2013年01月18日
第1回 眠る盃と小夜衣
はじめまして。今年から『日刊いーしず』に仲間入りさせていただく鈴木真弓です。静岡県内をベースに執筆の仕事をしています。よろしくお願いします。
最初にタイトルの説明から。向田邦子の作品に『眠る盃』という珠玉のエッセイがあります。彼女は、名曲『荒城の月』の歌詞“春高楼の~花の宴、巡る盃~かげさして~♪”の“巡る盃”を、子どもの頃に“眠る盃”と覚えてしまって、大人になってからも間違えるのでこの歌はなるべく人前では歌わないそうです。記憶を惑わせたのは、父親が酔いつぶれて座布団を枕に眠っている横に、飲みかけの盃がある、そんな幼い頃の茶の間の光景・・・。最初にこの一文を読んだとき、盃も眠っているという表現に唸り、器をも眠らせる酒というものの妖しい力に惧れを感じたものです。

私にとっての盃は、記録や記憶を注いで溜めるハードディスクのような存在。いやハードディスクなんて言い方、無粋かな。新約聖書マタイ伝に「新しい酒を古い皮袋に入れると皮袋は張り裂け、酒は流れ出る。新しい酒は新しい皮袋に入れるべき」とあるように、日々出会う新鮮で刺激的なヒト・モノ・情報を、漏れ失わないよう、きれいに磨いて置きたい存在です。
個人ですでに〈乾杯〉の二文字を分解した『杯が乾くまで』、〈満杯〉を分解した『杯が満ちるまで』という2本のブログを書いているので、今回のタイトルは、向田邦子のムコウを張って、“眠らない”と宣言してしまいました。せっかく訪問してくださった皆さまが眠気をもよおすような駄文にならぬよう頑張りますので、どうかお味見くださいませ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
連載初回ということで、私と『日刊いーしず』を運営するしずおかオンラインの海野尚史社長との“なれそめ”についてご紹介しようと思います。
ちょうど年号が平成に変わったころでした。駆け出しライターだった私は、取材先の飲食店で偶然、県内の日本酒の蔵元衆と出会い、静岡の地酒がスゴイことになっている!と聞いて興味本位で酒蔵巡りを始め、杜氏や蔵人のおやっさんたちから直接酒造のイロハを教授してもらえることに。ただ、当時の私は、自分の好きなテーマで署名原稿が書けるなんて実力もコネもありません。それでも静岡の地酒が一般にはブレイク前だったことと、女が酒の取材をしていることの珍しさも手伝って、酒販店の広告制作や酒販業界の会報誌の編集等、酒に関する仕事をいくつか受注できました。この間も時間があれば酒蔵を回り、試飲会や酒の会にこまめに顔を出し、少しずつ人脈を広げていきました。
酒蔵巡りを始めてから5年ほど経った1994年、知人の建築設計士から「うちの業界紙でよければ書いてみる?」と声をかけてもらいました。こちらが、私が初めて書いた酒の記事です。
海野さんとのファーストコンタクトはいつどこだったか忘れてしまいましたが、ちょうどこの原稿を書いた頃だったと思います。
海野さんは、しずおかオンラインの前身にあたるフィールドノート社という出版社を立ち上げ、雑誌『静岡アウトドアガイド』を発刊する新進気鋭の編集者でした。同誌で地酒の連載を打診され、来るべきものが来た!と身震いしたのを覚えています。
考えてみるとアウトドア情報誌で畑違いの、しかもあまりよく知られていない静岡の酒を無名のライターに書かせるというのは、海野さんにとってはリスクがあったに違いありません。私にしても、書店に並ぶ雑誌に書く初めて署名連載記事。当然、酒の関係者からも鵜の目鷹の目で視られるに違いありません。・・・そんなことはおかまいなしに突進した当時を振り返ると、海野さんも私も本当に若かったんだなあと思います。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『静岡アウトドアガイド』は、『K-MIXアウティングマガジン』『静岡あるく』等とタイトルを変え、年3~4回のスパンで発行され、私の連載〈静岡の地酒を楽しむ〉は、1995年春発行号から、つごう19回掲載されました。
1996年6月発行の『K-MIXアウティングマガジン』で紹介したのは、JR菊川駅前にある森本酒造。代表商品は〈小夜衣〉という酒銘です。本文はこちらのウエブに再掲しています。

