2014年10月24日
第30回 マッサンと酒造り唄
今秋から始まったNHKの朝ドラ【マッサン】。ニッカウヰスキーの創業者竹鶴政孝とリタ夫人をモデルに、夫婦善哉とプロジェクトXを融合させたようなお話で、毎日楽しみに観ています。折々に歌がバックボーンになっているようで、日本でもおなじみのスコットランド民謡「蛍の光」や「埴生の宿」、当時の流行歌「ゴンドラの唄」などが効果的に使われていますね。
私がビビッときたのはマッサンの実家の造り酒屋が舞台となった第一週で、杜氏や蔵人が酛摺り唄(もとすりうた)を歌っていた酒の仕込みシーンでした。
酛摺り唄というのは、酛=酒母を造るときの、作業のリズム、時間間隔、はたまた蔵人同士の“気合注入”を兼ねた作業唄。お百姓さんの「田植え唄」「籾摺り唄」、木こりさんの「木挽き唄」、漁師さんの「櫓漕ぎ唄」と同じです。
私は制作中の地酒ドキュメンタリー【吟醸王国しずおか】のパイロット版で、冒頭に、磯自慢酒造の杜氏・多田信男さんが歌った南部杜氏の酛摺り唄(酛搗き唄)を挿入しました。
ヤーアレとーろりナンセーエエ エーエエとーろりとーヤーエ
ハーヨイトコリャ サッサ 出た声なれば
ヤーアレとー 声を ナンセーエエ えーええとられた ヤーエ
ハーヨイトコリャ サッサ 川風に
揃た 揃たと 仲搗き揃うた 秋の出穂より なおそろた
<出典「日本の酒造り唄」 版田美枝著 チクマ秀版社>
マッサンの実家は広島の竹原ですから、ドラマで使われた酛摺り唄は竹原杜氏の唄だと思います。竹原杜氏組合はその後、西条杜氏組合と合併し「広島杜氏」となりました。版田美枝さんの「日本の酒造り唄」に紹介されている広島杜氏の唄は、歌詞から想像しておそらく旧西条杜氏のものではないかと思いますが、紹介しておくと―
ハァー 安芸のー ヨーホイ ヨーヨイ 宮島の ヨーホイ
ヨイヤナ ヨイヤナ 廻れば ヤレ 七里 ヨーホイ
ハアー 浦ーヨーヨイ ヨーヨイ 七里の ヨーホイ
ヤレ 七恵比寿 ヤレサノセイ ショウガエー
活字で読もうとするとピンときませんが、桶の中に櫂を入れる蔵人さんたちが、歌いながらリズムと時間を計っている光景を想像してみてください。歌詞をみるだけでも、南部(岩手)と広島、杜氏流派によって造り方が違うんだと判ります。とりわけ、酛(酒母)という酒造りの中でも要の作業で歌われる唄ですから、唄が違えば酒が違うのも道理だ、と思えるのです。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
酛(酒母)造りとは、密室でもなくタンクに蓋もかぶせない完全開放状態の仕込み蔵で、雑菌の繁殖を防ぎ、優良酵母を安定的に醗酵させるために欠かせない「乳酸」を造る作業です。酵母を正しく働かせるために、小さいタンクから大きなタンクへと少しずつ“拡大培養”させるのですが、最終的に1本のタンクのもろみに使われる米の約7%の蒸米&麹米で酵母を培養させます。文字通り酒の母となる最初の小仕込みで、ここでしっかり「乳酸」を造らなければなりません。
乳酸を造る方法は、現代では既成の乳酸菌を添加する「速醸酛」が主流ですが、鎌倉~南北朝時代は「水酛(菩提酛)」という造り方。米を水に漬けて、別に10分の1の米を飯に炊いてザルor木綿袋に入れ、一緒に米に漬ける。3~6日経つと浸漬水に乳酸菌が繁殖して酸っぱくなるので、この水を仕込み水として前述の米を蒸し、麹とともに仕込んだ。これが「生酛(きもと)」の原型とも言われています。
生酛造りを簡単に紹介すると、半切り桶に蒸米、米麹、水を仕込む。米が水を吸ったところで、蔵人が櫂をそろえて米をすり潰す。このとき歌うのが「酛摺り唄」です。
櫂入れ作業は非常に面倒なもので、仕込み後9~11時間で最初の荒櫂(半切り1枚あたり3人で10分間)を入れ、その5時間後に2番櫂(3人で10分)、さらに3時間後に3番櫂(2人で10分)を入れる。寒い冬場に真夜中や早朝にかけ、多くの労力を要する過酷な作業で「山卸し」とも呼ばれていました。
20日くらい置くと甘くなるので、壺代と呼ばれる酛桶に移し、暖気樽(湯たんぽ)を使って少しずつ温度を上げる。この間に乳酸菌が生成されます。ちなみに後に発明された「山廃酛」とは、山卸し作業を廃止した、という意味ですね。
写真は【吟醸王国しずおか】で撮影した杉錦の生酛造りの光景。蔵元杜氏の杉井均乃介さんです。ちなみに唄は歌っていませんでした(笑)。
マッサンの主人公は、新しい酒造りに挑戦していきます。彼の場合は日本酒から離れてしまいますが、日本酒造りの中でも技術革新は繰り返されてきました。酛造りの変遷はその典型でしょう。
乳酸菌を添加するだけの「速醸酛」全盛の今、杉井さんのように、あえて「菩提酛」「生酛」「山廃酛」を復活させる蔵元も出てきました。これは単なる回顧主義というよりも、革新の原点を識ることで、新しい酒造りのヒントにしようとする酒造家のDNAの成せる技かもしれません。
1000年以上も前の技術を復活させ、大衆商品化できるなんて、他の産業ではなかなか出来ないことです。自信をもって、大いに頑張ってほしいと思います。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
≪ お知らせ ≫
しずおか地酒研究会では10月31日・11月1日・2日に両替町通りハロウィンパレードに参加するコミュニティカフェ「くれば」と共同で試飲イベントを開催します。大道芸やハロウィンパレード見物のついでに、ぜひお立ち寄りくださいませ!
しずおか地酒サロン飛び入り企画
両替町通りハロウィンパレード参加店「くれば」主催
地酒deハロウィン のみにくれば
◆料金 お一人 1000円 (地酒2種、酒肴3種セット)
【吟醸王国しずおかパイロット版】随時上映
◆日時 2014年10月31日(金)、11月1日(土)、2日(日) 18:00~21:00
予約は要りません。時間内に自由にお越しください。
◆場所 シニアライフ支援センターくれば
静岡市葵区両替町2-3-6(両替町通り大原ビル) TEL 054-252-8018
>クリックすると地図ページが開きます
◆主催 NPO法人静岡団塊創業塾 管理運営「シニアライフ支援センターくれば」
◆協力 しずおか地酒研究会
私がビビッときたのはマッサンの実家の造り酒屋が舞台となった第一週で、杜氏や蔵人が酛摺り唄(もとすりうた)を歌っていた酒の仕込みシーンでした。
酛摺り唄というのは、酛=酒母を造るときの、作業のリズム、時間間隔、はたまた蔵人同士の“気合注入”を兼ねた作業唄。お百姓さんの「田植え唄」「籾摺り唄」、木こりさんの「木挽き唄」、漁師さんの「櫓漕ぎ唄」と同じです。
私は制作中の地酒ドキュメンタリー【吟醸王国しずおか】のパイロット版で、冒頭に、磯自慢酒造の杜氏・多田信男さんが歌った南部杜氏の酛摺り唄(酛搗き唄)を挿入しました。
ヤーアレとーろりナンセーエエ エーエエとーろりとーヤーエ
ハーヨイトコリャ サッサ 出た声なれば
ヤーアレとー 声を ナンセーエエ えーええとられた ヤーエ
ハーヨイトコリャ サッサ 川風に
揃た 揃たと 仲搗き揃うた 秋の出穂より なおそろた
<出典「日本の酒造り唄」 版田美枝著 チクマ秀版社>
マッサンの実家は広島の竹原ですから、ドラマで使われた酛摺り唄は竹原杜氏の唄だと思います。竹原杜氏組合はその後、西条杜氏組合と合併し「広島杜氏」となりました。版田美枝さんの「日本の酒造り唄」に紹介されている広島杜氏の唄は、歌詞から想像しておそらく旧西条杜氏のものではないかと思いますが、紹介しておくと―
ハァー 安芸のー ヨーホイ ヨーヨイ 宮島の ヨーホイ
ヨイヤナ ヨイヤナ 廻れば ヤレ 七里 ヨーホイ
ハアー 浦ーヨーヨイ ヨーヨイ 七里の ヨーホイ
ヤレ 七恵比寿 ヤレサノセイ ショウガエー
活字で読もうとするとピンときませんが、桶の中に櫂を入れる蔵人さんたちが、歌いながらリズムと時間を計っている光景を想像してみてください。歌詞をみるだけでも、南部(岩手)と広島、杜氏流派によって造り方が違うんだと判ります。とりわけ、酛(酒母)という酒造りの中でも要の作業で歌われる唄ですから、唄が違えば酒が違うのも道理だ、と思えるのです。
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酛(酒母)造りとは、密室でもなくタンクに蓋もかぶせない完全開放状態の仕込み蔵で、雑菌の繁殖を防ぎ、優良酵母を安定的に醗酵させるために欠かせない「乳酸」を造る作業です。酵母を正しく働かせるために、小さいタンクから大きなタンクへと少しずつ“拡大培養”させるのですが、最終的に1本のタンクのもろみに使われる米の約7%の蒸米&麹米で酵母を培養させます。文字通り酒の母となる最初の小仕込みで、ここでしっかり「乳酸」を造らなければなりません。
乳酸を造る方法は、現代では既成の乳酸菌を添加する「速醸酛」が主流ですが、鎌倉~南北朝時代は「水酛(菩提酛)」という造り方。米を水に漬けて、別に10分の1の米を飯に炊いてザルor木綿袋に入れ、一緒に米に漬ける。3~6日経つと浸漬水に乳酸菌が繁殖して酸っぱくなるので、この水を仕込み水として前述の米を蒸し、麹とともに仕込んだ。これが「生酛(きもと)」の原型とも言われています。
生酛造りを簡単に紹介すると、半切り桶に蒸米、米麹、水を仕込む。米が水を吸ったところで、蔵人が櫂をそろえて米をすり潰す。このとき歌うのが「酛摺り唄」です。
櫂入れ作業は非常に面倒なもので、仕込み後9~11時間で最初の荒櫂(半切り1枚あたり3人で10分間)を入れ、その5時間後に2番櫂(3人で10分)、さらに3時間後に3番櫂(2人で10分)を入れる。寒い冬場に真夜中や早朝にかけ、多くの労力を要する過酷な作業で「山卸し」とも呼ばれていました。
20日くらい置くと甘くなるので、壺代と呼ばれる酛桶に移し、暖気樽(湯たんぽ)を使って少しずつ温度を上げる。この間に乳酸菌が生成されます。ちなみに後に発明された「山廃酛」とは、山卸し作業を廃止した、という意味ですね。
写真は【吟醸王国しずおか】で撮影した杉錦の生酛造りの光景。蔵元杜氏の杉井均乃介さんです。ちなみに唄は歌っていませんでした(笑)。
マッサンの主人公は、新しい酒造りに挑戦していきます。彼の場合は日本酒から離れてしまいますが、日本酒造りの中でも技術革新は繰り返されてきました。酛造りの変遷はその典型でしょう。
乳酸菌を添加するだけの「速醸酛」全盛の今、杉井さんのように、あえて「菩提酛」「生酛」「山廃酛」を復活させる蔵元も出てきました。これは単なる回顧主義というよりも、革新の原点を識ることで、新しい酒造りのヒントにしようとする酒造家のDNAの成せる技かもしれません。
1000年以上も前の技術を復活させ、大衆商品化できるなんて、他の産業ではなかなか出来ないことです。自信をもって、大いに頑張ってほしいと思います。
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≪ お知らせ ≫
しずおか地酒研究会では10月31日・11月1日・2日に両替町通りハロウィンパレードに参加するコミュニティカフェ「くれば」と共同で試飲イベントを開催します。大道芸やハロウィンパレード見物のついでに、ぜひお立ち寄りくださいませ!
しずおか地酒サロン飛び入り企画
両替町通りハロウィンパレード参加店「くれば」主催
地酒deハロウィン のみにくれば
◆料金 お一人 1000円 (地酒2種、酒肴3種セット)
【吟醸王国しずおかパイロット版】随時上映
◆日時 2014年10月31日(金)、11月1日(土)、2日(日) 18:00~21:00
予約は要りません。時間内に自由にお越しください。
◆場所 シニアライフ支援センターくれば
静岡市葵区両替町2-3-6(両替町通り大原ビル) TEL 054-252-8018
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◆主催 NPO法人静岡団塊創業塾 管理運営「シニアライフ支援センターくれば」
◆協力 しずおか地酒研究会
Posted by 日刊いーしず at 12:00
2014年09月12日
第29回 静岡県地酒まつりの対話
2013年10月1日の静岡県地酒まつり(ホテルセンチュリー静岡)
毎年10月1日(日本酒の日)には、静岡酒ファンが待ちに待った【静岡県地酒まつり(県酒造組合主催)】が開かれます。例年、会場は県東部・中部・西部と持ち回りで移動し、今年は西部、JR浜松駅に隣接したオークラアクトシティホテル浜松で18時からの開宴。組合加盟の蔵元の大半が参加しますので、いろんな銘柄を一度に飲み比べできる貴重なチャンスです。2500円という料金もお手頃。チケットはeプラスで購入できますのでふるってご参加ください。
◆詳しくは県酒造組合のこちらのページを。
http://www.shizuoka-sake.jp/topics/zizakematsuri2014_s.html
静岡県酒造組合が10月1日に開催する静岡県地酒まつりは昭和62年(1987)に始まりました。私が取材先の店で偶然、静岡酒に出会い、それまで抱いていた日本酒のイメージをくつがえされたのが、まさにこの年の夏でした。
絵に描いたようなグッドタイミングだったにもかかわらず、残念ながら静岡市で開かれた記念すべき第1回の地酒まつり(駅コンコースでの物産展的な試飲会だったそう)は逃してしまい、第2回(浜松)、第3回(富士)はタイミングが合わず、初めて参加したのは平成2年(1990)の第4回。当時の静岡ターミナルホテル(現・ホテルアソシア静岡)の一番広い「駿府の間」での開催でした。ホテルの大宴会場での試飲会というのも初めてだったので、緊張の面持ちで各ブースを回ったことを覚えています。
今でも忘れられないのは、とにかく女性が少なく、いたとしても夫婦で参加した業界関係者や料亭の女将さんという感じの人がほとんど。大半を占めた男性も背広を来た人ばかりで、会場全体が“黒かった”ということでした。
乾杯の発声の後、参加者のほとんどは料理バイキングに殺到し、主役の蔵元ブースに集まるのは酒販店の営業マンとおぼしき人々。業界の肩書きを持たない小娘が一人、彼らをおしのけて試飲して回るのは、異様な光景に見えたかもしれませんが(苦笑)、「きき酒を勉強に来たんだ!」と自分を奮い立たせ、終始緊張しながら試飲したと記憶しています。
草創期の地酒まつりが“業界関係者の情報交換の場”という性格だったことは致し方ないとして、回が進むにつれ、純粋な地酒ファンが増えてきて、モノトーンに思えた会場は次第に色華やかになっていきました。組合のほうも女性や若者など新しい客層を広げようと、途中から酒も料理もゆったり楽しめる着席スタイルにしたり、初心者が気軽に参加できるように低価格&立食スタイルに変えたりと試行錯誤を重ねてきました。情報発信の対象は、売り手から飲み手へとあきらかに広がったわけです。
業界の肩書きを持たない小娘だった私もすっかり図太くなって(笑)、運営サポーターとしてチケット販売等に協力させていただいたり、試飲のお手伝いをしたことも。燗酒ブースでの楽しい思い出については、第8回「美酒の記憶」(こちら)をぜひご覧ください。
1998年からは【静岡県地酒まつりIN東京】がスタートしました。ここ数年、9月第一日曜日開催で定着し、今年も9月7日に一ツ橋如水会館に600人が集まり、大盛況だったようです。
2007年、東京国際フォーラムに1300人集めた静岡県地酒まつりIN東京10周年
98年10月19日に開かれた第1回目は、恵比寿のウエスティンホテル東京の小宴会場でのこじんまりした試飲会でした。このとき参加したのは静岡県酒造組合静酉会(若手経営者の会)の会員12醸(高砂、富士錦、正雪、初亀、磯自慢、杉錦、士魂、喜久醉、開運、千寿、出世城、花の舞)。静岡県東京事務所が県産品振興策の一環として呼びかけて急きょ実現したもので、告知期間はひと月足らず、平日の午後という時間帯でしたが、首都圏の静岡酒ファンや酒販業者約100人が来場し、秋本番、旨味の増した名酒の数々を堪能しました。私はこのとき、発行間もない静岡新聞社刊『地酒をもう一杯』の展示即売ブースを設けていただき、編集者の平野斗紀子さんと一緒に参加しました。
プロの商売人や評論家はそれなりに厳しく吟味していたようですが、会社を休んでまで来たという一般消費者の中には、「新潟の酒はただ飲みやすいが、静岡の酒は飲みやすくて旨味もある」「こんなにレベルの高い酒を一度に味わえるなんて幸せ」という人や、「本当にいい酒が判る奴なら静岡の酒は見逃さない」と“自画自賛”する人も。12醸というコンパクトな数が功を奏したのか、当時、まだ首都圏ではなじみの薄かった県内銘柄にも分け隔てなく人が集まり、あちこちで対話の輪が広がっていました。
東京は単に市場が大きいということだけでなく、情報過多の波をくぐり抜けて明確な自己基準を持つ売り手・飲み手がいて、眼(舌)の肥えた彼らの声は造り手に刺激を与えます。「対話」の中から造り手が得るものは大きい、としみじみ実感しました。
第2回、第3回はウエスティンホテル東京の大宴会場で200人規模の着席パーティーとなり、作家の村松友視さん等、静岡県ゆかりの著名人も来賓として参加されました。
4回目以降は、全国の酒造関係者がよく使うという一ツ橋如水会館で400~500人の立食パーティーとなり、10回記念の2007年には東京国際フォーラムに1300人が集まりました。単県が首都圏で主催する地酒イベントとしては、おそらく最大級の規模だったでしょう。会場のあちこちで「静岡県はすごい」と感嘆の声を聞きました。08年にふたたび如水会館に戻った時は、前年の影響で参加者が一段と増え、スシ詰め状態。翌年から品川プリンスホテル大宴会場に移し、ここ数年は如水会館に戻っているようです。
私は2回目以降、マスコミ招待者リストを提供したり、当日は司会進行役で現場をサポートするなど毎回参加し、造り手と飲み手の対話が年々深まっていく様子を見続けてきました。
静岡では着席スタイルだった2007年
県内での静岡県地酒まつりが着席から立食に切り替わった年、会場内で少なからずトラブルが生じ、その年の実行委員会に対して不信感を持ち、後日、事の顛末を個人ブログでぶちまけてしまいました。真摯に受け止めてくれた蔵元もいましたが、組合理事会の反感を買い、その後の取材活動や映像制作にも少なからず影響を落とすことに・・・。ブログでぶちまける前に相手側ときちんと対話すべきでした。
一方的にカーッとなって書きなぐったブログは、今思い返すと実に大人げなく、ネット記事の影響力にも配慮を欠くもの。ただただ猛省するばかりです。初めて地酒まつりに参加したとき、慣れない宴会場を一人、「勉強しよう」と緊張しながら回った初心の自分を思い出しながら、今年の10月1日は、造り手や飲み手のみなさんと心して対話したいと思っています。
初めて参加する人にとって、地酒まつりのような呑み放題のイベントでは雰囲気に流されてしまい、ついつい飲み過ぎてしまうかもしれません。静岡の酒は飲み口がきれいですから、なおさら“用心”が必要です。ペットボトルのミネラルウォーターを携帯するなどして、摂取した酒量の2倍の水を摂るようおすすめします。
きき酒に特別な作法などはありませんが、たとえば今まで飲んだことのない銘柄から飲んでみるとか、蔵元にイチオシを訊いて飲むとか、何か一つ、自分なりのルールを決めて回ることをおすすめします。
そして何より、おしゃべりを楽しむこと。私は仕事柄、いろいろな農産品・加工食品・飲料品等の展示会に行きますが、一般消費者向けの展示会で、同地域の同一業界の競合他社同士がほとんど顔をそろえるという会はめったにありません。この機を逃さず、参加した全ての蔵元の声をしっかりキャッチしてみてください。
酒を造っている人を知ると、自分の好みの酒(=蔵元)が自然に解ってきます。好みの酒、思い入れが持てる酒が1つでも2つでも見つかれば、ふだんのノミニケーションもきっと充実してくるはずです。平日夜の浜松開催ということで都合がつかない人もいらっしゃるかもしれませんが、参加予定の方は鈴木を見かけたら遠慮なくお声かけくださいね!
