憶とは、造り手が売り手へ、売り手が飲み手へとつないだ「美味しい酒が、もっと美味しくなるように」という心のバトンリレー。地元の酒はバトンタッチまでの距離が短い分、見えてくる心象もクリアです。
酒蔵の仕込み作業はほぼ終わりましたので、造り手が売り手や飲み手と交流する機会も増えるでしょう。チャンスを活かし、ぜひとも多くの美酒体験を楽しんでくださいね。
Posted by 日刊いーしず at 12:00