1996年6月発行の「K-MIXアウティングマガジン」表紙
小夜の中山夜泣き石伝説にちなんだエレガントな銘柄ですが、蔵元の森本均さんは野武士のような風貌。トレードマークの髭と鋭い眼と歯に衣着せぬ毒舌の持ち主。取材しようにもフレンドリーに何でも話してくれるというタイプではないので、こりゃしっかり酒のことを勉強しないと相手にしてもらえないな、と緊張して臨んだものです。

静岡県清酒鑑評会審査員を務める森本さん
こちらは毎日新聞に酒の連載をしていたときに描いた森本さんのイラスト。ご本人は勝手にデフォルメされてオカンムリ?でしたが、後々、酒瓶ラベルにちゃっかり採用してました(笑)。


毎日新聞「しずおか酒と人」に掲載した森本さんのイラストと、
森本さんの顔イラストの酒(画/鈴木真弓)
それはさておき、森本さんは県内の蔵元の中でも群を抜く唎き酒能力を持ち、静岡県清酒鑑評会という新酒の品質コンテストの審査員を長年務めています。「森本さんに褒められると自信が付く」という若い蔵元もいるほど。取材当時、森本酒造では杜氏や蔵人を雇っていましたが、今は森本さんが一人で造っています。同業者からも尊敬される力量の蔵元が、個人の理想の酒を思い通りに造るようになったわけで、小夜衣の製造元というよりも、“森本均の地酒工房”と呼んだほうがいいかもしれません。海野さんが個人で理想の雑誌を作ろうとフィールドノート社を立ち上げた頃のモチベーションに通じるかもしれませんね。
海野さんの雑誌で森本さんのことを紹介してから3年後の1999年6月、私が主宰するしずおか地酒研究会で、森本酒造見学と海野さんのトークをコラボさせた『しずおか地酒サロン~しずおかの酒・味・余暇の伝え方』を開催しました。記録をちゃんと取っておかなかったので、森本さんと海野さんがどんなトークセッションをしたのか分からないのですが、写真を見る限り、26名の参加者が相応に楽しんでくれたようです。海野さん(中央)も私も(前列左端)も、そして森本さんも(海野さん右隣)も若いエネルギーが有り余っているのかパッツンパッツンしています(笑)。

1999年6月開催のしずおか地酒サロン
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
2012年暮れに森本酒造を訪ねたとき、〈小夜衣〉の商品ラインナップがさらに増え、ユニークな銘柄が増えていたのに驚きました。