Posted by 日刊いーしず at 12:00
2014年08月15日
第28回 酒とうつわ
「今宵堂」の貧乏徳利
暑い季節に日本酒を呑んでもらおうと、酒造メーカーや飲食店ではカクテルやサワー風にアレンジした日本酒レシピをさかんにPRしています。私も一年前の記事(「柳陰と日本酒カクテル」)でいろいろと紹介させていただきました。
そうはいっても、せっかく蔵元さんが丹精込めて醸した酒。できることなら造り手が目指した酒質をそのまま素直に味わって感動したい・・・美味しい酒に出合うたびにそう思うのも正直なところ。ならば、アレンジするのはこれだ!ということで、今回は酒器のお話をしようと思います。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
先月、東京国立博物館で開催中の台湾国立故宮博物院展を観に行き、面白い酒器に出合いました。中国大陸で今から3000年以上前、殷~西周の時代に作られた『亜醜方尊(あしゅうほうそん)』。
『尊』とは酒を盛る容器のことで、古代の祭礼に使われていた器物でした。専門家の解説によると、殷の青銅器は神人共棲(しんじんきょうせい=人間が神に近づこうとした)の社会を表現するもので、しかも殷時代の青銅器のほとんどは酒器だったそうです。
時代が進み、前漢時代に作られたのが『龍文玉角盃』。玉を細長く動物の牙に見立て、龍や雲の文様をほどこしたもので、神や仙人が住まう雲海の彼方を憧憬した当時の人々の思念を象徴しているのでしょう。
*亜醜方尊 http://www.npm.gov.tw/ja/Article.aspx?sNo=04001148
*龍文玉角盃 http://www.npm.gov.tw/ja/Article.aspx?sNo=04001072
美しさに感動したのは、中国陶磁器が芸術として華開いた北宋時代(11~12世紀)の『青磁輪花碗』。北宋の宮廷が造ったいわば国立の青磁窯・汝窯(かんよう)の傑作で、酒器を温めるために使われていたそうです。以前、台湾旅行をしたときに故宮博の汝窯コレクションに釘付けになったのですが、この花碗が酒器のための碗だったとは今回初めて気づきました。
*青磁輪花碗 http://www.npm.gov.tw/ja/Article.aspx?sNo=04001032
こうしてみると、つくづくお酒とは、人が神と向き合うときに必要不可欠な存在で、酒のうつわも聖なる存在だったと解ります。単なる生活容器ではなく、文明や民族の成り立ちや国家の威信といったドラスティックなステージで象徴となり得たんですね。
日本陶磁史研究家・荒川正明氏の著書『やきものの見方』(角川選書)の序文に、印象的な一文を見つけました。
「やきものをつくること、それは人類が初めて化学変化を応用して達成したもの。土や泥や石のような見栄えのしない原料が、炎の働きによって、人工の宝石ともいうべき、輝くばかりの光を放つ美しいうつわに生まれ変わるのである」
日本酒も同じかもしれません。もちろん、原料の米はけっして“見栄えのしない”シロモノではありませんが、日本人は米を有効活用する手段として、微生物醗酵の働きによってアルコールを生み出したのです。
酒とうつわとが、ともに神と人間の仲介役を担い続けてきた“同志”だと考えれば、酒造家と陶芸家はもっと近しい関係であってほしい・・・。故宮の神品を眺めながら、つらつら思いました。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
故宮博を観た後、酒器について書こうと思い立って、2組の陶芸家夫婦を訪ねました。
ひと組は伊豆の国市で【無畏庵(むいあん)】というしつらえ懐石の庵を営む安陪均さん絹子さん夫妻。均さんは伊豆の国市三福にある曹洞宗の古刹・中尾山福嚴院に生まれ、戦中、同院に疎開していた澤木興道老師の受戒で在家得度。老師を慕って参禅した松永安左エ門(電力王として知られた大物財界人)茶の湯の弟子となり、古美術収集家として名高い安左エ門から薫陶を受けました。大阪吉兆で8年、懐石料理を学び、出張料理人として活躍した後、実家の福嚴院に登り窯を築いてやきものを始めたという出色キャリアの持ち主です。
妻の絹子さんは静岡県の女性で初めて酒匠(日本酒ソムリエ)の資格を取得したきき酒達人。沼津で【一時来(ひととき)】という地酒バーを経営されていました。お二人は10年前に出会って結婚。福嚴院には懐石料理でもてなす茅葺の母屋、均さんの作品ギャラリーを兼ねた座禅堂、そして登り窯が併設され、絹子さんの“妹分”である私は、四季折々に酒を持参し“姉さんの嫁ぎ先”に遊びに行く、そんな関係です。
安陪均さんのギャラリー
さすが陶芸家と酒匠の“最強の二人”、こちらがお願いするまでもなく、古伊万里、マイセン、オールドノリタケ等、博物館級のアンティークに地酒を注いだり、自園の畑からもぎたての枝豆、もろこし、キュウリ、水なす、おくら、万願寺とうがらしをポンと盛り付けてくれました。
みずみずしい夏野菜や地酒の美味しさは器とは直接関係ないとはいえ、やはり何ともいえないご馳走気分を満喫できます。お2人のコレクションには17~19世紀のヨーロッパ古陶器やガラスアートも多く、とくに古伊万里の影響を受けたという1780年作マイセンの和柄デザインに目を惹かれました。
18世紀の和柄マイセン
私は夏らしい団扇をあしらった江戸後期の蕎麦猪口で、持参した磯自慢特別純米をどばっクイッ。絹子さんから「磁器は温度が変わりやすいから、なるべく小ぶりのお猪口がベター。大ぶりの器なら少量注ぐ。なみなみ注いじゃダメ」と注意されちゃいました(笑)。
安陪均さんの作品は、伊賀や信楽の土を使った重厚感ある焼きしめがメイン。絹子さん曰く「焼きしめの器は酒の温度を変えない。冷酒はいつまでも冷たく、燗酒はいつまでも温かい。焼きしめの花器に花をいけると、1週間ぐらい水を変えなくても大丈夫」とのこと。化学構造的なことはよくわかりませんが、厚みのある土ものは、断熱効果があるんでしょうね。逆に薄い磁器は熱伝導率が高いから、持ち手の体温が伝わり易いのでしょう。
古伊万里の碗に涼しげに乗せた安陪さんの焼きしめ徳利
一般に、薄い磁器には淡麗辛口の吟醸酒、焼きしめには濃醇旨口の純米酒が合うといわれますが、均さんご本人は、気に入ったものを好きに使って呑めばいいんだよ~とニコニコ顔。どのうつわで呑むのか観察していたら、「やっぱり米の酒には土ものの器が合うんだよねえ、同じ大地の恵だもんねえ」とひと言。日本の酒とうつわが“同志”であることを、皮膚感覚で理解されているんだなあと嬉しくなりました。
*しつらえ懐石 無畏庵
伊豆の国市三福743 TEL/FAX 0558-76-2851 (要予約)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
無畏庵を訪ねた2日後、静岡用宗のギャラリー文夢で開催していた【今宵堂の酒器展~登って十合、呑んで一升】という展示会に行きました。
酒器今宵堂というのは京都在住の若き陶芸家・上原連さん梨恵さん夫妻の町家窯。ギャラリー文夢のオーナー西野文雄さんが偶然、料理雑誌で知り、京都まで出向いて出展オファーされたそうで、静岡では今年で4回目の開催。私は3年前に静岡の飲食店で開かれた震災復興チャリティー酒宴で知己を得て、その後、京都の工房におじゃまし、時代劇に出てきそうな貧乏徳利を見つけて大はしゃぎしちゃいました。酒器専門の陶芸作家というのは貴重な存在で、蔵元や飲食店がオリジナル酒器を依頼することも多いそうです。
上原夫妻は全国各地で個展を開く際、その土地の名物や食文化を丁寧に調べ上げ、作品を創り上げます。静岡ではこれまで「東海道五十三次」「B級グルメ」「港まちにちなんだ白い器」をテーマにし、今回はずばり富士山。シンプルな富士山形状のぐい飲みから、かぐや姫伝説の竹、雪解けの山肌に現れる鳥の模様をイメージした肴皿、高台に熊よけの鈴が付いた酒盃など見ているだけでも楽しくなるものばかりで、西野さんも「こんなに遊び心がある作家は珍しい」と目を細めます。
今宵堂の富士山酒器
熊よけ鈴が付いた遊び心一杯の酒盃
今宵堂の作品からは、その土地の地域性を伝える地酒と、同じモチベーションを感じます。また、さまざまな酒造方法に挑戦し、ユニークな酒を醸そうとする新世代の酒造家たちを思い浮かべます。こういう“同志”たちの存在は、間違いなく酒の未来に希望を感じさせてくれますね。
*酒器今宵堂 http://www.koyoido.com/
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
最近、日本酒の世界では、ワイングラスやカクテルグラスを使うのがトレンドのようで、ワイングラスで美味しい日本酒を表彰するコンテストもあります。日本酒の魅力を、いわゆる未開拓層である若者・女性・外国人等に発信するのに有効な手段とされていますが、せっかくなら日本のやきものの価値にも目を向けてほしいと思います。やきもののほうが日本酒よりも先にヨーロッパで評価されたのですから、その実績を活かさない手はないでしょう。
今、鑑評会やきき酒イベントで使われているのは、使い捨てのプラスチックカップかワンパターンの酒器グラス。これもそろそろ改善してほしいですね。MYぐいのみ持参とか酒盃デポジット(酒盃代を預け、後で返金してもらう)とか、地酒まつりと陶器市を同時開催するとか、いろいろとアイディアはあろうかと思います。ぜひご一考くださいませ!