〈速廃・速醸やめてみた〉とは、乳酸菌を使って短期間に酒母を造る速醸という今の作り方をやめて、乳酸を自然発酵させる昔ながらの作り方にした、という意味。〈火の用心〉は燗酒用に。〈絶対生厳守〉は、しぼりたて生原酒は要冷蔵でという意味。〈もったいない卸し〉とは、冬~春仕込んでひと夏熟成させ、秋に涼しくなってから出荷する“ひやおろし”というタイプの商品。もったいぶってやっと出荷したという意味なのか、売るのがもったいないくらいの自信作なのか、いろいろ想像させてくれます。
発酵飲料である日本酒は、米と水というシンプルな原料ながら実に多様な表情を持ち、出荷時期や保存状態によって味わいが微妙に変化します。狙った酒質の旬を逃さず、タイムリーなタイトルでその魅力を伝える。これは、森本さんのような個人酒造家ならではの、小回りの良さを効かせたスマートな戦術といえます。しかもネーミングのセンスの良さは、向田邦子の“眠る盃”に匹敵するほど。野武士のように見えても繊細な感性の持ち主なんですね。ちなみに私が現在制作中のドキュメンタリー映画『吟醸王国しずおか』のタイトル文字は森本さんの直筆です(映画の話は追々させていただきます)。
〈小夜衣〉のファンは、そんな森本均という酒造家の妖しい魅力に惹かれ、旬の酒を逃すまいとヘビーローテーションするそうです。こうして海野さんの掌で酒の連載を再開できる幸運に、まずは、その“妖しい一杯”で感謝の念を捧げようと思います。・・・くれぐれも眠らされぬよう用心しなければ。
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最初にタイトルの説明から。向田邦子の作品に『眠る盃』という珠玉のエッセイがあります。彼女は、名曲『荒城の月』の歌詞“春高楼の~花の宴、巡る盃~かげさして~♪”の“巡る盃”を、子どもの頃に“眠る盃”と覚えてしまって、大人になってからも間違えるのでこの歌はなるべく人前では歌わないそうです。記憶を惑わせたのは、父親が酔いつぶれて座布団を枕に眠っている横に、飲みかけの盃がある、そんな幼い頃の茶の間の光景・・・。最初にこの一文を読んだとき、盃も眠っているという表現に唸り、器をも眠らせる酒というものの妖しい力に惧れを感じたものです。
私にとっての盃は、記録や記憶を注いで溜めるハードディスクのような存在。いやハードディスクなんて言い方、無粋かな。新約聖書マタイ伝に「新しい酒を古い皮袋に入れると皮袋は張り裂け、酒は流れ出る。新しい酒は新しい皮袋に入れるべき」とあるように、日々出会う新鮮で刺激的なヒト・モノ・情報を、漏れ失わないよう、きれいに磨いて置きたい存在です。
個人ですでに〈乾杯〉の二文字を分解した『杯が乾くまで』、〈満杯〉を分解した『杯が満ちるまで』という2本のブログを書いているので、今回のタイトルは、向田邦子のムコウを張って、“眠らない”と宣言してしまいました。せっかく訪問してくださった皆さまが眠気をもよおすような駄文にならぬよう頑張りますので、どうかお味見くださいませ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
連載初回ということで、私と『日刊いーしず』を運営するしずおかオンラインの海野尚史社長との“なれそめ”についてご紹介しようと思います。
ちょうど年号が平成に変わったころでした。駆け出しライターだった私は、取材先の飲食店で偶然、県内の日本酒の蔵元衆と出会い、静岡の地酒がスゴイことになっている!と聞いて興味本位で酒蔵巡りを始め、杜氏や蔵人のおやっさんたちから直接酒造のイロハを教授してもらえることに。ただ、当時の私は、自分の好きなテーマで署名原稿が書けるなんて実力もコネもありません。それでも静岡の地酒が一般にはブレイク前だったことと、女が酒の取材をしていることの珍しさも手伝って、酒販店の広告制作や酒販業界の会報誌の編集等、酒に関する仕事をいくつか受注できました。この間も時間があれば酒蔵を回り、試飲会や酒の会にこまめに顔を出し、少しずつ人脈を広げていきました。
酒蔵巡りを始めてから5年ほど経った1994年、知人の建築設計士から「うちの業界紙でよければ書いてみる?」と声をかけてもらいました。こちらが、私が初めて書いた酒の記事です。
海野さんとのファーストコンタクトはいつどこだったか忘れてしまいましたが、ちょうどこの原稿を書いた頃だったと思います。
海野さんは、しずおかオンラインの前身にあたるフィールドノート社という出版社を立ち上げ、雑誌『静岡アウトドアガイド』を発刊する新進気鋭の編集者でした。同誌で地酒の連載を打診され、来るべきものが来た!と身震いしたのを覚えています。
考えてみるとアウトドア情報誌で畑違いの、しかもあまりよく知られていない静岡の酒を無名のライターに書かせるというのは、海野さんにとってはリスクがあったに違いありません。私にしても、書店に並ぶ雑誌に書く初めて署名連載記事。当然、酒の関係者からも鵜の目鷹の目で視られるに違いありません。・・・そんなことはおかまいなしに突進した当時を振り返ると、海野さんも私も本当に若かったんだなあと思います。
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『静岡アウトドアガイド』は、『K-MIXアウティングマガジン』『静岡あるく』等とタイトルを変え、年3~4回のスパンで発行され、私の連載〈静岡の地酒を楽しむ〉は、1995年春発行号から、つごう19回掲載されました。
1996年6月発行の『K-MIXアウティングマガジン』で紹介したのは、JR菊川駅前にある森本酒造。代表商品は〈小夜衣〉という酒銘です。本文はこちらのウエブに再掲しています。