Posted by 日刊いーしず at 12:00
2014年07月18日
第27回 日本酒のグローバリゼーション
サンタフェ・サケの蔵元杜氏ジェフと
2年前の2012年の夏、アメリカ中西部を旅行したとき、サンタフェの日本料理店で日本人店主の娘婿(アメリカ人)が店の倉庫で日本酒を造っている現場を見せてもらいました。倉庫に備え付けた小さなキッチンで厨房機器を用い、日本から取り寄せた麹と地元ビール工場から入手したビール酵母で醸す、常識破りの酒造りながら、私のような者にも製造の悩みを真剣に問いかけるアメリカ人蔵元に新鮮な感動を覚えました。
よかったら当時のブログを参照してください。
◆ブログ『杯が乾くまで』アメリカ西部モーターハウス旅行10~サンタフェ・サケ
去る2014年4月23日、東京の自由民主党本部で開かれた『國酒を愛する議員の会』という議員連盟の総会を取材する機会に恵まれました。國酒に関する政府の取り組みという議事のもと、国土交通省担当者からは、平成25年10月から平成26年3月までの6ヶ月間、成田・羽田・中部・関西の国際空港で開催した【ニッポンを飲もう!日本の酒キャンペーン】の事業報告がありました。
このキャンペーンは国・酒造業界・空港会社が協働で行なった初の試みで、免税エリア内で日本酒と焼酎の試飲販売を行い、酒造りや飲み方のノウハウを指南。4空港でトータル8万人強の訪日外国人が参加し、トータル34,368本(80,935,262円)を売り上げたそうです。
参加した外国人からは「酒造りのノウハウをもっと学びたい」「海外でも販売してほしい」「徳利やお猪口のセットも販売してほしい」というコメントが寄せられ、アンケート調査では購入する酒の決め手となったのが<1>試飲(味)、<2>価格、<3>スタッフの勧めという結果。これは私が20数年前からしずおか地酒研究会の活動を通して、日本酒を初めて飲む若者や女性から得た反応とまったく同じです。自分の口に合って、ナットクする価格で、丁寧なセールストークがあれば消費者の心は動く、万国共通の反応なんですね。
国税庁からの説明では、在日外交官に対する日本酒セミナーや酒蔵ツアーの実施、在外公館へ赴任する大使スタッフを対象に行なう日本酒研修を支援しているとのこと。蔵元に対しては輸出セミナーを開催したりJETROと共同で輸出ハンドブックを作成するなど、輸出環境の整備に努めているようです。
ささやかながら、私も、しずおか地酒研究会の講師としてお世話になっている松崎晴雄さん(日本酒研究家・日本酒輸出協会理事長)にご協力いただき、平成12年には静岡市内で『しずおかの酒で国際交流』というサロンを開催し、蔵元持参の銘酒と市内農家のお母さんたちの手作り酒肴で市内在住の外国人のみなさんをもてなしました。平成21年にはグランシップで開催されたJALT(外国語教育者の全国大会)の交流会で地酒ブースを出展し、世界各国の教育者と静岡の造り手や売り手が大いに交流を図りました。
平成12年(2000年)に静岡市内で開催した地酒サロン「しずおかの酒で国際交流」
平成21年(2009)にグランシップで開催されたJALT試飲会
東京有楽町の外国特派員協会でも松崎さんのご尽力で静岡酒オンリーのイベントを開催したり、製作中の『吟醸王国しずおか』の映像試写会を開いていただいたことがあります。会場では外務省や内閣府職員、航空会社関係者とも名刺交換をし、静岡吟醸への賛辞をうかがいました。そのときは、「民間主催の静岡酒イベントに来るとは、かなりの酒通だなあ」「ふだんからいい酒を飲んでいる人には、静岡のよさが解るんだなあ」と感心しただけでしたが、その後、磯自慢が北海道洞爺湖サミット酒に選ばれたり、今のような取り組み状況を考えると、国の中枢にはこういう時代が来るのを見越して、静岡のような小さな産地のリサーチもしっかり行なう御仁がいたんだ・・・と解ります。
財務省貿易統計によると、平成25年度分の酒類輸出金額は過去最高の251億円。日本酒105億円。ビール54億円、ウイスキー39億円、リキュール25億円、焼酎その他蒸留酒20億円、ボトルワイン他が6億円という内訳です。
輸出先の上位10カ国は、<1>アメリカ <2>韓国 <3>台湾 <4>香港 <5>中国 <6>シンガポール <7>フランス <8>イギリス <9>ロシア <10>オーストラリア。すべて対前年同期比を上回っており、中でもロシア154.7%、フランス141.9%、イギリス141.5%と、ヨーロッパでの前年比増が注目されます。
日本酒の生産量は昭和48年度176万キロリットル(975万石)をピークに減少の一途をたどり、平成24年度は58万キロリットル(323万石)まで落ち込んでいます。縮小する国内市場でふんばるか、海外市場に新たな活路を見出すか、蔵元にとっては大きな選択ですね。これは日本酒に限った話ではないですが。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
5月に東広島市で開かれた酒類総合研究所講演会では、岩手の地酒【南部美人】の蔵元・久慈浩介さんが「世界は日本酒を待っている!~南部美人の海外戦略と世界の日本酒を取り巻く現状」と題してお話をされました。
【南部美人】は現在、世界25ヶ国を市場とする日本酒輸出トップランナー。海外市場を意識したきっかけは上記数字が示したとおり「国内市場が伸びる可能性は低い」「世界で日本の食文化が評価され始めている」「日本酒は世界中で日本にしかないオンリーワンのもの」との判断から。松崎晴雄さんが平成9年に設立した日本酒輸出協会に参加し、海外市場調査や在日外国人への普及啓蒙活動に力を入れてこられました。外国人に日本酒を受け入れてもらうには「最初に頭で理解していただき、次に舌で味わってもらう」のが肝要。日本酒に関する情報が少ない海外では、比較しやすいワインとの違いを知りたがる消費者が多いからだそうです。
最近では、ユダヤ教徒の食品品質基準『Kosher (コーシャ)』の認定を取得し、全米のユダヤ教徒120万人とユダヤ人550万人に日本酒の価値をアピール。原材料から製造過程までラビ(ユダヤ教指導者)によって厳しくチェックされるkosher は、「ヘルシー」や「オーガニック」の肩書きに満足しないアメリカ一般市民にも、食品選びの信頼できる目安になっているようです。
久慈さんは「欲しいと言っているお客さんは地元(国内)ばかりにいるとは限らない。とくに酒など伝統的な日本文化は、地方の小さな会社でも世界を相手に商売が可能。会社の大小ではなく、価値の大小を世界は見ている」と海外進出への気概を熱く語りました。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
サンタフェ・サケ
サンタフェで飲んだ【サンタフェ・サケ】は、レストラン併設の地ビール工房のように自家醸造の酒を貯蔵熟成せず、搾ったら瓶につめてそのまま店で飲ませるというスタイルでした。酒瓶は店で使用済みの瓶をリユース。偶然、静岡の『花の舞』の300ml瓶に詰められていたのに目がテン!になりました(笑)。
アメリカ人がアメリカで日本酒を造っていること自体、驚きでしたが、日本酒造りの固定観念に縛られず、手元にある機材とお取り寄せ素材で応用する大胆さに、時代の潮目を感じました。
「花の舞」の瓶に詰められたサンタフェ・サケ
久慈さんたちがホンモノの日本酒を世界に浸透させ、世界の人々が日本酒の味に目覚めた先には、必ず、「自分で造ってみたい」「飲み方をアレンジしたい」というコアなファンが生まれます。お鮨が各国の食材と融合し、日本人から見たら「なんじゃこれ?」と思うようなアレンジ鮨が生まれたり、イタリア人が和風きのこや明太子のスパゲティを「なんじゃこれ?」と思うのと、たぶん同じでしょう。
日本には本場イタリアで修業し、本格的なイタリアンを日本で普及させる優秀な料理人が大勢います。一方、外国人が日本で本格的に鮨や日本酒造りを修業したいと思っても、母国で経験実績のある専門料理人しか就労ビザがおりないというネックがあるそうです。
和食や日本酒の真のグローバリゼーションとは、その国で、その国の人々の手によってホンモノの味が供給され、定着することでしょう。今、ようやく普及のためのプロモーションに予算を掛け始めた政府が、将来を見据えてやるべき法整備はたくさんあるし、造り手や売り手が準備すべきこともたくさんある、と思います。
Posted by 日刊いーしず at 12:00
2014年06月13日
第26回 Jの指標
毎年5月下旬に広島県で開かれる全国新酒鑑評会。第9回「あまい金賞」(こちら)で紹介したとおり、昨年(2013年)は、静岡県は金賞ゼロという残念な結果でしたが、今年(2014年)は出品する蔵元さんたちが奮起し、金賞4、入賞2を獲得しました。鑑評会のレポートは以下をご参照ください。
◆杯が乾くまで
http://mayumi-s-jizake.blogzine.jp/blog/2014/06/25_7c7e.html
蔵元を囲んで理解を深める(しずおか地酒研究会の2014年4月サロンより)
鑑評会前日に東広島市内で開かれた酒類総合研究所講演会では、お酒と健康にまつわる興味深い研究発表がありました。
“酒は百薬の長、されど万病の元”と言いますが、室町時代には餅好きと酒好きが集まってディベートする「餅酒論(もちさけろん)」という知的な遊びがあり、酒好きが酒の効能を「酒の十徳」にまとめています。それによると、
一、 酒は独居の友となる
二、 労をいとう
三、 憂を忘れる
四、 鬱(うつ)をひらく
五、 気をめぐらす
六、 推参に便あり(土産などに持っていくと喜ばれる)
七、 百薬の長
八、 人と親しむ
九、 縁を結ぶ
十、 寒気の衣となる
私自身、七以外はすべて実体感していることで、前世で500年前の餅酒論に参加していたんじゃないかと思えるほどでした(笑)。
で、肝心の七「百薬の長」。
私の酒歴では、酒が薬の代わりになると感じた経験がまだありません。25年以上前ですが、最初に書いた酒のインタビュー記事が、断酒会会長と酒卸会社社長との対談で、酒は人格を破壊する麻薬の側面があり、適正飲酒の教育が必要だという話でした。その後、酒に関する文献を調べるときも、「百薬の長」よりもむしろ、「狂水(くるいみず)」「地獄湯(じごくとう)」「狂薬(きょうやく)」「万病源(まんびょうのもと)」等など、酒害を説いたキーワードが脳に焼き付いてしまっています。
もちろん、気心知れた仲間と飲んでいれば楽しいし、日頃の憂さは晴れるし、精神衛生上のメリットは十分感じるものの、酒を飲んで健康になった~!といえるほどの実感は持てません。やっぱり飲みすぎて二日酔いで酷い目にあったときのことを思い出すと後悔が先にたつし、それでも体調が戻ればまた飲みたくなる・・・なるほど麻薬のような中毒性のあるやっかいな存在です。
杜氏や酒米農家を囲んで理解を深める(しずおか地酒研究会の2014年4月サロンより)
そんなこんなで、今回の講演会プログラムにあった「少量飲酒の健康への影響(Jカーブ)」。酒類総合研究所の研究発表にしては珍しいテーマだし、個人的にもそそられる演題です。発表者は品質・安全性研究部門主任研究員の伊豆英恵さん。お若いリケジョです。講演中は撮影NGだったので、休憩時間にロビーで聴衆に囲まれていた伊豆さんを遠目からパチリ。女性が酒の研究論文発表の場で注目を集めているって、なんだか勝手に勇気付けられちゃいました(笑)。
それはさておき、内容はズバリ、“酒は百薬の長、されど万病の元”を生理学的に実証したものでした。
アルコール中毒は世界共通の問題として1980年代から疫学的=個人ではなく一定の地域の集団を対象に、病気の発生原因や変化を調査した研究が活発になり、「適量の飲酒は心臓病や糖尿病の予防効果がある」「適量飲酒する人のほうが、まったく飲まない人や大量に飲む人よりも死亡率が低い」と考えられるようになりました。日本酒の効能についても、
・他の酒類よりも2℃ほど体温が高い状態が長く続き、体内細胞の健全化させる
・血流をよくし、消化機能を高める
・筋肉のコリや冷え性を改善させる
・自律神経が安定する
・豊富なアミノ酸や糖類ががん細胞の萎縮・壊死に効果あり
・善玉コレステロールが増え、動脈硬化を防ぐ
・適量飲む人の心筋梗塞発生率は、飲まない人の3分の1
・血糖値を下げるインスリンに似た物質が含まれる
・麹から血圧を下げる物質が多量に生産される
等などの成果が報告されています。
ここで気になるのが「適量」です。上記のような能書きを見せられたら、日本酒ガンガン飲むぞー!!って息巻いてしまいそうですが、ポイントになるのが「J」です。
まったく飲まない人の死亡リスクを1とすると、一日適量まで飲む人はリスクマイナスになり、適量を超えるとリスクプラスになる。グラフにするとアルファベットの「J」のように見えることからそう呼ばれています。虚血性疾患、脳梗塞、2型糖尿病でも同様のリスク相関が認められるそうですが、前述のとおり疫学的調査が元になった説で、明確な科学的根拠はなかったことから、今回、初めてマウスを用いて生理学的検証を行ないました。
老化したマウスや高脂肪の餌を食べさせたラットを3グループにわけ、(1)水だけ (2)1%アルコール (3)2%アルコールを毎日与えたところ、②のグループは他のグループよりも老化スコアや肝障害指標数値が低かったことが実証されました。つまりマウスなら適量は1%アルコール。人間に換算したら、ビール250~500ml、日本酒では80~160mlだそうです。
厚生労働省の「健康日本21」では、日本人が1日あたり摂取する適正量を純アルコール量20gと提起しています。主な酒類のアルコール量は以下のとおり。
・日本酒1合180ml=アルコール度数15%・純アルコール量22g
・ビール中瓶1本500ml=アルコール度数5%・純アルコール量20g
・ワイン1杯120ml=アルコール度数12%・純アルコール量12g
・焼酎1合180ml=アルコール度数35%・純アルコール量50g
・ウイスキーダブル60ml=アルコール度数43%・純アルコール量20g
この数字を見ると、今回の検証結果が、ほぼ厚労省の指標どおりということがわかります。
毎日飲むなら缶ビール1本、日本酒は1合弱・・・それだけじゃあ済まないようと苦笑いされる酒徒も多いでしょうが、とりあえず私は、まったく飲まない人と宴席をともにする機会があれば、ウンチク話でこの数字を挙げてみようかと思います。
ちなみに飲酒量と健康リスクがJカーブにならず、正比例してしまう疾患(高血圧、脳出血など)もあります。自分の疾患リスクを把握した上で、上記の数字をベースに、自分の適量というものをわきまえておくのが肝要です。
適量をわきまえ、おいしいお酒を健康で長~く楽しむために必要なものとは、自分の健康状態プラス、お酒に対する理解と知識。誰が、どんな材料で、どんな思いで造ったかを知れば、おのずと乱暴な飲み方はできないと思います。それがましてや地元の、顔の見える造り手の思いが込められたものであればなおさら。酒の十徳には「地の酒を嗜む」をプラスすべきでしょうね!
<参考>
酒類総合研究所広報誌エヌリブ25
http://www.nrib.go.jp/sake/pdf/NRIBNo25.pdf
厚生労働省「健康日本21 アルコール」
http://www1.mhlw.go.jp/topics/kenko21_11/b5.html#A53
◆杯が乾くまで
http://mayumi-s-jizake.blogzine.jp/blog/2014/06/25_7c7e.html
蔵元を囲んで理解を深める(しずおか地酒研究会の2014年4月サロンより)
鑑評会前日に東広島市内で開かれた酒類総合研究所講演会では、お酒と健康にまつわる興味深い研究発表がありました。
“酒は百薬の長、されど万病の元”と言いますが、室町時代には餅好きと酒好きが集まってディベートする「餅酒論(もちさけろん)」という知的な遊びがあり、酒好きが酒の効能を「酒の十徳」にまとめています。それによると、
一、 酒は独居の友となる
二、 労をいとう
三、 憂を忘れる
四、 鬱(うつ)をひらく
五、 気をめぐらす
六、 推参に便あり(土産などに持っていくと喜ばれる)
七、 百薬の長
八、 人と親しむ
九、 縁を結ぶ
十、 寒気の衣となる
私自身、七以外はすべて実体感していることで、前世で500年前の餅酒論に参加していたんじゃないかと思えるほどでした(笑)。
で、肝心の七「百薬の長」。
私の酒歴では、酒が薬の代わりになると感じた経験がまだありません。25年以上前ですが、最初に書いた酒のインタビュー記事が、断酒会会長と酒卸会社社長との対談で、酒は人格を破壊する麻薬の側面があり、適正飲酒の教育が必要だという話でした。その後、酒に関する文献を調べるときも、「百薬の長」よりもむしろ、「狂水(くるいみず)」「地獄湯(じごくとう)」「狂薬(きょうやく)」「万病源(まんびょうのもと)」等など、酒害を説いたキーワードが脳に焼き付いてしまっています。
もちろん、気心知れた仲間と飲んでいれば楽しいし、日頃の憂さは晴れるし、精神衛生上のメリットは十分感じるものの、酒を飲んで健康になった~!といえるほどの実感は持てません。やっぱり飲みすぎて二日酔いで酷い目にあったときのことを思い出すと後悔が先にたつし、それでも体調が戻ればまた飲みたくなる・・・なるほど麻薬のような中毒性のあるやっかいな存在です。
杜氏や酒米農家を囲んで理解を深める(しずおか地酒研究会の2014年4月サロンより)
そんなこんなで、今回の講演会プログラムにあった「少量飲酒の健康への影響(Jカーブ)」。酒類総合研究所の研究発表にしては珍しいテーマだし、個人的にもそそられる演題です。発表者は品質・安全性研究部門主任研究員の伊豆英恵さん。お若いリケジョです。講演中は撮影NGだったので、休憩時間にロビーで聴衆に囲まれていた伊豆さんを遠目からパチリ。女性が酒の研究論文発表の場で注目を集めているって、なんだか勝手に勇気付けられちゃいました(笑)。
それはさておき、内容はズバリ、“酒は百薬の長、されど万病の元”を生理学的に実証したものでした。
アルコール中毒は世界共通の問題として1980年代から疫学的=個人ではなく一定の地域の集団を対象に、病気の発生原因や変化を調査した研究が活発になり、「適量の飲酒は心臓病や糖尿病の予防効果がある」「適量飲酒する人のほうが、まったく飲まない人や大量に飲む人よりも死亡率が低い」と考えられるようになりました。日本酒の効能についても、
・他の酒類よりも2℃ほど体温が高い状態が長く続き、体内細胞の健全化させる
・血流をよくし、消化機能を高める
・筋肉のコリや冷え性を改善させる
・自律神経が安定する
・豊富なアミノ酸や糖類ががん細胞の萎縮・壊死に効果あり
・善玉コレステロールが増え、動脈硬化を防ぐ
・適量飲む人の心筋梗塞発生率は、飲まない人の3分の1
・血糖値を下げるインスリンに似た物質が含まれる
・麹から血圧を下げる物質が多量に生産される
等などの成果が報告されています。
ここで気になるのが「適量」です。上記のような能書きを見せられたら、日本酒ガンガン飲むぞー!!って息巻いてしまいそうですが、ポイントになるのが「J」です。
まったく飲まない人の死亡リスクを1とすると、一日適量まで飲む人はリスクマイナスになり、適量を超えるとリスクプラスになる。グラフにするとアルファベットの「J」のように見えることからそう呼ばれています。虚血性疾患、脳梗塞、2型糖尿病でも同様のリスク相関が認められるそうですが、前述のとおり疫学的調査が元になった説で、明確な科学的根拠はなかったことから、今回、初めてマウスを用いて生理学的検証を行ないました。
老化したマウスや高脂肪の餌を食べさせたラットを3グループにわけ、(1)水だけ (2)1%アルコール (3)2%アルコールを毎日与えたところ、②のグループは他のグループよりも老化スコアや肝障害指標数値が低かったことが実証されました。つまりマウスなら適量は1%アルコール。人間に換算したら、ビール250~500ml、日本酒では80~160mlだそうです。
厚生労働省の「健康日本21」では、日本人が1日あたり摂取する適正量を純アルコール量20gと提起しています。主な酒類のアルコール量は以下のとおり。
・日本酒1合180ml=アルコール度数15%・純アルコール量22g
・ビール中瓶1本500ml=アルコール度数5%・純アルコール量20g
・ワイン1杯120ml=アルコール度数12%・純アルコール量12g
・焼酎1合180ml=アルコール度数35%・純アルコール量50g
・ウイスキーダブル60ml=アルコール度数43%・純アルコール量20g
この数字を見ると、今回の検証結果が、ほぼ厚労省の指標どおりということがわかります。
毎日飲むなら缶ビール1本、日本酒は1合弱・・・それだけじゃあ済まないようと苦笑いされる酒徒も多いでしょうが、とりあえず私は、まったく飲まない人と宴席をともにする機会があれば、ウンチク話でこの数字を挙げてみようかと思います。
ちなみに飲酒量と健康リスクがJカーブにならず、正比例してしまう疾患(高血圧、脳出血など)もあります。自分の疾患リスクを把握した上で、上記の数字をベースに、自分の適量というものをわきまえておくのが肝要です。
適量をわきまえ、おいしいお酒を健康で長~く楽しむために必要なものとは、自分の健康状態プラス、お酒に対する理解と知識。誰が、どんな材料で、どんな思いで造ったかを知れば、おのずと乱暴な飲み方はできないと思います。それがましてや地元の、顔の見える造り手の思いが込められたものであればなおさら。酒の十徳には「地の酒を嗜む」をプラスすべきでしょうね!
<参考>
酒類総合研究所広報誌エヌリブ25
http://www.nrib.go.jp/sake/pdf/NRIBNo25.pdf
厚生労働省「健康日本21 アルコール」
http://www1.mhlw.go.jp/topics/kenko21_11/b5.html#A53
Posted by 日刊いーしず at 12:00
2014年05月12日
第25回 杜氏の矜持
酛摺り唄を実演する(菊正宗資料館)
先月、日本を代表する酒の産地・神戸の灘五郷と呼ばれる地区を歩いてきました。『白鶴』『菊正宗』『沢の鶴』等テレビコマーシャルでおなじみのナショナルブランドが、製造工場に併設するかたちで酒造資料館を設置し、酒造りの歴史や文化を紹介しているのです。
初めて灘を訪ねたのは阪神淡路大震災前でしたが、震災を契機に地区全体の再開発が進み、産業観光ルートとして整備され、外国人観光客ツアーのバスも何台か見かけました。各蔵とも入場無料で試飲も楽しめますので、関西方面を観光する機会がありましたら、ぜひ立ち寄ってみてください。
履物の位置でわかる酒蔵職人の職能ランク(白鶴酒造資料館)
◆灘五郷酒造組合公式サイト(こちら)
◆灘の酒蔵観光ルート/神戸観光コンベンション協会サイト(こちら)
この時期、酒造資料館を訪ねたのは、前回も触れたように、杜氏や蔵人の職能というものを再認識する機会が続いたからでした。
当ブログの第20回南部杜氏(記事はこちら)で報告のとおり、『正雪』醸造元・神沢川酒造場(静岡市清水区由比)の杜氏山影純悦さん(81)が「卓越した技能者(現代の名工)」に選ばれ、4月14日、JR静岡駅前のグランディエールブケトーカイで祝賀会が開かれました。当日は酒造関係者をはじめ、正雪の取引先酒販店や飲食店、正雪ファンの愛飲家など約200名が山影さんの受賞をお祝いしました。
約200人が山影さんをお祝いをしました
長年、酒の取材をしていますが、酒蔵の外にはめったに出てこない杜氏さんが主役の大宴会というのは初めてかもしれません。この日は『磯自慢』の多田信男さん、『萩錦』『富士錦』の小田島健次さん、『富士正』の八重樫次幸さんなど山影さんと同郷の南部杜氏や、前回記事で紹介した『花の舞』の土田さん(静岡県杜氏研究会会長)も顔をそろえました。大勢の蔵元さんに一度にお会いする機会は、地酒まつり等さまざまありますが、複数の杜氏さんとご一緒できる機会は、本当にめったにないことです。静岡県の酒蔵から初めて〈現代の名工〉を輩出した、まさに県の酒造史に残る出来事なのだと心底感動しました。
山影さんが授与された卓越技能(現代の名工)章
祝賀会に参加した酒徒たちの多くが、二次会・三次会で「山影さんのスピーチに感動した」と話していました。私は写真を撮るのに必死でちゃんと聴けなかったので、後日、神沢川酒造場へ「山影さんのスピーチ原稿を読ませてほしい」とずうずうしいお願いをしたところ、岩手に帰郷された山影さんから直筆のスピーチ原稿が送られてきました。ブログでの掲載をお許しいただきましたので、ここに全文を紹介します。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
感謝のスピーチをする山影さん
神沢川酒造場の杜氏山影純悦でございます。ひと言お礼を申し上げます。
今日4月14日のカレンダーをのぞいてみましたら、「一粒万倍の日」とありました。そして「大安」「工夫は無限に有る」と書かれています。私が大事にしている好きな言葉です。
競技と呼ばれるものには必ずゴールがあります。しかし酒造りにはゴールがございません。前だけを見つめ、ただひたすら、これからも皆様に喜ばれる静岡県産酒を醸し続けて行きたいと考えております。
今日の佳き日にお忙しい中、そして様々なお立場の皆様が遠路お出ましいただき、このように盛大なお祝いをしていただけますことに心より感謝を申し上げます。
昨年11月7日、東京都内のホテルにおいて厚生労働大臣より卓越技能・現代の名工の表彰を受けてまいりました。受賞後は皆々様よりお祝いの花や祝電や記念品等のお心遣い、そして励ましのお言葉をいただきました。身に余る光栄でございます。これも県酒造組合様、県杜氏研究会様のご推薦と後押しのおかげ、また私の元で力を貸してくれた頭(かしら)以下、蔵人のおかげと感謝しているところです。県酒造組合の小沢事務局長様には何かとご苦労をいただき、お世話になりましたこと、この場をお借りし、お礼申し上げます。本当にありがとうございました。
私は昭和26年、先輩方の勧めで酒造りの仕事に入りました。一人前の酒造り職人になりたい夢を持ちながら10年余り。昭和38年、茨城県の田中酒造様で杜氏として酒造責任者の道を歩むことになりました。
さまざまな苦労が押し寄せてきたこともありましたが、つねに気持ちを前に置き、攻めの忘れず立ち向かいました。ほどほど失敗に近い経験もありましたがこれをバネに己を見つめ、そして翌年の光を求めて頑張り続け、現在に至っております。
初めて造った吟醸酒は薄辛く、香りも今いちでガッカリしましたが、上槽後の熟成が良く、県清酒鑑評会に出品したところ、想像だにしなかった首席の栄誉に輝きました。生まれて初めて賞状というものを手にし、夢心地だったこと、今でも鮮明に目に浮かんでまいります。
酒の名前を賜る杯と書いて『銘酒賜杯』と読みます。「首席賜杯、山影純悦」と呼ばれ、壇上で賞状をいただきました。『賜杯』の賞状を手にするのはお相撲さんと杜氏だけ。宝物として大事にしています。
神沢川酒造場様に縁がございまして、昭和57年から家族のように、酒造りが終わって岩手に帰るときは「行ってらっしゃい」、秋に蔵入りするときは「お帰り」と迎えられています。
日本酒にはいろいろなタイプの酒がございます。私も少し変わったタイプの正雪に挑戦してみたことがあります。これを東京の取引先の酒販店様に唎いていただいたところ、「これは正雪ではない、これならわざわざ正雪を求めなくてもよい」とお叱りをいただきました。本来の正雪を、再度、唎いていただいたところ、「安心した、これぞ正雪だ」とおっしゃっていただき、喜んで帰ってきたことを覚えています。
これからも今の正雪で、ずっとずっと皆様に愛飲される正雪を蔵人一丸となって気を緩めずに造り続けていくことを、ここにお誓いいたします。どうぞご愛飲くださいますよう、重ねてお願い申し上げます。
私は故郷岩手に、酒造りを終えて4月半ばに帰りますが、故郷では酒造好適米の『吟ぎんが』という酒米を生産しております。日本酒とは切っても切れない仕事をするために、この世に生を受けてきたのだと思い、頑張っております。
大吟醸や純米吟醸、夏用の生酒等、自分で生産した米を原料として、皆様に愛飲していただく静岡県産酒『正雪』を造っております。生涯をこの道一筋に、皆様に愛され、生きて行きたいと励んでいるところであります。
従業員・蔵人全員からはメッセージ入りの記念品をいただきました。
「このたびはおめでとうございます。これからもお身体に気をつけて、正雪の味を全国に広げましょう」(山本君)、「早いですね、杜氏さんと仕事をさせていただいて23年になります。一緒に仕事が出来ることを誇りに、これからも頑張ります」(笠井さん)・・・時間の関係で全員のメッセージは紹介できませんが、私の胸にしっかりコピーして大事にしまっておきます。
従業員の皆さん、蔵人の皆さん。これからも喜ばれる正雪を造っていくことに力を貸してください。そして今日、このように盛大な祝賀会を企画実行していただきました神沢川酒造場様に心より感謝申し上げます。
正雪をこよなく愛してくださる皆様、応援してくださる皆様、正雪に期待をしてくださる皆様、今日ここにお祝いに駆けつけてくださいました皆様方に心から感謝を申し上げ、結びの言葉とさせていただきます。本当にありがとうございました。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
19歳で蔵入りし、81歳で〈現代の名工〉に選ばれるまでの“酒造道”を数分のスピーチで伝えるのは難しかったと思いますが、「これぞ正雪」と飲み手を唸らせる酒質をブレることなく醸し続けるには、ご自身がブレのない、筋の通った生き方を貫かねば、成し得ないことでしょう。当日の山影さんの朴訥とした語り口を思い起こしながら、改めて、職人としての矜持、というものを感じました。
灘の酒造資料館を訪ねたのは、祝賀会が終わって5日後のこと。展示されている古い酒造道具を眺めていると、大量の米と水に対峙するための“武器”を使いこなそうと格闘し、改良を重ねてきた職人たちの背が目に浮かんできました。一人では手に負えそうもない、しかも今のようにスイッチ一つで動くわけではないオール手動の道具や装置を目の当たりにすれば、酒造りとは蔵人同士のチームワークが何より大切であると一目瞭然です。
杜氏は人一倍の心労に耐え、雇用主(蔵元)や客(取引先)の注文に応えなければなりません。山影さんが背負い、引き継いできたものも、酒蔵で人生の大半を過ごした歴代杜氏たちが守り続けてきた矜持に違いありません。
「日本酒とは切っても切れない仕事をするために生を受けた」と明言し、「ずっとずっと皆様に愛飲される正雪を、蔵人一丸となって気を緩めずに造り続けていくことを誓う」と言い切った山影さん。このような造り手が支える静岡の酒を、改めて、頼もしく、誇らしく思います。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
前回お知らせのとおり、しずおか地酒研究会では、浜松市で開催中の浜名湖花博2014はままつフラワーパーク会場で、5月17日に地酒サロンを開催します。ぜひふるってお越しください。
しずおか地酒サロンIN花博2014 特別トークセッション
「杜氏と樹木医 自然の育ちによりそう力」
青島傳三郎(『喜久醉』蔵元杜氏)× 塚本こなみ(樹木医・はままつフラワーパーク理事長)
・内容/青島さんと塚本さんの対談、喜久醉の試飲、地酒ドキュメンタリー『吟醸王国しずおか』パイロット版(20分)上映
・日時 2014年5月17日(土) 14時~16時(開場13時30分)
・会場 はままつフラワーパーク内 花みどり館2階セミナールーム
・交通 JR浜松駅・バス1番乗り場より「舘山寺行き」約40分、「フラワーパーク前」下車(浜松駅からは約10分ごとに出発します)
・事前申込不要(満席の場合は入場をお断りする場合があります)
・参加無料(花博入園料大人800円がかかります)
・問合せ しずおか地酒研究会(鈴木真弓)
メールアドレスはこちら msj◆quartz.ocn.ne.jp
※上記アドレスの◆の部分を半角の@に変えてお送りください。
「杜氏と樹木医 自然の育ちによりそう力」
青島傳三郎(『喜久醉』蔵元杜氏)× 塚本こなみ(樹木医・はままつフラワーパーク理事長)
・内容/青島さんと塚本さんの対談、喜久醉の試飲、地酒ドキュメンタリー『吟醸王国しずおか』パイロット版(20分)上映
・日時 2014年5月17日(土) 14時~16時(開場13時30分)
・会場 はままつフラワーパーク内 花みどり館2階セミナールーム
・交通 JR浜松駅・バス1番乗り場より「舘山寺行き」約40分、「フラワーパーク前」下車(浜松駅からは約10分ごとに出発します)
・事前申込不要(満席の場合は入場をお断りする場合があります)
・参加無料(花博入園料大人800円がかかります)
・問合せ しずおか地酒研究会(鈴木真弓)
メールアドレスはこちら msj◆quartz.ocn.ne.jp
※上記アドレスの◆の部分を半角の@に変えてお送りください。
Posted by 日刊いーしず at 12:00
2014年04月11日
第24回 花の舞de花見酒
しばらく杯ごと眠っておりましたが、新酒が出揃う春の声を聞き、目醒めました。桜もそろそろ散りかける頃。みなさま、花見酒はお楽しみになりましたか?