1996年6月発行の「K-MIXアウティングマガジン」表紙
小夜の中山夜泣き石伝説にちなんだエレガントな銘柄ですが、蔵元の森本均さんは野武士のような風貌。トレードマークの髭と鋭い眼と歯に衣着せぬ毒舌の持ち主。取材しようにもフレンドリーに何でも話してくれるというタイプではないので、こりゃしっかり酒のことを勉強しないと相手にしてもらえないな、と緊張して臨んだものです。

静岡県清酒鑑評会審査員を務める森本さん
こちらは毎日新聞に酒の連載をしていたときに描いた森本さんのイラスト。ご本人は勝手にデフォルメされてオカンムリ?でしたが、後々、酒瓶ラベルにちゃっかり採用してました(笑)。
毎日新聞「しずおか酒と人」に掲載した森本さんのイラストと、
森本さんの顔イラストの酒(画/鈴木真弓)
それはさておき、森本さんは県内の蔵元の中でも群を抜く唎き酒能力を持ち、静岡県清酒鑑評会という新酒の品質コンテストの審査員を長年務めています。「森本さんに褒められると自信が付く」という若い蔵元もいるほど。取材当時、森本酒造では杜氏や蔵人を雇っていましたが、今は森本さんが一人で造っています。同業者からも尊敬される力量の蔵元が、個人の理想の酒を思い通りに造るようになったわけで、小夜衣の製造元というよりも、“森本均の地酒工房”と呼んだほうがいいかもしれません。海野さんが個人で理想の雑誌を作ろうとフィールドノート社を立ち上げた頃のモチベーションに通じるかもしれませんね。
海野さんの雑誌で森本さんのことを紹介してから3年後の1999年6月、私が主宰するしずおか地酒研究会で、森本酒造見学と海野さんのトークをコラボさせた『しずおか地酒サロン~しずおかの酒・味・余暇の伝え方』を開催しました。記録をちゃんと取っておかなかったので、森本さんと海野さんがどんなトークセッションをしたのか分からないのですが、写真を見る限り、26名の参加者が相応に楽しんでくれたようです。海野さん(中央)も私も(前列左端)も、そして森本さんも(海野さん右隣)も若いエネルギーが有り余っているのかパッツンパッツンしています(笑)。

1999年6月開催のしずおか地酒サロン
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2012年暮れに森本酒造を訪ねたとき、〈小夜衣〉の商品ラインナップがさらに増え、ユニークな銘柄が増えていたのに驚きました。
〈速廃・速醸やめてみた〉とは、乳酸菌を使って短期間に酒母を造る速醸という今の作り方をやめて、乳酸を自然発酵させる昔ながらの作り方にした、という意味。〈火の用心〉は燗酒用に。〈絶対生厳守〉は、しぼりたて生原酒は要冷蔵でという意味。〈もったいない卸し〉とは、冬~春仕込んでひと夏熟成させ、秋に涼しくなってから出荷する“ひやおろし”というタイプの商品。もったいぶってやっと出荷したという意味なのか、売るのがもったいないくらいの自信作なのか、いろいろ想像させてくれます。
発酵飲料である日本酒は、米と水というシンプルな原料ながら実に多様な表情を持ち、出荷時期や保存状態によって味わいが微妙に変化します。狙った酒質の旬を逃さず、タイムリーなタイトルでその魅力を伝える。これは、森本さんのような個人酒造家ならではの、小回りの良さを効かせたスマートな戦術といえます。しかもネーミングのセンスの良さは、向田邦子の“眠る盃”に匹敵するほど。野武士のように見えても繊細な感性の持ち主なんですね。ちなみに私が現在制作中のドキュメンタリー映画『吟醸王国しずおか』のタイトル文字は森本さんの直筆です(映画の話は追々させていただきます)。
〈小夜衣〉のファンは、そんな森本均という酒造家の妖しい魅力に惹かれ、旬の酒を逃すまいとヘビーローテーションするそうです。こうして海野さんの掌で酒の連載を再開できる幸運に、まずは、その“妖しい一杯”で感謝の念を捧げようと思います。・・・くれぐれも眠らされぬよう用心しなければ。
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Posted by 日刊いーしず at 12:30