しずおか地酒研究会では、浜松市で開催中の浜名湖花博2014はままつフラワーパーク会場で、4月5日~6日と、「花の舞de花見酒」という試飲イベントを開催しました。
世界一の桜とチューリップが魅力、はままつフラワーパーク
21時まで楽しめる夜桜チューリップは4月13日まで
10年前の花博では、樹木医塚本こなみ先生の仲介で、庭文化創造館という主催者パビリオンで地酒テイスティングサロンを開いたご縁を活かし、10周年記念の今回、こなみ先生が理事長を務めるはままつフラワーパークで試飲イベントを行うことになったのです。
今回はフラワーパーク側が甘酒の無料サービスを希望していたことを考慮し、地元浜松の花の舞酒造より搾りたての酒粕を提供していただいて、フラワーパーク内レストランの料理長が甘酒に仕上げ、これを試飲会場の「花の休憩所」へ運んでふるまいました。花の舞酒造には酒粕を無償提供してもらうかわりに、商品の試飲販売が出来るよう取り計らい、しずおか地酒研究会から私を含め会員3名が参加して接客を行ないました。ちなみに予算ゼロなので、すべて手弁当での参加です(苦笑)。
花の休憩所の試飲会場。甘酒サービスに長い行列
花の舞酒造は県内最大規模の酒蔵です。そんな大店の販促活動になぜボランティア協力するの?と思われるかもしれませんが、しずおか地酒研究会は“川上”ではなく、“川下”にあって隣近所に地酒ファンを増やしたいというのが活動の第一義にあります。“川中以上”の愛飲家を対象にした酒イベントと違い、一般の観光イベント会場は日本酒を初めて飲む、地酒に初めて出会うというお客さんが多く、確実に、潜在的な地酒ファン獲得につながります。会場に最も近く、十分な商品供給能力を持つ花の舞酒造なら、柔軟に対応してくれると考えました。
と ころがフタを開けてみたら準備が大変でした。花博のような屋外イベントで、フリー客を対象にした試飲販売を行なうには、税務署や保健所から許可を得る必要があります。その許可取りが、思った以上に難しいんですね。
お祭りの屋台でコップ売りするビールや日本酒は、食品衛生管理責任者がいれば可能だそうですが、未開封の酒を商品として販売するには、税務署が発行する移動販売免許が必要になります。その免許取得には、実際の試飲会場はパーク内のどこか地図上で正確に示さねばならず、その場所もちゃんと屋根付きか、水場やゴミを捨てるスペースは確保されているか等など、厳しくチェックされます。
花の舞酒造ではこの手の申請準備に慣れたベテラン社員があいにく不在で、なんと、杜氏の土田一仁さんが担当することに。「僕もこういうの初めてなんで、慣れなくてねえ」と頭をかきながら、すべてお一人で手続きをこなし、ギリギリ開催に間に合ったのです。
しかもイベント2日間とも自ら店頭に立ち、お客さんに丁寧に商品解説。社員なら当然と言えばそれまでですが、1991年に社員から杜氏に抜擢された社員杜氏の先駆けとして酒造りを長年指揮し、今は静岡県杜氏研究会会長も務める土田さんに、こんなことさせちゃっていいのかなぁと冷や汗をかきました。
甘酒をふるまう土田さん(左)、地酒研会員の高島さん(中)、塚本こなみ理事長(白帽子)
杜氏自ら陣頭に立っての試飲販売。お客さんにとってはメリットがありますよね。言っちゃあ何だけど、雇われバイトやコンパニオンから勧められる酒よりも、造った杜氏さんから勧めてもらう酒のほうが“重み”がある。試飲販売に不慣れな私も、2日間、土田さんの接客トークを聞いて、どんなふうに勧めればお客さんのハートをつかめるか、コツが解った気がしました。
たとえば、今回よく売れた『花の舞純米SAKEドルチェ』。デザートワインのような甘さがウリです。こういう酒を好むのは、内心、酒に飲みなれない女性や若い人だけだろうと思っていましたが、「もろみが醗酵する段階で、米のデンプンの甘みが次第にアルコールに変化していく。その、変化しきらない途中であえて止め、米の甘みや旨味が残る絶妙なタイミングで搾って詰める。未開封で長期保存すれば瓶の中で醗酵し続け、そのまま辛口のアルコールになるんです。決して甘味を添加した酒ではありません」と土田さんが丁寧に説明するのを聞いて、米が自然醗酵する日本酒ならではの面白さを味わう酒なんだと開眼しました。たまたまお昼にカレーを食べた後にこの酒を試飲したところ、口中がふんわりまろやかになり、本当に上質なデザートを味わったような気分。「これぞ食後酒」と納得させられました。
発泡酒の『ぷちしゅわ日本酒 ちょびっと乾杯』ではイチゴ味が好評でした。ブースにやってきた酒通と思われる妙齢の女性は、最初、「何これ?こんなの酒じゃないでしょ?」みたいな顔をしていたのですが、そばで若いカップルが「おいしい~!」と楽しそうに飲んでいるのを見て試飲コップに手を伸ばし、すべての試飲をし終わった後で、「珍しい酒だから」と購入したのがイチゴ味でした。イチゴ味といっても静岡県産いちご章姫をピューレ状にし、静岡県産山田錦で醸した微発泡純米酒とブレンドした、静岡でしか生まれ得ない味です。ちょこっとそんな能書きを説明すると、やはり感じ方が変わるんでしょうね。照れくさそうに、でも笑顔で帰っていったその女性の背中を、私も幸せな気持ちで見送りました。
今回試飲販売した花の舞ラインナップ
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「花見酒de花の舞」前夜の4月4日、静岡市内で杜氏の技の伝承をテーマにしたしずおか地酒サロンを開催しました(詳細は私の個人ブログ『杯が乾くまで』(こちらの記事)をご参照ください)。
ここでたまたま、講師の松崎晴雄先生から「昔ながらの杜氏は、雇用主の蔵元の意向に沿い、蔵のある土地柄や地域性に合った酒を造る」「蔵元杜氏は、自分が理想とする酒を同世代の人たちに飲んでもらおうとメッセージ性のある酒を造る」「社員杜氏は醸造学を学び、器用にそつなく造る」と解説してもらいました。
花の舞酒造の土田さんは、社員から杜氏に抜擢された人ですが、松崎さんが言うところの「昔ながらの杜氏」の魂を持ち、蔵元の難しいオーダーにも「器用にそつなく」応える。
3月に開かれた静岡県清酒鑑評会では、土田さんの大吟醸が見事最高位(吟醸の部県知事賞)に輝きました。受賞した出品酒を飲ませてもらったときは「土田さんが理想とする本来の花の舞とはこういう味か・・・」と実感しました。
花の舞酒造杜氏の土田一仁さん
そんな、松崎先生が挙げた杜氏の要素をすべて兼ね備えているような土田さんが、イベント会場で一般客を相手に汗する姿に、最初は複雑な思いもしましたが、土田さんが園内を見回し、塚本こなみ理事長がジャンパー姿で一所懸命水をまき、ゴミを拾って歩く姿を目撃し、「あの人はすごいな、ホンモノだ・・・」とつぶやいたときはハッとしました。理事長自ら、フラワーパーク園内に落ちているゴミ一つにも心を配るように、杜氏は自分が醸した酒がお客さんの口に入る最後の最後まで、責任を持とうとしている。・・・二人のプロの高潔な精神に、じんわり感動を覚えたのでした。
楽しい楽しい花見酒。その陰で、さまざまな人々が、信念を賭して自分の仕事に打ち込んでいることに、ほんの少し思いを寄せてくださいね。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
はままつフラワーパークでのしずおか地酒サロン、5月17日(土)14時~16時、花みどり館にて『喜久醉』の蔵元杜氏・青島孝さんと塚本こなみ理事長のトークセッションを開催します。喜久醉の試飲、私が製作している地酒ドキュメンタリー『吟醸王国しずおか』パイロット版の上映も行ないます。花博入場料(大人800円)はかかりますが、地酒サロンは参加無料、事前申込不要ですので、ふるってお越しください!
しずおか地酒研究会では、浜松市で開催中の浜名湖花博2014はままつフラワーパーク会場で、4月5日~6日と、「花の舞de花見酒」という試飲イベントを開催しました。
世界一の桜とチューリップが魅力、はままつフラワーパーク
21時まで楽しめる夜桜チューリップは4月13日まで
10年前の花博では、樹木医塚本こなみ先生の仲介で、庭文化創造館という主催者パビリオンで地酒テイスティングサロンを開いたご縁を活かし、10周年記念の今回、こなみ先生が理事長を務めるはままつフラワーパークで試飲イベントを行うことになったのです。
今回はフラワーパーク側が甘酒の無料サービスを希望していたことを考慮し、地元浜松の花の舞酒造より搾りたての酒粕を提供していただいて、フラワーパーク内レストランの料理長が甘酒に仕上げ、これを試飲会場の「花の休憩所」へ運んでふるまいました。花の舞酒造には酒粕を無償提供してもらうかわりに、商品の試飲販売が出来るよう取り計らい、しずおか地酒研究会から私を含め会員3名が参加して接客を行ないました。ちなみに予算ゼロなので、すべて手弁当での参加です(苦笑)。
花の休憩所の試飲会場。甘酒サービスに長い行列
花の舞酒造は県内最大規模の酒蔵です。そんな大店の販促活動になぜボランティア協力するの?と思われるかもしれませんが、しずおか地酒研究会は“川上”ではなく、“川下”にあって隣近所に地酒ファンを増やしたいというのが活動の第一義にあります。“川中以上”の愛飲家を対象にした酒イベントと違い、一般の観光イベント会場は日本酒を初めて飲む、地酒に初めて出会うというお客さんが多く、確実に、潜在的な地酒ファン獲得につながります。会場に最も近く、十分な商品供給能力を持つ花の舞酒造なら、柔軟に対応してくれると考えました。
と ころがフタを開けてみたら準備が大変でした。花博のような屋外イベントで、フリー客を対象にした試飲販売を行なうには、税務署や保健所から許可を得る必要があります。その許可取りが、思った以上に難しいんですね。
お祭りの屋台でコップ売りするビールや日本酒は、食品衛生管理責任者がいれば可能だそうですが、未開封の酒を商品として販売するには、税務署が発行する移動販売免許が必要になります。その免許取得には、実際の試飲会場はパーク内のどこか地図上で正確に示さねばならず、その場所もちゃんと屋根付きか、水場やゴミを捨てるスペースは確保されているか等など、厳しくチェックされます。
花の舞酒造ではこの手の申請準備に慣れたベテラン社員があいにく不在で、なんと、杜氏の土田一仁さんが担当することに。「僕もこういうの初めてなんで、慣れなくてねえ」と頭をかきながら、すべてお一人で手続きをこなし、ギリギリ開催に間に合ったのです。
しかもイベント2日間とも自ら店頭に立ち、お客さんに丁寧に商品解説。社員なら当然と言えばそれまでですが、1991年に社員から杜氏に抜擢された社員杜氏の先駆けとして酒造りを長年指揮し、今は静岡県杜氏研究会会長も務める土田さんに、こんなことさせちゃっていいのかなぁと冷や汗をかきました。
甘酒をふるまう土田さん(左)、地酒研会員の高島さん(中)、塚本こなみ理事長(白帽子)
杜氏自ら陣頭に立っての試飲販売。お客さんにとってはメリットがありますよね。言っちゃあ何だけど、雇われバイトやコンパニオンから勧められる酒よりも、造った杜氏さんから勧めてもらう酒のほうが“重み”がある。試飲販売に不慣れな私も、2日間、土田さんの接客トークを聞いて、どんなふうに勧めればお客さんのハートをつかめるか、コツが解った気がしました。
たとえば、今回よく売れた『花の舞純米SAKEドルチェ』。デザートワインのような甘さがウリです。こういう酒を好むのは、内心、酒に飲みなれない女性や若い人だけだろうと思っていましたが、「もろみが醗酵する段階で、米のデンプンの甘みが次第にアルコールに変化していく。その、変化しきらない途中であえて止め、米の甘みや旨味が残る絶妙なタイミングで搾って詰める。未開封で長期保存すれば瓶の中で醗酵し続け、そのまま辛口のアルコールになるんです。決して甘味を添加した酒ではありません」と土田さんが丁寧に説明するのを聞いて、米が自然醗酵する日本酒ならではの面白さを味わう酒なんだと開眼しました。たまたまお昼にカレーを食べた後にこの酒を試飲したところ、口中がふんわりまろやかになり、本当に上質なデザートを味わったような気分。「これぞ食後酒」と納得させられました。
発泡酒の『ぷちしゅわ日本酒 ちょびっと乾杯』ではイチゴ味が好評でした。ブースにやってきた酒通と思われる妙齢の女性は、最初、「何これ?こんなの酒じゃないでしょ?」みたいな顔をしていたのですが、そばで若いカップルが「おいしい~!」と楽しそうに飲んでいるのを見て試飲コップに手を伸ばし、すべての試飲をし終わった後で、「珍しい酒だから」と購入したのがイチゴ味でした。イチゴ味といっても静岡県産いちご章姫をピューレ状にし、静岡県産山田錦で醸した微発泡純米酒とブレンドした、静岡でしか生まれ得ない味です。ちょこっとそんな能書きを説明すると、やはり感じ方が変わるんでしょうね。照れくさそうに、でも笑顔で帰っていったその女性の背中を、私も幸せな気持ちで見送りました。
今回試飲販売した花の舞ラインナップ
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「花見酒de花の舞」前夜の4月4日、静岡市内で杜氏の技の伝承をテーマにしたしずおか地酒サロンを開催しました(詳細は私の個人ブログ『杯が乾くまで』(こちらの記事)をご参照ください)。
ここでたまたま、講師の松崎晴雄先生から「昔ながらの杜氏は、雇用主の蔵元の意向に沿い、蔵のある土地柄や地域性に合った酒を造る」「蔵元杜氏は、自分が理想とする酒を同世代の人たちに飲んでもらおうとメッセージ性のある酒を造る」「社員杜氏は醸造学を学び、器用にそつなく造る」と解説してもらいました。
花の舞酒造の土田さんは、社員から杜氏に抜擢された人ですが、松崎さんが言うところの「昔ながらの杜氏」の魂を持ち、蔵元の難しいオーダーにも「器用にそつなく」応える。
3月に開かれた静岡県清酒鑑評会では、土田さんの大吟醸が見事最高位(吟醸の部県知事賞)に輝きました。受賞した出品酒を飲ませてもらったときは「土田さんが理想とする本来の花の舞とはこういう味か・・・」と実感しました。
花の舞酒造杜氏の土田一仁さん
そんな、松崎先生が挙げた杜氏の要素をすべて兼ね備えているような土田さんが、イベント会場で一般客を相手に汗する姿に、最初は複雑な思いもしましたが、土田さんが園内を見回し、塚本こなみ理事長がジャンパー姿で一所懸命水をまき、ゴミを拾って歩く姿を目撃し、「あの人はすごいな、ホンモノだ・・・」とつぶやいたときはハッとしました。理事長自ら、フラワーパーク園内に落ちているゴミ一つにも心を配るように、杜氏は自分が醸した酒がお客さんの口に入る最後の最後まで、責任を持とうとしている。・・・二人のプロの高潔な精神に、じんわり感動を覚えたのでした。
楽しい楽しい花見酒。その陰で、さまざまな人々が、信念を賭して自分の仕事に打ち込んでいることに、ほんの少し思いを寄せてくださいね。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
はままつフラワーパークでのしずおか地酒サロン、5月17日(土)14時~16時、花みどり館にて『喜久醉』の蔵元杜氏・青島孝さんと塚本こなみ理事長のトークセッションを開催します。喜久醉の試飲、私が製作している地酒ドキュメンタリー『吟醸王国しずおか』パイロット版の上映も行ないます。花博入場料(大人800円)はかかりますが、地酒サロンは参加無料、事前申込不要ですので、ふるってお越しください!
Posted by 日刊いーしず at 12:00
2013年12月27日
第23回 かしこい酔い方
先日、取材で浜松商工会議所会頭の大須賀正孝氏から面白いお話をうかがいました。ご自身の会社では、次年度の利益目標を年始の宴席で立てるというのです。「会議室でしかめっ面をつき合わせて議論しても無難な数字しか出てこない。それでは企業は成長しない。経営幹部には、酒を飲んで気持ちが大きくなったところで、とんでもない数字を出させる。酔いが冷めて“実行不可能です”と青くなっても、本当に不可能な数字かどうか、皆で改めて冷静に分析し、一緒に方法を考え、実現させる」とのこと。実際、飲んだ勢いで決めた目標値-想定の倍額に向かって社内でムダを徹底的に絞り出すため日割り決算をし、日中の照明をこまめに消したりパート社員の残業を若干減らすなどして見事達成したそうです。
これまで、飲みすぎて失敗した話はゴマンと聞いてきましたが、大須賀会頭のこのお話は実に痛快でした。そう、酒には本当にいろいろな“効能”があるんです。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
年末年始、何かと酒量が増える季節。新酒が出揃い、日本酒の世界も活況をみせます。造り手が丹精込めて醸した美酒。その実力をあますところなく堪能するには、まず我々飲み手の体調が万全であることが必須でしょう。
私の場合、宴席がある前の晩は、酒風呂に入って体調を整えます。少しぬるめの湯船にコップ2~3杯の日本酒を入れるだけ。血圧が安定し、湯冷めがしにくく、お肌もしっとり。ポカポカ気分で布団に入れます。本当は毎晩やりたいけど、適度に余り酒があるときだけのゼイタクです。
「今日は量を飲むな」と判っている日は、お昼や午後のデザートで乳製品を採るなどして胃に保護粘膜をつくっておきます。
きき酒を目的とした宴席では食事はほとんど採らず、続けざまに何種類も試飲します。でもこれは酒を試すときの飲み方であり、酒を楽しむときにはNGですね。
アルコールは十二指腸と小腸で吸収され、血液の流れに乗って全身に回る。そうして少しずつ血中アルコール濃度が高まり、“酔い”を自覚します。
しかし、飲むピッチが早くなったり量がかさむと、アルコールの吸収→巡回→酔いの自覚までのタイムラグが無視され、酔いを自覚する前に、知らず知らずに適量をオーバーし、結果的に悪酔いに陥ってしまいます。これを防ぐ意味でも、何かを食べながら飲む、ということが大事。アルコールは食べ物と一緒に胃にしばらく留まるので、吸収がゆるやかになるようです。
よく、日本人の一日あたりの適量は、日本酒なら2合まで、ビールなら大瓶2本まで、ワインならグラス2杯まで、焼酎やウイスキーの水割りなら3杯まで。これを1時間ぐらいかけて飲むのがベターと言われます。私もですが、本コラムの読者諸氏も、「この程度の量じゃおさまらない」と苦笑いしていることでしょう。ならばこそ、いろいろな食事をバラエティよく揃え、会話で盛り上げるなどして、出来る限り、アルコールの吸収速度をゆったり長持ちさせる工夫が必要なんですね。
ちなみに、辻クッキングスクールの味田節子先生によると「メタボ改善や健康長寿のためには、“三低晩酌”がおススメ」とのこと。三低とは、ずばり【低糖・低塩・低カロリー】。日本酒は1合で180キロカロリー・糖分9グラムですから、この分を差し引いて晩酌メニューを考えればよいわけです。
外飲みのときは、朝や昼の食事でバランスをとるようにします。私自身、太りやすい体質なので、ダイエット中はかなり神経質になっちゃいますが、いちいち気にしてストレスを抱えるよりも、大雑把に、「ちょっとお昼軽くしとこう」「翌朝軽めにしよ」と考えるようにしています。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
日本酒の健康と効能については、秋田大学の滝澤行雄名誉教授の研究が知られています。おさらいしてみますと、
◆発ガン抑制
日本酒=肝臓によくないというイメージをもたれますが、実は、日本酒の消費量の多い東日本のほうが、西日本に比べて肝硬変や肝がんによる死亡率が低い。さらに日本酒の成分で膀胱がん、前立腺がん、子宮頸がんのがん細胞増殖抑制効果が認められた。日本酒にはアルコールのほか、有機酸、糖分、アミノ酸、ビタミン類など100種以上の微量成分が含まれ、これらががん細胞の萎縮や壊死を示す効果があると判明しています。
国立がん研究所の平山雄氏(故人)の研究により、毎日適量を飲酒する人は、まったく飲まない人に比べ、発ガンリスクが低いことも判明しています。おかずと一緒にいただく“晩酌”が健康効果と結びつき、大脳皮質を刺激してストレスを解消し、心の緊張をほぐすことも奏功しているのでしょう。
◆抗酸化作用
日本酒には悪玉コレステロールの酸化を防ぐ抗酸化作用があります。悪玉コレステロールは、酸化することで動脈硬化や心筋梗塞を引き起こすため、酸化を防ぐ効果が大事なんですね。
◆美肌効果
最近、大手化粧品メーカーでも“杜氏の手が白い”ことに着目し、麹酸を使った美白・保湿商品を大々的に宣伝していますが、日本酒の美肌効果は、昔から芸妓さんが日本酒を化粧水やパック代わりに使っていたことでも知られています。
私は酒風呂に入ったとき、風呂桶にお湯+純米酒コップ2分の1を溜めて洗顔マッサージをし、布巾を浸して即席パックをします。純米酒の無駄遣いと思われるかもしれませんが、化粧品代より安上がりだし(笑)、何より、口に入れるものだから安心安全です。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
民俗学者の石毛直道氏が、昭和45年頃にこんなふうに書いています。
「日本人全体としては、昔は毎日、酒に親しむことはなかったのでして、祭とか行事の際に酒は飲むものであり、飲んだら必ず酔ったものです。大勢で、ときたま集まって飲む酒の席では、酔ってなくても酔ったふりをするのが行儀というものでした。昭和20年代までは、とことんまで飲んで泥酔して、道路で寝ている人を見かけることは珍しくありませんでした。
現在、日本酒の消費量は膨大なものとなり、毎日酒を飲む人は珍しくありません。ビールはかつてのお茶代わりの飲み物に使われたりします。日本人は酒を常用化した社会に突入したのです。それでいて泥酔する人を見ることは少なくなりました。日本社会全体が生酔いの境地を楽しんでいる、といえそうです」。(『食事の文化』より)
ちょうどこの頃、日本酒の消費量のピークでした。それ以前は、農耕神事や冠婚葬祭のハレの日、ときたま、へべれけになるまでいただく特別な存在だった日本酒が、都市化した社会の中で身近な存在となり、大衆飲料になったのです。日本酒に対する儀式性や民俗的価値はだんだん薄れていきました。
大衆化を後押ししたのが、日本酒の生産技術やベンダー技術の向上です。醸造試験所の研究や成分分析機の開発、醸造用機械の改良等によって飛躍的に向上し、これに伴って梱包・流通のシステムも進化して、さまざまなサイズの瓶や容器が開発され、家庭で買い置きできる商品が増えた。これが晩酌や独酌といった日本酒ならではの飲酒スタイルにつながりました。
しかしこれも日本酒がアルコール市場のトップランナーにいて、造り手や売り手に勢いがあった頃の話。時代は大きく変わりました。日本酒の消費が落ち込む今、造り手や売り手の一方的な経済論理や押し付けは通用しなくなり、儀式性や民俗的価値を見直す動きも出てきています。全国各地で進む“日本酒乾杯条例”の制定も、儀式性の復活といえるでしょう。
ふたたび、へべれけになるまで泥酔する時代に戻るなんてことは不可能ですが、今の価値観や生活規範に外れない範囲でスマートに酔うことは、日本酒が本来持つ優れた効能を活かす意味でも進めていいんじゃないかと思います。
酔いにまかせて大きな気持ちになって、しらふではいえない大口を叩く・・・少なくとも年末年始ぐらいは、大いに許そうじゃありませんか。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
さて、2013年1月からスタートした本コラム、連載期間は1年のお約束でしたが、おかげさまで継続できることになりました。これも訪問してくださる皆さまのお支えあってのこと。本当にありがとうございます。
2014年からは月1回の更新になりますが、引き続きよろしくお願いいたします。酒縁に乾杯!
(参考文献)
知って得する日本酒の健康効果(日本酒造組合中央会刊)
『酔い』のうつろい~酒屋と酒飲みの世相史/麻井宇介氏 (日本経済評論社刊)
酒席に役立つ読む肴~サラリーマン酒白書(酒文化研究所刊)
これまで、飲みすぎて失敗した話はゴマンと聞いてきましたが、大須賀会頭のこのお話は実に痛快でした。そう、酒には本当にいろいろな“効能”があるんです。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
年末年始、何かと酒量が増える季節。新酒が出揃い、日本酒の世界も活況をみせます。造り手が丹精込めて醸した美酒。その実力をあますところなく堪能するには、まず我々飲み手の体調が万全であることが必須でしょう。
私の場合、宴席がある前の晩は、酒風呂に入って体調を整えます。少しぬるめの湯船にコップ2~3杯の日本酒を入れるだけ。血圧が安定し、湯冷めがしにくく、お肌もしっとり。ポカポカ気分で布団に入れます。本当は毎晩やりたいけど、適度に余り酒があるときだけのゼイタクです。
「今日は量を飲むな」と判っている日は、お昼や午後のデザートで乳製品を採るなどして胃に保護粘膜をつくっておきます。
きき酒を目的とした宴席では食事はほとんど採らず、続けざまに何種類も試飲します。でもこれは酒を試すときの飲み方であり、酒を楽しむときにはNGですね。
アルコールは十二指腸と小腸で吸収され、血液の流れに乗って全身に回る。そうして少しずつ血中アルコール濃度が高まり、“酔い”を自覚します。
しかし、飲むピッチが早くなったり量がかさむと、アルコールの吸収→巡回→酔いの自覚までのタイムラグが無視され、酔いを自覚する前に、知らず知らずに適量をオーバーし、結果的に悪酔いに陥ってしまいます。これを防ぐ意味でも、何かを食べながら飲む、ということが大事。アルコールは食べ物と一緒に胃にしばらく留まるので、吸収がゆるやかになるようです。
よく、日本人の一日あたりの適量は、日本酒なら2合まで、ビールなら大瓶2本まで、ワインならグラス2杯まで、焼酎やウイスキーの水割りなら3杯まで。これを1時間ぐらいかけて飲むのがベターと言われます。私もですが、本コラムの読者諸氏も、「この程度の量じゃおさまらない」と苦笑いしていることでしょう。ならばこそ、いろいろな食事をバラエティよく揃え、会話で盛り上げるなどして、出来る限り、アルコールの吸収速度をゆったり長持ちさせる工夫が必要なんですね。
ちなみに、辻クッキングスクールの味田節子先生によると「メタボ改善や健康長寿のためには、“三低晩酌”がおススメ」とのこと。三低とは、ずばり【低糖・低塩・低カロリー】。日本酒は1合で180キロカロリー・糖分9グラムですから、この分を差し引いて晩酌メニューを考えればよいわけです。
外飲みのときは、朝や昼の食事でバランスをとるようにします。私自身、太りやすい体質なので、ダイエット中はかなり神経質になっちゃいますが、いちいち気にしてストレスを抱えるよりも、大雑把に、「ちょっとお昼軽くしとこう」「翌朝軽めにしよ」と考えるようにしています。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
日本酒の健康と効能については、秋田大学の滝澤行雄名誉教授の研究が知られています。おさらいしてみますと、
◆発ガン抑制
日本酒=肝臓によくないというイメージをもたれますが、実は、日本酒の消費量の多い東日本のほうが、西日本に比べて肝硬変や肝がんによる死亡率が低い。さらに日本酒の成分で膀胱がん、前立腺がん、子宮頸がんのがん細胞増殖抑制効果が認められた。日本酒にはアルコールのほか、有機酸、糖分、アミノ酸、ビタミン類など100種以上の微量成分が含まれ、これらががん細胞の萎縮や壊死を示す効果があると判明しています。
国立がん研究所の平山雄氏(故人)の研究により、毎日適量を飲酒する人は、まったく飲まない人に比べ、発ガンリスクが低いことも判明しています。おかずと一緒にいただく“晩酌”が健康効果と結びつき、大脳皮質を刺激してストレスを解消し、心の緊張をほぐすことも奏功しているのでしょう。
◆抗酸化作用
日本酒には悪玉コレステロールの酸化を防ぐ抗酸化作用があります。悪玉コレステロールは、酸化することで動脈硬化や心筋梗塞を引き起こすため、酸化を防ぐ効果が大事なんですね。
◆美肌効果
最近、大手化粧品メーカーでも“杜氏の手が白い”ことに着目し、麹酸を使った美白・保湿商品を大々的に宣伝していますが、日本酒の美肌効果は、昔から芸妓さんが日本酒を化粧水やパック代わりに使っていたことでも知られています。
私は酒風呂に入ったとき、風呂桶にお湯+純米酒コップ2分の1を溜めて洗顔マッサージをし、布巾を浸して即席パックをします。純米酒の無駄遣いと思われるかもしれませんが、化粧品代より安上がりだし(笑)、何より、口に入れるものだから安心安全です。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
民俗学者の石毛直道氏が、昭和45年頃にこんなふうに書いています。
「日本人全体としては、昔は毎日、酒に親しむことはなかったのでして、祭とか行事の際に酒は飲むものであり、飲んだら必ず酔ったものです。大勢で、ときたま集まって飲む酒の席では、酔ってなくても酔ったふりをするのが行儀というものでした。昭和20年代までは、とことんまで飲んで泥酔して、道路で寝ている人を見かけることは珍しくありませんでした。
現在、日本酒の消費量は膨大なものとなり、毎日酒を飲む人は珍しくありません。ビールはかつてのお茶代わりの飲み物に使われたりします。日本人は酒を常用化した社会に突入したのです。それでいて泥酔する人を見ることは少なくなりました。日本社会全体が生酔いの境地を楽しんでいる、といえそうです」。(『食事の文化』より)
ちょうどこの頃、日本酒の消費量のピークでした。それ以前は、農耕神事や冠婚葬祭のハレの日、ときたま、へべれけになるまでいただく特別な存在だった日本酒が、都市化した社会の中で身近な存在となり、大衆飲料になったのです。日本酒に対する儀式性や民俗的価値はだんだん薄れていきました。
大衆化を後押ししたのが、日本酒の生産技術やベンダー技術の向上です。醸造試験所の研究や成分分析機の開発、醸造用機械の改良等によって飛躍的に向上し、これに伴って梱包・流通のシステムも進化して、さまざまなサイズの瓶や容器が開発され、家庭で買い置きできる商品が増えた。これが晩酌や独酌といった日本酒ならではの飲酒スタイルにつながりました。
しかしこれも日本酒がアルコール市場のトップランナーにいて、造り手や売り手に勢いがあった頃の話。時代は大きく変わりました。日本酒の消費が落ち込む今、造り手や売り手の一方的な経済論理や押し付けは通用しなくなり、儀式性や民俗的価値を見直す動きも出てきています。全国各地で進む“日本酒乾杯条例”の制定も、儀式性の復活といえるでしょう。
ふたたび、へべれけになるまで泥酔する時代に戻るなんてことは不可能ですが、今の価値観や生活規範に外れない範囲でスマートに酔うことは、日本酒が本来持つ優れた効能を活かす意味でも進めていいんじゃないかと思います。
酔いにまかせて大きな気持ちになって、しらふではいえない大口を叩く・・・少なくとも年末年始ぐらいは、大いに許そうじゃありませんか。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
さて、2013年1月からスタートした本コラム、連載期間は1年のお約束でしたが、おかげさまで継続できることになりました。これも訪問してくださる皆さまのお支えあってのこと。本当にありがとうございます。
2014年からは月1回の更新になりますが、引き続きよろしくお願いいたします。酒縁に乾杯!
(参考文献)
知って得する日本酒の健康効果(日本酒造組合中央会刊)
『酔い』のうつろい~酒屋と酒飲みの世相史/麻井宇介氏 (日本経済評論社刊)
酒席に役立つ読む肴~サラリーマン酒白書(酒文化研究所刊)
Posted by 日刊いーしず at 12:00
2013年12月13日
第22回 茶懐石と酒
和食が世界無形文化遺産に登録されました。喜ばしいことではありますが、少々ひっかかるところもあり、“遺産”という言葉を広辞苑を引いてみたら、「前代の人が遺した業績」とありました。歴史があるということは尊いけれど、現代ではなく前代の遺物扱いかと思うと、なんとなく哀しくなります。
折も折、今月に入り、式年遷宮を迎えた伊勢神宮の早朝参りと、濃茶を中心とした茶懐石のフルコースを味わうという2つの文化遺産体験をしました。日本酒の話題とは少しズレるかもしれませんが、とても意義深い体験でしたので、そのお話をさせていただきます。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
伊勢神宮は、それこそ世界文化遺産の認定資格は十分なのに、登録はされていません。人間が神様を遺産認定するなど畏れ多いという理由で、立候補すらしないのです。恒久的な建物を造らず、20年ごとに同じものを造り替えて、日本古来の伝統や精神を次世代に継承していく、まさに現在進行形の文化。これぞ日本独自の思想が反映された世界に誇るべきものだと、実際にお参りし、しみじみ思い知りました。
食物・穀物の神である豊受大神宮(外宮)をお参りしたとき、ガイドさんから教えてもらってビックリしたのは、神様のお食事=御饌(みけ)。米、塩、水、神酒、餅、魚、鳥、海藻、野菜、菓子、果物などを朝夕2回、365日、一日も休まず神殿にお供えするのですが、調理するのに、古代さながら、前夜から潔斎=身を清めた神職が、木と火打石で火を熾しているということ。食材のみならず、器も、毎食、新しく焼いた素焼きの器を使う。これを、今日まで1500余年、途切れることなく毎日続けているというのです。神道においては、何よりも清浄を尊ぶのですね。
日本人に生まれてこのかた、当たり前のように正月や種々の行事でお参りしてきた神社のこと、何も知らなかったんだなあと恥ずかしくなりました。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
2年前から経営者団体の有志で、ビジネスマナーや経営哲学を学ぶ目的で茶道をたしなんでいます。私はこの年齢になって生まれて初めて、まともにお茶の勉強を始め、和室に入るときの襖の開け方やら畳の踏み方やらお辞儀の仕方やら、日本人として知って当然の所作やマナーをまるで知らずに生きてきたことを、大いに恥じているところ。ちょうど伊勢神宮をお参りした1週間後、茶道仲間にしずおか地酒研究会メンバーを加え、御所丸(静岡市葵区大鋸町)で茶懐石のフルコースを体験する会を催しました。御所丸さんは本格的な茶懐石を、テーブル席で気軽に体験できるお店で、酒は初亀(岡部町)を扱っています。
◆茶懐石と喫茶の店「御所丸」 http://gosyomaru.sakura.ne.jp/
一般的な和食の会席料理とは違い、茶懐石の料理や酒は、お茶(濃茶)をいただく前の大いなる“前フリ”。主役のお茶が登場するまで、実に3~4時間かけ、亭主(ホスト)は前フリ(懐石料理と酒)で客(ゲスト)をもてなすのです。これらをトータルで「茶事」といいます。
懐石とは禅僧が修行中、寒さと空腹を癒すため、温石を懐に入れていたことに由来し、禅僧が喫食する精進料理を懐石料理と呼んでいました。16世紀、千利休が禅宗の精神を本膳料理に取り入れ、茶道の会合に供する「茶懐石」を確立した、といわれます。
茶懐石のメインディッシュ、煮物椀
茶懐石の手順は―
(1)一汁三菜(飯、汁、向付け、煮物、焼物)が基本で、まず、「飯」、「汁」、「向付け」が折敷でだされる。
(2)ご飯を二口~三口食べ、味噌汁を飲んだところで、それを合図に亭主から酒が勧められる。基本は杯に一杯ずつ。
(3)酒を飲んでから、「向付」に手をつける。向付とは、膳の手前ではなく向こう側に置かれた刺身類のこと。
(4)さらに、「煮物」、人数分が一鉢に盛り込まれた「焼物」が出される。
「鉢肴(はちざかな)」、「強肴(しいざかな)」など献立以外の料理を出す場合もある。
「小吸物」、「八寸」が出される。
(5)献酬のあと「湯桶(ゆとう )」と香の物がでて食べ終わる。
(6)懐紙で膳に落ちた滴を押さえて折敷の上を整え、一同で折敷の縁に掛けてあった箸を折敷の中に落とし、終了の合図をして終える。
(7)小休止の後、菓子と濃茶が供せられる。
一般の宴会料理と大きく違うのは、初めからご飯と汁が出てきて、その合間に酒が注がれるということ。この、合間の匙加減というのが難しいんですね。
茶懐石で表現する“おもてなしの精神”とは、単に美味しい酒や料理を出せばいいというものではなく、厨房から膳を持って給仕口の襖を閉め、ふたたび襖を開ける間の呼吸までも細心の神経を遣うということ。間が早すぎても、空きすぎてもダメ。そして料理は季節感、食材の持ち味を大切にし、切れ端まで粗末に扱わず、温かい料理は温かく、冷たいものは器も冷たくして供する。献立も、海、山、里の幸をバランスよく組み合わせ、食べにくいもの・噛む音が出るものは隠し包丁を入れ、骨あるものは丁寧に取り除く。・・・今の宴会料理が忘れつつあるもてなしの王道が、そこにあるようです。
今回、いただいた懐石料理をザッと紹介すると―
お香煎/京都祇園・原了郭製
麦や米を炒って粉末にした〈こがし〉に山椒、紫蘇、陳皮(ちんぴ=ミカンの皮)などの粉末と少量の塩を加えたもの。湯を注いで茶のように飲む、いわばウエルカムドリンク。ちなみに原了郭は赤穂浪士・原惣右衛門のご子孫とか!
お膳/一汁三菜
ご飯は一文字に盛る。お替り自由。
汁はヨモギ麩・菱の実・祖父江銀杏。
向付は鯛昆布〆・寿海苔・莫大海(バクダイの実)・双葉
煮物椀(メインディッシュ)は麻機レンコン団子・椎茸・人参・大根・三つ葉・柚子
焼き物は鰤の幽庵焼 梅酢漬け・生姜
最初に出される飯、汁、向付
和え物/菊菜・菠薐草(ほうれん草)・阿房宮(食用菊)・木の子
強肴/強いるので強肴といわれ 酒が進むような肴を少量出す。粟麩田楽・人参寒天寄。
預鉢/ご飯のおかずとして出される炊き合わせや酢の物など。凍豆腐・近江こんにゃく・生湯葉・百合根。
預鉢の凍豆腐は地酒にピッタリ!
小吸物/今回は師走にちなみ、鰊(にしん)を巻いた更科蕎麦寿司。
八寸/八寸(約20cm角)の正方形の盆のこと。魚介類のなまぐさものと野菜を盛り合わせたり、山海の珍味を数種取り合わせたもの。大徳寺麩・岩梨添え・鮭燻製醍醐(チーズ)巻ケッパー添え
湯桶/注ぎ口と横手がついた湯次(ゆつぎ)から、重湯に塩味をきかせた汁をごはんにかけ、香の物と一緒にいただく。
甘味/煮梅箔散らし・麩饅頭
干菓子/源氏香・巻柿・金平糖
濃茶/「祖母昔」 上林春松製
薄茶/「松風昔」 同
酒は、上記にあるように、最初にご飯に口をつけ、味噌汁を飲んだところで亭主が「燗鍋」に入れて勧めます。
燗鍋というのは鉄製のお銚子。昔はこのまま火にかけてお燗していたんですね。今回は御所丸さんに事前にお許しをいただき、特別に初亀新酒荒しぼり、亀丸純米吟醸(秋上がり)、白隠正宗純米酒誉富士を持ち込み、燗鍋に入れて冷やでお出ししました。
昔はそのまま火にかけて燗付けした鉄製の「燗鍋」
初亀はもともと御所丸の取り扱い酒。白隠正宗は禅宗の中興の祖・白隠禅師ゆかりの酒ということでご用意しました。地酒研会員が居酒屋感覚で酒瓶からそのまま注ぐマナー違反(苦笑)をしたせいか、3種類の酒すべて空瓶になり、日頃は日本酒が苦手という茶道研究会会員もスイスイ味わってくれました。季節の食材を吟味し、手間隙をかけ、丁寧に調理された料理との食べ合わせ・飲み合わせの賜物だと思います。
茶懐石に用意した地酒と、茶懐石に使う酒杯
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
気がつけば、湯桶が出るまで約3時間、あっという間でした。そして、これらの茶事の真の主役が、この後出される一杯の茶だということにただただ驚くばかり。一杯の茶のために費やす、この膨大な準備時間と気配りは、「おもてなし」のひと言では到底足りません。
ふだん、なかなか濃茶を味わう機会はないと思いますが、濃茶というのは練り状のようなドロッとした濃~い抹茶。飲むというより吸う感じ。これを、一つの茶碗を回しのみしていただきます。千利休が始めた作法のようで、戦国時代、狭い茶室で同じ茶碗を回しのみするというのは、真に気を許し合った証拠なのでしょう。「一味同心」とか「同じ釜の飯を食う」なんて言葉を想起させます。
味はご想像のとおり、ものすごく苦いのですが、より上質の抹茶を厳選し、品よくまろやかに仕上げるのが亭主の腕の見せどころのようです。初めて濃茶を飲んだときは、酒蔵で、酒母のもろみをきき酒したときを思い出しちゃいました(苦笑)。
濃茶のあとは、ふだんいただく抹茶として馴染みのある「薄茶」をいただき、フィニッシュです。濃茶よりも“薄い”からといって軽視してはいけません。一期一会の茶席の最後の大切な一杯。この日も、最後の薄茶の美味しさが、余韻と感動を残してくれました。
カラになった酒瓶を眺め、御所丸の店主が「お酒を飲んだ後、濃茶や薄茶をいただけば、絶対に二日酔いしませんよ」とひと言。そういえば、しずおか地酒研究会で利用する飲食店では、焼津の日本料理「安藤」が、コース料理の最後に必ず抹茶(薄茶)を出してくれます。安藤さんは茶事の心得がおありなのだ・・・と今更ながら感じ入りました。
◆日本料理 安藤 http://www.at-s.com/gourmet/featured/jizake/vol13.html
伊勢神宮の御饌(みけ)と、千利休の茶懐石。詳しく調べたわけではありませんが、この2つには和食の原型がある、と実感しました。
この両者に日本酒が介在していることも嬉しい発見です。焼酎やワインってわけにはいきませんよね、さすがに。
ただ、私のお茶の先生曰く「濃茶の回しのみは、利休が生きていた頃、日本に入ってきたキリスト教のぶどう酒の回しのみが影響しているのではないか」とも。茶道と酒道は思った以上に近しいのかもしれません。
いずれにせよ、和食に“遺産”という称号がふさわしいのかどうか、この先、日本酒も“遺産”扱いされてしまうのだろうか、ふだんの飲食を見直しながらちゃんと考えていきたい、と思っています。
折も折、今月に入り、式年遷宮を迎えた伊勢神宮の早朝参りと、濃茶を中心とした茶懐石のフルコースを味わうという2つの文化遺産体験をしました。日本酒の話題とは少しズレるかもしれませんが、とても意義深い体験でしたので、そのお話をさせていただきます。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
伊勢神宮は、それこそ世界文化遺産の認定資格は十分なのに、登録はされていません。人間が神様を遺産認定するなど畏れ多いという理由で、立候補すらしないのです。恒久的な建物を造らず、20年ごとに同じものを造り替えて、日本古来の伝統や精神を次世代に継承していく、まさに現在進行形の文化。これぞ日本独自の思想が反映された世界に誇るべきものだと、実際にお参りし、しみじみ思い知りました。
食物・穀物の神である豊受大神宮(外宮)をお参りしたとき、ガイドさんから教えてもらってビックリしたのは、神様のお食事=御饌(みけ)。米、塩、水、神酒、餅、魚、鳥、海藻、野菜、菓子、果物などを朝夕2回、365日、一日も休まず神殿にお供えするのですが、調理するのに、古代さながら、前夜から潔斎=身を清めた神職が、木と火打石で火を熾しているということ。食材のみならず、器も、毎食、新しく焼いた素焼きの器を使う。これを、今日まで1500余年、途切れることなく毎日続けているというのです。神道においては、何よりも清浄を尊ぶのですね。
日本人に生まれてこのかた、当たり前のように正月や種々の行事でお参りしてきた神社のこと、何も知らなかったんだなあと恥ずかしくなりました。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
2年前から経営者団体の有志で、ビジネスマナーや経営哲学を学ぶ目的で茶道をたしなんでいます。私はこの年齢になって生まれて初めて、まともにお茶の勉強を始め、和室に入るときの襖の開け方やら畳の踏み方やらお辞儀の仕方やら、日本人として知って当然の所作やマナーをまるで知らずに生きてきたことを、大いに恥じているところ。ちょうど伊勢神宮をお参りした1週間後、茶道仲間にしずおか地酒研究会メンバーを加え、御所丸(静岡市葵区大鋸町)で茶懐石のフルコースを体験する会を催しました。御所丸さんは本格的な茶懐石を、テーブル席で気軽に体験できるお店で、酒は初亀(岡部町)を扱っています。
◆茶懐石と喫茶の店「御所丸」 http://gosyomaru.sakura.ne.jp/
一般的な和食の会席料理とは違い、茶懐石の料理や酒は、お茶(濃茶)をいただく前の大いなる“前フリ”。主役のお茶が登場するまで、実に3~4時間かけ、亭主(ホスト)は前フリ(懐石料理と酒)で客(ゲスト)をもてなすのです。これらをトータルで「茶事」といいます。
懐石とは禅僧が修行中、寒さと空腹を癒すため、温石を懐に入れていたことに由来し、禅僧が喫食する精進料理を懐石料理と呼んでいました。16世紀、千利休が禅宗の精神を本膳料理に取り入れ、茶道の会合に供する「茶懐石」を確立した、といわれます。
茶懐石のメインディッシュ、煮物椀
茶懐石の手順は―
(1)一汁三菜(飯、汁、向付け、煮物、焼物)が基本で、まず、「飯」、「汁」、「向付け」が折敷でだされる。
(2)ご飯を二口~三口食べ、味噌汁を飲んだところで、それを合図に亭主から酒が勧められる。基本は杯に一杯ずつ。
(3)酒を飲んでから、「向付」に手をつける。向付とは、膳の手前ではなく向こう側に置かれた刺身類のこと。
(4)さらに、「煮物」、人数分が一鉢に盛り込まれた「焼物」が出される。
「鉢肴(はちざかな)」、「強肴(しいざかな)」など献立以外の料理を出す場合もある。
「小吸物」、「八寸」が出される。
(5)献酬のあと「湯桶(ゆとう )」と香の物がでて食べ終わる。
(6)懐紙で膳に落ちた滴を押さえて折敷の上を整え、一同で折敷の縁に掛けてあった箸を折敷の中に落とし、終了の合図をして終える。
(7)小休止の後、菓子と濃茶が供せられる。
一般の宴会料理と大きく違うのは、初めからご飯と汁が出てきて、その合間に酒が注がれるということ。この、合間の匙加減というのが難しいんですね。
茶懐石で表現する“おもてなしの精神”とは、単に美味しい酒や料理を出せばいいというものではなく、厨房から膳を持って給仕口の襖を閉め、ふたたび襖を開ける間の呼吸までも細心の神経を遣うということ。間が早すぎても、空きすぎてもダメ。そして料理は季節感、食材の持ち味を大切にし、切れ端まで粗末に扱わず、温かい料理は温かく、冷たいものは器も冷たくして供する。献立も、海、山、里の幸をバランスよく組み合わせ、食べにくいもの・噛む音が出るものは隠し包丁を入れ、骨あるものは丁寧に取り除く。・・・今の宴会料理が忘れつつあるもてなしの王道が、そこにあるようです。
今回、いただいた懐石料理をザッと紹介すると―
お香煎/京都祇園・原了郭製
麦や米を炒って粉末にした〈こがし〉に山椒、紫蘇、陳皮(ちんぴ=ミカンの皮)などの粉末と少量の塩を加えたもの。湯を注いで茶のように飲む、いわばウエルカムドリンク。ちなみに原了郭は赤穂浪士・原惣右衛門のご子孫とか!
お膳/一汁三菜
ご飯は一文字に盛る。お替り自由。
汁はヨモギ麩・菱の実・祖父江銀杏。
向付は鯛昆布〆・寿海苔・莫大海(バクダイの実)・双葉
煮物椀(メインディッシュ)は麻機レンコン団子・椎茸・人参・大根・三つ葉・柚子
焼き物は鰤の幽庵焼 梅酢漬け・生姜
最初に出される飯、汁、向付
和え物/菊菜・菠薐草(ほうれん草)・阿房宮(食用菊)・木の子
強肴/強いるので強肴といわれ 酒が進むような肴を少量出す。粟麩田楽・人参寒天寄。
預鉢/ご飯のおかずとして出される炊き合わせや酢の物など。凍豆腐・近江こんにゃく・生湯葉・百合根。
預鉢の凍豆腐は地酒にピッタリ!
小吸物/今回は師走にちなみ、鰊(にしん)を巻いた更科蕎麦寿司。
八寸/八寸(約20cm角)の正方形の盆のこと。魚介類のなまぐさものと野菜を盛り合わせたり、山海の珍味を数種取り合わせたもの。大徳寺麩・岩梨添え・鮭燻製醍醐(チーズ)巻ケッパー添え
湯桶/注ぎ口と横手がついた湯次(ゆつぎ)から、重湯に塩味をきかせた汁をごはんにかけ、香の物と一緒にいただく。
甘味/煮梅箔散らし・麩饅頭
干菓子/源氏香・巻柿・金平糖
濃茶/「祖母昔」 上林春松製
薄茶/「松風昔」 同
酒は、上記にあるように、最初にご飯に口をつけ、味噌汁を飲んだところで亭主が「燗鍋」に入れて勧めます。
燗鍋というのは鉄製のお銚子。昔はこのまま火にかけてお燗していたんですね。今回は御所丸さんに事前にお許しをいただき、特別に初亀新酒荒しぼり、亀丸純米吟醸(秋上がり)、白隠正宗純米酒誉富士を持ち込み、燗鍋に入れて冷やでお出ししました。
昔はそのまま火にかけて燗付けした鉄製の「燗鍋」
初亀はもともと御所丸の取り扱い酒。白隠正宗は禅宗の中興の祖・白隠禅師ゆかりの酒ということでご用意しました。地酒研会員が居酒屋感覚で酒瓶からそのまま注ぐマナー違反(苦笑)をしたせいか、3種類の酒すべて空瓶になり、日頃は日本酒が苦手という茶道研究会会員もスイスイ味わってくれました。季節の食材を吟味し、手間隙をかけ、丁寧に調理された料理との食べ合わせ・飲み合わせの賜物だと思います。
茶懐石に用意した地酒と、茶懐石に使う酒杯
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
気がつけば、湯桶が出るまで約3時間、あっという間でした。そして、これらの茶事の真の主役が、この後出される一杯の茶だということにただただ驚くばかり。一杯の茶のために費やす、この膨大な準備時間と気配りは、「おもてなし」のひと言では到底足りません。
ふだん、なかなか濃茶を味わう機会はないと思いますが、濃茶というのは練り状のようなドロッとした濃~い抹茶。飲むというより吸う感じ。これを、一つの茶碗を回しのみしていただきます。千利休が始めた作法のようで、戦国時代、狭い茶室で同じ茶碗を回しのみするというのは、真に気を許し合った証拠なのでしょう。「一味同心」とか「同じ釜の飯を食う」なんて言葉を想起させます。
味はご想像のとおり、ものすごく苦いのですが、より上質の抹茶を厳選し、品よくまろやかに仕上げるのが亭主の腕の見せどころのようです。初めて濃茶を飲んだときは、酒蔵で、酒母のもろみをきき酒したときを思い出しちゃいました(苦笑)。
濃茶のあとは、ふだんいただく抹茶として馴染みのある「薄茶」をいただき、フィニッシュです。濃茶よりも“薄い”からといって軽視してはいけません。一期一会の茶席の最後の大切な一杯。この日も、最後の薄茶の美味しさが、余韻と感動を残してくれました。
カラになった酒瓶を眺め、御所丸の店主が「お酒を飲んだ後、濃茶や薄茶をいただけば、絶対に二日酔いしませんよ」とひと言。そういえば、しずおか地酒研究会で利用する飲食店では、焼津の日本料理「安藤」が、コース料理の最後に必ず抹茶(薄茶)を出してくれます。安藤さんは茶事の心得がおありなのだ・・・と今更ながら感じ入りました。
◆日本料理 安藤 http://www.at-s.com/gourmet/featured/jizake/vol13.html
伊勢神宮の御饌(みけ)と、千利休の茶懐石。詳しく調べたわけではありませんが、この2つには和食の原型がある、と実感しました。
この両者に日本酒が介在していることも嬉しい発見です。焼酎やワインってわけにはいきませんよね、さすがに。
ただ、私のお茶の先生曰く「濃茶の回しのみは、利休が生きていた頃、日本に入ってきたキリスト教のぶどう酒の回しのみが影響しているのではないか」とも。茶道と酒道は思った以上に近しいのかもしれません。
いずれにせよ、和食に“遺産”という称号がふさわしいのかどうか、この先、日本酒も“遺産”扱いされてしまうのだろうか、ふだんの飲食を見直しながらちゃんと考えていきたい、と思っています。
Posted by 日刊いーしず at 12:00
2013年11月29日
第21回 新酒と長期熟成酒
年の瀬を迎えました。酒徒にとっては待望の新酒の季節到来です。県内では、11月末から12月にかけ、各蔵元から新酒の便りが届きます。
新酒鑑評会等のコンテストが春に開かれるため、新酒は春のものと思っている人も多いようですが、そもそも新酒とは、その年に収穫された新米で醸造され、搾ったお酒を指します。酒の醸造期間は通常約1ヶ月半ですから、秋に収穫した新米を使えば年内には初搾りを出荷できます。
新酒のコンテストが春に開催されるのは、出品される酒の多くが大吟醸・純米大吟醸クラスで、使用する酒米は収穫が10月上~中旬という晩生タイプの山田錦。これを、時間をかけて丁寧に精米し、年明けの一番寒い時期に、通常よりも低温でじっくり時間をかけて仕込むので、搾るのはどうしても2~3月になるんですね。
ということは、年内に新酒として出回る多くは、普通酒・本醸造酒・純米酒等のレギュラークラスになるのですが、搾ってから間もないため、みずみずしい香味とすっきりした味わいが楽しめます。とくに静岡県の酒は、どのクラスも手間隙かけ、丁寧に仕込まれていますから、新酒の時期は、吟醸酒と見紛うきれいなお酒が多いと思います。
新酒は、火入れ殺菌をしない生酒タイプがほとんど。“生モノ”ですから温度変化に弱い。酒蔵では生酒を冷蔵貯蔵しておくスペースに限りがあり、販売先にも冷蔵保存をお願いする必要があります。
そのため、酒蔵では搾った酒の一部を生酒として出荷したら、残りは火入れ殺菌をし、通常商品として貯蔵・流通させます。とりわけ新酒の生は、今の時期ならではの限定商品であり、旬の初モノを好む日本人の志向にもマッチし、市場をいっとき熱くさせます。 “生モノ”ですから、当然ながらご家庭でも冷蔵保存が望ましく、開封したらなるべく早く飲んでくださいね。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
一方、日本酒を5年10年と寝かせた長期熟成酒も、注目を集めています。ワインや焼酎のように原料の違いによる味のバリエーションが少ない日本酒にとっては、消費者に選択の幅や楽しみを与える新たな“戦力”になりつつあります。
私自身、年齢を経るにつれ、ウイスキーのシングルモルトのように、上手に寝かせた酒の複雑で多様な味わいに惹かれているところ。以下は、2003年12月に静岡新聞に掲載した“10年熟成記事”の一部ですが、劣化はしていないと思うので(笑)、再掲させていただきます。
2003年12月22日静岡新聞夕刊掲載
シェリー酒の味わい
ダルマ正宗の醸造元・白木恒助商店(岐阜市)は昭和40年代から研究を手がけ、長期熟成酒を主力商品に育てた日本で唯一といっていい蔵元だ。
まず昭和46年から吟醸酒の低温保存を始めた。10年続けたが、原料米をよく磨いた吟醸酒では変化が少なかった。昭和47年から始めた純米酒の常温保存では経過年数ごとに色が濃くなり、10年以上経つと、日本酒とは思えない香味になるものもあった。
私が実際、試飲したものでは、15年熟成の純米酒は焙煎したてのナッツのような香ばしさが広がり、20年熟成になるとさらに多様な木の実の香りやキャラメルのような甘さが加わり、最も古い昭和47年ものは上質のシェリー酒のごとき味わいだった。
このような変貌を蔵元の白木善次さんは「酒が“解脱”する」と称する。長期熟成の過程で発生するソトロンという香味成分が、糖分濃度の影響で老酒風にも果実風にも変化し、酒に含まれるアミノ酸や糖分濃度に温度が加わり、化学反応を起こして色を変色させるのだ。
「吟醸酒の低温熟成酒は原型のよさを保ったいわゆる“淡熟型”。一方、低精白酒の常温熟成酒は“濃熟型”で、原型とは違う次元の味わいになります」。白木さんはある程度の糖分と酸を含んだ純米酒・本醸造酒の常温保存で、濃熟型熟成酒を目指した。
県内の蔵元も挑戦
仕込んだ酒を10年以上も売らずに置くというのは、経営面では大きなリスクだったに違いないが、地方の蔵元は生き残りをかけて個性化・差別化に必死だった。
静岡県の蔵元では白木恒助商店とはある意味で対極の道を選択した。
目指したのは米をよく磨き、麹を硬く造り、もろみは低温醗酵させ、搾った後は生酒でも安定して飲める吟醸酒。その立役者となった静岡酵母は、酸が低く、爽快な香りと軽快な味を醸し出す。
そういう酒を熟成させたらどうなるのか。昭和61酒造年度の静岡酵母HD-1大吟醸と、銘柄は異なるが平成3酒造年度のHD-1大吟醸を、現在、静岡酵母を得意とする若手杜氏2人と試飲してみた。
前者は静岡型の“硬く締まった麹造り”の特徴が今なお息づき、後者は丸みを帯びた艶やかさがあり、香味は絶妙に保たれていた。
「前者は杜氏の当時の若さがそのまま残っている。後者は名人芸の域に達している」「麹造りがしっかりした酒は崩れない」「“淡熟型”の理想だ」と若い2人は感嘆の声。
「変わらない」ことに価値を置くか、「変わる」ことに価値を置くかは飲み手次第だ。千寿酒造(磐田市)のように、飲み手の要望に応えて大吟醸20年熟成酒を常温保存に切り替え、古酒らしい色の変化を加えて商品化した蔵もある。
県内では市販の長期熟成酒が少ないので、自家熟成に挑戦してみよう。精米歩合70%程度の本醸造・純米酒クラスなら常温で、60%以下のものなら低温保存がお勧めだ。
白木さんは「まず同じ酒を2本買い、1本は冷蔵庫で、もう1本は常温で置いて熟成の違いを実感してみて」と助言する。「本来の造りがしっかりしている熟成酒は、一度開封しても劣化しないので、必ずしも飲み切る必要はない。気軽に楽しんでください」。
この記事は、静岡新聞文化欄の編集担当から、「日本酒を焼酎やワインみたいに熟成させた酒って最近よく聞くけど、どう?」と訊かれ、だったら取材してみようと、長期熟成酒の雄である岐阜のダルマ正宗まで取材に行って書いたもの。確か原稿料より交通費のほうが高くついた完全に赤字の取材だったと記憶しています(苦笑)が、めったにのめない貴重な熟成酒を試飲でき、赤字の穴埋めは十分でした。
岐阜の酒の宣伝で終わっちゃ面目ないと思い、記事の後半は静岡吟醸をつなげてみました。長期熟成のお宝酒をたくさん抱えている松永酒店(静岡市葵区五番町)に無理をお願いし、歴史的な昭和61年全国新酒鑑評会大量入賞の余韻が残る昭和61BY静岡酵母HD-1大吟醸を分けてもらい、松尾晃一さん(國香)、青島孝さん(喜久醉)にお声掛けしてお2人に試飲してもらいました。“若手杜氏”と紹介していますが、10年経った今、松尾さんは50代半ば、青島さんもまもなく50代。脂の乗った働き盛りの匠たちです。
それはさておき、つい先日、岡部の酒販店ときわストアの後藤英和さんが経営する地酒Bar イーハトーヴォで『喜久醉普通酒しぼりたて無濾過生原酒』を味わいました。この酒は毎年12月中~下旬の発売。実は、1年前にときわストアで購入し、自宅の冷蔵庫で1年熟成させたものを持ち込んだのです。
年末に発売する喜久醉普通酒しぼりたて無濾過生原酒
搾りたての新酒を熟成させるなんて邪道だ!とお叱りを受けるかもしれませんが、私は白木さんのアドバイスを実践し、毎年この時期に買う新酒の何本かを“熟成実験”しており、喜久醉普通酒しぼりたて無濾過生原酒は、それ以前から毎年1本は寝かせていました。この日飲んだ1年熟成酒は、青島さんが、いかに、静岡型の“硬く締まった麹造り”の特徴を大切に仕込んでいるかがよく解る1本でした。
初めてこの酒を1年寝かせたときは、前杜氏の富山初雄さんが仕込んだものでした。青島さんが生まれる前から喜久醉で酒を造っていた超ベテラン富山さんの酒は、どちらかといえば丸みを帯びた艶やかさがあり、日本酒というのは、同じ蔵の同じ条件で造った酒でも、造った人の人となりを映すんだなあとしみじみ思いました。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
新酒の生の、この時期でなければ味わえないフレッシュ感は、ぜひとも見逃さないでいただきたいのですが、生酒とは、いわば発酵持続中の酒ですから、時間や環境によって驚くような変化が楽しめます。
造り手の意図とは異なる酒質になり得る家庭での自己流熟成を、無理に奨励するつもりはありませんが、日本酒という発酵酒の隠れた潜在能力を引き出すのが熟成。本当に、米と米麹と水だけで造られているのかと驚くほど、複雑で重層的な香味の変化が楽しめるのです。
この年末、お気に入りの新酒は2本ゲットし、1本寝かせてみませんか?
新酒鑑評会等のコンテストが春に開かれるため、新酒は春のものと思っている人も多いようですが、そもそも新酒とは、その年に収穫された新米で醸造され、搾ったお酒を指します。酒の醸造期間は通常約1ヶ月半ですから、秋に収穫した新米を使えば年内には初搾りを出荷できます。
新酒のコンテストが春に開催されるのは、出品される酒の多くが大吟醸・純米大吟醸クラスで、使用する酒米は収穫が10月上~中旬という晩生タイプの山田錦。これを、時間をかけて丁寧に精米し、年明けの一番寒い時期に、通常よりも低温でじっくり時間をかけて仕込むので、搾るのはどうしても2~3月になるんですね。
ということは、年内に新酒として出回る多くは、普通酒・本醸造酒・純米酒等のレギュラークラスになるのですが、搾ってから間もないため、みずみずしい香味とすっきりした味わいが楽しめます。とくに静岡県の酒は、どのクラスも手間隙かけ、丁寧に仕込まれていますから、新酒の時期は、吟醸酒と見紛うきれいなお酒が多いと思います。
新酒は、火入れ殺菌をしない生酒タイプがほとんど。“生モノ”ですから温度変化に弱い。酒蔵では生酒を冷蔵貯蔵しておくスペースに限りがあり、販売先にも冷蔵保存をお願いする必要があります。
そのため、酒蔵では搾った酒の一部を生酒として出荷したら、残りは火入れ殺菌をし、通常商品として貯蔵・流通させます。とりわけ新酒の生は、今の時期ならではの限定商品であり、旬の初モノを好む日本人の志向にもマッチし、市場をいっとき熱くさせます。 “生モノ”ですから、当然ながらご家庭でも冷蔵保存が望ましく、開封したらなるべく早く飲んでくださいね。
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一方、日本酒を5年10年と寝かせた長期熟成酒も、注目を集めています。ワインや焼酎のように原料の違いによる味のバリエーションが少ない日本酒にとっては、消費者に選択の幅や楽しみを与える新たな“戦力”になりつつあります。
私自身、年齢を経るにつれ、ウイスキーのシングルモルトのように、上手に寝かせた酒の複雑で多様な味わいに惹かれているところ。以下は、2003年12月に静岡新聞に掲載した“10年熟成記事”の一部ですが、劣化はしていないと思うので(笑)、再掲させていただきます。
2003年12月22日静岡新聞夕刊掲載
シェリー酒の味わい
ダルマ正宗の醸造元・白木恒助商店(岐阜市)は昭和40年代から研究を手がけ、長期熟成酒を主力商品に育てた日本で唯一といっていい蔵元だ。
まず昭和46年から吟醸酒の低温保存を始めた。10年続けたが、原料米をよく磨いた吟醸酒では変化が少なかった。昭和47年から始めた純米酒の常温保存では経過年数ごとに色が濃くなり、10年以上経つと、日本酒とは思えない香味になるものもあった。
私が実際、試飲したものでは、15年熟成の純米酒は焙煎したてのナッツのような香ばしさが広がり、20年熟成になるとさらに多様な木の実の香りやキャラメルのような甘さが加わり、最も古い昭和47年ものは上質のシェリー酒のごとき味わいだった。
このような変貌を蔵元の白木善次さんは「酒が“解脱”する」と称する。長期熟成の過程で発生するソトロンという香味成分が、糖分濃度の影響で老酒風にも果実風にも変化し、酒に含まれるアミノ酸や糖分濃度に温度が加わり、化学反応を起こして色を変色させるのだ。
「吟醸酒の低温熟成酒は原型のよさを保ったいわゆる“淡熟型”。一方、低精白酒の常温熟成酒は“濃熟型”で、原型とは違う次元の味わいになります」。白木さんはある程度の糖分と酸を含んだ純米酒・本醸造酒の常温保存で、濃熟型熟成酒を目指した。
県内の蔵元も挑戦
仕込んだ酒を10年以上も売らずに置くというのは、経営面では大きなリスクだったに違いないが、地方の蔵元は生き残りをかけて個性化・差別化に必死だった。
静岡県の蔵元では白木恒助商店とはある意味で対極の道を選択した。
目指したのは米をよく磨き、麹を硬く造り、もろみは低温醗酵させ、搾った後は生酒でも安定して飲める吟醸酒。その立役者となった静岡酵母は、酸が低く、爽快な香りと軽快な味を醸し出す。
そういう酒を熟成させたらどうなるのか。昭和61酒造年度の静岡酵母HD-1大吟醸と、銘柄は異なるが平成3酒造年度のHD-1大吟醸を、現在、静岡酵母を得意とする若手杜氏2人と試飲してみた。
前者は静岡型の“硬く締まった麹造り”の特徴が今なお息づき、後者は丸みを帯びた艶やかさがあり、香味は絶妙に保たれていた。
「前者は杜氏の当時の若さがそのまま残っている。後者は名人芸の域に達している」「麹造りがしっかりした酒は崩れない」「“淡熟型”の理想だ」と若い2人は感嘆の声。
「変わらない」ことに価値を置くか、「変わる」ことに価値を置くかは飲み手次第だ。千寿酒造(磐田市)のように、飲み手の要望に応えて大吟醸20年熟成酒を常温保存に切り替え、古酒らしい色の変化を加えて商品化した蔵もある。
県内では市販の長期熟成酒が少ないので、自家熟成に挑戦してみよう。精米歩合70%程度の本醸造・純米酒クラスなら常温で、60%以下のものなら低温保存がお勧めだ。
白木さんは「まず同じ酒を2本買い、1本は冷蔵庫で、もう1本は常温で置いて熟成の違いを実感してみて」と助言する。「本来の造りがしっかりしている熟成酒は、一度開封しても劣化しないので、必ずしも飲み切る必要はない。気軽に楽しんでください」。
この記事は、静岡新聞文化欄の編集担当から、「日本酒を焼酎やワインみたいに熟成させた酒って最近よく聞くけど、どう?」と訊かれ、だったら取材してみようと、長期熟成酒の雄である岐阜のダルマ正宗まで取材に行って書いたもの。確か原稿料より交通費のほうが高くついた完全に赤字の取材だったと記憶しています(苦笑)が、めったにのめない貴重な熟成酒を試飲でき、赤字の穴埋めは十分でした。
岐阜の酒の宣伝で終わっちゃ面目ないと思い、記事の後半は静岡吟醸をつなげてみました。長期熟成のお宝酒をたくさん抱えている松永酒店(静岡市葵区五番町)に無理をお願いし、歴史的な昭和61年全国新酒鑑評会大量入賞の余韻が残る昭和61BY静岡酵母HD-1大吟醸を分けてもらい、松尾晃一さん(國香)、青島孝さん(喜久醉)にお声掛けしてお2人に試飲してもらいました。“若手杜氏”と紹介していますが、10年経った今、松尾さんは50代半ば、青島さんもまもなく50代。脂の乗った働き盛りの匠たちです。
それはさておき、つい先日、岡部の酒販店ときわストアの後藤英和さんが経営する地酒Bar イーハトーヴォで『喜久醉普通酒しぼりたて無濾過生原酒』を味わいました。この酒は毎年12月中~下旬の発売。実は、1年前にときわストアで購入し、自宅の冷蔵庫で1年熟成させたものを持ち込んだのです。
年末に発売する喜久醉普通酒しぼりたて無濾過生原酒
搾りたての新酒を熟成させるなんて邪道だ!とお叱りを受けるかもしれませんが、私は白木さんのアドバイスを実践し、毎年この時期に買う新酒の何本かを“熟成実験”しており、喜久醉普通酒しぼりたて無濾過生原酒は、それ以前から毎年1本は寝かせていました。この日飲んだ1年熟成酒は、青島さんが、いかに、静岡型の“硬く締まった麹造り”の特徴を大切に仕込んでいるかがよく解る1本でした。
初めてこの酒を1年寝かせたときは、前杜氏の富山初雄さんが仕込んだものでした。青島さんが生まれる前から喜久醉で酒を造っていた超ベテラン富山さんの酒は、どちらかといえば丸みを帯びた艶やかさがあり、日本酒というのは、同じ蔵の同じ条件で造った酒でも、造った人の人となりを映すんだなあとしみじみ思いました。
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新酒の生の、この時期でなければ味わえないフレッシュ感は、ぜひとも見逃さないでいただきたいのですが、生酒とは、いわば発酵持続中の酒ですから、時間や環境によって驚くような変化が楽しめます。
造り手の意図とは異なる酒質になり得る家庭での自己流熟成を、無理に奨励するつもりはありませんが、日本酒という発酵酒の隠れた潜在能力を引き出すのが熟成。本当に、米と米麹と水だけで造られているのかと驚くほど、複雑で重層的な香味の変化が楽しめるのです。
この年末、お気に入りの新酒は2本ゲットし、1本寝かせてみませんか?
Posted by 日刊いーしず at 12:00